16 こだわる理由
―――さくらSide
ある日の放課後、下駄箱で靴を履き替えて校舎を出る。
校門を出てしばらく歩いていると、前髪で目が隠れている学校モードの諸星君がコンビニから出ていくところを見かけた。信号を待っているのだろう。
すると、三十代くらいの夫婦らしき二人組が、旅行用のスーツケースを転がしながら諸星君に接触した。
「すみません。この辺にシャルモニーというケーキ屋さんがあると思うのですが、どちらへ行けばよろしいでしょうか?」
「さぁ、知りませんね」
またあの男……! そっけない返事一つ残して去りやがった! ご夫婦もキョトンとしてるじゃない!
私はたまらずに走り寄って夫婦に話しかけた。
「あの、すみません、何かお困りですか?」
「あ……ええと、シャルモニーというケーキ屋さんを――」
「シャルモニーですね! あそこに見える牛丼屋の角を曲がって、真っ直ぐ行って、突き当たってすぐのところにありますんで!」
そう言い残し諸星君をダッシュで追いかける。
ポカーンと口を開けてこちらを見やる夫婦が目の端に見えたが、大丈夫! 今の説明で伝わったはず! ちゃんとジェスチャーとかも駆使してわかりやすく伝えた自信がある!
悪びれもないふてぶてしい背中を間近にとらえた。
「こりゃあ!!」
「ぬぐぁっ!?」
彼奴の無防備な背中に、バシーンと張り手を叩き付けてやる。
「な、なんだぁ!?」
「なんだぁ!? じゃないわよこのお馬鹿!」
「またおまえか! 今度はなんだ!? 俺は何もしていないぞ!?」
「それがいけないのよ! なに? 今の夫婦への態度! 道がわからなくて困っていたじゃない! 警察官目指すんならそれくらい教えてあげなさいよ!」
「お、お前、そんなところ見てたのかよ……仕方ないだろ! 知らなかったんだよ! そのシャルモニーって店!」
「知らなかったら知らなかったで調べてあげたらいいでしょ!? あなたの持ってるスマホはお飾り!?」
「老人夫婦ならともかく、そんくらい向こうで調べられるだろうが!」
「グーグ○マップとか時々変なところ差すことあるでしょ! あれできっと見つけられなかったのよ!」
「……だったら俺が調べたところで無駄じゃないのか?」
「…………」
確かに。一理ある。
「確かに」
「はぁ……なんだってんだよ……」
「……それでも相手の為に何かしてあげることが大事なのよ! さっきのあなた、なんだか感じ悪かったわよ。できることがなくても寄り添ってあげなさい」
「なんでそこまでしなきゃならんのだ俺が……」
諸星君は、頭に手を添えて溜息混じりに悪態を吐いた。
「あなた、逢ちゃんの妹さんを助けた時は、すごく真剣に逢ちゃんに説教したらしいじゃない。その情熱をどうして他の人に向けられないのよ」
「たかだかケーキ屋の場所がわからないってだけだろ。誰かの命が掛かってるわけでもないんだ。一々そんなことに付き合ってられるか」
「あら、人の命が掛かってたらやる気を出すってこと?」
「そうだ。ケーキ屋になんか行けなくても死にはしないだろ」
「ふうん、随分と人の命を助けることにこだわってるわね。どうして?」
「教えると思うのか? 俺が」
「この前はあんなに熱く語ってくれたじゃない。あのくだらない講釈を」
「くだらないとはなんだ、くだらないとは。一々一言余計なんだよお前は」
「べーだ、一言多いのはお互い様よ。それで、どうしてそこまでこだわるの?」
「…………」
諸星君は私の言葉なんて無視してツカツカと歩みを進める。女の子と歩いてるんだからペースを合わせなさいよ全く。
「ねえ! ねえってば!」
「止まれ」
そちらを見ている私を諸星君は手で制す。正面を向けば、前方に佇む信号が青く点滅していた。
「よそ見をするな。青点滅だ」
「あ……うん」
別に普段から青点滅信号を渡っているわけではない。交通ルール上、歩行者は青点滅を渡ってはいけないのだから。
人の命を気にする諸星君は普段からこういうところに気を付けているのだろう。
鬱陶しいと思っている私に対しても気を遣って言ってくれてるのだろうか。
しばしの沈黙が続く。どうも落ち着かないのよね。大して親しくない人との信号待ちって。会話が途切れた時の沈黙はなんだか気まずくなる。
