セレステ号の遭難
お気に召しましたら、評価頂けますと幸いです。
20××年、月面基地には奇妙なうわさがあった。それは、管制センターの交代時間のときや、食後のコーヒーを飲んでいるときなどに、同僚同士の会話のなかでかわされる話だった。宇宙船セレステ号の亡霊がでるというのである。セレステ号は、二年前に月周回軌道上で通常の通信を最後に消息不明になった宇宙船だった。月面に激突したと思われて、捜索が行われたものの、ついに機体は発見されなかった。操縦ミスで月の引力を振り切って宇宙の彼方へ消えてしまったのだと言われていた。
うわさでは、そのセレステ号の飛行士の亡霊が、夜勤のオペレーターのヘッドセットに囁きかけてくるという。最初はかすかなノイズで、やがてそれは人の声に変わる。
「……こちらセレステ号、管制室聞こえますか?」
そんな声が聞こえるのだと。
ある夜、新人オペレーターのニックが一人で管制室にいた。眠気を覚ますために入れたコーヒーを一口飲んだとき、地球からの通信を傍受していたヘッドセットから微かなノイズが聞こえてきた。ニックは気にも留めず、ノイズキャンセリング機能をオンにした。しかし、ノイズは消えなかった。それどころか、それは徐々に大きくなり、やがて人の声に変わった。
「………ニック、ニック…」
自分の名前が呼ばれていることに、ニックは背筋が凍りついた。彼はヘッドセットを外そうとしたが、なぜか手が動かない。その声は、さらに続きを囁いた。
「……こちらセレステ号………」
その事があってからニックは、体調を崩し、地球へ帰還してしまった。奇妙な現象はそれからは起こらなかったが、相変わらずヘッドセットにはノイズが紛れこんできていた。それを基地の要員はセレステ号の亡霊だとひそかに口にしていた。
「基地はまだ出ないか?」
セレステ号の船長、ボートマンは通信士のミューラーに訊いた。
「だめです。何度も呼んでいるんですが。……ニック、ニック、こちらセレステ号、管制室、応答してください」
ミューラーは続けたが反応はなかった。船体に軽い衝撃を感じてから月面基地との交信がとれなくなってしまった。ボートマンは経験豊かなベテランの飛行士で、地球と月との往還で発生するアクシデントは知り尽くしている男だった。
「船長、先ほどの衝撃が隕石だとしたら、月面基地も被害がでていて、応答ができないのでは?」
飛行士のケイジが言った。
「月基地の構造材は耐性がある。小さな隕石なら影響はない筈だ」
とボートマンは応えた。
「船長、あれは--」
ミューラーが観測窓の外を指して言った。
セレステ号の前方に、宇宙船が見えていた。それは全体のシルエットが、驚くほどセレステ号に似た白い宇宙船だった。
「船長、後ろにも!」
背後の観測窓の外をミューラーが気づくと、そこにもセレステ号そっくりの宇宙船が追尾するかたちで見えていた。
「ミューラー、君の時計は何時になっている?」
ボートマンが自分の腕時計を見て言った。
「一時四十分です」
ボートマンは深刻な表情をした。
「そうか、わたしの時計も同じだ。さっきの船体の衝撃があったときから時間が進んでない」
ボートマン船長は背後の観測窓を見て、自分の推論の重みに当惑しながらも言った。
「あの背後のセレステ号は、我々の過去だ」
そして、続けた。
「あの前方に見えるセレステ号は、我々の未来の姿だ………」
ケイジが事情をのみ込めないという表情で、
「どういうことです、船長?」
「我々は時空のはざまに入り込んでしまったのだ。月の周囲でぽっかりとあいた穴に入り込んでしまったのだ。さっきの衝撃は隕石ではなく、時空のはざまに接触した衝撃だ」
ケイジとミューラーにも事情の深刻さがようやく理解できたようだった。二人は黙って窓の外のセレステ号に視線を向け、何か言おうと言葉を探していたが、現実は理解の範囲を超えていた。ボートマンは言った。
「ミューラー、通信カプセルを使おう。射出機を準備してくれ」
ボートマンはそう言うと、紙に起こった出来事を筆記し、ミューラーが差し出したステンレスの筒にその紙を入れた。それをミューラーが射出機に装填した。
「船長、準備オーケーです」
セレステ号が月面基地の上空に来たとき、通信カプセルは船から射出された。
カプセルは電波を発信しながら、月面、『静かの海』近くの月面基地に向けて落下していた。
時間と空間を飛び越えて、通信カプセルが降下していく。どこまでも、どこまでも。
やがて音の伝わらない空間で、銀色のカプセルは月面の砂に突き刺さった。その場所から二百メートルほど離れた場所では、アームストロングが地表にレーザー反射機を設置していた。オルドリン飛行士は写真を撮っている。1969年7月20日、人類初の月着陸は世界に実況中継されていた。
昆虫をほうふつさせる四つの着陸ギアに支えられたイーグル月着陸船は太陽の光を反射させて輝き、そばには星条旗が晴れやかに掲揚されていた。
読んでいただきありがとうございました!