呪詛の大魔法陣
祐直はブレストプレート・ガントレット・レッグガード・チェストアーマー……二重になったそれらを、あっという間に外した。
足利二つ引きの陣笠だけは捨てない。
そうだ、俺にはいつだって騎獅文殊の加護がある。
「ごめんウソ! やっぱ俺ただの臆病者! 軽くなったんで逃げまーす! だーっはっはっはっ!」
「貴様ぁっ!!」
GU……なんとか道の武蔵をベースに作られた『女騎士・武蔵』。それが冥府魔道に堕ちた『剣魔・武蔵』。いわゆる剣豪・武蔵に比べて重厚さ・安定感がない。その分、何をするかわからない恐ろしさがあるが。
「いんよーい(陰陽射)!」
稲富伊賀守祐直は後ろを見ずに対物ライフルで、遥か後方にいる敵の心の臓を狙う。
「すげえ、あのおっさん逃げながら戦ってる……あぶねえっ!!」
合図をする祐直も大概だが、およそ常人ではよくなし得ない身体のひねり方で弾丸をかわす剣魔・武蔵も尋常ではない。
『武者は犬ともいへ 畜生ともいへ 勝つことが本にて候』
そう、臆病者と人が言うのならば。過去現在未来において誰もが祐直を嘲るのなら。彼にも考えがある。
「おん まりし えい そわか……」
摩利支天の真言を唱えつつ、適当な場所に飛び込んで光学迷彩服に着替える。
「いんよーいいんよーい!!」
そして、視認される確率を下げてからわざわざ合図をして銃弾を撃つ。
『侘びもひょうげもかぶきも、知るか』
「何故だ、全然追いきれん! これが極まった狙撃手の道理か!」
素人のようにキョロキョロとあたりを見回す剣魔・武蔵は完全に翻弄されていた。
『こちらスケナオ。だから言ったろう、地獄を見せてやると』
いつの間にか武蔵の腰に衛星通信機が仕掛けられ、祐直から通信が入る。
「ふざけた真似を……!」
『多機能衛星』は酒井兵庫の異能であろうか。武蔵は手近な壁に拳を叩きつけた。
古代遺跡『死せる都』の最下層には首都の遺構がまるまる残っている。つまり、祐直好みの罠を仕掛けられそうな場所がいくらでもある。
「流石に宮本武蔵の名は伊達じゃねえな……ライフルトラップのことごとくをかわしてやがる」
祐直が舌打ちする。
「こちら『馬謖幼常』。宮本武蔵殿、応答してください」
儒服と冠を付けた若い男から武蔵に秘匿通信があった。知的エリートらしい眉目秀麗な容貌を、祐直と同様酷く不機嫌な顔をして台無しにしている。
「山登りのお笑い軍師が何の用?」
と言ったあとで武蔵は何かに気づいた顔をした。自分は今『実戦では使い物にならないはずの銃兵』に散々コケにされているのだ。
「察しが良いですね。本当は文官になりたかったんです。軍略も蜀漢を守る為あくまで余技として学んだものですし」
「でも、今は違う。私を笑ったクソどもをロースト・水洗いしてぶち殺すための軍略を学び直したんですよ」
馬謖がぎりっ、と歯噛みする音を聞いて、武蔵の背筋が寒くなった。
「ああああぁっ! やめやめやめろぉ!」
武蔵が逃げるルートにある銃がことごとく管理権限を奪われて、追う側になった祐直を狙う。
しかし、祐直にしてみれば楽しくてたまらない。
それはそうだ。
周りに罵られながら死んだ眼で黙々と敵兵を射殺することに比べたら、大体のことは楽しい。
死せる都最下層中央広場・『呪詛の大魔法陣』。
「そちらさんの目的もやっぱりここか。この階のどこにいても、ここから恨みの叫びが聞こえるから何かあるなと思ったよ」
馬謖・武蔵・ジャンバラヤと、その肩を借りてがらしゃが立っている。
「この国の歴史は存じませんが、呪詛と絶望と怨嗟の満ちたこの場所は実に心地良い」
馬謖の機嫌は少し良くなっている。
「お前さん、変態じゃねえか?」
本心は祐直も同じ気分なのだが、あえて煽る。
「貴方に言われたくありませんよ……」
馬謖はやれやれ……と言わんばかりの顔をしている。
「ともあれ、自分の怒りと憎悪を持て余して何もできない貴方に、この陣は壊させませんよ」
「はぁ? お前さん馬謖じゃなくて馬鹿だろう?」
祐直の眼に澄んだ蒼さのとてつもない怒りの炎が灯った。
そして祐直が陣の外郭に据え付けたのは、デイビー・クロケット!
