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アヒ  作者: ゲントク
―第八章― 融けて沈む
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ーFlashbackー 私のヒーロー

 我ながらロクでもない父親を持ったと思う。


 それに気づいたのは小学生の時の授業参観だった。

 周りの同級生は、母親と共に学校を訪れていた。滅多にいなかったけど、父親を連れてくる子も何人かいた。

 私のお母さんは仕事に明け暮れる毎日。授業参観に時間を使ってくれる暇などなかった。


 じゃあお父さんは?


 父はいつも家にいた。仕事もせずに飲んだくれ。家事もせずに酒とたばこに明け暮れる毎日。


 お母さんはいつも私に謝っていた。授業参観に行けなくてごめんね、と。私はそうは思わなかった。だって家で暇そうにテレビを見ているあの人が来ればいいのだから。


 小学三年生の時、その旨を私は父に言った。普段会話などしない父に久しぶりに声をかけたのだ。父は怒りさえしなかったが、めんどくさそうに半笑いでこう答えた。


 あの学校の女はおばさんばっかだから行けない、と。


 次の日、お母さんとお風呂に入った時、腕に痣があった。

 お母さん、なんかここ青いよ?

 私がそう尋ねると、母は慌ててなんでもないと取り繕った。この痣の理由を察したのはもっと私が大人になってからだった。


 三年後、お母さんが身籠った。

 お母さんは嬉しそうに泣いていたが、父は違うようだ。面倒くさそうにため息を吐き、冷ややかな目でお母さんを見ていた。


 数日後、父は家に帰らなくなった。蒸発したのだ。

 それからのお母さんの荒れ様は、それはもう凄まじかった。

 産休を取り祖父母が私の面倒を見てくれたので生活面では特に不自由はしなかったが、父に裏切られた心の傷は根深く、祖父母だけでなく私にまで父に対する呪詛を言い放っていた。

 男なんてどれも最低、肉親以外誰も信用してはダメ、自分の幸せの為に生きるべきだ、とお母さんは私に刷り込むように言い続けた。何度も何度も。


 それと同時期に私は、学校の男の子達から妙な視線を向けられるようになった。

 昔から男の子にも女の子にも、可愛い可愛いと言われることもあったけど、それとは何か明確に違う、迸る様な視線。それに気づいたころには周りの女の子達は私を避け始めていた。


 程なくして私は立て続けに告白された。今は家が忙しいから、そんな気にはなれないから、ごめんなさいと何度もお断りしたけれど、最後まで告白が止むことはなかった。

 それに比例するように周りから女の子がいなくなった。比較的仲が良かったあの子も。


 当時は不思議で仕方がなかったけど、今思えば私は疎まれていたのだと思う。


 私の周りは、男という人種によって歪められていた。家では父に、学校では男子に。


 別にお母さんの言うことを全部鵜呑みにするつもりはない。別にすべての男性が父のような人間じゃないことだってわかっている。告白してきた男子たちに悪気があったわけじゃないことだって。


 わかっている。それでも。それでも私の日常が男の人によって崩されている事実は変わらない。


 だから私は

 ほんのりと

 男の人が嫌い。


 そんな中、あの子が生まれ落ちた。結城彩。私に妹ができた。


 お母さんは彼女の誕生を泣いて喜び、私もつられて涙を流すほど感動した。

 嬉しかった。自分の人生に色がついたような感覚。これまでなんとなく生きてきた私の人生に、妹を守らねばならないという使命ができたのだ。


 育休を終えたお母さんが働きに戻ることによって、私とお婆ちゃんの二人係で面倒を見ることになった。

 赤ん坊の世話というものは十二の私には忙しくて大変なことだったけど、それでも苦になんてならない。


 学校にいる間も、今まで感じていた孤独感など嘘のように気にならなくなり、彩ちゃんの事ばかり考えるようになった。

 あの子がいれば、親しい友達など別に必要ない。そう思えた。


 何より嬉しかったのは、お母さんがとても幸せそうになったことだ。父に裏切られ、打ちひしがれていたお母さんだが、彩ちゃんの誕生により、いつもの優しさを取り戻してくれた。笑うことが多くなった。


 あの子が生まれてきたことで、私たち家族は救われたのだ。


 だから私には親しい友達なんて必要ない。クラスのみんなが憧れる理想の彼氏なんてもっての外だ。


 家族さえいればいい。お母さんと彩ちゃんさえいてくれれば、他には何もいらない。

 私にとって、それが全てだから。


 それなのに私は、失おうとしていた。たった一瞬、目を離しただけで。


 私の生きる理由の大半を担うあの子が、たった一時の不注意で失われるところだった。


 それを、身を挺して救ってくれた男の人がいた。

 諸星仁海。彼の名前。私たちの宝物、彩ちゃんを助けてくれた人の名前。

 その名の響きの通り双眸は力強く、ある種の気高さが備わっていた。


 とても感謝してもしきれない。

 自分が死ぬかもしれないのに他人の命を救う。

 そんな考えは、自分や家族以外に興味のない私にはひとかけらもなかった。


 だから知りたかった。どんな人なのだろう。どんなことを考えているのだろう。

 そんな興味が私の中で芽生えた。


 それとは別に、例えどんな人でも、彩ちゃんを助けられた恩は絶対に返そうと思った。

 私にできることならなんでもするつもりだった。

 例えこの身を捧げることになったとしても構わない。彩ちゃんを失うことに比べたらそんなこと苦にもならない。そう思えた。


 でも彼は「必要ない。そんなことの為に助けたんじゃない」と、あろうことか、私の提案を断ったのだ。


 これには少し面食らった。自慢ではないが、私の容姿は男性から見て魅力的なのは確かだ。

 そうじゃなければ私はこんな性格をしていない。


 年頃の男の子にとっては棚から牡丹餅。例えそのつもりがなかったとしても、喜ばしいことのはずだ。


 その権利を彼は放棄した。目の前の報酬よりも、自らの信念を貫くことを選んだのだ。


 ますます興味が湧いた。この人のことをもっと知りたいと思った。

 自分の手の届く範囲の事しか考えてない私には、彼がとても眩しく見えた。

 幼い頃、テレビの前に移っていた変身ヒロインに憧れるような懐かしい気持ちになった。 


 私はすっかり彼に夢中になっていた。

 それは性別の違いから来る陳腐な恋愛感情ではなく、もっと純粋に人としての強い魅力に惹かれたのだ。


 だから無理にでも押し通した。元よりどんなことをしてでも恩返しはするつもりだった。

 例え拒否されても、はいそうですかと引いてはいられない。これくらいする義理も権利も私にはあるはずだ。


「だから、これからよろしくね、諸星君」


 初めて心の底から、家族以外の誰かの為に身を尽くす。

 意外なことにそれを嬉しく思う自分がいた。

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