さてこの男からどう、こだわるワケを聞き出そうかと思案していると――
「……別に大した理由なんてないさ」
信号が青に変わると、諸星君はこちらに目もくれず、前を向いて歩きながら語り出した。
「生きてさえいればなんだってできる。例え今ケーキが食べられなくても、またいつかもっと美味しいものが食べられる。例え今が楽しくなくても、生きてさえいればきっと楽しいことがやってくる。でも死んだらそこで終わりだ。もう何も来やしない」
忌々しそうな、何かを憂うような表情を諸星君は浮かべている。
「その上、死って奴は唐突に訪れやがる。老いて死ぬなら上等だ。病だって死ぬまでの猶予は多少ある。別れを告げるくらいの時間があるケースの方が多い。だが事故や事件は別だ。ほんの些細な不注意が、悪意が、あっという間に人の命を奪いやがる。別れる覚悟をする時間すら与えてくれない」
諸星君は曲がったネクタイをギュッと絞り込み、正す。
ネクタイに触れるその手は、その決意を表すように硬く握られていた。
「それが心底気に入らない。その死に方は間違っている。だからそれに抗いたいんだよ。事故や事件で失われる命を救うことで、その間違いを正せると思えるんだ」
「へぇ……」
純粋に感心した。
前みたいなしょうもないねじくれた信条ではなく、それなりに確固たる信念を持ってこの男は生きているんだ。
そういう話は逢ちゃんがいる時にでも話してくれればいいのに。きっと彼女はこの前のように目を輝かせるのだろう。
「立派ね。あなた、やっぱやればできるじゃないのよ」
「何目線だ。お前は俺の母親か?」
「私が育てるならあなたみたいな生意気な男に育てないわよ」
こんな小生意気な息子など御免被るわ。
諸星君は、家ではどのように振る舞っているのかしら。私といるときのように反抗的なのか、それとも学校で振る舞っているような優男なのか。
前者だとしたら、お母さんも大変ね。
「医者は目指さないの? あなたが目指す職業の筆頭にあたると思うんだけど」
「もちろん、お医者様だって人の命を助ける仕事だ。俺も尊敬している」
お医者様て。
「だが、彼らの仕事は起こってしまったことへの治療、つまりは対症療法にあたるんだ。根本的な解決には至らない。だから人の命が脅かされる前にそれを止める、あるいは事前に回避することが大切なんだ。そもそも、病院の世話になんてならない方がいいだろう?」
「まぁ確かに。要するに医者の世話になる前に、事を食い止める仕事に就きたいというわけね」
「そういうことだ。……また喋り過ぎたな」
諸星君と話しているうちに駅のバス停に着く。ちょうど私が乗る予定のバスが到着したところだ。
それじゃあ私こっちだから、と言って諸星君の方に頭だけ振り向いて軽く手を振る。
「またね」
そういって私はささっとバスに搭乗する。後ろから返事は聞こえてこない。相変わらず素っ気のない男だ。
窓際の座席についてしばらくすると、ゆっくりとバスが動き出す。窓の外をぼんやりと眺めていると、先を歩いている諸星君を追い抜いた。
一瞬だけ目が合った気がする。
目にかかった前髪を暑そうにかき上げて見えるその双眸は力強く、見るものを射通すような眼光を放っていたが、以前屋上で見た時のような刺々しさはなく、精巧で生命力に溢れた良い印象を抱いた。
――眼、出せばいいのに。
徐々に加速していくバスは、私と諸星君との距離を離していき、やがて彼の姿が私の視界から消えた。
思えば、屋上の時から喧嘩腰で話してばかりな気がする。それでも彼が喋り過ぎるほどに会話は続いて行き、どんどん彼の内面を知っていった。
彼は何を思って私と話しているのだろう。そう考えながら私は瞼を閉じた。
もう七月も下旬、すぐに夏休みが来る。彼と会うこともしばらくはないだろう。
それでも逢ちゃんとは連絡を取り続けよう。また会って何か食べにでも行こう。
女の子らしい話をしたり、彼との距離を近づけるための作戦会議でもするんだ。
いつかあの二人が共に笑いあえる日が来るといいな。
そう考えて、カタカタと揺れる心地のいい座席の振動に体を揺らしながら、浅い眠りに落ちた。
――夏休みが始まる。
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