その8
「終わりました。お願いします」
青年が意識を失ったのを確認したあやめは、即座にスマホで電話を掛けて挨拶も無しにそう告げた。そして相手の返事が聞こえたのかどうかも分からない早さで電話を切ると、スマホをポケットにしまって床に散らばった書物を拾い集める。
そしてそれを、先程藁人形を取り出した段ボール箱にしまった。その箱には他にも幾つか藁人形や巻物などが入っており、藁人形以外は見ただけで年季の入った代物であることが分かるほどに古めかしい。
「それで、どうするんだ?」
と、それらを確認するように眺めていたあやめに対し、ぶっきらぼうな口調でそう話し掛ける者がいた。
部屋の入口脇に控えるようにして立っていたその人物は、普段から身に付けているためトレードマークとなっている茶色のコートを脱いだ私服姿の剣だった。
「そうですね。とりあえずこれらを家の解析班に回して、具体的にどこの家系によるものかを調査することになるでしょう。有益ならば我々でも使わせてもらうのですが、今回は代償が代償なので厳しいでしょうね」
「そうかい。――で、コイツはどうする?」
剣が視線で指し示したのは、床に寝転がったままピクリとも動かない青年だった。寝息すら聞こえないほどに静かであり、近くで見ている剣でさえ本当に生きているのか不安になってしまう。
あやめが青年に目を向けながら口を開き――かけたが、ふとその視線を部屋のドアへと向ける。
すると次の瞬間、何の前触れも無く部屋のドアがいきなり開かれた。反射的に剣がバッと振り向いて警戒の体勢を取る中、入ってきたのは身長も体格もほとんど同じ3人の男だった。全員が深緑のフード付きコートとカーゴパンツを着用し、目深に被ったフードとマスクで顔を隠している。
しかし剣が不審に思ったのは、彼らの服装だけではなかった。
――コイツら、やけに存在感が薄いな。
今目の前にこうして姿を現しているというのに、彼らから感じる気配や体から発せられる熱、あるいは息遣いや衣擦れ、足音といったものが異常なまでに希薄なものに感じられた。視界で捉えている内はまだ良いが、少しでも目を離すと途端に見失いそうになるほどだ。
そんな彼らは剣が睨みつけるような視線を向けていることにも頓着せず、1人がドアを開けた入口の傍で外を見張り、1人が床に転がる青年を手早く背負い、1人が古い書物や藁人形の入った段ボール箱を抱えて外へと出て行く。
そしてその2人の後ろをついて行く形で、あやめも部屋を後にする。
「後始末はお願いします」
外を見張っていた男にあやめが声を掛けると、その男は腰を折って深々と頭を下げた。
あやめはそれに軽く首肯するのみで応え、そして剣へと振り返る。
「剣さん、早く出ますよ」
「……分かった」
あやめに促され、剣も外を見張っていた男の脇を通り過ぎて部屋を後にした。
その男から向けられた、まるで値踏みをするかのような目つきに対しては、敢えて無視を決め込んだ。
「本当にルートは考えなくて良いのか?」
「はい。彼を乗せた向こうの車はまだしも、こちらはどうとでもなりますので」
マンションから程近い場所に停めていた覆面パトカーは現在、剣の運転によって違反にならない程度に国道を快調に飛ばしている。こういった主要道路には通過した車のナンバーや中の様子を記録するシステムが仕掛けられていることが多いのだが、後部座席に座るあやめから返ってきた答えは随分と余裕のあるものだった。
それを聞きながら、剣はバックミラー越しにあやめを見遣った。背筋を伸ばして座る彼女はその台詞に違わず、表情からも余裕が感じられるものだった。自分達の行動が問われる事態にはならないという意味なのか、たとえそうなったとしても細工をしているので問題無いという意味なのか、あるいはそれ以外の意味なのか、さすがの剣もそれだけでは読み取れない。
その代わり、というわけではないが、剣はあやめに問い掛ける。
「ああいう事は、よくやってるのか?」
