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アヒ  作者: ゲントク
―第六章― 瞼の裏、灼ける音
33/44

ーFlashbackー 薄氷の願い

 氷は何色だろうか。


 無色透明と答える人もいれば、雪景色から銀色や真っ白と答える人もいる。

 氷の裂け目を想像するなら青緑色と表す人もいるだろう。


 だが、俺は昔からそうは見えなかった。


 冷凍庫から取り出した小さい氷の塊。不純物を取り込み、乱反射させてできた白っぽい曇った灰色。

 それが俺にとっての氷の色だった。

 

 燈が死んで、俺の世界は凍り付いた。

 それに伴い、俺の世界から色が消え去った。


 周りの景色は白や黒、灰色で構成されている。雪景色を曇りガラスから見たような、淡白でつまらない色。

 俺はそんな色彩のないつまらない世界で過ごしてきた。


 それに応えるように、俺の人生も淡白なものになっていた。


 なのに、なのに網膜が覚えている。赤い、あの色。

 どんなに凍り付いても、あの赤色だけは消えることがなかった。心にこびりつくあの赤色は、まだ薄氷の中で炎のようにうねっている。

 

 ああ、いっそ、この赤も凍り付いて砕け散ればいいのに。


 学校に行き、バイトに行き、いつどこで使うかわからない肉体を鍛え続ける。


 人の命を助けるという崇高な目的を持ちながら、俺自身はただ漫然と目標に向かって時間を摩耗させていた。


 学ぶ。稼ぐ。鍛える。その繰り返し。

 やりがいがあるわけでもなく、ただ義務のように続ける。自分はそうすべきだと言い聞かせて。


 世界から欠けた色を埋めることはできないだろう。死んだ人間が蘇えらないように。ぽっかりと空いた心の穴を埋めることができないように。

 

 だからそれが死ぬまで続くと思っていた。そう定め付けられたのだと思っていたんだ。


 なんてことない、俺にとってはいつもの色彩のない一日。

 いつも通り、朝起きては体を動かし、朝食を摂って出かけたあの日。


 俺はアルバイトから帰る道中、対向した歩道で二人の女の子を見かけた。


 一人は幼稚園児か保育園児くらいの小さな女の子。

 天真爛漫な眩しい笑顔で昆虫を追いかけ走り回っている。


 もう一人は俺と同じくらいの高校生の少女。

 凛として美しく整った顔だちで、妹と思わしき女の子に、慈愛に満ちたとても温かい目を向けていた。


 この二人を見ていると、燈を思い出す。


 両親を失う前の燈は、あの子のように元気で走り回っていたっけな。もし燈が今も生きているなら、もう一人の彼女のように可憐でお淑やかで、綺麗な子になっていただろう。


 そんな物思いにふける己を自嘲する。

 眩い過去と、ありもしない未来を映し出したかのような現実から目を逸らし、再び歩き出す。


「まてまてー」


 女の子の声がこちらに近づいてくるような気がした。車道を挟んだこちらに。

 嫌な予感がする。背筋にぶわっと脂汗がにじみ出る。反射的に視線を向ける。


「彩ちゃんダメ!!」


 嫌な予感が最悪な形で的中した。


 目に映るのは車道に飛び出してくる子供。狭く、見通しの悪い道路にもかかわらずスピードを落とさずに走り寄ってくる乗用車。悲痛な叫びをあげる少女。


 あの少女は俺だ。あの時の俺と同じなんだ。自分の不注意で大切な妹を失おうとしている。


 この俺の目の前で。


 吐き気がする。吐き気がする。吐き気がする。


 冗談じゃない。あんな思いを、光景を見せられるのはまっぴらごめんだ。もう誰にもあんな思いはさせない、させたくない。


 そう考えるよりも前に、体は先んじて動いていた。道路に飛び出し、向かってくる車の前に躍り出て女の子を抱える。


 このまま避けることはできない、そう判断しとっさに女の子だけでも前方に放り投げる。


 ブレーキと鈍い衝突音が鳴り響くと同時に、天を仰がされた。風に吹かれたたんぽぽの綿毛のように宙に舞う。

 