「やっぱり破壊じゃありませんか……なぜその砲を選んだのかわかりませんが。浅はかなことだ」
馬謖幼常と稲富祐直は根っこがよく似ているが、祐直はいつでも敵を侮ったことはない。馬謖は祐直の知性を幾分低く見積もっている。
「こいつは陣を壊すために据えたんじゃない。この魔法陣に詰まった恨みの声を核砲弾に吸わせて、爆破のエネルギーをブーストするのが目的だぞ。そんなこともわからんのか?」
がらしゃ一党は感情を感じさせないジャンバラヤを除いて真っ青になった。
「人は、過ちを繰り返す」
「1945年、俺の遠い子孫は戦死を告げる一枚の紙切れになって帰ってきた」
「同じ年にアメリカが長崎と広島に原爆を投下して、第二次世界大戦は終焉を迎えた」
「舞鶴に引き上げた両親と過ごす遠い未来の俺は、冷戦の末路を思って絶望した」
「だが、人類は原子力を、世界を彩るエネルギーの源に変えた」
「21世紀、超小型原子力電池はそのパワー効率から、危うい状況にあった原料リソースを救ったかに見えたが、全てが遅すぎた」
「パンデミック・冷戦に代わる新たな世界の緊張を経て23世紀終盤、総力戦は目前だ」
「そんな不安に怯える子孫に言っておきたい、戦場から得た教訓がある」
『人は、過ちを繰り返す』
祐直が語り終える前に、がらしゃ一党は転移の術で逃げている。
「あの……どれくらい本気だったんです?」
物陰から兵庫が出てきて、恐る恐る尋ねる。
「99%」
祐直は即答した。
「はぁ?!」
仲間のヤスタカ・アツコ・ミユキといっしょに出てきた行也は口をあんぐりと開けて固まった。
「1%まですり減った良心で踏みとどまったんですね……貴方は」
メルセデスは泣きそうな顔で祐直を見た。
「……でも、私の頭は迷わず吹き飛ばしましたよね」
「こんな冴えないおっさんのメインヒロインになるフラッグを折ってやったんだよ。少しは感謝してくれ」
「俺が掲げる旗は、足利二つ引だけだ」
「お客様、深い大迷宮が急に崩壊を始めて、困ることってありますよねー。そこで今日は、『神速の靴』¥2000でのご紹介です」
「わあ、お得ですね!……ところで森殿、別に嘘をついてくれても構わないが、一応答えてくれ。奥方様を魔人にしてこの世界に放り込んだのはあんたか?」
突如現れた森宗意軒に、掴みかからんばかりの勢いで祐直が問う。
「俺がやったのは姫さんに女騎士・武蔵を与えたところまでだ。姫さんの変貌以降は知らん。俺は単なる大坂の陣の死にぞこないだったはずなんだがな」
「お前はいろんな戦国創作で出禁になってるからわからんだろうが、有名作品で妙なイメージを付けられて困ってるやつのことも、たまには考えてくれ」
ため息をついて宗意軒が答える。
「わかりたくもねえ。俺は大坂夏冬の陣とか、お前らが始めたアンコールパフォーマンス(島原の乱)とか、その前におっ死んで言い訳する資格もない惨めな怨霊になったんだ」
「……わからないならそれでいいさ。酒井殿はこの靴を履け。俺も同じ靴で逃げるから性能は保証する。メルセデス殿は加速と飛行の術があるだろう? 若い連中はあんたが獅子の背に乗せてやれ」
「世の終わりまで己とその業を否定され続ける者が見る世界とはどんなものか、子どもたちに教えてやんな」
宗意軒は兵庫に一見ありふれたランニングシューズを渡し、あっという間に駆け去った。
「ヤスタカ・アツコ・ミユキは普通に乗れ。行也は火縄銃の銃口を後方に向けて、顔は真っ直ぐ前を見ろ。お前の背後に広がってるのが、俺の見た世界だ」
祐直の姿が大きな獅子に変わる。筑後立花家の十時三弥に撃たれた傷は、あえて残してある。
「行也、何が見えた」
「アンタが銃弾で踏み潰してきた人と、助けた仲間の人生。無辜を装う人の、無自覚の悪意。この悪意が一番キツかった」
行也は真っ青になって、祐直にもたれかかった。
「だからな、冒険なんてドラ何とかやファイナル何とかでやるようなことと、ファッションピンチでいいんだよ」
「お前の戦う相手から、経験値とゴールドとドロップアイテム以上のものを汲み取るな」
祐直が指を弾くと、行也の戦装束と火縄銃が、それまで着ていた服とロングソードに戻った。