19 諸星君のアキレス腱
「帰ってきた帰ってきた。やっほー、お邪魔してるわよ」
「な、……なぜお前がここに!?」
「あら、仁海ちゃん。おかえり」
「!?」
私を押しのけ、諸星君はリビング一面を凝視する。和美さんと逢ちゃんの顔を、混乱した頭で交互に見ながら、最終的には和美さんに焦点を合わせた。
「おばあさん!? どうしてここにっ、来るなら来るって連絡欲しいとあれほど言ったでしょう!?」
困惑と心配が混ざりあった声色で、諸星君はお婆ちゃんにそう言った。
「ふふふ、ごめんなさい。仁海ちゃんをびっくりさせたくてつい」
お婆ちゃんも肩をすくめてそう返す。
「仁海ちゃんはやめてください……。それにお盆の時に帰るって言ったでしょう!? こんな炎天下、お年寄り一人でこんなとこにまで来て! 熱中症で倒れたらどうするつもりですか!?」
「だって仁海ちゃん、寝たきりから起きた後に電話で『問題ないから来なくていい』、なんて言うんだもの。お婆ちゃん本当に心配したんですからね?」
「それとこれとは話が別です! いいですか? 熱中症で運ばれる人の半分以上は六十五歳以上のお年寄りなんです! 高齢者は暑さを感じにくく、喉の渇きに気付けないことがあるから熱中症にかかりやすいんです! どうせ自分は大丈夫だとか思ってたんでしょう!? 初期症状が出てるかもしれないのに!!」
以前、屋上で見せたような激昂とはまた違う。親子喧嘩をする子供のように諸星君は和美さんに捲し立てる。
疑問に思ってた。
諸星君がこの暑い中、お年寄り一人で家に来させるような男なのか? と。
なるほど。諸星君は和美さんの来訪を知らされず、アポなしで来られたというわけか。意外と困ったお婆ちゃんなのかもしれない。
夕方で涼しくなってきたとはいえ、夏は夏だ。暑い外から帰ってきた諸星君は額に汗を浮かべ、顔を真っ赤にして詰め寄っている。さて、そろそろ止めなければ
「まぁまぁ。そうカッカしないで。ちょっと落ち着きなさいよ諸星く――」
「部外者は黙っていろ! 大体なんでお前たちがここにいる!? 何故俺の家を知っている!? 貴様、そこまで落ちたのかこのスト――」
「誰がストーカーよ誰が! 私たちがそんなことするわけないでしょ!? 被害妄想はやめてよね!?」
「どうかな! お前には前科がある。やっぱりこの前のカツラもグラサンも尾行用だったんだろうが!」
「話を聞きなさい! 話を! 私達は道端で、疲れて休んでる和美さんをここまで連れてきただけよ!」
「俺の祖母まで出汁に使うかこの卑怯者! どこまで落ちぶれば気が済むんだ! もういい、首根っこ掴んで追い出して――」
「仁海さん」
ぴしゃりと一喝。途端に諸星君の背筋がピンッと張られる。
口元はぎゅっと結ばれ、暑さからくる汗とはまた質の違う、冷たい汗が彼の首筋を垂れ流れる。
「なんですか! ご学友に向かってその口の利き方は!」
先程までの柔和で可愛らしい表情とは打って変わって、和美さんは、見覚えのある鋭い眼光で諸星君を見据える。
「いや、こい……この人たちは前にですね――」
「さくらさんの言うことに嘘偽りは何一つありません。道端で疲弊した私をここまでおぶってくれたのです」
「…………」
ギギギギと固まった首を動かして諸星君はこちらを向く。
ん? おんぶして連れてきたつもりはないんだけどな? 和美さん、ちょっと盛ってる?
