18 諸星君の過去
「あらあら、まあ、それじゃあ、お二人とも仁海ちゃんを知ってたのね」
「ええ、まあ、知り合いではありますね……」
まさか道端で声をかけたのが、諸星君のお婆ちゃんだったとは。
世間というものは狭いものである、というのはドラマやアニメで何度か聞いたことがあるフレーズだが、事実は小説よりも奇なり。まさか実感できる日が来るとは思わなかった。
「こんなにいい子たちが友達でお婆ちゃん安心しちゃったわ」
「友達というより、クラスメイトというかなんというか……」
逢ちゃんはともかく、私と彼の関係を一言で言い表すとかなり表現が難しい。
腐れ縁? 喧嘩仲間? いずれにしても友達とはちょっと、ていうか明らかに違う気がするわね……。
でも諸星君、他に友達はいなさそうだし、お婆ちゃんがこんなに嬉しそうにしているのなら、一先ずは友達ということにしておいてもいいかしら。
「まあ友達みたいなも――」
「友達には、……まだなれていない、と思います」
私の言葉を遮って逢ちゃんが事実を晒す。ちょっと逢ちゃん? 正直なことはいいけど、優しい嘘というものがあるのよ?
「それでも私は諸星君と友達になりたいと思ってます。……でも、それがなかなか上手く行かなくて……」
逢ちゃん……。
しゅんとした顔で目を伏せる逢ちゃんを見て、居た堪れない気持ちになる。
「そう……やっぱりあの子はそうなのね」
残念そうな、それでいてやっぱりかと諦観するような表情をお婆ちゃんは見せる。
その口ぶりは、諸星君に友達がいないことをお婆ちゃんは知っているように聞こえた。
「そう……と言うのは……?」
「……こういうのは、本人はあんまり言わないで欲しいんじゃないかと思うんだけどね」
少し躊躇うようにお婆ちゃんは口を開く。
「仁海ちゃんの家族、両親と下の子なんだけどね」
「亡くなってるの、三人共」
「っ……!」
逢ちゃんの息が詰まる音が聞こえる。無理もない、私だって驚いている。
「仁海ちゃんがまだ小さい頃なんだけど、すっごく仲の良かった四人家族でね。よく笑う子達だったわ。帰省してくる度に、おばあちゃん、おばあちゃんって私に抱き着いてきて、可愛かったわねえ」
もう戻ってこない、懐かしいものを見るかのようにお婆ちゃんは遠くを見つめながら続ける。
「でも、ある日、仁海ちゃんと妹の燈ちゃんが外で遊びに行っている時に、家が火事になっちゃってね。お父さんとお母さんがそのまま亡くなっちゃったのよ」
ふと諸星君の言葉が脳裏に思い浮かぶ。
『死って奴は唐突に訪れやがる』
あの言葉は諸星君にとって、実際に体験したことなんだ。
「身寄りのなくなったあの子達を、私達老夫婦が引き取った。燈ちゃんはたくさん泣いていたけど、仁海ちゃんは燈ちゃんの手を握って励ましていたわ。僕がいるから大丈夫だって。下の子がいると上の子は強いわね。それで私たちは安心しちゃったの。仁海ちゃんは大丈夫だなって」
お婆ちゃんの表情はさらに重々しくなる。次にくる言葉が私も手を取るように分かってくる。
「二年後くらいかしらね? 仁海ちゃんが十歳くらいの時、今度は燈ちゃんが交通事故で亡くなっちゃったの。そこから仁海ちゃん、塞ぎ込んじゃって……」
……やっぱりそうなってくるわよね。三人ともって言ってたんだから。
「口数も少なくなってきてね。学年が上がって、教室が変わってから、お友達と話さなくなっちゃったの。それで今度はいじめの標的にされちゃったのか、泥だらけにされて帰ってきたことがあってね」
諸星君、いじめられっ子だったんだ。空き教室で話した時に、敵を作りたくないと言っていたのはこういう経験があったからなのだろう。
「それを見かねたお爺さんが仁海ちゃんに空手を教えてね。いじめっ子たちにやり返してやったらいじめは無くなったんだけど、今度は他の子たちからも避けられるようになったの」
これまたよくある話だ。
いじめっ子がいじめられっ子にやり返された時によく使う魔法の一言。命名「冗談のつもりだったのに本気になりやがって」構文。
これによって、やり返した側が空気の読めないやばいやつ認定されて周りからハブられる現象が起こってしまう。
うちの小学校でもあったっけなぁ……。
「それからは、また家のお手伝いとかはしてくれるようになってね。私達の前では少しずつ話してくれるようになったけど……他の人間関係は、その……人当たりが悪いわけではないんだけどねえ……」
困ったような顔でお婆ちゃんは笑う。
私達に気を使っているという面もあるのだろうが、きっと期待してしまったのだろう。私達が諸星君の友達であることを。諸星君が以前のように誰かと笑い合っていることを。
「……身内びいきに聞こえるかもしれないけど、本当はすごくいい子なのよ。大丈夫って言ってるのに、私達を気遣って毎月アルバイト代の一部を家に入れてくれたりしてね。お父さんたちの財産と保険金があるから、お金のことは大丈夫って言ってるのに、それでもって言って送ってくれるの」
きっとこの老夫婦は諸星君の為にやれるだけのことはやってあげたんだと思う。それでも彼の心を完全には溶かせなかった。だから外部の人間にそれを期待したんだ。
「きっと疲れちゃったんでしょうね。たった数年のうちにお父さんとお母さんと、燈ちゃんを亡くして、人間関係に対して無気力になっちゃったの」
無気力……か。きっと諸星君は誰かを失うことがもう嫌になったのだろう。
