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アヒ  作者: ゲントク
―第四章― 理想的リレイションとは
23/44

21 サイクルサイクルサイクル

 父の趣味はサイクリングだった。


 十万円程するクロスバイクを改造し、より走りやすくなった彼専用のマシン。

 仕事終わりや休みの日に父はそれに跨り、一時間から数時間ほど河川敷やサイクリングロードを疾走していた。


 その自転車を駆る父の姿を幼かった諸星は目を輝かせながら見ていた。


 その時自分が乗る自転車にはまだ補助輪すら取れておらず足で走る父親の速さにも劣っておりとても彼のバイクと並んで走ることはできなかった。

 いつか大きくなったら父親と並んで走ることが、当時のささやかな夢だった。

 

 呪い、というものがある。

 物を使い続けると、呪いが所有物に宿るという話がある。

 怖い話でありがちな、呪いの人形がそのいい例だろう。


 日本三大怨霊という話がある。

 菅原道真を初めとした三人は、死後に恨みや憎しみといった想いが強すぎた為、日本中に多くの災いをもたらす大怨霊へと変化したという。


 つまり呪いというものは、死後に強く顕現することになる。であれば、亡き父の遺したこの改造バイクには、彼の呪いが強く込められているのではないか。


 諸星は、青く澄み渡った空の下を、父の形見と共に走っていた。


 どこかに用があるわけでもない。向かってくる風を切り裂くのを楽しみながら、ペダルを踏み込む。

 こうして使い込んでやることが亡き父への弔いとなると思い、こうして度々走らせているのだ。


 込められた呪いを一つ一つ解くようにギアを上げる。


 ――ああ、気持ちがいい。


 暑い日差しに心地よい風を纏い、諸星は束の間の孤独を楽しんだ。



◇◇◇



 随分遠くまで走った。ある程度戻ってきた時には十五時を超えていた。


 通りがかった公園に立ち入り、自動販売機でスポーツ飲料を買ってベンチに腰掛ける。

 ふと近くの木に目をやると、枝の上に子猫が震えながら佇んでいた。


 地べたで親と思われる猫が、頭上の子供に呼びかけている。

 察するに、木の上に登った子猫が降りれなくなってしまったのだろう。


 とはいえ、猫科の運動能力は人間と比較にならない。

 仮に枝が折れて落下したとしても、たかだか二メートル強程度であれば、ひらりと体を翻して着地するだろう。わざわざ木に登って助ける気にもならない。


 そうやって子猫を眺めていると、子猫に向かって伸ばされる手が見えた。


 黒のリボンが巻かれている白を基調としたパナマ帽を被り、真っ白なワンピースを纏った漆のように美しく長い黒髪を後ろに結んだ少女が木に登り、子猫を助けようと手を差し伸べている。


