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SPIRITUAL AND POLICE  作者: ゆうと
第1話「呪いの代償」
3/8

その3

 北戸市での飛び降りが発生した次の日、時刻は通勤・通学ラッシュを少し過ぎた頃。

 市内の中心地でもある北戸駅のロータリーは多くの人で賑わっているが、その人の数に反してロータリーの中に設けられた駐車場にはほとんど車が停まっていなかった。駅や周辺の商業施設に用がある者は近隣の立体駐車場を利用することが多く、ロータリー内の駐車場は電車を利用する者の送り迎えで一時的に利用する場所という意味合いが大きい。

 よって平日の午前中ともなれば、数十台のスペースはある駐車場が閑散としていても別におかしくはない。現在もその駐車場には1台しか車が停まっておらず、運転席の傍に立つ若い男性は暇そうに車体に寄り掛かり、助手席に座る中年の男性が退屈そうに大きな欠伸(あくび)をしている。若い方は真新しいスーツ姿、中年の方は薄汚れた茶色のコート姿と、傍目にはサラリーマンの先輩後輩に見えなくもない。


「すみません、お待たせ致しました」


 それならば、中学生くらいにしか見えない私服姿の少女がこの2人に加わったとしたら、傍目にはどのように見えるのであろうか。


「大丈夫だよ、あやめちゃん。約束の10分前だし」


 しかし若い男性・代々木にはそういった考えはまるで無いようで、特に気にした素振りも無く中学生の少女・あやめへと駆け寄った。そしてそんな2人を、中年の男性・剣が車の助手席から何と無しに眺めている。

 昨日は学生服だったあやめだが、今日は薄手ながら保温性に優れたインナーにレギンス、そしてその上から長袖のジャケットに丈夫な素材のハーフパンツとアクティブな装いをしている。更に足元はハイカットで底の厚い運動靴と中学生の少女が履くには少々ごつい印象で、つばの大きい帽子もオシャレというよりは機能性重視の見た目をしている。

 と、会話もそこそこに2人が車へと乗り込んできた。当然ながら代々木が運転席に、あやめは助手席の剣に軽く会釈をしながら1人悠々と後部座席に腰を下ろす。


「ところで今日って平日だよね? 俺が言うのもアレだけど、学校には何て言ってるの?」

「普通に『体調が優れないので休みます』と言ってますよ。学校には私が“除霊師”だとは明かしてませんので」

「まぁ、そりゃそうか。――あっ、飲み物テキトーに買ってきたから、好きなの選んでね」

「すみません、何から何まで」

「そんなの気にしないで良いって! その代わり“現場”に着いたら色々とよろしくね!」


 ニコニコと笑い掛けながらコンビニ袋に入った数本のペットボトルをあやめに手渡す代々木の姿は、お世辞にも刑事には見えなかった。もしスーツでなく私服姿だったら、それこそ大学サークルの旅行でもするかのような雰囲気だ。

 それを見て何となく不安を覚えたのか、今まで黙っていた剣が口を開く。


「おい。ちゃんと現場までの道は憶えてきたんだろうな?」

「大丈夫ですって! ちゃんとカーナビに登録しておきましたから!」


 そう返事をしながら、代々木は前方に取り付けられたカーナビを操作した。彼の言葉通り、その画面には或る目的地までの経路が既に表示されていて、ボタン1つで音声案内が開始される状態になっている。


『これより、ルート案内を開始します』


 平坦な声と共に画面に表示されたその目的地は、周りに建物の一切無い、幹線道路からも離れた深い山のど真ん中だった。

 その場所こそが、先程代々木が言った“現場”だった。



 *         *         *



 その事件が発生したのは、今から1年ほど前。

 県北の山中にて、1人の女性が遺体となって発見された。被害者は現場から少し離れた町に住む二十代中頃の女性であり、死後数日は経過していたその遺体には着衣の乱れがあり、さらに女性の体内から犯人のものと思われる体液が発見されたことから、警察は彼女が性的暴行の末に殺害されたものと見て捜査を開始した。

 しかしながら、肝心の犯人については一向に手掛かりが掴めなかった。現場周辺は山奥で建物すら無いため目撃者がおらず、女性は家族も友人もいない孤独な生活を送っていたために、犯人に繋がる情報を1つも掴めなかったのが相当な痛手だった。地元警察とも協力して今も熱心に聞き込みや情報提供を呼び掛けてはいるが、展望は芳しくない。


