01 何気ないお買い物
五月。ゴールデンウィークのある日。
私、結城逢は、溺愛している妹の彩と共に夕食の買い出しに出かけていた。
今日はカレー。食べ盛りの彩の大好物。幼稚園児はなんでもおいしそうにパクパクと食べるので作り手としても、つい作り過ぎてしまう。
それでもカレーは日持ちするし、彩も次の食事にカレーが食べられるならご満悦だ。
「彩ちゃーん、あんまり先に行かないで」
お姉ちゃんを置いていかないで……。なんて寂しがるような言葉を放つ。
実際に冗談で言ってるわけではない。彩ちゃんに重たい荷物を持たせるわけにはいかないので、必然的に今日買ってきた食材のほとんどを私がエコバッグに入れて運んでいた。
腕力には自信があるつもりだけど、その状態で元気いっぱいに走り回る彩ちゃんを追いかけ続けるには
中々どうして骨が折れるのだ。
夕方にしては気温は若干高く、荷物を持ちながらの早歩きは、さすがの私も体中に汗が纏わりつく。
荷物を降ろし、取り出したハンカチで額に流れる汗を拭う。
帰ったら夕食の支度の前に、ささっとシャワーだけでも浴びてしまおうか。
「ちょうちょ! ちょうちょ! まってー」
わちゃわちゃと、数匹のモンシロチョウに翻弄される彩ちゃんを見ながら一歩一歩進む。
あ、後頭部に一匹とまった。おリボンさんみたいでかわいい。かわいいね彩ちゃん。
これだけかわいければ、男子たちが放っておかないのでは……?
保育園児にこういう言葉を使うのは正直どうかと思うけど、所謂悪い虫のような男子がつくんじゃないかしら。もしくは、他の女子たちの僻みでハブられる対象になるかもしれない、と思うといささか不安になってきた。
そんなくだらないことに考えを巡らせていると、不意に後ろから右腕に衝撃が走り、バランスを崩した。その拍子にバッグから、隠し味に買っておいたりんごやはっさくといったフルーツがコロコロと転がっていく。
前方を見ると三十代程の男性が、こちらを一瞥して走り去って行った。
どうやらぶつかられたようだ。
急いで道端を童話の如く転がり行く果実達を拾い上げる。すると――
「大丈夫? はいこれ!」
明るめピンクのメッシュが入った、鮮やかな赤い髪を顎ラインまで伸ばしているショートボブの少女が私にりんごを差し出してくる。その派手目な髪に似合うような、少し露出多めの服装をしていた。ひらりとした白いショートパンツから伸びた脚は血色がよく、健康的なイメージを醸し出す。
「ひどいよね。ぶつかってきたのに謝りもしないで走り去るなんて」
こちらを心配するような面立ちで、少女は話しかけてくる。
「どうもありがとう」
私は少し申し訳なさそうに、差し出された果実を受け取った。
「まてまてー」
キャッキャッと、蝶を追いかける彩ちゃんの楽しそうな笑い声が左前方から聞こえてくる。
……左前方? 正面じゃなくて?
「彩ちゃんダメ!!」
視線を動かすより先に焦り混じりの声が出る。
身の回りのことで気が逸らされていた。気を抜いていた。
彩の声の方向は歩道からではない。蝶を追いかけている内に車道に出てしまったのだ。
気が付いたころにはもう遅い。
私が遅れて視線を彩に向けるころには、もう彼女の目の前に自動車が迫っていた。
不意に飛び出してきた違反者に口を大きく開けて驚愕する運転手、鳴り響くクラクション、全てがスローモーションに感じる。
ああ、なんでこんなにも世界は遅いのに、私の身体は速く動けないんだろう。
どうして数百円程度の果実よりも、彩の動向を優先できなかったんだろう。
後悔で引き裂かれる私の感情など知ったことじゃないと、嘲笑うように時は動き出す。
防衛反応。最後の抵抗か、気絶するかのように瞼がおちる。
最悪の事態、私は最愛の妹を失うことになるのだろう。
その最後の瞬間を目に焼き付ける気概すらなく――
ゴンッ、と鈍い音がした。その後ドサッ、とパンパンに生ごみが詰められたゴミ袋が叩き付けられるような音を聞いた。その直後――
「うええええええええええええん」
聞き覚えのある、空気を切り裂くような声が聞こえた。
ここ最近ではめったに聞かない、でもつい数年前までは毎日のように聞いた鳴き声。彩の鳴き声。
「……え?」
確かにぶつかった衝撃を聞いた。地に落ちる音を聞いた。保育園児の彩がそれを受けて元気に泣き喚けるわけがない。一体何がどうなっているの?
恐る恐る目を開いたその矢先に広がるのは、血だまり。
自動車の丁度横で泣き喚く彩と、車の前で真っ赤な血に浸された少年が力なく倒れている姿だった。
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