弱法師(よろぼし)
特になし
「……江戸の終わりの剣は、こんなにヌルいのか。貴方がた、何を稽古していたのです?」
あくびをしながら剣を振るう剣魔・武蔵に対し、兵庫、いや、貫一郎は身体のリミッターを外して本気を出してやっと五分だ。
「じゃじゃ、あの時それがしは盛岡に妻も子どももおったので、お前様がたのようにいちいち木刀さ打ち合わせで、稽古で頭砕かれるわけにいかねのす。まことおもさげねぇ……」
何とか武蔵相手に貫一郎はおどけて見せる。
『実戦で使い物にならない』と言う最悪の侮辱に祐直一夢は屈することなく、その思想的な子孫たちは江戸の空に何とも粋な花を咲かせた。
幕府末期の世知辛さに打ちのめされて上京した貫一郎に、辛いからと言って下ばかり見ずに空を見れば、こんなに美しいものがあると教えてくれたのだ。
花火師の祖・稲富一夢に貫一郎がお礼をするには、竹刀稽古と京での斬人で得た業を彼のために振るうしかない。
「だいたい、あんた相手を切るため心に鬼を住まわせて、やっと三百石でしょ。そこで首なくして転がってる人、元・丹後弓木の城館持ちで、権現様がわざわざその鉄砲術を保護した指南役ですよ」
どうせ倒れるなら、思い切り煽ってやったほうがいい。貫一郎は軽侮の笑みを添えて武蔵に言ってやった。案の定、一撃を凌ぐのがもっときつくなったが、太刀筋が粗雑になっている。かわすチャンスまで生じた。
ぴたり。
武蔵の豪剣が急に止まった。
「察しが悪いなあ、吉村殿。権現様がそいつを召し抱えたのって、面白いペットのサルか道化が欲しかったからだよ」
「あんたのオヤジさんの方が道化じゃないですか? ええと、東日流外三郡誌? あ、小倉碑文か。そこにしか書いてない自称足利将軍家十手術指南でしたっけ。面の皮厚いっすね」
不良青年たちが公安の一部機能と機動隊を足して10で割ったような団体を作り、(池田屋事件以外の)活動の地味さ・たかりで築いた初期の財務状況・酷い内ゲバと惨憺たる有り様なのに、歴史ロマン補正や燃◯よ剣補正とか色々あって凄い奴らのように語られてきた。とにかく、朴訥な貫一郎はそのさまを見て、かなり口が悪いもう一つの人格・酒井兵庫を作ってしまった。レスバなら負ける気がしない。
「父上のことを悪く言うな……!」
「言うに決まってるでしょう。こっそりと日下無双兵法術者(非公認)を名乗るとか、これには流石の拙者もニガ笑いだ」
さあ来い、怒りに任せて雑な一撃を放ったら渾身のカウンターを入れてやる。貫一郎は痩せ刀の鯉口を切り、次の一撃に命のチップを賭けた。
「ぜんざい屋事件・三条制札事件・天満屋事件で歴史は何か大きく動きましたか? 坂本龍馬を斬ったの、貴方がたじゃなくて見廻組ですよね?」
ここに来て口撃で返されるとは予期していなかった。遅刻しておいて『小次郎敗れたり』とまず煽りを入れる、グランド煽りマスターはレベルが違った。
「ちっ……」
「そこで首なくして転がってる人が一生懸命火縄銃を普及させたのに、約三百年経過で結局貴方がたも新政府側も、外国商人の言うがままに中古洋銃を買ったんでしょう? 祐直殿に腹切って詫びたほうがいいんじゃないですか?」
