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【余談】アフリカ諸国の場合

 アフリカ諸国の場合1945年以降も植民地だったため実は前期近代のままだった。そんなアフリカに1本の線があります。「アフリカの年」つまり大量にアフリカ諸国が独立を達成した1960年でもって1本の線が引けるのです。でも……1960年以降も所詮は旧ソ連と米国の代理戦争で苦しむ場でしかなくようやくその苦しみが終わったのが1991年です。それでも民族紛争が絶えませんが。でも1991年以降アフリカ諸国が高度成長したのも事実でやっぱり1991年で一本の線が引けます。

 アフリカ諸国の特徴は「文明数段飛越」(リーフフリッピングテクノロジー)という形で一気にIT社会に突入したことです。携帯電話と太陽光のおかげです。よって日本人はいまだに未開の部族が~というイメージですが現実のアフリカ諸国はスマホを駆使して電子マネーでお買い物をしているというが現実です。今まで電話線も電線も無くて文明の恩恵が得られなかった人々が携帯電話の基地局と太陽光という電源で一気に現代文明を手に入れたのです。よってやっぱりアフリカ諸国でも1991年で近代・現代線が引けます。

 アフリカ諸国には1991年にもう1つ大きな事件がありました。南アフリカのアパルトヘイト撤廃です。つまり1990年までいまだに人種差別だの白人優遇政策だのが横行してたのです。ゆえにやっぱりアフリカ諸国でも政治的にも1991年で線を引きます。そんなのは南アフリカ共和国ただ一国の話とか思いますか?でも南アフリカの植民地だったナミビアが独立したのは1990年ですよ。南アフリカ共和国ほど露骨ではないにせよ白人ファーストとして旧宗主国の白人が偉そうにしてたのも80年代まで当たり前だったんですよ。独立したから白人支配が終わったのではなくまだまだ経済的には植民地のままだったのです。そういうのが冷戦の終わりとともに真の意味で独立できるようになったのです。


 よって「アフリカの後期近代は1960~1991年と非常に短期間であった」と言えよう。

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