 これはいけない、と仁海は顔を顰める。


 木そのものは太く逞しい大木だが、子猫の乗っかっている足場は特別太くもない枝だ。女性とはいえ下手に体重をかけると、ぽっきり折れてしまうかもしれない。


 そう考えてるうちに少女の重心は傾き、体重を預けている枝がミシミシと悲鳴を上げる。


 嫌な予感がする、と木のそばに駆け寄ろうとした瞬間――


「にゃあお」


 足場が不安定になることを察した子猫がぴょんと飛び降り、親猫の元へ見事に着地してそのまま二匹共に走り去って行った。


「…………」


 後に残されたのは、木の上でプルプルと震えながら降りられずに困った顔で佇んでいるどこかで見覚えのある少女のみだった。


「……何をやっているんだ君は」

「諸星くん?」


 こちらに気づいた白い少女、結城逢は少し嬉しそうな表情を浮かべて諸星を見下ろす。


「なんとかしてぶら下がれる状態を作ってくれ。そしたら俺がなんとかする」

「え、ええ。わかったわ」


 逢はゆっくりとバランスをとりながら、指定された体勢を取ろうと試みる。


 スカートがひらりと裏返り、ひらひらとした装飾のついた下着がちらちらと見え隠れする。

 思わぬアクシデントにむむっと目を見開く諸星だが、目を逸らしてるうちに逢が落ちて怪我をしてはいけないと思いそのまま視界に捉え続けた。


「よし、大丈夫だ。そのまま降りてきてくれ」


 落ちてくる逢を優しく抱き止めながら軽やかに着地させる。すると逢は複雑そうな顔を浮かべ、スカートを押さえながら後ずさる。


「えっち……」


 女性は男性の視線に敏感という話はあるが、危険な体勢でありながらも、しっかりと男性の視線を補足できている事実に諸星は舌を巻いた。


「そう思うならそんな格好で木に登るなよ」

「木の上でにゃーにゃー鳴いてて可哀想だったから……」

「だからって降りれもしないのに無茶する奴があるか。頭から落ちたらどうする気だ」

「そんなヘマはしないわ。私、結構運動神経いいのよ」


 あのなぁ、と頭を掻きながら諭すように説く。


「君に何かあったら妹はどう思う? 君が妹を大切に思うように、あの子だって君を想っているはずだ。あの時君が感じた思いをあの子にもさせるつもりか?」


 彩の件で逢を糾弾したときのような、研がれた真剣の様な目を逢に向ける。


「……そうね、あなたの言うとおりだわ。ごめんなさい」

「はぁ、全く姉妹揃って危なっかしい」


 説得の甲斐があった諸星は、呆れ混じりに嘆息する。


「あなたのようになりたかったの……」

「なんだって?」


 ぽそりと呟いた逢の言葉を聞き取れず、諸星は聞き返す。


「ううん、なんでもないわ。またあなたに助けられてしまったわね」

「こんなの助けたうちに入らないさ。そもそも俺が助けたのは君の妹であって、君自身じゃあ――」

「助けられたわ。あの時も。身だけじゃなく心も救ってくれたわ」


 逢は諸星の言葉を遮ってでも彼の行動を肯定し、感謝の眼差しを向ける。


「彩ちゃんにその……もしものことがあったら私、どうなっていたかわからなかったもの。今こうして笑っていられなかったと思う。だからその、私はあなたに救われた」

「前にも聞いたよ」


 改めて礼を言われると気恥ずかしい気持ちになる。照れる諸星は目を閉じながら頬を掻く。


「だがまぁ、そうかもしれないな」


 自分のあったかもしれない未来に思いを馳せる諸星。

 燈が生きている世界、その光景にいる自分は、人前で貼り付けている偽物の笑顔とは違う顔をしているのだろう。

 そんな甘い夢を見る自分に思わず笑ってしまいそうになると同時に、自分とは違う彼女の今を守ったことが誇らしく思えた。


「あの、この後時間あるかしら」

「まぁ、少しなら」

「少し歩かない? どこかでお礼がしたいの」

「別にそう言うつもりで助けたつもりはない。気にしなくていい」

「そう言わずに。ちょっとだけ付き合って」


 逢は諸星の服の端をちょんと摘みながら引っ張って行く。どうもこの子のペースには毎度飲まれるなと複雑な顔を浮かべながらも、彼女に続く。


 八月に入り、街路樹に張り付いた蝉がジワジワと泣き始め、先日の雨からまだ乾き切ってない、やや湿った通路を二人並んで歩く。


「どこに行くんだ?」

「そうね、どこに行きたい?」

「別にどこでもいいさ。君が気の済むところならどこでもいい。好きにしろよ」


 いつも通り、ぶっきらぼうに諸星はそう答える。


「そう言われたらちょっと困るわね……あなた『何が食べたい?』って聞かれたらなんでもいいと答えるタイプ? それが一番困るのよ。そういう人に限って後から文句を言うのだから」

「おばあさんから出されたものは文句言わずに食べてたよ。俺はちゃんと作ってくれる人には感謝するタイプだ」

「意外と殊勝なのね。あ――」


 逢が向けた目線の先には、キャンピングカーで販売しているクレープ屋があった。

 朗らかな店員の眩しい笑顔が人々に好印象を与える。立てられた看板に写る冷気を纏ったアイスクリームが、暑さで喘ぐ人々を魅了する。


「あなた甘いものは好きかしら」

「まぁ人並みには」

「そう、あれでいいかしら」

「構わないが……」

「決まりね。買ってくるわ」


 諸星の好みを一通り聞いて、逢はパタパタとクレープ屋に走っていく。戻ってきた彼女と共に近くのベ

ンチに腰をかけた。


「よく食べるのか? こういうの」

「私個人ではあんまり。彩ちゃんが甘いもの好きだから、一緒に食べることがあるくらいかしら」

「そういうもんか。女子はみんな甘いものが好きだと思ってた」

「自分でもそう思う。クラスの女の子達と話した感じだと、私の味覚はちょっと変わっているかもしれないから」


 そう言う彼女が頼んだ品は、かなり本格的な抹茶味のクレープである。深緑に彩られたペーストは、大衆向けの抹茶風味のそれとは違い、本格的な苦味のありそうな存在感を放っていた。