「まさか。前にも話した通り、ちゃんとした物的証拠があれば普通の事件と同じように警察に逮捕してもらいますし、その後の検察や裁判にも我々が介入することはありません。――ですが今回のような、我々除霊師と同じような力を使って犯罪が行われた場合は例外です」
「……それはつまり、俺ら警察では奴を逮捕できないから、代わりに自分達が奴を粛清するということか?」
「まぁ、結果的にはそういうことになりますね」
あやめの答えに、バックミラー越しに彼女を見つめる剣の目つきが鋭くなった。それを肌で感じ取ったのか、彼女の口がフッと笑みを浮かべる。
何がおかしい、と一瞬頭に血が上りかけた剣だったが、その笑みがどこか自嘲的であることに気付き、その怒りをサッと引っ込める。
「現代の日本において、除霊師、あるいはそれと同じ力を持っている者は、ほぼ例外無く政府の管理下に置かれています。それは我々の持つ力が普通の人には感知できないものであり、ほぼ対処が不可能だからです」
「あぁ、今回の事件を見るだけでも、それは何となく理解できるな」
剣が実際にこの目で確認したのは、先程あやめが青年に向けた、触れることなく金縛りのように相手を動けなくする術に、触れることなく相手の意識を飛ばす術。それと青年の部屋に上がるときや夫婦の遺体を発見した現場に乗り込むときに見せた、触れることなく外から鍵を開ける術。更には部屋の壁にお札のような物を貼り付けることで、内部の状況を外部の人間に悟られなくする術。
3つ目に関してはサイコキネシスのように直接触れずに物を動かす術の応用らしいが、彼女曰くこれらは全て他の除霊師にも習得可能な体系化された技術らしい。青年の部屋にあった書物にも(多少やり方に違いがあるらしいが)記されており、おそらく青年も似たような真似は可能だったと推測される。
「自分達では感知も対処もできない不可思議な術を操る危険な奴らが、それでもその時代の為政者によって迫害されることなく今日まで生き永らえている理由。それを考えていただければ、我々の行動にも説明がつくでしょう?」
「その力を使って何かしでかした奴がいれば、自分達でそいつを粛清する。そうして自分達の組織には自浄作用があるとアピールすることで、迫害されることなく協力関係を築くことができるってわけか」
「そういうことです」
まるでヤクザだな、というのが剣の正直な感想だった。事務所の場所から構成員に至るまで警察によって把握され、その行動の違法性を逐一監視されるという点が、彼にそのような思いを抱かせたのかもしれない。
もっとも除霊師の場合、国に奉仕することを条件に国からその存在を庇護されている、という点で大きな違いがあるのだが。
「そういった理由もあって、先程のような場面では警察の人間を立ち会わせる決まりになっておりまして……。このような時間にお呼び立てしてしまい申し訳ございませんでした」
「別に構わねぇよ。刑事に時間外労働なんて概念は無いも同然だしな。――で、結局アイツは何者だったんだ? 嬢ちゃん達でも把握してなかった除霊師、ということになるのか?」
「除霊師というのは修業を経たうえで与えられる資格のようなものなので、彼はけっして除霊師ではありません。とはいえ、彼の先祖がどこかの除霊師の家系に連なる人物であることは間違いありません」
剣が無言のまま反論や質問をしないのを確認し、あやめは言葉を続ける。
「私は最初、犯人をどこかの除霊師の“不義の子”本人か、あるいはその子孫だと考えていました。そういった者が偶々力を覚醒し、そして自己流で編み出した術を使って犯行に及んでいるのかと」
「不義の子って、随分と古い表現をするもんだな……。で、奴はそうじゃないと?」
「可能性が完全に否定されたわけではありませんが、本命ではないでしょうね。――その理由は、彼が持っていたあの書物です」
青年の部屋の押し入れにしまわれていた、まるで博物館にでも展示されていそうな古い書物の数々を思い出し、剣は「成程な」と呟いた。
