その6
その青年にとって幽霊とは、物心が付く前から当たり前のように存在するものだった。
霊感が強かったためか小学校に上がるまでは人間と幽霊の区別すら付かず、特に恐怖を感じることも無く普通に幽霊に話し掛けていた。向こうも人間に、しかも小さな子供に話し掛けられるのが珍しかったのか、嬉しそうな表情で話し相手になってくれたことが多かった。そのため、その頃は人間よりも幽霊と一緒に過ごす時間の方が多かったほどだ。
しかし何も無い空間に話し掛けることの多い彼に対し、周りの反応はひどく冷たいものだった。同じ幼稚園の子供達は彼のことを化物のように扱って仲間外れにし、教員も子供達ほど露骨でないにしろ一定の距離を取ってできる限り関わろうとしなくなった。
そして息子のそんな扱いを知っていながら、両親は特に何もしなかった。彼に対する恐怖心はむしろ子供達よりも大きかった2人は、彼自身すら憶えてないほどに様々な理由を付けて、自宅から数キロほど離れた一軒家で1人暮らしをしている母親(つまり青年の祖母)の家に彼を住まわせる、もとい押し付けることにした。
そうして一緒に暮らすこととなった祖母が、その後の青年に大きな影響を与えた。
その祖母も青年と同じく霊感があり、幽霊を見ることができたからだ。
祖母の家には博物館にでも展示されてそうな古い書物が幾つもあり、そしてそのいずれもが幽霊に関するものだった。祖母は幽霊と接することによる危険性を伝えたうえで、仮にそのような事態に陥った際に対処できる術を青年に教え込んだ。
そうして小学校に進学し、中学校に進学し、高校に進学した後も、青年は幽霊との交流を続けた。さすがに以前よりは周りの目を気にして頻度を減らしてはいたが、孤独に苦しみ助けを求める幽霊を見て見ぬ振りはできなかった。
しかしそんな青年に対し、祖母は除霊を行うことを禁止した。書物についても祖母が閲覧を許したのは、あくまで襲い掛かる幽霊から身を守るための術が書かれたもののみだった。
「私達には、それをする“資格”が無いの」
青年が理由を訊いても、祖母はそれの一点張りだった。当然ながら彼は納得できなかったが、普段は優しい祖母がそれに関しては頑として首を縦に振らなかったため、青年は不審に思いながらもそれに従った。
そんな青年も大学に進学し、そして就職活動の時期を迎えた。その頃から祖母は寄る年波には勝てず体調を崩しがちだったが、家族にそれを伝えても彼らが祖母を見舞いに来る気配はまるで無かった。何となく予想はしていたが、青年はそのとき自分と祖母が家族にとって同じ立場であることを思い知った。
結局青年は地元の町役場に就職を決め、社会人となった後も祖母との2人暮らしを続けることとなった。祖母は自分のために地元に残る選択をした青年に申し訳なさそうな態度を見せていたが、青年からしたらその選択に後悔など微塵も無かった。
しかしそんな生活も、祖母の死去によって終わりを告げた。
祖母のいない家で青年の1人暮らしが始まる――かと思いきや、それは家族によって阻まれた。生前は一向に顔を見せなかったくせに遺産だけは遠慮無く受け取った家族が、祖母の家を売り払うために荷物を纏めて出て行けと青年に言い出したのである。反発する彼だったが法律上は家族の方に分があったため、仕方なく彼は職場から程近いアパートに引っ越すことにした。
祖母の家に隠すようにして保管されていた、数多くの古い書物と共に。
それが、今から半年ほど前のこと。
そして青年はそのアパートにて、彼女と出会った。
* * *
「すみません、電子決裁回したんで確認お願いします」
青年はパソコンの画面に視線を固定させたまま、相手に聞こえるギリギリの音量で正面の同僚にそう声を掛けた。ちゃんと聞こえていたか不安が過ぎる青年だったが、相手が「はーい」と返事をしてきたためホッと胸を撫で下ろす。
時刻は、午前10時を少し過ぎた頃。眠気が徐々に抜け始めてくる時間帯であり、始業直後から役場全体を包み込むぼんやりした空気感が薄れ始める時間帯でもある。人事担当として職員の今月分の給与を算出する作業を行っている青年も、パソコンを見つめるその目が若干トロンとしており、先程から何回かあくびを噛み殺している。
