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アヒ  作者: ゲントク
―第八章― 融けて沈む
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33 君を待つ

 まだ、少し、蒸し暑い。


 授業を終え、他の何者にも目も暮れずにまっすぐに校門を出る。

 セミの鳴く声が鼓膜を揺らし、焼けたアスファルトのにおいが鼻腔をくすぐる。


 あれから数週間が経った。


 結城はまだ目を覚まさない。一命はとりとめたが、意識が戻らないそうだ。 


 奇しくも俺の時と同じ状態。いや、それよりも少し容体が重いか。

 頭を強く打っているんだ、障害が残ってもおかしくはない。このままずっと意識不明が続く可能性だってある。


 信号待ち。ふと足元を見ると、セミの亡骸に大量の蟻が群がっていた。なんとも縁起が悪い光景だ。 

 足元を見ていると気が滅入る。そう思い、目線を少し外した先には、手入れの行き届いた花壇にオレンジ色の奇麗な花が咲いていた。


 ――そうだ。今日は花を買いに行くんだ。


 信号を渡り、またしばらく歩き続ける。阿澄崎に勧められた花屋はもう少し歩いた先だったかな。

 地に足を付けて歩く。あの子の分まで。一歩一歩踏みしめて、歩く。彼女が目覚めるまで。




◇◇◇




 花を買い、結城が眠る病院へと足を踏み入れる。


 なんだかえらく懐かしい消毒液のにおいを感じた。


 そういえば彩はこの匂いが苦手と言っていたな。

 俺も最初は好かないと思いつつも徐々に慣れて行き、退院時にはこの匂いとの別れを惜しんだものだ。


 そんなことを考えているうちに見知った看護師さんに案内され病室に辿り着いた。


 扉を開けると真っ白い病室の中に漆色の美しい髪束が目に入った。


 この殺風景な景色ですら絵にしてしまう彼女の美貌には相変わらず舌を巻く。

 黒と白のモノクロのコントラスト。

 あれだけ俺の人生を蝕んだ灰色の景色と、同じモノトーンとは思えない美しい景色。


 そんな単色の世界でノイズにならない白のガーベラを取り出し、花瓶に刺した。


 あの時、彼女が俺に送ってくれた本数と同じ、四本を二セット。

 正直花言葉なんて知らない。柄でもないから調べてすらいない。


 ただ、あの時と同じものを送りたくてガーベラを選んだ。本数だってそうだ。

 色だけは俺が選んだ。実物を見て目を奪われ、気に入った。きれいな黒髪を持つ彼女には白が似合うと思った。


 ただそれだけだ。


 ベッドに横たわる彼女を見下ろす。人形のように整った奇麗な顔。ガーベラよりも白く透明感のある肌。


 ――その美しいキャンパスが赤い絵の具に浸された光景を思い出す。


 ……はっと我に返り、頭を振る。こんなことを考える為にここに訪れたのではない。


 「また来るよ。何度でも。ずっと待ってる」


 そう言って彼女の頬に手を添える。

 結城がここに運ばれた時、阿澄崎に病院の廊下で頬に手を添えられ俺が正気を取り戻した時のように彼女もまた目を覚ますんじゃないかと思って。


 てのひらに冷たい感触を、体温が吸い取られていくのを感じる。

 怪我や病気を患ったとき、患部に手を当てると容体がよくなっていくことから、手当という言葉が生まれた。それに倣って手を添えた。

 俺の体温で彼女の凍り付いた意識を溶かすことができるのなら、俺は喜んでこの手を差し出そう。

 

 ――例えこの手がひび割れ、砕け散ったとしても。

 

 ……なんてな。そういうのはやめたんだ。

 これじゃあ身動きの取れない女の子の体に触っている痛々しい変質者だ。

 こんなところを阿澄崎に見られるとドツかれるなと思いながらも、もう少しだけ手を添え続けていた。

お読み頂きありがとうございました!




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