友人や恋人ができても、またいつ両親や妹のように失われるのかわからない。どうせ失うのなら最初からいらない。そうやって人間関係を切り捨ててしまったのだろう。
これでようやくはっきりとした。諸星君があんな生き方をする理由。あのくだらない持論の背景にこんなバックボーンが隠されていたとは思わなかった。
それでも……それだけではないはずだ。
私は知っている。凍てつくような過去を持つ諸星君の心に秘められた熱い思いを。
「お婆ちゃん!」
身を乗り出して私は、お婆ちゃんに問いかける。お婆ちゃんは知っているだろうか、私の知る諸星君を。
「諸星君の将来の夢、聞いたことありますか?」
「え……いや、聞いたことないわね。あの子、自分のことをあまり喋りたがらないから……」
知ってほしい。こんなにも諸星君を想っているこの人は知るべきだ。諸星君が何を目指して生きているのか。何の為に頑張っているのか。
「諸星君は将来、警察官や、消防士になりたいそうです!」
「あら……そうなの……?」
本人に無断で突き付けてしまった彼の進路に、お婆ちゃんは目をまん丸くしている。
「マジです! 本人の進路調査票をこの目で見ました!」
間違いないです! それ以外にもあの男、私の前で色々口走ってました。
「こうも言ってました。ほんの些細な不注意で人の命が奪われるのは間違ってるって。事故で失われる命を救うことで、その間違いを正せると思えるって。だから人の命を救う仕事に就きたいって。そう言ってました」
私の言葉を、いえ、諸星君の言葉を聞いて、お婆ちゃんは驚いたような、それでいて嬉しいような、多くの感情がないまぜになった表情を見せる。
「だから、諸星君は、ちゃんと前を向けています。対人関係にはまだまだ課題がたくさんありますけど……それでも彼なりに過去を乗り越えて、前に進めている。私はそう思ってます」
「……そう」
口元をほころばせながら微笑を見せるお婆ちゃんの目元には、うっすらと涙が浮んでいた。
きっと安心してしまったのだろう。
隣にいた逢ちゃんもうっすらと微笑みを浮かべながら、私の方に視線を向けている。
なにそれ、聞いていないんだけど。
そんな意図があるかどうかはわからない。でも確かに私を見つめている。
ごめんて。黙ってたわけじゃないのよ。ほんとよ?
「あの子が、あなた達みたいな子と知り合えてよかったわ。本当によかった」
その言葉を聞けただけでも私は今日一日が、満足いく一日になったと思う。
私と諸星君は違う。性格も思想も信念も理想も。私がいいと思う事が、彼には伝わらないこともあるし、彼がいいと思う事が、私にはわからなかったりする。
逢ちゃんだってそうだ。
それでもこれだけは言える。
人との繋がりによって生まれる幸せは、それを失うかもしれないリスクをはるかに凌駕する。
例え、そのリスクを受け入れてでも。
それが彼に伝わる日がいつか来るといいな。今はそう思う。
あ、そういえば、と言ってお婆ちゃんは手をポンと叩く。
「まだ名前を聞いてなかったわね。私は和美。諸星和美よ」
「あ、名乗りもせず失礼しました。私は阿澄崎さくらです」
「結城です」
あまり口を開かなかった逢ちゃんも名乗った。
「結城……あらあら、もしかしたらと思っていたけど、あなたが結城逢さん?」
「はい……結城逢です」
逢ちゃんが驚いた顔をしながら答える。
あれ? お婆ちゃん、逢ちゃんのこと知ってる? なんで?
「あらあら。あらあらまあまあ。世間様ってこんなにも狭いのねぇ。妹さんはお元気?」
「え、ええ。……あの、どこかでお会いしたことありますでしょうか?」
「ううん、会ったわけじゃないの。あなたのお母さまと連絡を取り合っていたのよ。あの時の事故のこと」
そうか、事故で入院したとなれば病院から学校へ、そして学校から保護者に伝わる。その時に当事者の家族同士、何かしらの方法で連絡を取り合っていたわけか。
「なんでも、仁海ちゃんのお見舞いに何度も来てくれてたそうね。その節は本当にありがとうねえ」
「い、いえ! ……こちらこそ、私の不注意の所為で大切なお孫さんを危険な目に晒してしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「いいのよそんな、頭を上げて頂戴」
深々と頭を下げる逢ちゃんを和美さんは慌ててなだめる。
「きっと放っておけなかったのよ。燈ちゃんと重ねてしまったんでしょね。あの子らしい。それよりも私達の代わりにあの子の面倒を見てくれたこと、本当に感謝してるわ。あの時はお爺さんが高熱を出しちゃって、家を空けるわけにはいかなかったの。だからありがとね。私達の代わりにあの子のそばにいてくれて」
和美さんが逢ちゃんの手を両手で握って、上下に振る。暖かそうな手だ。子を思う母の手ってきっとこんな感じなんだろうな。
「いえ……いえ……こちらこそ……」
ぎゅっと、逢ちゃんの手がお婆ちゃんの両手を握り返す。少し目元が赤い。うさぎちゃんみたいでかわいいわね。
ガチャッという音が入り口から聞こえてくる。きぃ、がたんと扉の開閉する音の後に、のそのそと足音がこちらに向かってくる。
私がリビングの扉を開けて廊下をのぞき込むと、帰ってきた不届き物が間の抜けた顔をしながら手荷物をどさっと床に落とした。
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