とはいえ、彼にとっては既に何回も繰り返してきた作業だ。昔はタイムカードと紙ファイルでの時間外労働記録を睨みつけて行っていた作業も、今や全面的にパソコン上のシステムでの一括管理。もちろんミスが無いか確認を徹底する必要こそあるが、彼にとっては完全にルーティン化された作業の1つである。
だからこそ、手を動かしながら周りの会話に耳を傾けることができた。
「知ってるか? なんか今、警察がここに来てるんだって」
「えっ、なんで? 通報でもあった?」
「ほら、この前起きたあの夫婦が変死した事件あっただろ? アレの事情聴取っていうか、聞き込みみたいなもんだってさ。さっきから何人か会議室に呼び出されてるらしいぞ」
「…………」
壁際の棚に置かれたコーヒーメーカーの前で同僚2人がカップ片手に駄弁るその内容に、青年のキーボードを叩く手の動きが若干遅くなった。
「結局アレの死因って何だったの? テレビだと“変死”としか言ってないけど」
「ネットとかだと“脱水症状”って書いてたな。手足とか拘束されてないのに、ずっと飲まず食わずの状態で発見されたらしいぞ」
「何だそりゃ? つまり自殺ってことか?」
「いやぁ、薬で眠らされてたとかじゃないの?」
事件について話す2人の表情や声色に深刻な様子は無く、むしろドラマやアニメの展開を予想するような軽い印象を受けるものだった。良く言えば長閑、悪く言えば何も無い田舎で突如起こった変死事件は、彼らにとっては創作物などの娯楽とさほど変わらない立ち位置なのかもしれない。
「誰かに殺されたとかなら、動機は何だろうな?」
「さぁな。でもその死んだ2人、相当嫌われてたみたいだからな」
「あっ、それ私も聞きましたよ。税務の方でも、全然税金を納めないくせに督促状を送ると怒鳴り込んでくるって文句言ってました」
「ご近所トラブルも絶えなかったみたいだしな、殺したいほど恨んでる奴は結構いそうだな」
そしてそれは何もその2人だけの話ではなく、別の同僚が同じようなテンションで会話に加わってきた。事件について、というよりも被害者について語り始めるその様子は、先程の例に準えるなら登場人物の人間関係から犯人を推理しているような感じだろうか。
事件といえば以前この辺りで若い女性が暴行の末に殺される事件が発生したが、そのときは被害者に対する同情的な意見のみで、こうして仕事中の休憩がてら雑談するような光景はあまり無かった。今回の被害者である男女が近所でも有名なほどに嫌われていたから、というのは無関係ではないだろう。
しかし青年がその会話の輪に加わることは無く、それこどろか自席から動くことも無かった。彼らを不謹慎だと思ったから、というわけではない。たとえ話題が何であろうと、彼は自分から会話を持ち掛けるような性格ではないというだけのことだ。
なので彼は無関心を装いながら粛々と仕事を進め――
「君、ちょっと良いかな?」
ていこうとした矢先、青年の所属する課の長である白髪の男性が、若干周りの視線を気にする様子で声を掛けてきた。
普段あまり向こうから話し掛けられることが無いため、青年は返事をして席から立ち上がるのに一瞬遅れてしまった。何かやらかしたか、とここ数日の記憶を掘り起こしながら、その場を離れる課長の後をついていく。
と、その道中で課長が首だけを回してこちらを振り返りながら、青年を呼び出した理由を簡潔に話した。
「詳しくは知らないけど、警察が君に話を聞きたいんだって」
「……警察が?」
会議室として使われている部屋の前まで案内されたところで、課長は「この部屋だから」と言い残してその場を去っていった。ある程度距離が空くまでその背中を見送ってから、青年はドアを軽くノックする。
「いやいや、朝早くから申し訳ございません」
ドアを開けて部屋の中に入ると、白髪交じりの中年男性と毛先をワックスで遊ばせた若い男性が軽く頭を下げて青年を出迎えた。折り畳み式のテーブルとパイプ椅子が昨日行われた会議の時のままロの字に並んでおり、刑事2人が窓に背を向ける形で奥の席に座っている。
若い方の刑事が「どうぞお座りください」と声を掛けるのに合わせて、青年は2人の正面の席に腰を下ろした。
「突然お呼び立てしてすみません。私、県警本部の刑事部捜査第一課の剣と申します」