 県警本部に保管されているその事件の資料には、遺体が発見されたときの現場の状況や遺留品のリスト、更にはその後の捜査報告までが事細かに記載されていた。当然ながら遺体そのものについても写真付きで克明に記録されており、生々しい性的暴行の痕跡、そして遺体のそこかしこに見られる腐敗の様子についてもハッキリと映し出されている。

 そんな写真を目の当たりにして、しかしあやめはまったく表情を変えることなく「おそらくこの人ですね」と冷静に指差してみせた。幽霊云々は置いといて少なくとも普通の女子中学生ではないことは薄々感じていた剣達ではあったが、本職の刑事ですら思わず顔をしかめるほどに酷い有様をしたそれに対して何も感じていない様子の彼女には些か驚いた。正直なところ、少しだけ引いた。


 とにかくあやめが“この人”と言ったからには、剣達はそれを確認するべくサポートするだけだ。とりあえず現場へと足を運ぶことになったのだが、その事件のファイルに辿り着いたのが昼過ぎのことであり、さすがに中学生の彼女を連れて片道2時間近く掛かる道のりを行くには色々と準備が足りない。

 なのでその翌日、学校を休んできたあやめと駅で待ち合わせ、そのまま彼らの車で現場まで向かうことにしたのである。彼女は「夜になっても構いませんが」と言ってきたが、刑事という立場でそれは容認できないため当然の措置だろう。


 そして現在。

 傍目には一般車にしか見えない覆面パトカーに乗って駅を出発した3人は、国道をしばらく道なりに進んでいった。最初の頃は道路の両脇に建物が多く見られたが、20分ほど走ると建物の代わりに田畑や森や送電塔が姿を現すようになり、道路を走る車の数もどんどん少なくなっていく。

 国道から県道、そして市道とみるみる道幅が狭くなっていき、上り坂を進むに連れて周りの景色も鬱蒼と生い茂る木々が並ぶ深い森の中へと移り変わっていく。

 そして、


『目的地付近に到着しました』


 随分と前に『この先しばらく道なりです』と声を発してから沈黙を貫いていたカーナビが、唐突にそう告げて案内を終了した。それに反応した代々木がハザードランプを点けて、車を道路脇へと寄せてゆっくりと停止させる。ランプはそのままにしてエンジンを切り、3人はおもむろにドアを開けて外へと出た。

 道路の右側はコンクリートで固められた斜面、そして左側には灰色と呼べるまでに汚れたガードレールが道に沿って設置され、そのすぐ傍まで鬱蒼とした森が迫ってきてる。太陽の光が遮られているため頬を撫でる微かな風はヒヤリと冷たく、葉擦れの音とどこかで鳴く鳥の声以外は何も聞こえない。グルリと見渡しても建物は一切見られず、余程のことが無い限りそのまま通り過ぎるだけの何も無い場所だ。

 あやめがそれを確認していると、代々木が「こっちだよ」と彼女に呼び掛けてガードレールを大股で跨いでいった。そうして何の目印も無い森の中を、前方の代々木と後方の剣に挟まれながらガサガサと進んでいく。


「この辺りですね。ここで女性の遺体が発見されました」


 代々木がそう言って足を止めたのは、鬱蒼とした森の中では比較的開けた場所だった。とはいえ人間1人が寝そべるのがやっとの広さでしかなく、しかもそこの地面も太い木の根がグネグネと張り巡らされ、大きめの石の混じった土が露出している。

 あやめが、先程自分達が進んだ道を振り返った。車を停めた場所からさほど離れてはおらず、木々の隙間から車やガードレールも確認できる。しかしこれはあくまで昼間だからの話であり、夜では月明かりも届かないこの場所を道路から見ることは不可能だろう。


「どうだ嬢ちゃん、被害者の幽霊の気配でも感じるか?」


 と、投げやりな態度でそう問い掛ける剣に、あやめは彼へと向き直って小さく首を横に振った。

 代々木は残念そうに溜息を吐き、剣は想定していたのかフンと鼻から息を吐いた。


「そりゃ残念だ。被害者の幽霊でもいりゃ、犯人が誰か訊けたんだが」

「正直そういった期待も無くはなかったのですが、さすがに事件からこれだけ時間が経ってしまうと厳しいですね。とはいえ私に夢を見せるほどに強い恨みを持っていたようなので、もしかしたら“残留思念”くらいはあるかと思っていたのですが――」

