その2
現場から少し離れた、団地内にある駐車場の一画に停めていた覆面パトカー。代々木が現場に来るときに乗っていたものであり、タクシーで来た剣を拾って県警本部に戻る、というのが当初の予定だった。
そして現在その車の傍には、運転手としての代々木、同乗者としての剣以外に、中学生の少女――安倍あやめの姿もあった。飛び降りで亡くなった男は人殺しであり、そして今回の飛び降りは殺された人間が引き起こした可能性がある、などと言い出した彼女に対する事情聴取という名目でここまで連れて来たのが、つい数分ほど前の話である。
「“除霊師”、だぁ?」
「はい」
しかし彼女に対する“事情聴取”は、始まって最初の質問である『何故そんな事が分かるのか?』の段階から既に躓きかけていた。
「私の家は代々、この世に未練を残したまま成仏できずにいる幽霊をあの世へと送る“除霊師”を生業にしてきました。当然私も、小さい頃から除霊に関する様々な術を学んでおります。今は親元を離れてこの近くに暮らしているのですが、それも除霊師として一人前となるための修行の一環なのです」
「…………おう」
「私がその“夢”を見たのが、昨夜の未明。おそらくその頃に、あの男性が殺した者の強い恨みの感情が発露したのだと思われます。特に強い恨みや未練を持つ幽霊が近くにいる場合、私のように霊感の強い人間がそれを受け取って夢という形で見ることが偶にあるんです。ラジカセを持ち歩いていたら、どこからか受信した盗聴器の音声が聞こえてくるような感じですかね」
「…………そうか」
「よほど強い情念でなければそんな事にはならないのですが、だからこそ一度そうなると色々と面倒臭いんですよね。そういった夢は精神的な負担が大きいですし、元となる幽霊を何とかしないと何度も見る羽目になりますし」
「…………」
あやめがつらつらと話し続けるごとに、車に寄り掛かってそれを聞いていた剣の表情がみるみる胡散臭いものを見るそれへと変化していく。途中胸の内ポケットに入っているタバコのケースに手を伸ばしかけては止めるという動作を何度も繰り返しており、早く話が終わらないかと考えているのが明白である。
「よって夢に出てきた男性を探そうと思い、パトカーなどが向かっている先へと足を運んだ結果、こうしてあなた方と出会うことができた、というわけです」
「よし、嬢ちゃんの言いたいことは分かった。後は俺らがキチンと捜査しておくから、嬢ちゃんは早く学校に行ってきな」
それを示すかのように、あやめの話が一段落したと見るや、剣は早口で捲し立てて早々に事情聴取を打ち切ろうとし始めた。それだけでなく右手でシッシッと払い除ける仕草も加える辺り、もはや彼女に対してそれを隠す気すら無いようである。
そしてそれはあやめにも伝わっているはずなのだが、彼女は特にその笑顔を崩すことは無かった。もしかしたら、そういった反応を返されるのには慣れているのかもしれない。
「捜査をして下さるのは大変有難いのですが、その夢の内容などを訊かなくても宜しいのですか?」
その笑顔のまま尋ねてくるあやめを、剣は無言でジッと見つめる。
しばらくその状態で睨めっこのような時間が続くが、結局観念したのは大きく溜息を吐いた剣の方だった。
「……代々木、代わりに訊いとけ」
「は、はい!」
代々木が慌ててメモ帳を取り出しながら、剣と立ち位置を入れ換えた。そうして剣はようやくタバコのケースを手に取り、その中から1本取り出して口に咥える。
そのタイミングであやめに視線を向け、彼女がニコリと笑みを深くして小さく頷いたのを確認してから、ライターでそれに火を点ける。
「えっと、夢の内容っていうのは?」
「飛び降りで亡くなった男性が、若い女性に性的暴行を加えているものでした。若いと言っても成人はしていると思われます。残念ながら周りは真っ白な空間だったので、具体的にどこでそれが行われたのかは分かりません」
「真っ白な空間?」
「あくまで女性の主観によって見せる夢なので、相手に対する恨みがあまりに強いとそれ以外の情報が曖昧になるんです。しかし逆に男性の姿はハッキリとしていたので、その事件が起こったのは割と最近と言えるでしょう。人間の記憶と一緒で、そういう情報は時が経つにつれて曖昧になっていきますからね」
「な、成程……」
