8.酔っ払った美人に抱き着かれて乳テロを喰らった話
ゴールデンウィークに突入する前日、R大法学部二年二組による、一年二組新歓コンパが開催された。
刃兵衛は出るつもりは無かったのだが、明日海に執拗に誘われて根負けし、結局参加することにした。
そうしていざ参加してみると、意外なことが分かった。
法学部の学生ということだから結構お堅いひとびとが集まっているのかと思いきや案外そうでもなく、割りと陽キャなパリピっぽい顔ぶれが多かった。
(何か……思うてたのと、ちょっとちゃうなぁ)
正直、少しだけ面食らった刃兵衛。
会場として使用されている学生会館二階の大広間は畳敷きの広い一室となっており、二十歳前後の若い男女が一堂に会する熱気に溢れた大宴会となった。
場内のそこら中で男女関係無く騒ぎまくり、場所によっては公開ナンパなんぞをやっている有様だ。
そんな中で刃兵衛は隅の方のテーブルに席を取り、ウーロン茶片手にひたすら食うことに専念していた。
(今日は食いまくるで。友達付き合いなんてぶっちゃけ、どうでもエエし)
この新歓コンパには共済支援金とかいうものが宛てられているらしく、一年生の参加費は実質タダの様なものだった。
それ故ここで腹一杯食わなければ損になるとばかりに、刃兵衛は兎に角、目の前の料理を平らげる方向に舵を切った。
見たところ、近くに明日海は居ない。
彼女は相当な美人だから、矢張りというべきか、大人気だった。
周りには男子学生が十数人程たむろしており、ふたりの二年女子が一緒になって囲まれている。
世の男女はきっとああやって機会を設けて交際の切っ掛けを掴んでゆくのだろうが、刃兵衛にとってはまるで他人事だった。
と、そこへひとりの男子学生がグラスを持ってやってきて、テーブル正面の席に腰を下ろした。
一年二組の中では見た記憶が無いから、恐らく二年二組の先輩なのだろう。
「君、よく食べるねぇ」
「はぁ、美味しいですよ」
刃兵衛はこの先の大学生活も鑑み、最低限の礼儀とひと当たりには注意するよう心掛けている。相手が先輩ならば尚更で、ここは一応それなりの会話で対処することにした。
「俺は二年の伊坂ってんだ」
「笠貫です。宜しゅうお願いします」
刃兵衛は数秒だけ箸を止めて自己紹介に応じた。しかしぺこりと頭を下げた後は、再び猛烈な勢いで喫食を再開する。
その食いっぷりに、先輩伊坂智明は呆れるやら感心するやらで、微妙な笑顔を浮かべていた。
「失礼を承知でいわせて貰うけど、君、若いねぇ」
「はぁ、よういわれます。ここ来てもう20回ぐらい、中学生か高校生に間違われました」
刃兵衛の応えに、智明はでっぷりとよく太った腹を揺すって静かに笑った。
「そりゃそうと、君はあっちの輪には加わらないのかい?」
「んー……僕は食い専ですから」
それに、必要以上に大勢で集まってわいわいするのは、余り好きではない。これはどちらかといえば、暗殺拳たる我天月心流の修練過程に於いて、孤独を是とする教えが色濃く影響しているのかも知れない。
しかし当然、そんなことを知る由も無い智明は、実は俺もなんだよなぁと苦笑を滲ませた。
「見ての通り、俺デブだからさ。どうしてもイケメンな奴らの引き立て役になっちまうんだよな……まぁ慣れてるっちゃあ慣れてるけど、こんな人数の多いとこじゃ、ちょっと疲れるよ」
智明の巨躯と、刃兵衛の子供の様な小さな体がテーブルの差し向かいで座っていると、まるで親子の様に見えなくもなかった。
しかしふたりとも妙に落ち着きがあるから、その一角だけは空気が違った。
すると更にそこへ、ふたりの女子が遠慮がちに近づいてきた。
「あの……ここ、良いですか?」
「あー、どうぞ」
刃兵衛はちらっと視線を向けただけで、その間もひたすら箸を動かし続けている。
彼女らはいずれも一年二組の女子大生だ。クラスで見た顔だから間違い無い。