「残留? あやめちゃん、どういう意味?」


 剣が口を開きかけたが、純粋な好奇心によって尋ねる代々木の方が早かった。


「心霊スポットにやって来た人が何か異変を感じて体調を崩す、という事がありますよね? あれはその場にいる、あるいは過去にいた幽霊の強い恨みの感情がまだその場に残っていて、霊感の強い人がそれに反応する事によって起こるんです」

「あぁ、確かに! テレビとかでも時々あるよね!」

「馬鹿か。あんなの、ヤラセに決まってるだろ」


 剣が吐き捨てるようにそう言うと、あやめがクスリと笑みを零した。


「大半はそうですが、中には本物もありますよ。まぁ私としては、あんまりそういう場所に勝手に入ってほしくはないのですが……」

「それには俺も同意だな。そういう場所ってのは、大体が不良や犯罪者、あるいはホームレスの溜まり場になってる事が多い」

「もう先輩、あやめちゃんはそういう意味で言ったんじゃないですよ」


 代々木の言葉を無視して、剣は改めて辺りをグルリと見渡した。

 森の香りはリラックス効果があると聞いた事はあるが、ここはあまりにも鬱蒼としているため香りが濃密すぎて息苦しさすら覚える。太陽は雲に覆われておらずその姿をハッキリと見せているが、それでも幾千もの木の枝に阻まれたこの場所は若干薄暗い。これが夜にでもなれば、あまりの暗さにまともに歩くことすら儘ならないだろう。

 そんな場所で、1人の女性が殺された。身勝手な男が自身の欲望を満たすために、人間としての尊厳をズタズタに引き裂かれ、どれだけ悲鳴をあげても収まらない暴力の末、ゴミのように打ち捨てられて孤独の中に死んだのである。天涯孤独だったその女性の遺体を引き取る者は誰もおらず、最終的には近所の寺でひっそりと供養されたという。


「くそっ。せっかく現場まで来たっていうのに、結局は無駄足だったか」


 悔しさを滲ませてそう呟いた剣に、代々木も口を閉ざしたままグッと拳に力を込めた。

 しかしここで、あやめから意外な言葉が返ってきた。


「いえ、そうとは言い切れませんよ」

「何? 幽霊はいないんじゃなかったのか?」


 訝しげに眉を寄せる剣に、あやめは優雅な微笑みを浮かべた。大人の女性を彷彿とさせる落ち着きを見せる彼女に、代々木が思わず息を呑んで彼女を見つめる。

 そんな彼の視線を知ってか知らずか、あやめは太い木の根がグネグネと張り巡らされ大きめの石の混じった土が露出する地面へと視線を移した。他の2人がそれに釣られて目を向けるも、特にそれ以外に何かあるようには見えない。

 そして彼女は、その地面に視線を向けたまま口を開いた。


「――おそらくここで、何かしらの“術式”が発動しています」

「何だって? 術式?」


 如何にも胡散臭げな単語の登場に、剣は感情を隠そうともせずに顔を歪めた。

 しかしあやめはいちいち取り合うことはせず、淡々と自分の感じたことを説明する。


「幽霊はいませんが、この辺りからは霊力の残骸を感じ取ることができます。恨みなど強い感情の場合は心の乱れを表すように大きなムラがあるのですが、今はむしろ綺麗に均一化されて整然とした印象ですね。これは我々除霊師のような専門家が、霊力を使って何かしら術式を発動したときと酷似しています」

「それってつまり、あやめちゃんみたいな人が被害者を除霊したってこと?」


 一方代々木は剣と違って純粋な興味に惹かれたのか、キラキラと目を輝かせて彼女の話に聞き入っていた。

 そうして尋ねられた彼の質問に、しかしあやめは首を横に振って否定した。


「いいえ、そうではありません。割とハッキリ感じ取れるので手の込んだ大掛かりなものだと思いますが、今の時代は除霊自体にそれほど大仰な術式は必要ありません。相手が暴れるなどして除霊に手間取った場合はその限りではありませんが、それならばもっと霊力が乱れているはずなのでおそらく違うでしょう」

「それで、結局その術式とやらは何が目的なんだ?」

「すみません、そこまでは――」


 焦れた様子の剣に謝罪を口にしながら、あやめは地面から目を離して顔を上げた。

 ちょうど彼女の視界に、空に向かってまっすぐ伸びる木の幹が入り込む。


「――――ん?」


 何かに気づいたあやめがその木へと歩み寄り、幹にスッと手を伸ばした。

 彼女の細い指が撫でるその箇所には、彼女の細い指ですら入らないほどに細い穴が空いていた。


「すみません。この穴って、遺体が発見されたときからありましたか?」

「穴? いや、そんなものは報告書に無かったぞ」

「つまりこの穴は、遺体が発見されて一通り調査が終わった後に空けられたもの、ということになります。もしかしたらこの穴を空けた人物こそ、この場所で何かしらの術式を発動した張本人かもしれませんね」