まぁ、そんな言葉は飲み込んで私は首だけ振って頷く。
「それをあなたは! 卑怯者呼ばわりして罵るなんて! どういうおつもりですか!?」
「ぐぅっ……!」
ぐぅの音をあげることで精一杯の諸星君。
ははーん、どうやら彼のアキレス腱は和美さんだな? とことんお婆ちゃんには弱いと見た。
「はぁ……どうやら私はあなたのことを甘やかしていたのかもしれません。お父さんとお母さん、そして燈ちゃんを亡くしたあなたを、蝶よ花よと扱ってきましたが、それが間違いでした」
ちなみに蝶よ花よとは、子供を非常にかわいがり大切にすることを言う言葉なのだが、主に女の子に用いられる例えだ。
そんなレベルで溺愛されていたんだなぁ。いいなぁ。
「聞けばあなたには大層な夢があるそうですね? なんでも警察官やら消防士やら、人の命を救うお仕事に就きたいとか」
また貴様かぁっ、とばかりに諸星君は首を動かずに目ん玉だけをギュンと動かしてこちらを睨む。
おーこわいこわい。
「消防士も警察官も公務員! 国民の皆々様方の生活の為に奉仕する尊いお仕事。中でもあなたの目指す場所は、文字通り命がけの、ある種、極まったお勤め。それには所謂、お仲間とのコミュニケーションが必須! 人間関係から逃げ続けてきたあなたに務まるわけがないのです」
「なっ、お言葉ですがお婆さん、俺は――」
「僕はでしょう?」
「……僕は現在、誰とも衝突することがなく、クラスにうまく馴染めています! コミュニケーション能力に問題など何一つありません! あの時とは違います!」
おおう、何一つ問題ないとかよく言い切ったものだわ。あのしょうもない講釈をお婆様に垂れるのだろうか?
「あなたの表面だけで浅く薄っぺらい、小手先だけのその場しのぎで、命を預ける仲間の信頼を得られるだなんて、本気で思っているのですか?」
「んなぁッ……」
バッッッッッッッッッッッッッッッッッサリだ!! やばい、感動した。
こんなバッサリと論破されるのは初めて見た。
「仁海さん、もういいでしょう? 辛いのが今も続いているのはわかります。でもあなたはもう向き合うべきです。仮初めの人間関係ではなく、ちゃんとした信頼関係を築きなさい」
そっと諸星君の顔を覗き見る。うわっ。歯ぁ食いしばってすっごい顔してる!
すげえ! こいつのこんな表情初めて見た!
「それができなければ、あなたの望む進路は、夢のまた夢。高校を卒業したら帰ってらっしゃい。その後は知り合いの農家で働きなさい」
農夫になるの!? 諸星君。ジーンズのオーバーオールを着て麦わら帽子を被り、両手に鎌と稲を持ってる諸星君。
……ぷははっ! 似合わねぇ~。
農家は立派な仕事だと思うけど、こんな傲慢で捻くれた男に農業が務まるだろうか。
農作物に悪い影響が出そう。
「そうね、まずは身近な人間関係に向き合うのはどうかしら」
和美さんが、私と逢ちゃんの手を取って自分の方に寄せ、諸星君と向き合わせる。
「さくらさんね、あなたが思っている以上に、あなたのことを理解しているわ。あなたにとっても、本音でぶつかれる貴重な存在のはずよ」
私の肩に手をポンと乗せて、諸星君に見せつける。
なんだろう、さっきのやり取りを見て、喧嘩するほど仲がいいとか思われているのだろうか。
確かに顔を付き合わせれば、大体言い合いばかりしている気がするけど、過度に仲がいいと思われるのは心外な気がする。別に理解者って程、諸星君に詳しいわけでもないし。
「逢さんには、あなた、あんなにもお世話になっているでしょう? 毎日毎日、甲斐甲斐しく通ってくださって。あなたちゃんとお礼言ったの? こんないい子、そうそういませんよ?」
それは同意するわお婆ちゃん。
「とにかくこの子達との縁、大事にしなさいね? 決して断ち切ってはいけないこと。いいわね? 返事は?」
「ぐ……う……」
完全に和美さんのペースだ。たじたじになってるよ諸星君。
「は……い……」
和美さんの圧倒的なプレッシャーに屈し、諸星君はがくっと項垂れる。
折れた! 和美さんのKO勝ち!
あの難攻不落の諸星君の心を力技でこじ開けるなんて、さすがは肉親。
母は強しならぬ、お婆ちゃんは強し!
