第十五話 心のうちを
(また来てしまった……)
家を飛び出したシドが向かった先は、礼拝堂だった。
祈りをささげる者、罪を懺悔する者のために――礼拝堂の扉は、いつでも開かれている。
扉を押し開けて中に入る。
神聖な空気が満ちる中、長椅子が規則正しく並んでいた。
その椅子の列を縫うように歩いていくと、壁一面に描かれた『五線譜の大樹』が、窓から差し込む淡い月光に照らされて浮かび上がっている。
その大樹の根元には、小さな扉が埋め込まれていた。
その向こうには、今朝シドが演奏していた、あの不思議な空間が広がっている。
一番奥、壁画にいちばん近い席へ腰を下ろす。
「はぁ……なんであんなこと言っちゃったんだろう……」
一日にいろんなことが起きすぎて、心に余裕がなかったのか。それとも、父の言葉や態度の積み重ねが限界を越えてしまったのか。
あるいは、その全部なのか――シド自身にも、はっきりとはわからない。
しばらくぼんやりと考えこんでいると――ギギギギ、と古びた扉の軋む音が礼拝堂に響いた。
(誰……?)
振り返ると、そこに立っていたのは腰の曲がった一人の老人だった。
その姿を見たシドは、思わず声を上げた。
「トトじいちゃん!? どうしてここに?」
「ホッホッホ」
トトと呼ばれた老人は笑いながら、ゆっくりとシドのもとへ歩いてくる。
「かわいい孫が、急に家を飛び出したとあれば……心配にもなろうてな」
トトはドラドの父、つまりシドの祖父に当たる。
現在シドの家では、シド、ドラド、トトの三人で暮らしていた。
トトはシドの左隣に座ると、腰の後ろに組んでいた手を解き、シドの頭にワシャワシャと手を伸ばした。
「ごめん……」
「びっくりしたんじゃぞ、急にシドの大きい声が聞こえてのぉ」
長く伸ばしたひげを触りながらトトは続ける。
「下に降りたら、開けっぱなしの扉の向こうでドラドが椅子に座っておってな。何があったか尋ねても『なんでもない』って言うんじゃが、よくよく問うたらシドが出ていったと言うてな」
「それで追いかけてくれたんだ。でも、よくここがわかったね」
「シドは昔から、何かあるとすぐ礼拝堂に来るからのぉ」
シドはうつむいたまま、小さく息を吐いた。
「……なんか、いろいろ言われて、ぐちゃぐちゃになって。自分でも、どうしたいのか分からなくなっちゃって……」
言葉にすると、胸の奥が少しだけ軽くなる気がした。
けれど、心のどこかにはまだ、重たい塊のようなものが残っている。
「無理に整理した言葉にする必要なんてないんじゃ、全部思ったこと言うてみぃ」
その言葉をきっかけに、シドが言わないように、思わないようにと堰き止めていた言葉が、感情が――一つ、また一つと湧き立つ。
「……父さんは、僕のことなんて最初からいなけりゃよかったって思ってるんじゃないかって……ずっと、ずっと思ってた!」
もう、自分でも止めることはできなかった。
胸の奥で腐りかけていた思いが、口から溢れだす。
「それでも、僕、ずっと頑張ってきたんだ! ちゃんと毎日欠かさず練習して、勉強もして……でも、父さんはは、目を合わせようともしない! 褒めてくれたことなんて一度もない!」
ぐっと拳に力が入る。
怒りと悲しみがごちゃ混ぜになったような声が、礼拝堂の静寂を切り裂く。
「父さんは……僕のこと、嫌いなのかな……」
最後の一声まで、絞り出すように口にした。
シドは、腿のあたりがじんわりと温かくなっていることに気づき、自分の瞳からこぼれ落ちた大粒の雫にようやく気づいた。
「……よう言うたな、シド」
その声は、とても静かで、あたたかかった。
「心の奥に溜めた言葉ほど、出すのに抵抗力を増す。それを、良く出せたの。孫の本音を聞けてワシは、それが何より嬉しいよ」
シドは何も言わず、ただ泣き続けた。
トトの掌の温もりが、背中越しにじんわりと広がっていった――。
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