非常にいい笑顔で武蔵が言う。
「……お許しえってくだんせ、一夢殿」
「えっ?」
地の利を得ることは大事なのに、宮本武蔵ともあろう者がこの瞬間忘れていることがある。
ここは異世界だ。
「呪われよ、呪われよ、よみがえれ災いの亡骸、死の淵よりいでよ、苦しみよりいでよ、憎しみよりいでよ、亡者の砲手!!」
貫一郎がネクロマンシーの外法を使った。
良心のストッパーと肉体のリミッターと理性の箍がない動く死者となった祐直が、両手にミニガンを握ると何が起こるか。
ちょっと想像力を働かせればすぐに分かることだ。
魔法の杖を手に現場に到着したメルセデスは、惨状を見てまずその日の食事を全部吐いた。
「ユキヤくん達も、ゴーマーさんが殺したんですかね……じゃあ、復活させるかはコインに託しましょう」
メルセデスは魔法の杖を握りしめ、片方の手で王国金貨を一枚コイントスした。
「のうまく ばぎゃばてい ばいせいじゃ くろ べいるりや はらば あらじゃや たたぎゃたや あらかてい さんみゃくさんぼだや たにやた おん ばいせいぜい ばいせいぜい まかばいせいじゃさんぼりぎゃてい そわか……」
メルセデスは、ゴーマーが反魂丹を薬研にかけて粉にする時小さく呟いた言葉を覚えていた。疾病治癒に関わる神仏のものらしいこの言葉とともに、エルフ族ならではの膨大な魔力をゴーマーの屍に与えれば、傷と魂を癒せるはずだ。
『神よ、エッサイの子らよ……我は求め訴えたり……!!!』
「うせやろ」
がらしゃが恐ろしい声でグリモワールの言葉を唱えて少しずつ再生を始めたので、メルセデスは薬師如来への祈りを思わず止めた。
「のうまく ばぎゃばてい ばいせいじゃ……ゴーマーさん、早く起きてください!……くろ べいるりや……」
尾張・稲富邸。
「ここは……?」
「ああ、わしが臨終を迎えるところだな」
ユキヤこと小西行也少年と稲富祐直は、稲富一夢理斎(晩年の祐直)の最期の場にいた。精神世界のたぐいであろうか。
「お前さんと仲間たちを殺した恐ろしい敵を倒したのだが、そいつがまた蘇ろうとしている。わしの精神的ストレスに打ちのめされすぎた身体では、復活が間に合わん」
「そこで、お前さんにわしの業を全て渡して手っ取り早く復活させ」
「嫌だ。あいつに勝たないと仲間を蘇生できないけど、アンタのようなコモンカードにもなれないゴミ武将の力なんかいらない」
「フフフ……つまりお前さんはありきたりな力と、どこかで見たようなストーリーと、これと言った読後感もない代わりに平穏なエンディングが欲しい、と言うことかな?」
行也は素直に頷いた。
「だがもう遅い。お前さんは『ここに来た時点で』わしの術中にハマっているッ!!」
「何ッ?!」
行也の衣服・アーマーが和風に、初心者向けに入念に調整されたロングソードが国友筒に変わる。
「そして、わしは中国から砲術と少林内功の深奥『易筋経』を学んでいる。筋骨を移すのだから力の移譲くらい造作もない」
易筋経とは何か。即ち、ビリーズ・ブートキャンプである。
達磨禅とタクティカルな動きを組み合わせ、反復練習することによって皮下脂肪のみならず筋骨を容易に操作する。ワンモアセッ!