 ――ああ、体が軽い。まるで羽のようだ。


 今まで抱えていた、誰かを救わなければという、重たい使命感が風に流されていく。


 走馬灯の代わりに、裏返る景色がスローモーションになって流れていく。


 道端に咲く小さな桃色の花が、羽ばたく蝶の白い軌跡が、雨露に濡れキラキラと輝いている街路樹の葉が、今の俺には高画質のカメラで映したかのようにはっきりと見えている。


 きれいだ。


 網膜にこびり付いていた油汚れにも劣る赫い汚れが、目に映る日常の風景によって塗りつぶされていく。


 知らなかった、こんなにも世界は美しいのだと。


 一人の命を救ったという事実が、俺の曇ったレンズに光を差した。


 あの子の分まで生きねばならない。あの子がそうしたように、誰かを救うためにこの命を使わなければならない。あの日から、それだけが俺を動かしてきた。


 それが今、ようやく報われた。きっと俺はこの時の為に生きてきたんだ。


 痛みはない。苦しみも不快感も。


 今はただ、この瞬間が心地いい。


 なんだろう……ずっと前からこうなりたいと、これを望んでいたような、そんな気がする。


 そうか、俺はきっと誰かの命を救って終わらせたかったんだ。


 俺自身の命を。










 目が覚め、真っ白い天井が目に入る。

 途切れ途切れに鳴る電子音と、下半身の痛みで自分が生きていることに気付く。


 燈の元に行くことができなかったことを憂う気持ちと、そんな感情を抱く自分に嫌気が差す。


 燈の分まで生きなければいけないと思っていたが、その実、本音では死んで楽になりたいと思っていたのだ。


 祖父母にも申し訳ない。十年近く世話になっておきながら、愛情を注いでもらっておきながら先立つ事を望むなんてあまりにも不義理で不条理で礼節を欠いており、厚顔無恥にもほどがある。

 親不孝者とはまさに俺のことを差すのだろう。


 ……あの時、世界は美しかった。


 目の前に見える色彩溢れる光景は、俺の心に張った膜を引き裂いた。


 では、その眼に映る自分は一体どのような色をしているのだろう。


 ……きっと薄汚く、見るに堪えないドブのような色をしているに違いない。 


 世界と自分の美醜のギャップに、俺は耐えられるのだろうか?


 首を横に倒して辺りを見渡す。真っ白い部屋の隅に、ピンク色の綺麗な花が見えた。


 ……あれ? 俺は何で死に損なったんだ?


 ……そうだ、あの子だ。車に轢かれそうになっていたところを俺が助けたんだ。


 どうなった? まさか守れずに死んでしまった? 


 だとしたら、俺が今まで生きてきた意味は何だったんだ? 目の前にいる誰かの命を助ける為に生きてきた俺の半生に何の意味がある? 


 自分のアイデンティティを否定されたような錯覚に陥り、我を忘れてしまった。


 取り押さえる看護師たちの言っていることなんて耳に入らなかった。唯々自分の存在意義をあの子に押し付けたくて喚き散らした。


 そんな中、あの子の声が聴こえて俺は救われた。周りの目なども気にせず、いい歳の癖に子供のように泣きじゃくった。迷子になり不安に陥った子供が、見つけ出してくれた母親の胸で泣くように。


 ふと、姉と思わしき少女の姿が目に入った。大切な家族を死なせていたかもしれない彼女。 


 かつての自分を見ているかのような忌々しい気分になった。だからきつい言葉を浴びせてしまった。そんなこと言う資格なんて俺にはないと言うのに。


 だから彼女が言い放った言葉に驚いたんだ。


「これからよろしくね、諸星君」

 

 無論、俺にそんなつもりはない。見返りが欲しくて、恩を着せたくてやったわけじゃない。 


 俺が命を懸けた理由は、俺がそうしたかったからであって、誰かの為にやったわけじゃない。 


 だから断ったんだ。そんな施しを受ける謂れはないって。


「ダメよ。あなたがよくても私の気が済まないわ。あなたが怪我を負って入院したのは私の不注意の所為、だからあなたの面倒を見るのは私の責任であり、義務なのよ」


 問答無用、威風堂々と言い放つ彼女の姿に戸惑い、うまく反論ができなかった。


「あなたがどう言おうが、私は何度でもここに来るわ。あなたの為だけじゃない、私の為に」

「またおにーちゃんのおみまいにいくの? さいもいくー!」

「うん、保育園が終わったら一緒に行こうね」


 ……俺が俺の為に彩を救ったように、彼女も彼女の為に俺と関わる、というわけか。


 理屈は通ってる。これ以上何言っても、彼女を言いくるめることはできなさそうだ。


 それならば、彼女の好きなようにさせてあげればいい。気が済めば自ずと去っていくだろう。


 適当に相手しておけばいい。その時の俺はそんな甘い考えをしていた。

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