「あれに書かれていた内容は、それこそ“秘伝の書”と称されてもおかしくないものも含まれていました。単なる不倫相手に渡すには、あまりにも重すぎます。それだけ大事に想っていて、それでも一族に迎え入れることができない事情があった可能性も無くはないですが、どちらにしろ跡継ぎにも関わってくる一大事を隠し通せるとは思えない」
「つまり、嬢ちゃんはどう考えている?」
剣の質問に、あやめは数秒の間を空けて答える。
「彼の祖先はおそらく、或る除霊師の一族からあの書物を託された」
「……ってことは、つまり」
「えぇ。おそらくその一族は、滅ぼされたのでしょうね。実際あれに書かれていた呪いの儀式は、それに足るだけのものですから。――まぁ、その辺りも含めて、今後の調査で色々と明るみになるでしょう。残念ながら、剣さん達にそれを教えることはできませんが」
「別にいいさ。俺にとっちゃ、どうでもいいんでね」
剣は吐き捨てるようにそう答え、そしてその鋭い目をバックミラー越しにあやめへと向けた。
そしてその瞬間、彼の纏う雰囲気が明らかに変わった。
具体的には、ピリピリと肌を焼くような鋭いそれへと。
「なぁ嬢ちゃん、聞いてくれ。嬢ちゃん達がどういった立場の人間だろうと、さっき嬢ちゃん達が俺の前でやってた事は紛れもなく犯罪だ。それは理解してもらえるよな?」
微笑みを携えたまま、あやめはコクリと頷いた。
「だが俺は今回の件をどこかに告発するつもりは無いし、同僚とかにも話す気は無い。まぁ、こうして立会いを引き受けてる時点で今更説明は必要無いだろうがな。――その理由、嬢ちゃんなら分かってるだろ?」
「勿論です。今回使われた呪いの儀式による犠牲者がこれ以上増えるのを防ぐため、ですよね?」
「その通りだ。いくら今回の犠牲者が犯罪者で、そいつらを逮捕できなかった警察にも責任の一端があるとはいえ、アイツのやった事を見過ごすことはできない。だが警察が普通に捜査したところで逮捕できない以上、嬢ちゃんのような存在に頼らざるを得ないんだろう。それは俺だって理解できる」
だがな、と剣の目つきが鋭くなった。
「それはあくまでさっき嬢ちゃんが言った通り、呪いがこれ以上使われる事が無いという条件があってのことだ。もし今後同じような事件が起こった場合、俺は嬢ちゃん達の仕業だと断定して今回のことを世間に告発する。――くれぐれも、それを忘れるんじゃねぇぞ」
「――勿論です。私からも、それについてはよく言っておきますよ」
微笑みを一切揺らがせることなく、ハッキリとした声色でそう言い放ったあやめに、剣はバックミラー越しに視線を彼女に固定させたまま頷いてみせた。
――言っておく、ねぇ。誰に対してなのやら……。
脳裏に過ぎったその疑問を、表に出さないよう意識的に抑えながら。
* * *
とある田舎町にて、1人の青年が何の前触れも無く突如失踪した。彼には一応家族はいたがほとんど交流は無く、最初は我関せずといった態度だったのだが、最終的に渋々といった様子で行方不明者届が提出された。
失踪した理由については、まるで分からなかった。職場でも親しい友人はいなかったが彼の真面目な性格は知られており、借金や人間関係のトラブルなども聞いたことが無かったからだ。中には数日前に警察から話を聞かれたことが発端ではないかと口にする者もいたが、結局は彼の人物像と犯罪行為が結びつかずその噂も自然消滅的に消えていった。
行方不明者届については、緊急性が確認されなかったことから“一般家出人”に分類された。警察庁のデータベースに個人情報が登録され、パトロールなどでそれらしい人物が偶々見つかれば声を掛けられることもあるだろう、という程度のものだ。この場合探偵に頼るという手もあるが、彼の家族がその判断を下す可能性は限りなく低いと言わざるを得ない。
こうして青年が姿を消してから時間だけが流れていき、やがて記憶は人々の中から風化され、消えていった。
彼がかつて住んでいた部屋も、今は新たな入居者が暮らしており当時の面影は残っていないという。