「同じく、代々木です」
「どうも。で、どういったご用件ですか?」
剣と名乗った中年の刑事と、代々木と名乗った若い刑事に対し、青年は如何にも不機嫌だといった雰囲気を隠さない声色と表情で応えた。
しかし代々木が気分を害した様子は特に無く、感情を読み取らせない微笑みを携えながら話を切り出した。
「一昨日この付近で発見された夫婦の変死事件について、少しお話を伺えたらなと思いまして」
「はぁ。自分がお話しできるような事は何も無いと思いますけど」
「まぁまぁ。他の皆さんにも行っている形式的なものですので、軽い気持ちでお答えいただければ」
にこやかな雰囲気を保ったまま、代々木は席から立ち上がって青年へと歩き始めた。ロの字に組まれたテーブルに沿って回り込む間に、内ポケットから手帳(警察手帳ではなく市販のそれである)を取り出し、そこに挟んであった1枚の写真を抜き取る。
その間、青年は自分へと近づく代々木を首だけ動かして見つめるが、彼がその写真をテーブルの上に置く手の動きに合わせて視線をそちらへと移していく。
「――――」
その写真には、黄色いテープの向こう側に多くの人々が集まっている光景が写し出されていた。写真の端にはこちらに背を向けて人々を見張る警官の姿もあり、人々は皆一様に興味津々といった表情でこちらを覗き込んでいる。
そんな集団の後ろの方で、他の人々よりも露骨ではないものの興味を隠しきれていない青年の姿も、ハッキリと写し出されていた。
「こちらに写っているの、あなたですよね?」
「……何か問題でも?」
「いえいえ、そんな事は。ですが、どうして現場にいらっしゃったんですか?」
「別に、単なる興味です。事件現場を見るのは初めてだったので」
代々木の質問に青年が答える間、剣は席から1歩も動かずジッとそれを見つめるだけで口を開く素振りは無かった。
「先程の課長さんに伺ったのですが、その日は午後から休暇を取ってますよね。しかも事前にではなく、昼休みが明けてすぐに申請したんだとか。――現場を見に行くためですか?」
「……えぇ、そうです。昼間にパトカーが何台も走ってるのを見て、つい現場を見たくなったんですよ。さすがに恥ずかしかったので、上司には急用ができたとしか言ってませんが」
「えぇ、課長さんも驚いてましたよ。普段はちゃんと事前に申請する真面目なあなたが、何故かあの日に限ってそんな行動をしたんですから」
おそらく剣は自分の反応を見ているのだろう、ということは青年にも容易に想像がついた。しかしそれを変に気にする反応を見せるのもどうかと思い、視界の端にちらつく彼の姿が気になりながらも青年は代々木へと視線を固定させる。
「……それで、刑事さんは何が言いたいんですか?」
「いやぁ、少し気になりまして。本当に、単なる興味で現場に行ったんですか?」
「……僕のことを疑ってるんですか?」
「いえいえ、そんな事はありませんよ。先程も申しました通り、形式的なものですので」
「その割には、随分と食い下がってきてますけど」
「申し訳ございません。こちらも事件解決に向けて藁にも縋る思いでして」
そう言って頭を下げる代々木に合わせて、剣も口を閉ざしたまま頭を下げた。
若干寝惚けたままの脳に血が上っていくのを自覚する青年だが、小さく溜息を吐いてどうにかそれを抑え込む。
「……それで、訊きたいことはそれだけですか?」
「いえ、他にも。被害者の夫婦とは、以前からご存知でしたか?」
「……まぁ、知ってたといえば知ってましたね。この辺では有名でしたから、あの2人」
「らしいですね。ご近所の方に話を伺ったんですが、皆が彼らの悪口を言ってましたよ。――それでは、あの夫婦とは個人的な付き合いは無かったと?」
代々木の問い掛けに、青年はすぐに答えず思案した。
そして、口を開く。
「いえ、以前に2人の家に行ったことがあります」
「――それは、どういった用事で?」
代々木の表情が、青年が部屋に入ってきたときからずっと浮かべていた仮面のような微笑から、どういう答えを返すのか気になるという“意思”を感じさせるものへと変化した。
自分の言葉で代々木の感情を引き出してやったというほんの少しの優越感が青年の胸を満たすが、彼は努めてそれを表に出さないようにしながら質問に答える。