「皮下脂肪を移動させるということは、君が『魔砲少女スケナー』になることも可能なのだ!」
「いや、『可能なのだ!』じゃないから……」
「魔砲少女はさておき結構重要なことを言ったぞ。全く新しい存在になれば、砲術だけ抜き出して託すことが出来る」
俺の絶望的な運の無さまで継ぐことはない、と祐直は思う。
「シモ・ハユハになろうと思うな。お前さんの物語を始めようと思うなら、まず瀬戸内シージャック事件の狙撃手に学べ」
「おやおや、私に手も足も出なかったくそがきではありませんか。さして努力もせず、汗もかかずに成果だけ欲しがる卑しいなろうしゅ風情が、祐直の力を手に入れて強くなったつもりですか。ばかですか?」
がらしゃは心の底から蔑む眼で行也を見た。そこまで冷たい目を、実は祐直に向けたことはない。夫が祐直の前主を騙し討ちで膾切りにしたことはよく知っているからだ。
「ああそうさ、今どき努力友情勝利なんてカビ臭いものを信じてるオバサンは、ラクしてズルしてファッションピンチで冒険者してる感出す、僕らなろうしゅに負けるんだよ。凄くカッコ悪いね」
行也が国友筒を構えようとすると、凄まじい重さとどこからともなく聞こえる恨みの声・蔑みの声に目眩がして脂汗が流れ、銃を取り落としそうになった。
「言わないことじゃない……お前ごとき、祐直が四百年以上浴びた蔑みの声を聞いて耐えられるわけがないでしょう」
がらしゃは度し難い馬鹿だ、と言いたげな顔をした。
重たすぎるさだめには、抗わなければいい。行也は静かに目を閉じ、国友筒を白杖のように持ってふらふらと歩き出す。両目から、自然と涙がこぼれ落ちる。
「……っ!!」
凡百の剣士なら発狂したようにしか見えない行也に吸い寄せられるように斬りかかり、額に穴を開けられる。
だんっ、と地を踏みしめてがらしゃは止まった。
四天王寺の夕焼けに、一人祈りを捧げます。
何も見えないこの僕は、よろぼおしと申します。
継母に疎まれ父には追われ、物を乞う身でございます。
しんでれらさえ最後には、お妃様になりますが、僕はかなしきよろぼしで。
観音様の導きか、見えた現世もすぐに消え、僕はやっぱりよろぼしで。
いずこか父の呼ぶ声が……それも幻聴なのでしょう。
それも幻聴なのでしょう……
「『弱法師』! 特訓の一つもしてないくせにもう奥義を極めた気になって、恥を知れ!」
がらしゃは神速で間合いを詰め、懐剣が行也の首をざっくりと斬る……はずであった。
「アスタラビスタ、ベイビー」
行也は渾身の力を込めて国友筒を持ち上げ、親切にも間合いを詰めてくれたがらしゃの額を撃ち抜いた。
「ご苦労さん」
ようやく蘇生した祐直は、行也の奥義を見ても『ワザマエ!』とは言わなかった。
「何でこんな業を考えたんです?」
「仙台から来たいかれたお上りさんが、伝書まで全部見せたのに一の太刀みたいな凄い技あんだろ、出せ出せってうるさくてさ……」
「他の高名な武芸者なら絶対そんな接し方しないだろうに、俺をバカにして絡んでるのは一目でわかったから頭にきたんだよ」
祐直はそのお上りさんのことを思い出して、物凄く嫌な顔をしている。
「そいつが片方の視力に障害があったのは知ってた。ナウい能ダンスに通じてるのもな」
「で、俺はもちろん歌舞音曲の心得なんかねえ。だからこそ、意図的にやるまでもなく思い切り下手くそに弱法師を舞うことが出来た」
「全盲の物乞いの話を適当に演じたら、そりゃ怒るわな。面白いほど隙だらけで斬り掛かってきたんで、国友筒で思いっきりぶん殴ってやったよ」
「これが俺の意地と今適当に考えた奥義『弱法師』だ。あまかけるりゅうのなんとかみたいな凄いセンスを、何で俺に期待した? って言ったら失礼いたしたとも言わずに出ていったよ、伊達様」
祐直は苦い笑みを浮かべた。
「さて、リターンマッチだ剣魔の武蔵殿」
禍々しく強大な剣気を放つ剣魔・武蔵を見て、祐直はブルース・リーのように手招きする。
「ただの人間の、それも弱っちい鉄砲撃ちが、お前に地獄を見せてやる」
特になし