「何はともあれ、まずはあの男性のDNAを照合することからですね。おそらくそれほど時間も掛からず、それらしい事件が浮かび上がってくると思いますよ」
タバコの煙を燻らせながら、剣はその遣り取りをぼんやりとした表情で眺めていた。呆れを隠そうともしないその目は夢の内容を基に捜査方針をアドバイスするあやめだけでなく、その内容を真面目な顔でメモする代々木に対しても向けられる。
と、メモを書き終えた代々木が、ふと思い浮かんだように疑問を口にした。
「それにしても、何だか随分慣れてる感じだね。もしかして、こういうの初めてじゃないの?」
「私が単独で関わったのは初めてですね。実家ではこういった仕事も請け負っていまして、私もそれを何回か手伝ったことがありますので」
「そうなんだ。ちなみに実家ってどこなの?」
「京都です」
「へぇ、京都……ん?」
雑談の延長といった感じであやめの出身地を聞いた代々木が、ふとメモを取る手を止めて考え込む仕草を始めた。
それを剣が不思議そうに眺めていると、ふいに代々木が手を叩いて「あぁっ!」と大声をあげた。
「そういえば、聞いたことあるよ! いやぁ、何かの冗談だと思ってたけど、まさか本当だったとはなぁ!」
「どうしたおまえ? 何の話だ?」
「いやぁ、俺が警察学校にいたときに教官だった人とこの前呑んだときに聞いたんですよ。まぁ、その教官が直接関わったんじゃなくて、教官が刑事だったときの上司の同期が警察内での柔道大会に出場したときに知り合った京都府警の人のこれまた上司から聞いた話らしいですけどね」
もはや見ず知らずの他人じゃねぇか、と剣は鼻から息を吐いて小馬鹿にするような態度を取るが、代々木はそれを気にせず話を続ける。
「何でも、時効間近だった殺人事件の捜査協力を、地元に住む除霊師に依頼したそうなんです。するとその除霊師、その事件の被害者だっていう幽霊に直接話を聞き出したみたいで、実際に捜査してみたら本当にその情報と一致する奴が犯人だったって話なんですよ!」
「ほー。でも俺は長いこと刑事やってるが、そんな話一度も聞いたことねぇぞ」
「そりゃ同じ京都府警内の中でも、それを知ってるのはごく一部の関係者だけらしいですからね。とはいっても、俺がその教官から聞いたときも大分酔っぱらってたから、まさか本当だと思ってませんでしたけど」
都市伝説の類が目の前に現れた事実が面白いのか、代々木のあやめを見る目は先程よりも明らかに熱の籠った興味の色に染まっていた。そういった反応にも慣れているのか、彼女の笑顔はそれでも崩れることが無い。
しかしそれでも、剣の表情からは胡散臭いものに対する感情が抜けなかった。いや、むしろ強まったかもしれない。
「ほう、そりゃ大層なもんだ。つまりその京都府警の奴らは、その除霊師だか何だかが犯人だと示した奴を何の疑いも無く逮捕したってことになるな」
「いいえ、剣さん。それは違いますよ」
自分の実家に関わることだからか、あやめが即座に首を横に振りながら剣の言葉を否定した。
「確かに我々が捜査の指針を指示することはありますが、犯人を逮捕するのはあくまで通常の事件と同じく物的証拠があってのことです。その後の検察での聴取も裁判での扱いも、我々の存在を抜きにして通常の事件と同じように進められます。――幽霊などといった心霊現象の類は、現在の警察では表向き否定されていますからね」
だからこそ、とあやめの視線が代々木へと向いた。
「我々のような存在がいることも、そういった存在が捜査に関わっていたことも、本来ならば口外が禁止されているはずなのですけどね。なので代々木さんも剣さんも、私のことは誰にも話さないでくださいね」
「う、うん、分かったよ」
「当たりめぇだ。誰が話すかよ、こんな事」
真面目な表情で答える代々木に対し、剣の返事は何とも投げやりなものだった。しかしあやめにとっては充分だったのか、満足げに笑みを深くしたまま特に口を挟もうとしなかった。
そしてそんな彼女の姿に、剣は何度目になるかも分からない溜息を吐いた。
「……なぁ、もう良いだろ。嬢ちゃんの言いたいことは分かったから、後は俺達に任せて今日はもう帰りな」
「ですが――」
「どのみち身元不明だし、前科が無いかも含めてDNAの照合は行われる。仮に嬢ちゃんの言ってることが本当なら、それっぽい事件が引っ掛かるだろ。そんときは改めて捜査するよ」