 一方諸星は右手にチョコレート系の甘いクレープ、左手に肉と野菜が包まった惣菜系のクレープが握られていた。


 惣菜系に至っては、「男の子だからたくさん食べられるわよね?」と、諸星の意見など聞かずに、逢の独断で買われたものである。


「でも、なんだか不思議な感じね。異性の友達と甘いものを買い食いするなんて初めてだわ」

「ああ、俺もだ。でも意外だな。友達のいない俺はともかく、結城を慕う奴なんていくらでもいるイメージだが」

「話しかけてくれる子はいるわ。でも校外でも関わることはあんまりないと思う。それこそ、さくらくらい」

「……仲がいいんだな」

「おかげさまでね」


 少し皮肉めいた表情をしながら逢は諸星を横目で見た。


「共通の話題があると関係は深まるものよ。それが悩みだったり問題だったりすると、より一層」

「……誰のことだか」

「あら、『誰か』なんて言ってないわよ」


 おとなしめの子供が柄にもなくいたずらをしたかのような逢の笑顔を見て、諸星は諦めたように目を閉ざす。


「さくらにも感謝してる。彼女がいなかったら、こうやってお礼をすることもなかったもの」

「あいつのおせっかい焼きには俺も恐れ入る。付きまとうどころか、働き先にまで押しかけて来るんだもんな。その上祖母を懐柔して味方につけるもんだから、俺も――」

「そうじゃないわ」


遮るように、諸星の言葉を否定した。


「あの時私、何もできなかったもの」


 自分の無力さを憂いているような。そんな表情を逢は浮かべる。


「あの時?」

「あなたが車にはねられた後、私は何もできずに立ち尽くしていた。でも、さくらはすぐさま動いたわ。応急処置から周りの人への指示、あなたを助ける為の事全てを、彼女が指揮を執っていたわ」


 医者曰く、少しでも対応が遅れていたら諸星の命は危なかったと彼女は続ける。


「だから、私が今ここで元気なあなたと話せるのもさくらのおかげ。本当にすごいわ、彼女」

「……命の恩人ってわけか……」


 意外な事実に瞳を閉じる諸星。様々な感情が諸星の心を騒がしく駆け巡っていた。その内訳は感謝か尊敬か、或いはもっと複雑な何かか。


「……今度礼でも言っておくか」

「そうね。きっと彼女も喜ぶと思うわ」


 諸星は惣菜系のクレープを一気に頬張る。

 硬い肉と一緒に、知り得た事実をかみ砕く為に。途中むせ返って逢に背中を擦られる。


「そんなに一気に食べるからよ。クレープは逃げたりしないわ」

「わかってるよ」


 デザートにあたる甘いクレープは落ち着いて食べる。逢との時間をゆっくりと過ごす為、少しずつ咀嚼する諸星だった。



◇◇◇



「御馳走様。駅まで送ろうか?」

「ううん、平気よ」


 少し長く話していたせいか、あれだけ澄み渡っていた青空が、暖かいオレンジの光と混ざり合う時間帯になっていた。


「…その自転車、格好いいわね」


 ふと逢が諸星の自転車に目を向けて褒める。予想外に褒められた諸星は少し嬉しそうに肩をすくめた。


「父さんが大事にしてたんだ。形見って奴さ」

「そう。大事に使ってるのね」

「まあな」

「今度私も一緒に走ろうかしら。自転車で」

「バイク持っているのか?」

「ええ。これでも結構乗ってるのよ。彩ちゃんがもっと小さい頃に、後ろに乗せて買い物してたわ」


 前かごに買い物袋を入れ、荷台のベビーチェアに赤子を乗せた自転車を、逢が乗っている所を想像する。


「……ひょっとして、ただのママチャリなんじゃないのか?」

「あら、いけない?」

「流石にクロスとママチャリじゃなあ……」

「あら、こう見えても私、結構足速いのよ? クラスでも一番なんだから」

「そういう問題じゃないんだよ……」


 ふんす、と胸を張って見せる逢。諸星は片手で頭を添えながらため息を付いた。


 それじゃあね。と一言告げて逢は駅への道のりを歩む。


 諸星もバイクのライトを点け、今度こそ家に戻る為に漕ぎ出す。

 照らす夕日に目を細めながら女子に褒められた父親の忘れ形見を自分の身体の様に扱い、その場を去るのであった。

お読み頂きありがとうございました!




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