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アヒ  作者: ゲントク
―第六章― 瞼の裏、灼ける音
34/44

ーFlashbackー 灼熱

 彼女との時間を幾日か重ねた。

 ある日、結城姉妹と共に母親と思わしき人が挨拶に来た。


 俺の手を強く握って何度も何度も感謝の言葉をかけてくれた。彩も母親によく懐いているようだ。きっといい母親なのだろう。


 保護者の連絡先を聞かれたが、伝言ならこちらから伝えておくと言って断った。

 あくまで被害者と加害者の関係にあるのは、俺と俺を撥ねた車の持ち主だ。

 彼女達にこちらの連絡先を伝える必要はないだろう。


「いい? 誠心誠意込めて諸星さんに奉仕するのよ。ちゃんと恩返しするの。いいわね?」

「言われなくてもわかってるわ。お母さん」


 何やら小声で話してるようだが、聞き耳立てる必要もない。


 構ってほしいとばかりに、ちょこまかと動き回る彩の相手をした。

 無邪気な笑顔を向けて楽しそうに笑うこの子を微笑ましく思い、思わず笑みがこぼれた。


 仕事に戻ると言って、結城母は病室を出て行った。


 エプロンをつけた結城は、おもむろに買い物袋から赤い果実と果物ナイフを取り出してこちらの前に立つ。


「消化にいいものなら食べれるそうね。すぐにすり下ろしてあげる」

「……びっくりした。その格好で言われると一瞬とどめでも刺されるのかと」

「失礼ね。私を何だと思っているの?」

「俺でも知ってるぜ。学校では随分と人気者じゃないか。告白してきた男子をこっぴどく振ってるって話をさ」

「そんな噂が流れていたの? 普通に断っているつもりだけど……」

「だから、俺に妹を助けられたという弱みを握られているわけだろ? 変な要求をされる前にさっくり消されるんじゃないかってね」


 いつの間にか学校で振る舞っていたいつもの自分を忘れていた。

 逃れられない閉鎖空間でそれなりの時間を共にしたせいで、ついつい素の自分が出てしまうことがある。


 徐々にこっちの顔の時間が長くなり、気がつけば張り付いたような笑みと薄っぺらい優しいだけの言動はなくなってしまっていた。


「重ねて言うけど、あなた私を何だと思ってるの? するわけないでしょうそんなこと。第一、あなたあんなにも断ったじゃない。そんなことする人が変な要求すると思う?」

「そうやって油断させて付け込もうとするやつもいるって話だ。俺がそういう奴じゃないって確証はどこにあるって――」

「はいはい。できたわ」


 他愛もない問答をしているうちに、結城がカットしたりんごをすりおろしてくれる。


「ほら、口を開けて」

「……いや、自分で食べれるよ」

「つべこべ言わないの。脚以外にも、腕に打撲があるんでしょう? 黙って口を開けなさい」

「勘弁してくれ。この歳で子ども扱いされる謂れは――んぐっ」


 俺の弁論なんて知ったことでないとばかりに、ペースト状になったリンゴを乗せた銀の匙が口の中に突っ込まれる。


「『ほら、冷たくておいしいでしょ?』」


 彼女の姿が幼いころの燈と重なる。

 両親が健在な頃、熱を出した俺の為に母さんがリンゴをすりおろし、燈が俺のもとに運んで食べさせてくれたことを思い出す。


 あの時思った通り、彼女は燈に似ている。その慈しむように目を細めて笑う顔が、透明感のある華麗な面持ちの中にわずかに感じる幼気が、燈を思い起こさせる。


 ……ああ、やめてくれ、その顔で俺に笑いかけないでくれ。

 ……眩しいんだ、過去も今も何もかも。


「口に合わなかった?」

「……いや、うまいさ」


 彼女の不安げな顔と心配するような声が、俺を感傷から現実に呼び戻した。


「いつぶりだったかな。こういうの食べたの」

「そう。食べたら服を脱いで。体を拭いてあげるから」

「ちょっ、いいってそんなの自分でやるから」

「背中とか拭かないといけないでしょう。いいから上だけでも脱ぎなさい」


 子供の時に食べた味はもう覚えていないけど、この時食べたリンゴの味は今でもよく覚えている。


 今まで他人とのかかわりは波風立たず最小限に済ませ、それでも来る者は明確に拒んできた人生だった。


 今回だって、心を開かずにいつも通り相手からの感情を躱し、適当にやり過ごしていけると思っていた。


 だが、こうも毎日のように共に過ごす時を強いられ続けると嫌でも心の距離は縮まってしまう。


 俺は絆されていたのだ。少しずつ少しずつ、気付かないうちに。












 ひと月以上経ったある日、俺は熱を出した。


 三十八度。

 うつるといけないと思い、見舞いに来た結城を「しばらく来るな!」と無理矢理追い払った。


 それからの夜は少しばかり感じる寂しさのせいで、寝つきが悪かった。

 単なる風邪による精神状態の不調なのか、いつもと違う静けさからくる物淋しさかはわからない。


 一人による寂寞など、高校に上がってからいくらでも慣れたと思ったんだがな。


 発熱してから三日目の夜、俺は夢を見た。


 火事の夢。父さんと母さんを喪ったあの日によく似た悪夢。


 現実と違う点は、燈もその炎の中にいたことだ。

 何も変わり映えのない穏やかな日常、家族三人で笑い合っている食卓、それが一瞬で炎に包まれる。


 彼らの表情に苦痛はなく炎の中、家族団らんで笑いあっている。

 燃え盛る天井が崩れ落ちる音が、響きこだまする。屈託のない笑顔が炎に焼かれていく。


 俺はそれを冷たいガラス一枚隔てた、狭くて寒い部屋の中で見ていた。

