第一話 映画館
町の小さな映画館。その受付に立つ男性スタッフは、あるカップルを見ていた。大学生だろうか。入口付近の上映スケジュールを見て、何やら相談をしている。
「ねえ。あのカップル、なんかいい感じじゃない?」
女性スタッフが話しかけてきた。
「いい感じとは?」
「まず、イチャイチャしながら入って来なかった時点でポイント高い。で、二人ともスラっとしてて、ビジュがいいじゃない。なのに、無地のパーカーにストレートパンツっていうシンプルコーデ」
女性スタッフは、カップルに気づかれることも恐れず、ジロジロと二人を観察しながら言った。
「それが?」
「着飾らない美男美女って、なんか推せる感じしない?
それに見てよ。二人ともアクセサリーを着けてない。と思いきや、指輪だけしてるのよ。絶対ペアリングだよ、あれ」
男性スタッフはカップルの手に目をやる。確かに、二人とも右手の薬指に、控えめに指輪を着けている。
「あー、あれはなんかいいっすね」
「でしょ?」
そんな話をしていると、カップルはどちらからともなく受付に向かってきた。女性スタッフは「任せた」と言い残し、後ろへ下がった。おそらく、奥から様子をうかがうつもりだろう。
カップルの彼氏側が前に立った。遠くで見ていた以上に背が高い。そして顔も、印象は薄いけれど整っている。
整った顔立ちに高身長。人生勝ち組だろうなー、と男性スタッフは思った。
「えっと、十四時からのこの映画、大人二人でお願いします」
彼氏は、少したどたどしくそう言った。すると、彼女がひょこっと顔を出した。
「あの、学割とかってあるんでしたっけ?」
彼女も、なかなか可愛らしい顔立ちをしていた。丸みを帯びたショートヘアーがよく似合っている。
「ありますよ。学生証をご提示いただければ」
男性スタッフがそう言うと、彼女はサッと学生証を出した。彼氏側は、ポケットから財布を出して中を探り、あった、という顔をして学生証を手に取り、差し出した。
彼氏の学生証に某最難関国立大学の記載を見つけ、男性スタッフはめまいがした。勝ち組なのは、容姿だけではなかったようだ。
「ありがとうございます。では、学生料金で合計二千四百円になります」
「私、千二百円ぴったり持ってるよ」と彼女が言う。「じゃあ僕が一旦払うね」と彼氏が言い、「うん、お願い」と彼女は返す。
そして彼氏が、三千円を会計に出した。
「これでお願いします」
なんだ、彼氏がおごるわけではないのか、と男性スタッフは思った。だがそれと同時に、対等ないい関係なんだろうな、とも思った。
男性スタッフは三千円を受け取り、六百円を返す。それから、座席表を二人に向かって差し出した。
「お席の方は、どちらにしますか? まだ早いので、こことここ以外は空いてますが」
「どうする?」と彼氏が訊く。「どうしよう」と彼女は言う。「どの辺がいいとかある?」「特にないんだけど、どこが見やすいんだろう」
二人は座席表と睨めっこをして、うーん、と考えている。ああ、こいつら可愛いな、と男性スタッフは思った。
それから、彼氏が中央より少し前あたりの席を指した。
「あの、ここって見やすいですかね?」
「いいチョイスだと思います」
男性スタッフは、思わず食い気味にそう答えた。
「じゃあ、ここで」
彼氏は恥ずかしそうに笑う。その横で彼女は「いいね」と嬉しそうに笑っていた。
男性スタッフはチケットを二枚用意し、上映場所を手で示しながら彼氏に渡した。
「ありがとうございます」
二人はそろってペコッとお辞儀をし、受付を離れた。
彼女は財布からお金を出して彼氏に渡す。先ほどの千二百円だろう。彼氏はそれを受け取りながら、「上映まであと一時間あるけど、どうしようか」と言った。
「ちょっとお散歩する?」と彼氏。「うん、お散歩する!」と彼女。「川沿い行こうか」「いいね」 そう会話をしながら、二人は出て行った。
「可愛すぎないか、あのカップル」
いつの間にか、女性スタッフが隣に立っていた。男性スタッフは驚いて少し体をビクッとさせ、それから平然さを取り戻す。
「可愛かったっすね」
「なんか、互いを尊重してる感じがあってよかったよね」
「彼氏K大でしたよ」
「え、K大?! 将来有望すぎ。勝ち組だね」
それから四十分くらいして、カップルは戻って来た。なぜか彼女は頭から肩くらいまでがびしょびしょで、一生懸命タオルでそれを拭っていた。
「ちょっとお手洗い行ってくる」「いってらっしゃい」と、言葉を交わし、彼女はトイレへとことこと歩いて行った。
男性スタッフは、我慢ならず彼氏に声をかけた。
「水遊びでも?」
だが、それにしては彼氏が全く濡れていない。まさか、一方的に彼女に水をかけたのか?と考えてしまう。
「え? ああ。あれは……ふふ」
彼氏は口を開いたが、笑ってしまい言葉が続かない。男性スタッフは首を傾げた。彼氏は一呼吸ついて、それから言った。
「彼女、めちゃめちゃ代謝いいんですよ」
ふふ、と彼氏はまた笑った。男性スタッフも釣られそうになったが、彼女に失礼だと思って耐えた。
「そんなに歩いたんですか?」
「いや、五分歩いて、しゃべって、五分戻ってきただけなんですけどね……」
「不思議ですね」
「ですよね。さすがにあれは、代謝よすぎですよね」
彼氏はまた、ふふ、と笑った。
「ねえねえ、私ってシャワーでも浴びたんだっけ?」
そう言いながら彼女が出てきて、男性スタッフは耐えられず吹き出してしまった。後ろからも、ブフォッという吹き出し音が聞こえた。女性スタッフも堪えきれなかったらしい。
しまった、一番失礼な態度だ、と反省したが、彼女の方は気にも留めず彼氏の隣へ小走りで行った。
「なんでいつも私だけこうなるんだ?」
「でも、さっきよりは落ち着いたんじゃない?」
男性スタッフにはそうは思えなかったが、彼氏はそう言った。
「そう? ならいっか。じゃあ行こう」
そう言って彼女は、左方へ歩き出す。彼氏は彼女の袖を引っ張って、それを止めた。
「ん?」
「そっちじゃないよ。こっち」
彼氏は右方を指差した。
「ああ、分かってた分かってた。もちろん知ってましたよ」
彼女はそんなことを言いながら、汗を拭いて右方へスタスタと歩き出した。
「もちろん知ってましたか」
彼氏はそう言いながら彼女のあとをついて行き、男性スタッフに会釈をしながら通り過ぎていった。
「やっぱいい感じだよ、あの二人」
後ろから、女性スタッフが笑いながらそう言った。