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アヒ  作者: ゲントク
―第一章― 邂逅、私達の秘密
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02 結城逢の誠意

 あの事故から数日経ち、当事者の一人である彩ちゃんはすっかり元気になっていた。


 幸い、怪我は大したことなく、打撲と擦り傷程度で済んでいた。最も、その怪我の原因は車と接触したことではない。人に突き飛ばされて転んだことによってできたものだ。


 そしてもう一人の当事者。彩ちゃんを事故から救い出してはねられてしまった男の子はというと、未だ目を覚まさない。


 幸運にも命に別状はなく、このまま帰らぬ人になるという心配はないようだが、脛骨が折れているらしい。

 意識不明の状態ではあるがCTやMRIで調べた結果、脳の損傷はなく後遺症等が残る可能性は極めて低いとのことで、じきに目が覚める見通しだそうだ。


 今日も学校から帰ってきた後、彩ちゃんを連れてお見舞いに向かう。今回ばかりは、いや、今後から彩ちゃんと出かける時はしっかりと手を握ろう。もう二度とあんなことが起こらないように。


 早くお礼が言いたい。彩を助けてくれたことを。謝りたいとも思った。私の不注意の所為で大怪我を負わせてしまったことを。


「今日は起きるといいな……」


 そう呟いているうちに病院に着く。受付で手続きを終えて、彼のいる病室まで案内される。


 病院特有の消毒液のようなツンとしたにおいが、鼻腔を刺激する。彩ちゃんはこのにおいがあまり得意ではなく、「ん~」と、なんとも微妙な面持ちでいる。


 今日は来る途中で花を買ってきた。もちろん看護師さんに許可はとってある。おすすめでピンク色のガーベラの花を八本、花言葉は「感謝」や「前進」を表す。感謝はもちろんのこと、治療や目覚めにむけての前進という意味を込めている。


 花瓶に水を入れ、感謝のしるしを差し込む。


 ……しまった。持ってきた花瓶が小さすぎる。これでは四本しか入らない。


 お花屋さんの店員さんに勧められるままに買ってしまったが、これでは半分無駄になってしまう。すると、見かねた看護師さんの一人が同じくらいのサイズの花瓶を貸し出してくれた。


 二つの花瓶に四本ずつ。彩ちゃんは「離れ離れなんてかわいそう」と不服そうだが、一つの瓶にまとめて敷き詰めるより、こちらの方が見栄えがいいかもしれない。


 ベッドの上に横たわる恩人の姿を覗き見る。彫りが深く、鼻筋は高く整っている。指先で触れたら鮮やかに切れるような、切れ味の高い日本刀のようにシャープで存在感のある眉毛が特徴の男の子。


 彼の寝顔はとても穏やかで、微笑んでいるようにも見える。どんなにやさしい人なんだろう。どんなに正義感の溢れた人なのだろう。どんな人なのだろう。


 そうこう考えているうちに、後ろから咳払いのような音が聞こえてくる。彼の担当の看護師さんが、様々な器具持って私の後ろで気まずそうな表情を浮かべていた。お仕事の邪魔をしてはいけない。私は彼のベッドから離れた。


「あいちゃんおしっこ……」


 今度は彩ちゃんが催してしまったようだ。看護師さんと入れ替わるように、私たちはお手洗いに向かうために病室を出た。







「あいちゃん」

「なあに? 彩ちゃん」

「おにーちゃんおきるかな」

「そうだね……きっと起きるよ。そう思いたい」

「おきたらね、さいね、いーっぱいありがとうっていってね、めーわくかけてごめんなさいって、いーっぱいあやまるんだ」

「……うん、そうだね」


 彩ちゃんの用事が済み、再び彼の病室へと足を運ぶが、なにやら周りの看護師さん達が忙しなく動き回っている。


「目覚めたって! 先生呼んできて!」


 一人の看護師さんがそう叫ぶ。目が覚めた?


 まさかと思い、歩みが徐々に加速していく。それに釣られて、彩ちゃんの腕がビンッと引っ張られ、危うく転ばせそうになる。我ながら取り乱し過ぎだ。彩ちゃんのペースに合わせてゆっくり歩を進める。看護師さんたちが集まっていく方向には、彼の部屋がある。


「先生。諸星さんが目を覚ましました!」


 諸星。そう、諸星仁海(もろぼしひとみ)君。彩ちゃんを助けてくれた、あの男の子の名前だ。


 そうこうしてるうちに、彼の病室の近くまでたどり着く。しかし必要以上に騒がしい。看護師さんだけじゃなく、男の人の声まで聞こえる。


「あの子は……あの子は無事なのか!?」


 部屋の前までたどり着き、スライド式の扉を開ける。すると目の前に飛び込んできたのは、看護師さんたちに押さえつけられながらも起き上がろうと喚き散らす諸星君の姿だ。


「俺と……俺と一緒に、ここに運び込まれたはずなんだ! 俺が……俺が確かに救おうとした……!」


 落ち着いてください、大丈夫ですから、と看護師さんたちが諸星君を落ち着かせようと必死に説得を試みるも、彼の焦燥は絶えず、矢継ぎ早に捲し立てている。まるで、大切な人の無事を周りに乞うかのように。