「旦那さんに貸してた物を返してもらいにあの家に行って、そのときに家の中に入りました」
「貸してた物とは?」
「すみません、プライベートなことですので。――なのでまぁ、あの日現場に行ったのは、そういった件もあって個人的に気になったからというのもあります。自分の知り合いが死んだとなれば誰だって気になるでしょう?」
「……成程」
青年の言葉に代々木は短く返答し、剣へと視線を向けた。
それを受けて、剣が挨拶以外で初めて口を開く。
「ちなみにそれって、いつ頃の話ですか?」
「いつだったかな……? 1ヶ月以上は前だったと思いますけど、正確な日付は憶えていませんね」
「家に上がったとき、寝室はご覧になりましたか?」
「いいえ、見てませんが」
「そうですか。あの家に住んでたのは、あの夫婦だけですか? 他に同居人とか、ペットか何かを飼っていたとか」
「さぁ、そこまでは。僕もそれほど親しいわけではありませんので」
「物を貸し借りする仲なのに?」
「はい」
椅子の背もたれから背中を離して問い掛ける剣に、青年はわざわざ座り直してまで正面から向き合ってそれに答えた。代々木の質問に答えるときよりも若干胸を張った姿勢なのも相まって、青年の感覚としては質問に答えるというよりは“迎え撃つ”といった表現の方が近い。
剣は鼻から小さく息を吐き、背もたれに背中を預けて代々木へと視線を向けた。
それを受けて、再び代々木が口を開く。
「失礼ですが、別の事件についてもお伺いして宜しいですか?」
「……別の事件?」
「はい。――今から1年ほど前、この辺で起きた殺人事件についてです」
「――――」
自分でも分かるほどに、青年の体がピクリと動いた。思わず剣へと視線を向けたくなる衝動に駆られ、すんでのところでそれを抑え込んだ。
「森の中で何者かに暴行された女性の遺体が発見された事件なんですが、憶えていますか?」
「……その事件と僕に、何の関係が?」
「事件の被害者である女性が生前住んでいたのが、実は現在あなたがお住いのあの部屋でして。何か彼女に関する物が残ってたりしていないか確認したかったのですが」
「……いいえ、特にそういった物は。引っ越してきたときは、家具とかも含めて何も残っていなかったので」
「そうですか。ちなみに念の為にお伺いするのですが、その女性とはお知り合いだったりはしませんか?」
「知りません」
ほとんど間を空けずハッキリと言い放つ青年に、代々木は特に追及する様子も無く「そうですか」とあっさり引き下がった。
そして再び、剣へと視線を向ける。
ほんの1秒か2秒ほどの間を空けて、剣が席から立ち上がった。
「分かりました、お話は以上となります。こんな朝早くから捜査にご協力いただきまして、誠にありがとうございます」
「……いえ、それじゃ僕はこれで」
深々と頭を下げる剣と代々木に、青年はそれだけ口にして同じく席から立ち上がった。2人から特に何も言われないのを確認し、足早にドアへと歩いていき部屋を後にする。
そうしてその場を離れながら、青年は視線だけを動かして背後の部屋に意識を向ける。
正確には、その中にまだいるであろう2人の刑事に。
* * *
「嬢ちゃんが睨んでた例の兄ちゃん、確かに何か隠してんな」
町役場での事情聴取を終えたその日の午後。ここ数日ですっかり習慣となった警察本部長室での会議にて、現場の町から戻ってきた剣が開口一番そう言ってきた。
その言葉に彼の隣に座る代々木がウンウンと力強く頷き、そして学校から一旦家に戻って私服に着替えてやって来たあやめが一瞬キョトンと首を傾げてから「あぁ」と思い至る表情へと変えた。
「被害者の女性が住んでいた部屋の住民である男性のことですね?」
「そうだ。現場の野次馬に紛れてた写真を見せたら、色々と言い訳を並べてきたよ。旦那の方に貸してた何かを返してもらいに家に上がったことがある、とか言ってな」
「成程。仮にあの家から自分の痕跡が出てきたところで、そう言い張れば逃れられると思って先手を打ってきたということですか」
「そういうこった。事実、むりやり押し入った形跡が無い以上、それを覆せる根拠が無い」