そう言って再びシッシッと手で払い除ける仕草をする剣に対し、あやめは顎に手を添えて首を僅かに傾ける。
「ですが剣さん、刑事としての経験自体は豊富とお見受けしますが、それでもこういった捜査は初めてですよね? あらゆる先入観を排除した捜査が必要となるのですが、それが可能なのですか?」
「あまり俺を嘗めるな。先入観を捨てて捜査するなんてのは、幽霊だの何だの関係無く普段から当たり前にやってることなんだよ。嬢ちゃんに言われるまでもないことだ」
「確かにそうですね、大変失礼致しました。――ですがそれよりも単純な話として、剣さんも代々木さんも、霊感ありませんよね? 仮に女性の幽霊が犯人だった場合、それに気づくことができますか?」
「そんなの――っ」
あやめの問い掛けに剣は反射的に口を開き、そして言葉として吐き出しそうになった返事を直前で呑み込んだ。
そんなのどうせ有り得ないだろ、などという先入観に塗れた返事を。
「……で、何が言いたい?」
「自分から首を突っ込んでおいて後は警察に丸投げというのも勝手な話ですので、私も一緒に捜査に参加させていただこうかと――」
「断る。素人を捜査に参加させるなんて有り得ねぇし、嬢ちゃんは自分の存在がバレるのはマズいってさっき言ってたじゃねぇか」
「えぇ、その通りです。なので他の方にバレないよう、こっそり行う必要がありますね」
「嬢ちゃん。知らねぇようだから教えてやるが、俺達はあくまで組織の人間なんだ。いくら捜査だからって好き勝手に動き回ることはできねぇんだよ」
だから諦めて帰ってくれ、という意味を言外に忍ばせながらそう答える剣に対し、あやめは「成程」と納得した様子で何度も小さく頷いた。
ようやく思いが通じたのか、と剣がホッと胸を撫で下ろす――
「それじゃ、事前に話を通しておけば問題ありませんね」
まさにその直前、あやめはそう言って自分のスマホを取り出した。
「――――はっ?」
「話を通すって、誰に?」
素っ頓狂な声をあげる剣に、尤もな疑問を投げ掛ける代々木。
「そんなの、決まってるではないですか」
そしてあやめはそんな2人に、ニコリと優雅な笑みで返して画面をタップした。
* * *
北斗市の中心地から少し離れた場所に位置する県庁舎は、地上30階建てで高さが140メートルと、市内では圧倒的な高さを誇る大きなビルだ。最上階には市内やその周辺を一望できる展望台があり、足元には既存の樹木も活用して植栽を施した公園も整備されているその建物は、他に大きなビルの無い市にとってランドマークとしての役割も果たしている。
そんな県庁のすぐ隣にあるのが、県民300万人の安全を守る市町村警察を纏め上げる県警本部である。こちらも地上10階建てでほぼ直方体の形をした、県庁舎には劣るもののそれなりに大きなビルとなっている。
「失礼します」
「し、失礼しますっ!」
そんな県警本部の最上階にある本部長室のドアをノックして、剣と代々木が部屋の中へと入っていった。県警本部の中でも最も偉い立場であり、普段はほとんど顔を合わせる機会が無いからか、代々木など変な力が入って言葉が詰まってしまうほどに緊張している。
南向きの壁はほとんどが窓になっており、空高く昇る太陽の光を存分に取り入れているため、部屋の中は照明が必要無いほど明るくなっている。床にはカーペットが敷かれているため、革靴の足音もほとんど気にならない。
そんな部屋の一番奥、大きな窓を背にする形で配置された机に座るのが、県警本部の長を勤める真上という40代半ばの男性である。警察のイメージにはそぐわない痩せ型の優男という見た目の彼だが、その役職は剣と数歳ほどしか変わらない年齢にして上から3番目の“警視長”、警察官に採用された時点で既に今の剣よりも偉い“警部補”からスタートするキャリア組だ。
「これはこれは、わざわざご足労をお掛けして申し訳ない」
そんな彼が、こちらに顔を向けた途端にバッと立ち上がり、にこやかな笑みを浮かべながらこちらへと歩いて出迎える。
しかしその相手は、自分の部下である剣や代々木ではない。
「いいえ。別に大した事ではありませんよ、真上さん」
2人の後ろをついて来た、学校の制服と思われるブレザー姿の女子中学生――あやめに対するものだった。
「えっと……、本部長は彼女とお知り合いなんですか?」
