第十一話 ダーツ(中学生編②)
美術室。
白くて長いひげをたくわえた先生が、モネについて延々と語っている。ずいぶん年季の入った見た目だが、まだ定年ではないらしい。
未来の彼女は頬杖をつきながら、白紙の画用紙をぼんやりと見つめていた。
絵を描くのは好きだ。だから、早く描かせてほしい。モネの話なんか、まともに聞いている中学生なんていないだろう。
──そのとき。後頭部に、ちくっ。
小さな刺激を感じた。
(ん……?)
何か当たった気がして、彼女は後ろを振り向く。
目が合ったのは、突然の振り返りに目を丸くしている未来の彼氏だった。
「遠山、どうかした?」
「……ううん、別に」
再び前を向く。先生はまだ熱弁の真っ最中だ。
──が、すぐにまた。今度は首元に、ちくっ。
(また……?)
また振り向くが、そこにはシャープペンを握りつつも、ただ座っているだけの未来の彼氏。何もしていない……ような顔をしている。
「ん?」
「……いや、なんでもない」
なんとなく疑わしい気がする。が、証拠がない。
そんなとき、先生の話がようやく一区切りついたらしい。
「では皆さん、思うがままに好きに描いてみてください」
その瞬間、未来の彼女の第六感が働いた。
ガタッと音を立てて、彼女は勢いよく振り返る。
「……え、なにしてんの?」
そこには、シャー芯のケースを左手に握りしめ、まるでダーツを構えるかのように右手を引いた未来の彼氏の姿があった。
「シャー芯、投げてる」
「……なんで?」
「刺さりそうだと思って」
「どこに!? ……まさか、ブレザーとか言わないよね?」
「ブレザーじゃないよ。頭だよ。髪の毛!」
その真顔に、逆に困惑する。
「……え? 新手のいじめ?」
「違う違う。たださ、なんかフォルム的に刺さりそうだったんだよね。こう、丸っこくてさ」
彼は、両手で彼女の髪型の丸さを表現するようにジェスチャーした。
彼女は、そんな彼に冷たい視線を送る。
「刺さるわけなくない? シャー芯だよ? 髪の毛だよ?」
「でも、そんな気がしたんだよ」
「私さ、中野ってもっと大人しいタイプだと思ってたんだけど」
「大人しいよ、僕。すごく」
「いや、大人しい人はシャー芯投げない」
そう言われた彼氏が、わざとらしくあごに手を当てて、考えるふりをした。
「……ほら、頭の良い人は、一度気になっちゃったらやってみたくなるんだよ」
彼女は反論しようとして、やめた。彼が頭が良いのは事実だと、彼女は知っていた。そしてそれと同時に、彼が平然な顔をして急に変なことを言い出す馬鹿なのだということも。
「……それ、もう投げるの禁止ね」
「えー、……分かった」
渋々うなずいた彼を横目に、彼女はようやく前を向き、絵を描き始めた。
テーマは「いたらいいなと思う動物」。
彼女の手が動き出す。頭の中に浮かんだのは、葉っぱのような甲羅をもつ不思議な生き物──「ハカクレ」。
細かな質感を思い描きながら、シャープペンをすべらせる。
しばらくして、見回りをしていた先生が、彼女の机のそばで足を止めた。
「うん、とてもよく描けているね。面白い動物だ。いいよ」
「ありがとうございます!」
褒められると、つい声が弾んでしまう。
──しかし、そのあと。
「だけどねえ、君。シャープペンの芯のケースでも落としたのかね?」
「え? いえ、落としてませんけど……?」
「そう? でも……ほら、ここ」
先生が後ろの床を指差す。
彼女が振り返ってみると、椅子のまわりに無数のシャー芯が散らばっていた。
(……うわぁ)
彼女は思わず後ろの彼氏を睨む。
だが彼は、何食わぬ顔で画用紙に向かっていた。見事な演技力である。
「君は……なんだい、この動物は?」
今度は、先生が彼の作品を覗き込む。
「えっと……『ハリナゲ』です」
「ふむ。その特徴は?」
「体中に針が生えていて、それをこう……キノコに向かって、投げつけるんです」
未来の彼氏は、真面目な顔でそう説明する。
「キノコに?」
先生が眉をひそめる。
「はい。キノコの、あの丸っこいフォルムを見つけると、つい……こう」
「うーん……」
先生は首をかしげた。
彼女も体を捻って、彼の画用紙をのぞき込む。描かれていたのは、どう見てもただのハリネズミだった。
「なんだか……ちょっと発想力がないね」
「うん、そうだねえ。ただのハリネズミにしか見えないねえ」
先生が苦笑する。
その言葉に、未来の彼女はここぞとばかりに口を開いた。
「しかもさ、攻撃してこないキノコに針投げるなんて、無駄にエネルギー使ってて、ちょっと間抜けな動物さんだね」
それから、彼女はニヤリと笑った。口元にはいたずらっぽい余裕が浮かんでいる。
──そして、未来の彼氏は画用紙の上の「ハリナゲ」を、消しゴムで思い切りこすっていた。