9.焼き豚に釣られて男の娘コスの一例を見学させられた話
R大法学部の学生となってから最初のゴールデンウィーク、その初日。
刃兵衛は何故か都内某所で開催されているコスプレイベントの会場に居た。
(……あれ? 焼き豚は?)
傍らで大きな一眼レフを構えている香奈子に、刃兵衛は心の中で問いかけた。
多分、今話しかけてもきっとシカトされるだろう――何となく、そんな気がした。
この日、刃兵衛は香奈子から、美味い肉を食いに行くからちょっと付き合えとの連絡を受けた。
そうして自宅マンション最寄り駅の改札で待っていると、柔らかな白いニットとスキニージーンズ姿の香奈子が手を振りながら歩を寄せてきた。
「お待たせー……ってか笠貫君、キミ意外とシャレオツ君だね」
香奈子はアルマーニのTシャツにメンズパンツを合わせた着こなしに、少々驚いた様子を見せた。
恐らく刃兵衛が普段からアニメやライトノベル、或いはゲームの話しかしないものだから、休日の服装はもっとオタクっぽいものを想像していたのだろう。
「いや、僕かて服くらい買いますよ」
「うん、まぁ、そりゃあそうなんだろうけど……」
尚も面食らった様子でその美貌に驚きの色を張り付けたままの香奈子。それから自身の服装にちらりと視線を落とした。
「何か、うちの方がカジュアル過ぎて釣り合ってない気がしてきたわね……」
「そんなん別に、エエんちゃいます? 安土先輩は美人さんやから、何着てても普通に綺麗で宜しいですやん。僕なんて見てくれこんなんやから、ちょっとイキった格好しとかんと、すぐ舐められるんスよ」
自分でいっておきながら、情けなくなってきた。
矢張りこの童顔と小さな体型は、余り楽しくない。如何に我天月心流の達人とはいえども、見た目でいきなり不利な状況に陥るのは何とも悲しい話だった。
しかし香奈子はさりげに美人だ綺麗だと褒められたのが嬉しかったのか、幾分照れた笑みを浮かべながら上機嫌で刃兵衛の手を引き、駅のホームへと向かった。
「今日はどんな肉食わせてくれるんスか?」
「ちょっと小洒落た焼き豚のお店なんだよね。うちも何回かしか行ったことないけど、マジお勧めだから」
そんなこんなで香奈子に案内されながら足を運んだ先は、しかし、焼き豚の店ではなく、どこかのイベントスペースだった。
何でも、幾つかのゲーム会社の新作発表に合わせてコスプレイベントを開催しているのだとか。
「ちょーっと、先にココ寄ってくね。魅玲もアストロゲームスさんとこのブースでコスしてるから」
「あ、はぁ、そうなんスか」
すぐにでも美味い焼き豚にありつけるものとばかり思っていた刃兵衛は、幾分肩透かしを食った気分で香奈子の後についていった。
その香奈子、何やら大きなものをトートバッグの中から取り出した。それはどう見ても、まぁまぁ値の張りそうな一眼レフカメラだった。
(う……これ、ほんまにちょっとで済むんかいな)
刃兵衛はだんだん不安になってきた。
もしかすると自分は、焼き豚を餌に釣り出されてしまったのではないかとさえ思えてきた。
そんな刃兵衛の内面での恐怖心を知ってか知らずか、香奈子はステージ上に立つ何人かの見目麗しいコスプレイヤーを指差した。
「ほらほら、あそこ、魅玲居るよ」
「あー、ホンマっすね。やっぱお綺麗っすなぁ」
ファインダーを覗く香奈子の隣で、刃兵衛は素直に感嘆の声を漏らした。某ゲームの女性キャラクターに扮した魅玲の姿は、流石に他のアマチュアレイヤーとはその美しさや着こなしのレベルが違い過ぎた。
ゲーム会社の公式レイヤーとして、名前を売り出しているだけのことはある。
「まぁ、古薙先輩が居てはるのは分かったんですけど、焼き豚は?」
刃兵衛が水を向けても、香奈子は魅玲や他のレイヤーの出来栄え満点のコスをカメラに収めるのに夢中になっていた。
これはもう、しばらく声をかけるだけ無駄かと諦めかけた刃兵衛。
ところが香奈子は嬉しそうな笑みを不意に向けてきて、ステージの別の一角を指差した。
「笠貫君、あのコスの子、見える?」
「あー、はい、見えますよー」
そこには黒い軍服の様なデザインのミニスカワンピースを着込んだ見目麗しいレイヤーが、カメコ達の要望に応じて色々なポーズを取っている姿があった。
と、ここで刃兵衛はふと嫌な予感がした。そのレイヤーが見せているポーズが、微妙に格闘技っぽい形に見えたのである。
まさかと思って渋い表情を浮かべていると、再び香奈子が笑顔を振り向かせてきてさらっとひと言。
「あれあれ、あのキャラクターが、リトルエクリプスなんよー」
やっぱりそうか――刃兵衛の少女の様な中性的な顔は、ますます渋い色へと染まっていった。
どうやら今日は、焼き豚をダシにしてまんまと誘い出されたらしい。
香奈子や魅玲がやたらと迫って来る男の娘コス、そしてそのキャラクターであるリトルエクリプス。
今回ステージ上に佇んでいるのは女子高生レイヤーだから男の娘コスを楽しんでいる女子、ということになるのだろうが、あれを本物の男がやったらどうなるのか。
微妙にちょっとおかしな癖が垣間見えそうな気がしたが、この美女レイヤー達は、自分にあんなのを着せようと画策していたのか。
刃兵衛自身はちっとも楽しそうには思えなかったのだが、女子の観点からはどうなのだろう。その辺がよく分からない。
「えーっと、それで……僕にあのひとのコス見せて、何をなさろうとしてるんですか?」
「えー? いやいやいや、別に何の他意も無いよー」
この瞬間刃兵衛は内心で、
(嘘おっしゃい!)
と獰猛に叫んでいた。
これは絶対、どう見ても、お前はもう詰んでいるぞと言外に迫っているとしか思えなかった。
そして実際周囲から微妙な視線が飛んできている。
まさか見知らぬカメコ達までもが、刃兵衛にリトルエクリプスの男の娘コスを求めているとでもいうのだろうか。
(いやいや、んなアホな……)
内心で苦笑を漏らして否定した刃兵衛だったが、余り自信が無かった。