第二話 回転ずし
「何から食べよう」
彼女は、目の前に並んだ3皿の寿司を眺めながら言った。
「そこで悩むんだね。取る前に悩むなら分かるけど」
彼氏は、注文パネルを操作しながら苦笑する。
「えー、だって何から食べるかって、大事じゃん?」
「まあ、分かるけどさ。最初から3皿も取っちゃうの、さすがになーちゃんらしい」
「“さすがに”? さすがに私らしいか」
彼女はなぜか嬉しそうに笑って、流れてきたネギトロを追加で取った。
「先食べていいよ?」
彼氏が気を遣って言うと、彼女は当然のように頷いた。
「もちろんそのつもり。こんなに美味しそうなお寿司を目の前にして“待て”ができるほど、私は賢くないのだ」
そう言いながら、ハマチと甘エビには醤油を、サーモンとネギトロには甘だれをかけていく。
「じゃ、お先にいただきまーす」
「どうぞどうぞ」
彼氏は手で促しながら、メニューをじっくりチェックしていた。大好きなタコから行くか、でもさっぱりしたイカもいいし、彼女が取ったネギトロも魅力的だ。
悩みに悩んだ末、ネギトロを注文。息をついてふと顔を上げると、彼女の皿はすでに空っぽだった。
「……もう食べ終わったの?」
「ん? うん。あ、これも美味しそう」
彼女は流れてきたとろサーモンを迷いなく手に取り、ささっと甘だれとワサビを載せると、あっという間に口へ。
「……さすがに早すぎじゃない?」
「さすがに、さすがに早すぎ〜」と、彼女は言葉を真似しながら、5枚目の皿を投入口に入れた。
画面が切り替わり、ガチャ演出が始まる。5枚ごとに一度チャンスがあるらしい。
「ワクワク、ワクワク」
彼女はわざとらしく口に出して、アニメの展開を見守る。しかし、主人公はあえなくやられて「ハズレ」と表示された。
「まあ、最初は当たんないよね」
と呟きながら、彼女は再びネギトロを手に取った。
そのタイミングで、彼氏の注文したネギトロも到着する。
「わざわざ注文しなくても、流れてきちゃったね」
「まあいいさ。僕はゆっくり食べたいからね」
ワサビを皿の端に盛る彼氏を見て、彼女がツッコミを入れる。
「ゆうくん、ワサビ取りすぎじゃない?」
「何回も取るの面倒だし。僕、ワサビ結構好きなんだよね」
「いやいや、それにしても多すぎるって……」
彼女は控えめにワサビを取って、きちんと皿の隅に配置した。
──約三十分後。
彼氏はまた注文パネルと睨めっこしていた。
「悩んでる?」
「うん」
「何と何で?」
「食べるか食べないかで」
「食べたいなら食べればいいじゃん」
「でもお腹いっぱいなんだ」
「えっ、まだ7皿しか食べてないのに?」
「僕、いつもこれくらいじゃん」
「……確かに」
彼女は少し考え、「じゃあ無理しなくていいんじゃない」と言う。
だが彼氏は、パネルの右上を指差した。
「これ見て。投入済みのお皿、23枚。僕の手元に、ワサビ乗せた皿が1枚。つまり、もう1皿でガチャがもう1回できる」
「欲しい景品でもあるの?」
「いや、ない。でも、1回も当たり出ずに帰るのは……さすがに悔しい」
「さすがに、さすがに悔しい、か」
彼女はまた言葉を真似して、くすっと笑った。
「じゃあ、私がもう1皿食べようか? まだ食べれるし」
「17皿食べたのに?」
「いつも18くらい食べるでしょ、私」
彼氏が記憶をたどり、「……確かに」と呟く。
「でもさ、僕……これ、まだこんなにワサビ残ってる」
彼氏は手元の小山のようなワサビを指差す。
「だから言ったじゃん、取りすぎだって」
「うん、さすがに取りすぎた。でも、残すのはもったいない……」
二人は同時に腕を組み、うーんと考えた。
やがて、彼女が閃いたように言った。
「じゃあさ、あと1皿を半分こして、負けた方が残りのワサビ全部食べよう。じゃんけんで決めよ?」
「……なーちゃん、正気?」
「もちろん正気。だって、もったいないんでしょ? ゲームにしないとやる気出ないでしょ?」
彼女はキリッと彼氏を見つめた。
確かにワサビを取りすぎたのは自分だ。彼女は自分の責任でもないのに、一緒にリスクを背負ってくれようとしている。これは、もう受けるしかない。
「……やるか」
二人はネギトロを一皿注文し、パネルを元に戻すと、急に表情を引き締めた。
「よし、いくよ」
「最初はグー、ジャンケンポイ! あいこでしょ!」
異常な熱気のジャンケンが始まる。気づけば隣の家族、片付け中の店員、レーンを挟んだ老夫婦までもが静かに見守っていた。
そして──勝負の末、彼女が勝利した。
その瞬間、ネギトロが到着する。
「可哀想だから、ちょっと多めにワサビ食べてあげるよ」
彼女は優しく言い、ワサビの塊から三分の一を自分の寿司に。
「ありがとう……」
彼氏は涙目で、残りのワサビを全部自分の寿司に盛る。食べる前から目が痛い。
「せーのっ!」
二人は同時に寿司を口に運ぶ。
「来た! ツーンと来た!」と彼女は笑い、皿を投入口へ。
彼氏は何も言えず、ただ鼻の付け根を押さえていた。
注文パネルの演出が始まる。徒競走するキャラクターたち。
「頑張れ、頑張れ」と彼女が応援するが、それが向けられているのは寿司レースか、鼻水と戦う彼氏か、分からない。
最後、ビリだったキャラクターが一気に1位に躍り出て「アタリ!」の文字が大きく出る。
「やったー! ゆうくん、当たりだよ!」
彼女はガチャから出てきたカプセルを彼氏に渡す。涙目の彼氏がそれを受け取り、ぽつりと一言つぶやいた。
「……さすがに嬉しい」
「さすがに、さすがに嬉しい〜」と彼女がまた繰り返し、二人は楽しそうに笑い合った。