顔立ちや衣装、更にはメイクに至るまで結構明るめな印象だったが、その言動や声のトーンは、どちらかといえば地味な方だ。恐らく新歓コンパだからということで気合を入れてきたのだろうが、余りの騒がしさ、賑やかさに耐えられなくなったのだろう。
結局、類は友を呼ぶという訳か――このテーブルに集まっているのはイケメンの引き立て役にしかならないモブデブと、ぼっちの童顔と、そして本来の姿は地味子の女子ふたりという、いかにも底辺をそのまま突っ走っている様な連中ばかりだった。
そして会場内の陽キャな連中は、敢えてこちらには足を向けてはこなかった。大学生ともなると、或る程度は空気を読む様になっているのだろう。
地味子ふたりはそれぞれ中邑由希子、郡山郁美と名乗った。
由希子はやや細身のモブ女子だが、郁美は170cmを超える大柄な女性だった。いずれもメイクと明るいコーデで見た目の雰囲気は華やかだが、その表情はどちらも活気に満ちているとはいえない。
体型や身長にコンプレックスを抱いているのか、余りひと好きするタイプではなさそうだった。
「はは……見事に底辺オブ底辺が揃っちまったな」
苦笑する智明。由希子と郁美もそうですねとぎこちない笑みを浮かべたものの、しかしふたりは刃兵衛の顔には違和感ありげな視線を向けてきた。
「でも笠貫君は、どうしてここに? 可愛らしい顔してるし、関西弁で面白そうなカンジだから、あっちのひと達に混ざってても良さそうなものだけど……」
郁美が上背のある体躯を僅かに屈めて、不思議そうに問いかけてきた。
刃兵衛は、やめて下さいよと渋面を浮かべる。
「僕はここに騒ぎに来たんやなくて、飯食いに来たんです」
「あはは……綺麗な顔なのに、全然色気無しなのね。何か勿体無い」
由希子が可笑しそうに肩を揺すった。細面でやや暗めな印象の彼女ではあるが、矢張り笑うと明るさが滲み出てくる。
「おや? どこ行くんだい?」
立ち上がった刃兵衛に、智明が少しばかり驚いた様子で問いかけてきた。
「いや、もう食うモン食ったんで帰ります。確か、退出は自由なんですよね?」
「あぁうん、まぁ、そりゃあそうだけど……ホントに君は、マイペースだねぇ」
刃兵衛は失礼しますと頭を下げて、さっさと会場を出た。
明日海は未だに他のナンパ目的の男子学生らに取り囲まれて身動きが取れない様子だったが、刃兵衛としては義理は果たした訳で、これ以上この場に居座る必要性は欠片も感じていなかった。
その後、学食テラスで軽く食後のコーヒーなどを嗜んでいた刃兵衛だったが、やけに騒がしい一団が近づいてきた。
見ると、顔を真っ赤にして千鳥足となっている明日海が、十人近い男子学生に囲まれる形でこちらに近づいてくる。
この時、物凄く嫌な予感を覚えた刃兵衛は逃げるが勝ちとばかりに腰を浮かせかけたが、それよりも早く明日海の方から呼びかけてきた。
「かぁさぬぅきくぅーん! ねぇ、おーとなーりさーん! わぁたぁしぃ、酔っ払っちゃったからぁ! 送ってってぇ~!」
刃兵衛はぎりりと奥歯を噛み鳴らした。
(マジか……何でこんな大勢の前で、それバラすかなぁ)
明日海をお持ち帰りしようと画策していたのか、彼女の周囲にたむろしている男子学生らは若干の敵意と羨望が綯い交ぜになった視線を送ってきた。
刃兵衛は盛大に溜息を漏らしつつ、明日海のもとへと歩を寄せてゆく。
「えっと……君、明日海ちゃんの隣に住んでんの?」
茶髪ロン毛で如何にも陽キャという感じの同クラスの男子学生が、微妙に悔しそうな声で訊いた。刃兵衛は渋い表情ながらも、まぁ一応と答えざるを得なかった。
「みんなー、ありがとねー。私、笠貫君に、送ってって貰うからー」
明日海は刃兵衛が答えるよりも早く、彼の小柄な体躯に全身を寄りかからせてきた。まるで後ろから抱き着く様な格好の為、結構な大きさの胸がぐいぐいと背中に押し付けられてくる。
その光景を前にした男子学生らから、突き刺す様な視線が飛んできた。
(勘弁してや、もう……)
刃兵衛は半ば逃げる様にして、後ろから抱き着いたままの明日海を伴って家路に就いた。