 みんなこっちに来られたら、あるいは俺もそっちに行けたなら。見ていることしかできない俺は目に涙を浮かべ、虚ろげな瞳孔を鈍く照らしていた。









 片手に温かいぬくもりを感じて目を覚ます。夢だとわかっていても最悪な夢だ。


 重い瞼を上げ、首を少し動かして温もりの正体を探る。


「あら、目が覚めたのね」


 声のする方に目を向けると、俺の手を両手で挟み込むように握りしめた結城がこちらに微笑んでいた。


「んぅおっ!」


 反射的に挟まれた手を引き抜く。慌て驚く俺を見てくすくすと笑う結城。


「意外と純情?」

「君は起き抜けに恋人でもない異性に手を握られて何とも思わんのか」

「確かにそう考えたらちょっとびっくりさせちゃうわね。ごめんなさい」


 彼女は揶揄い半分に笑いながら会釈をするように頭を下げる。


 あんまり反省していないだろ。


「その様子だと昨日よりは元気そうね。だいぶ良くなったのかしら」


 結城が取り出した体温計で熱を測る。

 三十七度一分、平熱よりは若干高めの微熱だが、体の怠さも風邪特有のぼーっとする感覚も既になくなっていた。


「学校はどうしたんだ学校は」

「今日は土曜日よ。ベッドの上でばかり過ごしていると、曜日感覚も狂うものね」

「だからってこんな早くに来るかよ普通」

「早くって……もう十一時よ。あなた、熱を出しておきながら夜更かしなんてしていたの?」

「そういうことを言ってるんじゃない。いつも土日は二時ごろ――」

「馬鹿ね、心配だから早く来たのよ」


 結城は子供を慈しむ母親のような目で俺に微笑みかける。


「そしたらあなた、まだ眠っていたのよ。手を握ってほしそうな顔で」

「なんだそれ。ないね。断じてそんなことはない」

「それに随分とうなされていたみたいだけど、怖い夢でも見たの?」


 見られたくないところを見られてしまい、むぐ、と言葉に詰まった。ばつが悪くなり目を伏せる。


「別に、大したことじゃな――」


 伏せた目の死角から、結城の指が俺の目じりに優しく触れる。

 目線を向けたその先、彼女の指先には、きらりと光るしずくが乗せられていた。


「……風邪をひいている時って精神的に不安定になると言うものだけど、怪我も同じように不安や焦燥感といった、ネガティブな感情を引き起こすそうよ。あなたの場合は二つ同時ね。無理もないわ」


 結城は再び俺の手を挟むように重ねる。さっきよりも強く、深く握りしめてくれる。


「また嫌な夢を見ないように、もう少しこうやって握っておきましょうか」

「……子ども扱いするな」

「そういう扱いを過剰に嫌がる方が、かえって子供っぽいと思うけど」

「…………」


 温かい。


 彼女の小さな両手では、俺の片手を包むだけで精一杯だろう。なのに、さっきまで冷え切っていた俺の全身がまるで日向に寝転がっているような温かさを持つ。


 それは決して病によって引き起こされる免疫応答ではなく、彼女の体温から伝わってくる熱だ。


「そこで素直に黙っちゃうのね。本当に根が素直」

「うるさいな」


 熱が顔にまで伝わってくる。暑い。寝汗も相まって身体がべたつく。それなのに、汗を拭くために起き上がる気が起きない。まるでもっとこうしていたいかのように。


「焦らなくていいわ。少しずつでいいの。風邪も、怪我も」


 熱だけじゃない。彼女の声の波動が、心臓の鼓動が、繋がっている手を頼りに俺に伝わる。

 その響き渡る振動が、今は心地いい。


「大丈夫、今は一人なんかじゃない。私がいるわ。あなたの側に」


 優しく目を細めて微笑む君の顔を直視することができない。

 自分の熱くなっている顔を見られたくないのか。

 それとも唯々、今の自分には眩しすぎるのか。


 どちらにしろ明白だ。脈が早くなる。握っている手からそれが伝わるのが恥ずかしくて嫌だけれど、つないだこの手を離す気にはとてもなれない。


 確かに彼女は妹に似ている。燈を思い出して、心が締め付けられる感覚は嘘じゃない。


 でもそれ以上に、俺は彼女のその暖かい優しさに、陽だまりのような笑顔に焦がされていたのだ。


 俺は彼女に灼かれていた。








 だからこそ、俺は彼女の側にいてはいけない。


 嫌でもわかるんだ。彼女が俺をどれだけ大切に思ってくれているのか。

 恩があるから、責任があるから、そんな義務感だけじゃない熱が確かに伝わる。


 だからダメなんだ。


 一度死を望んだ人間はまた死を望むのだろう。生を落胆した俺はまた同じことを繰り返すのだろう。


 俺は生き方を変えることができない。自分を犠牲にしてでも、誰かの命を守ろうと進み続けるだろう。


 その先に続く道には、俺が果てる未来しかない。その果てに辿り着くまで俺は進むのをやめないだろう。


 誰かを失って傷つくのが嫌だから拒み続けた。

 誰かの中で俺が失われることで、傷つかれるのが怖かったから拒み続けた。


 俺が燈を喪った時と同じ思いを誰かにさせたくないから、この生き方を選んだんだ。


 俺は彼女の側に立ってはならない。


「もうここには来なくていい」


 破滅に向かう俺なんかの為に彼女が傷つくことがあってはならない。


「俺に構うのはやめてくれ」


 だから拒む。拒み続ける。


「いい迷惑なんだ」


 彼女の中で俺が消え去るまで。俺の中で彼女が沈み込むまで。


 この青春を破り捨てるんだ。

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