これで私たちの関係も何か変わるのだろうか。
「さ、かわいい孫の顔だけじゃなく、ご学友とも会えたことだし、私はそろそろ帰りますかね」
来た時と比べて随分少なくなった荷物を和美さんは抱える。荷物の中身は諸星宅に置いていくのだろうか。
「いや、ダメだお婆さん。ここに来るだけでも疲れているはずです。今日はここに泊まってください」
「あらあら、私はもう大丈夫よ。涼しくなってきてるし、一人でも帰れるわ」
「いいえ、ダメです。こればっかりは従ってもらいます。もう若くないんですから一日に疲労を溜めないようにしてください。帰るのは明日でも問題ないでしょう」
先程とは打って変わって、諸星君が食い下がる。
しかしこれに関しては私も同感だ。
老人は疲れやすい。
今は大丈夫だと思っていても、帰宅中に疲労が一気に襲ってきて、倒れてしまっては目も当てられない。
「私もその方がいいと思います。和美さん、ただでさえ日中暑さで蹲っていたんですから、一日休んで疲れを取っていった方がいいと思います」
私も諸星君に便乗して、今日泊まる様に促す。
今の諸星君にとって、たった二人の家族のうちの一人が和美さんなのだ。諸星君の為にも少しでも長生きして欲しいと私は思う。
「でもねえ、お爺さんも家に残しちゃって来てるわけだし……」
「お爺さんには俺が連絡しておきます。一日くらい家を空けても問題ないでしょう?」
「うーんでもねぇ……」
余程体力が有り余ってるのかわからないけど、なかなか泊まってくれそうにない。
偶にいるわよね、自分の能力を過信しちゃうお年寄りって。
まあ、中には毎日走ったり鍛えたりして元気ハツラツな方もいるのだとは思うけど、和美さんはそういうタイプに見えないのよねぇ……。
「和美さん、諸星君はお婆ちゃんっ子だからきっと寂しいんだと思います。今日一日だけでも一緒にいてあげてくれませんか?」
おっとまさかの切り口。逢ちゃんが私達とは違う視点から提案してきた。
諸星君は「何言ってるんだ!?」って目線を逢ちゃんに向けている。照れているのだろうか?
「まあ! 仁海ちゃんったら、まだまだ甘えん坊ね。それなら今日のところは私もお言葉に甘えようかしら」
鶴の一声を発した逢ちゃんは、諸星君に親指を立ててウィンクをする。
諸星君は複雑そうな表情を浮かべた後、はぁ~っと大きなため息を着いた。
――先ずは話がまとまったわね。よかったよかった。
「それじゃあ私達はこのへんで。行こうか逢ちゃん」
ええ。という逢ちゃんの返事を皮切りに、私たちは立ち上がる。
大分遅い時間になってしまった。お父さんが心配する前にさっさと帰ってしまおう。
「あら、もうこんな時間! 仁海ちゃん。二人を駅まで送ってあげなさいな」
「いえ、そんなお構いなく……」
日が沈んだとはいえ、街灯や建物の灯りのおかげでそこまで暗くはない。
それにここは学校に近く、学生たちが多く住んでいる。
不審者が出るようなところではないし、女子高生二人が駅まで歩いて帰る分には問題ないだろう。
「……送っていく」
そう言って諸星君も立ち上がった。珍しく私たちに対して積極的じゃない。余程和美さんの説教が堪えたのかしら。
その様子を見た逢ちゃんがぱあっと表情を明るくする。
「いいの?」
「ああ。その、まぁ、何が起こるかわからないからな」
「そう、ありがとう」
両手の指先を互いにくっつけて、逢ちゃんは微笑む。
照れくさそうに諸星君は目を逸らして、指先で眉間を擦る。
この二人の関係も、以前より大分マシになったと思うとかなり感慨深いものがある。
「気をつけて帰るんだよ? また遊びに来てもいいからね?」
玄関の扉を開けて外に出る私達を見送る様に、和美さんが手を振ってくれる。
またね、お婆ちゃん。
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