 そう口にして、あやめはその穴にそっと手を置いて表面を撫でた。自然に出来たものにしては綺麗で、何かの動物が空けたものにしては他に同じものは見当たらない。となれば、何者かが意図的に空けたものと見る方が自然に思える。

 と、その穴を眺めていた剣が、ふと吐き捨てるようにこう言った。


「それにしてもその穴、まるで釘でも打ち込んだみたいだな。



 ――“呪い”でも掛けようとしてたんじゃないか?」



 それは別に、本気でそう思ったわけではない。そもそも彼が心霊現象の類などまるで信じていないことは、あやめと出会ってからも変わりない。


「あぁ、それは良い線行ってると思いますよ」

「はっ? 何が?」


 なので唐突にあやめからそれを肯定され、剣は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

 勿論、それをいちいち指摘する彼女ではない。


「仮にこの穴を空けたのが私と同じ除霊師だとしたら、もしかしたらここで呪いの儀式を行ったのかもしれません」

「呪い、だって? それのせいで、あの男はマンションの屋上から飛び降りたってのか?」

「あくまで可能性の1つですよ。現時点では、被害者の女性の霊が直接男性に手を下したのと同じくらいの確率です」


 そうは言っても、その『被害者の女性の霊が直接男性に手を下した』すら有り得ないと思っている剣からしたら、信用できない仮説がまた1つ増えてしまったに過ぎない。普段扱っている事件とどこまでも異なる展開に、さすがのベテラン刑事も混乱を抑えきれないようだ。

 なので、まだ彼よりは頭の柔らかい代々木が彼女に質問をぶつける。


「でもあやめちゃん、僕ら警察が聞き込みした限りでは、被害者の女性は家族も親しい人もいない天涯孤独の身だよ。そんな女性に、わざわざ呪いを使ってまで犯人を殺そうとする人なんて――」

「そうでしょうか? 女性を性的暴行の末に殺害するなんて普通の人からしたら許し難いことですし、そんな奴は死んでしまえば良いと考える人もけっして少なくありません。それに――」


 あやめはそこで一旦言葉を区切り、そして続ける。


「もし自分に直接手を下さず誰かを殺せる手段があるとしたら、1回くらいは試してみたいと考えても不思議ではないでしょう? その相手として犯罪者を選ぶというのも、心理としてはまぁ自然な事ですし」

「そ、それはそうかもしれないけど――」

「仮にだが」


 会話に割り込んできた剣に、あやめがそちらへと視線を向ける。


「本当に仮にだが、嬢ちゃんの言う通りあの男に呪いを掛けた奴がいたとして、そうなると気になる点が1つある」

「どうやって男に呪いを掛けたか、ってことですね!」

「いいえ、違います」


 拳を握り締めてそう答える代々木を、あやめがバッサリと切り捨てた。

 ガックシと項垂れる彼を無視し、改めて剣へと向き直ったあやめが口を開く。


「呪いを掛けたその人は、何故この事件の犯人を標的に選んだのか。――あるいは、何故この事件の被害者の仇を討とうとしたのか」

「そういう事だ。――なぁ、嬢ちゃん」


 睨みつけるように鋭い剣の目が、まっすぐあやめへと向けられた。


「さっきから話してるその幽霊だの呪いだのってのは、実際どれくらい信用できる? 嬢ちゃんならば、仮にそれが行われていたとして判別できるのか?」

「はい、可能です」

「誰が誰に対して、ってのも分かるのか?」

「条件にも拠りますが、私ならば可能です」

「……嬢ちゃんが虚偽の情報を俺達に寄越す可能性は?」

「ちょっと、剣先輩!」


 思わず詰め寄る代々木だが、それでも剣の視線はあやめから離れることは無い。

 そして同時に、あやめの視線も剣から離れることが無かった。


「私がこの件に関して、あなた方に嘘を吐くことはありません。もっとも、それを証明する術はありませんが」

「……いや、結構だ」


 剣はそう答えるとフッと視線を外し、踵を返して車のある方へと歩き出した。

 そして背中を向けたまま、あやめ達に呼び掛ける。


「被害者の家に行くぞ」

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