「彼女がこっちに引っ越してきたとき、1回だけ会って話をした程度だよ。彼女のように“除霊師”が居住を移したときは、その住所を管轄する警察本部長には話が行くようになっているんだ」
「……ってことは、“除霊師”は本当だってことですか」
剣の問い掛けに、真上は頷いた。冗談としか思えないあやめの話を、冗談だと切り捨てることのできない上司が支持する状況に、剣は溜息を吐いて思わず髪を手でガシガシと搔きむしる。
しかし彼のそんな葛藤を余所に、真上は自分のデスク前に置かれた応接セットへとあやめを促し、彼女はそれに応えてそこに座った。当然のように、上座に。
「話は聞いているよ。今朝起きた飛び降り事件の捜査に参加したいんだって?」
「はい。男性が過去に起こした事件の被害者の幽霊が、その事件を引き起こした可能性が浮上したので」
革張りのチェアに座って向かい合うあやめと真上、そしてそれを横から立ったまま眺める剣と代々木。
そんな立ち位置で始まった前者2人の会話だが、可能性が浮上、の辺りで剣がギロリとあやめに鋭い目を向けた。今のところ自分がそう言い張っているだけに過ぎないだろ、とでも言いたげな表情だが、実際に口を挟むことが許されない状況であることは嫌でも理解できるので仕方なく黙っていた。
そんな彼を視界の端に捉えながら、真上が口を開いた。
「分かった。飛び降り自体は今のところ事件性は薄い見積もりだ、少人数で動いても不審には思われないだろう」
真上はそう言うと、今度は顔ごと剣達へと視線を向けた。
彼が次に何を言うのか大体予想がついたのか、剣は小さく肩を竦める。
「――俺達が、彼女と一緒に捜査しろと?」
「話が早くて助かるよ。それでは君達2人に、彼女の補佐に就いてもらおうか」
「……補佐、ですか? 俺達が、彼女の?」
「当然だろう? 彼女は、その道の“専門家”なのだから」
「宜しくお願い致します」
真上の言葉に合わせてあやめが椅子から立ち上がり、剣達へと向き直って腰をしっかり折り深々と頭を下げた。
そんな彼女の姿に、剣は諦めを多分に含んだ溜息を吐いた。いくら専門家とはいえ中学生の少女に自分達が付き従うことに思うところはあるが、彼女が(表向きとはいえ)これだけ頭を下げているのに変な意地を張るのも如何なものか、という思いが働いたのかもしれない。
「――それで、俺達は何をすれば良いんだ?」
剣の言葉にあやめは笑みを深くし、成り行きを見守っていた代々木がホッと胸を撫で下ろした。
「あの男性について、身元はいつ頃分かりますか?」
「通常だと、周辺の防犯カメラとかをチェックして足取りを調べつつ、採取したDNAを過去のデータベースと照合する作業を並行する流れになる。といっても、1日や2日で出来るもんじゃないがな」
「分かりました。ならば、夢に出てきた女性の方から当たってみましょう。性的暴行で女性が亡くなった事件の資料を見せてもらえませんか? 解決、未解決は問いません」
「……分かった。――期間はどれくらいだ?」
剣の問い掛けに、あやめは「そうですね」と考える。
「現場でも申し上げた通り、それほど昔の事件ではないと思われます。とりあえず、過去2年間を目安にしましょう。該当する事件が見つからなければ、改めて範囲を広げるということで」
「捜査は基本的に、この部屋で行うことにしよう。周りの目もあるからね」
真上の言葉に、他の3人が揃って頷いた。
「よし! それじゃ自分が、一っ走りして集めてきますよ! ちょっと待っててね、あやめちゃん! すぐに持ってくるから!」
代々木はニコニコと満面の笑みでそう言い残すと、弾かれるような勢いで部屋を飛び出していった。もしかしてあいつ普段の事件よりも張り切ってないか、と剣が思わず疑ってしまいたくなるような身のこなしだった。
既に代々木の姿が見えなくなった入口のドアから視線を外し、剣は改めて正面に座るあやめをマジマジと観察し始めた。
「せっかくだし、お茶でもどうかな?」
「ありがとうございます。頂きます」
真上の提案にニコリと笑顔を添えて礼を述べるその姿は、たったそれだけのことながら剣でさえ優雅だと思えるものだった。
彼女については未だによく分からないし、除霊師やら何やらについてはほとんど信じていないが、少なくともこれだけは確信を持てる。
――この嬢ちゃん、代々木よりはよっぽど大人だな。