「そうじゃなかったら……俺は……俺は何の為に……!」


 焦燥は既に哀願に変わっている。縋る様に、今にも泣きだしそうに錯乱している彼の姿を見て私は立ち尽くすことしかできなかった。人が半狂乱になって暴れまわる光景に、面を食らって言葉が前に出てこなかった。どうすればいいのかわからなかった。


 そんな切迫した空気など知らないとばかりに膠着状態を打ち破るのは、いつだって純粋に気持ちを伝えたがる子供だ。


「おにーちゃん!」


 彩ちゃんは物怖じもせず、まっすぐ最短距離で諸星君の前まで躍り出る。


「めーわくかけてごめんなさい。さいのせいでごめんなさい」


先程の宣言通り、彩ちゃんはずっと伝えたかった諸星君への気持ちを伝える。


「……」

「それと、たすけてくれてありがとう! さいはげんきいっぱいです!!」


 そうやって、ぽふっと諸星君の半身に抱き着く姿を見て私は冷や汗を流した。怪我人の身体に抱き着いてはいけないのではないか、傷が開いてしまわないだろうか、と。


「あぁ……よかった」


 しかしそんなことなど意に介さぬかのように、諸星君の瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。端正な顔立ちを歪にゆがめ、堰を切ったように咽び泣く。


「よかった……本当に……本当に良かった………やっと……」


 咎人が女神に懺悔するかのように。瀕死の重傷を負うも、名も知らぬ聖人に命を救ってもらったかのように。諸星君は彩ちゃんを祈るように優しく抱きしめた。まるで自分の親兄弟、恋人を慈しむかのように。


 周りの看護師さん達も安心して胸を撫で下ろす。騒がしかったこの部屋に、ようやく相応しい静寂が訪れた。


「……あんた、この子のご家族か?」


 そう言って諸星君は、今度は私を厳しい面持ちで目を向けた。


「は、はい、この子の姉で――」

「小さい子供から目を離さな方がいい……! 家族であるあんたが、この子をしっかり見ていさえすれば、こんな怖い思いをさせずに済んだんだ。あんたがこの子を死なせるところだったんだぞ!」


 眉間に皺を寄せ、静かな怒りを込めた彼の糾弾に私は口を噤んでしまった。


「下の子の面倒を見るのは兄姉の責任であり義務だ! それを果たせないで何が姉だというんだ!」


返す言葉もなかった。


「ええ……そうね……あなたの言う通りだわ……本当に――」

「だったら約束してほしい。もう二度と目を離さないと! もう二度とこの子にこんな危ない思いはさせないと!」


 諸星君は尚も鋭い眼光で私を見つめる。


「……ええ、わかったわ。約束する」

 その言葉を聞いて、諸星君はようやく眉間の皺を緩めて、ふーっと一息ついた。しかし、落ち着いたことで折れた脚の痛みに再び顔を顰め始める。


 私もようやく肩の力を抜くことができた。


 彼が無事に目を覚ましたこと。自分のことも顧みずに彩ちゃんの為に泣いてくれた、怒りを表してくれたこと。驚きさえしたが彼の人となりがなんとなく掴めたのかもしれない。思った通りだ。とてもやさしい人。とても正義感に溢れた人。私にはそんなふうに見えた。






「私は結城逢。この子は妹の彩です。ほら、彩も改めて挨拶して」

「さいでーす」

「俺は諸星。諸星仁海」

「諸星君、改めてお礼を言わせて。私の大切な妹を助けてくれて本当にありがとうございました」

「ああ、それに関しては別に――」

「それと、あなたが退院するまで、私がつきっきりであなたの面倒を見るわ」

「…………は?」


 彼にとっては予想外だったのか、私の申し出に呆気にとられたような、少し間の抜けた声が病室に響く。でも少し心外ね。私が大切な家族を助けてもらっておいて、目が覚めたら用済みかのようにお礼を言って立ち去るような薄情者にでも見えるのだろうか。


 こんなことで返しきれるような恩ではないけど、私にできることなんてたかが知れているけど、少しでも彼の役に立ちたい、彼の為に身を粉にして尽くしたい、そう思った。


「これからよろしくね。諸星君」


 そう微笑みかける私を、目を見開いて引き攣った顔で諸星君は見つめていた。

お読み頂きありがとうございました!




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