背もたれに深く体を預け、これまた深い溜息を吐く剣。その仕草から、もどかしさや苛立たしさといった感情がありありと見て取れた。
そんな彼に対し、あやめは平時の落ち着き払った表情のまま問い掛ける。
「ちなみにその人は、あの家に赤ん坊がいたことについては?」
「知らないって言ってたよ。マスコミには赤ん坊の骨が見つかったことは伏せてるからな、何かポロッと零せばそこから突けたんだが……」
「そうですか。ちなみに、1年前の事件については?」
「そっちについては、あからさまに反応してたな。正確には、変に反応しないよう意識して抑えてたって感じか。ありゃ、そっちの事件についても何か知ってるな」
剣のその発言を最後に、部屋の中を沈黙が包み込んだ。あやめは顎に手を添えて何かを考え込む仕草をしており、剣も同様に腕を組んで考え込む。部屋の主である真上本部長は自分のデスクで3人の遣り取りを眺めるのみで口を挟もうとしない。
そんな中、代々木が意を決したといった様子で口を開いた。
「あやめちゃんはさ、その男が事件に関わってる可能性って、どれくらいあると思う?」
「どうでしょうね。怪しいところはありますが、今のところは何とも」
軽く肩を竦めてそう答えるあやめに、チラリと視線を向ける剣。
一方代々木は、彼女の答えに「そっか……」と苦々しい表情で返した。
そして剣とあやめの2人を視界に含めながら、彼はずっと自分の中で疑問に思っていたことを吐露するように問い掛けた。
「仮に2つの事件の犯人がその男だったとして、警察はこれを立件できると思う……?」
「それは――」
咄嗟に何かを言いかけた剣だったが、直後にその言葉は何かに堰き止められるかのように出てこなかった。
「仮にその男性が犯人で、その手段が我々除霊師が用いるような術によるものだとしたら、おそらく無理でしょうね」
そしてその代わりに、とでも言わんばかりのタイミングで、あやめがそう答えた。
「以前にも話した通り、たとえ我々が捜査に介入したとしても、実際に事件の証拠として扱われるのは他の事件の場合と一切変わりません。そして現代日本の司法制度が幽霊や呪いの類を認めていない以上、それらが証拠として扱われることはありません」
例えば呪いを掛けてやると相手を脅した場合は脅迫罪などが成立する可能性はあるが、その後に相手が体調不良を起こしたり最悪死亡したりしたとしても、呪いによって引き起こされたと認められることは無い。警察の捜査によって死因を特定できなかった場合、呪いを掛けてやると言ってきた人物との因果関係は存在せず、あくまで偶然によるものだと結論付けられるだろう。
彼女の言葉を聞いた代々木は、無意識的に縋り付くような目を本部長へと向けた。しかし彼も、残念そうな表情で首を横に振るのみだ。
「こうなったら先輩、奴の家を捜索しませんか? もしかしたら、中から何か出てくるかも」
「いや、無理だ。令状を取れる根拠が無い。そもそも最初の飛び降りも2件目の変死も、事件性すら見出だせてない状況なんだぞ」
「でも――」
「落ち着け、代々木。怪しいからこそ、俺達は慎重に捜査をしなきゃいけない。思い込みで冤罪を生むなんてもっての外だし、仮に本当に犯人だったとしても間違った捜査で相手に付け入る隙を与えるわけにはいかないんだ」
剣の言葉に、代々木は納得できないながらも理解はしたようで「分かりました……」と項垂れるような力の無い動きで頷いた。
それを確認した剣は、今度はその鋭い目をあやめへと向けた。
「というわけだ、嬢ちゃん。悪いがこの事件、思ってるよりも長期戦になる可能性がある。それでも構わないな?」
「――はい、勿論です。私はあくまで協力を要請している身ですので」
普段と少しも変わらない、中学生とは思えない優雅な微笑みを携えて、あやめはそう答えた。
「俺達もできるだけ頑張ってみるから、一緒に頑張ろうね、あやめちゃん!」
「はい。頼りにしていますね、代々木さん」
拳を握り締めて普段の調子を取り戻したらしい代々木にも、あやめは同じように微笑みを返す。
そうして改めて真相解明に向けて突き進むことを決めた僅か3人の捜査員を、真上が温和な笑みと共にデスク越しから見つめていた。
捜査終了が剣達に言い渡されたのは、その数日後のことだった。