第五話
私にとって、結婚なんて夢のまた夢のような話で。
まさか自分が結婚するなんて思いもしなかった。相手は幼馴染のレイド。正直……恋愛対象にはなり得なかった。
レイドとの結婚は村の皆で決めた事だ。この村では、歳の近い若者同士が当たり前のように結婚する。それが普通だった。だから私もいつかそうなるんだろうなぁとは思っていた。でも、思っていただけで、本当に結婚するとなると……心がついていかなくて。
そんな時、王都からアルフェルドが来た。村の人間以外を見るのすら珍しかったのもあって、すぐに私はアルフェルドを意識しだした。一見すると女性のように綺麗で、でもよく見ると男らしい体つきもしていて。それに強くて……優しい。この狭い村で過ごしてきた年頃の少女に、恋に落ちるなと言う方が無理で。
勿論、後ろめたさはあった。アルフェルドが来た時にはすでにレイドとの結婚は決まっていたし。でも、その時……自分勝手にこう思ってしまった。レイドはどう思っているのだろう。
レイドは本当に私の事が好きなのだろうか。私と一緒で、恋愛感情なんて持ってないんじゃないか、そう思い始めた。
……なら、この恋心を……王都から来た騎士に授けてみようと……思ってしまった。
「俺は……ガキの頃からあいつしか見て無いんだ!」
アルフェルドに軽くフられた後、レイドの口からその言葉を聞いた。
馬鹿な自分に嫌気がさした。レイドは私がアルフェルドに惹かれている事に気付いていた。そして、私の事も……想ってくれていた。
それでもレイドに対して恋愛感情が芽生えない自分が大嫌いになってしまった。
なんで……? いや、当たり前じゃないか。私はアルフェルドに恋して……フられて……じゃあレイドと結婚しよう、なんて……簡単に切り替えれるわけもなくて。
こんな私がレイドと結婚……?
ダメだ……私なんか、レイドに相応しくない。私みたいな、身勝手で不道徳な人間が、レイドと幸せになれるわけがない。レイドを不幸にしてしまう。
私は……相応しくない。
「挙式……取りやめれない……?」
レイドへとそう告げた。レイドは考えさせてくれ……と一言。
今すぐ消えたい。レイドに私の事を綺麗さっぱり忘れて貰いたい。もっと相応しい相手が居る筈なんだ。私なんて……そうだ、崖から落ちて死ねばいい。私のような人間は、一人寂しく死ぬのがお似合いだ。そうだ、そうしよう……
「逃げろ……イリーナ……」
死のうとしてたのに。なんでレイドが死にそうなの? なんで……そんなボロボロになってまで、私を助けようとするの? 私は……相応しくないのに。貴方のような真っ直ぐな人に、私は全然……相応しくないのに……。
『望みを言エ。お前の望みヲ』
……誰? 私の……望み?
『望みヲ、望みヲ、望みヲ』
私の……望み……。
レイドを……幸せにしてあげて……
『承知しタ』
※
変な夢を見ていた気がする……。
目を覚ましてみれば、私の腰にエルが抱き着いて寝息を立てていた。そっとその少女の頭を撫でてみる。可愛く震える様子が、見ていて飽きない。
そのままゆっくり、私の腰と枕を交換するようにエルの腕から脱出しつつ、鏡の前に。
酷い顔だ。首元には、あの男に付けられた首輪の痕がまだくっきりと残っている。あれは夢じゃなかったんだ。
「レイド……」
どんな顔をして……レイドと向き合えばいい?
私を守る為に、あんなボロボロになって……。
彼の気持ちに、答えてあげたい。でも……私は別の男に恋心を覚えてしまう最低の女だ。こんな……私に、彼の横に立つ資格があるのか?
「イリーナちゅわぁぁぁぁん」
「ひぃぃぃぃぃ!」
思わず体が跳ね上がる。突然、後ろから女性が話しかけてきた。アルフェルドが連れてきた美人だ。
これでも王都直属の騎士。アルフェルドと同じく、優秀な……? 騎士。
「な、なんですか……一体」
「ふふふのふ。首、見せて」
女性は私の首を優しく手で包むと、そのままじんわりと暖かくなってくる。まさか……これは……
「あ、あの……魔法……ですか?」
「いいやぁ? 奇跡の類だよ」
うぅ……! 違いが分かりません……!
「魔法は太古に生きた魔人族が編み出した秘術。奇跡はアランセリカの古代文明が生み出した秘術。破壊をテーマにする魔法と、創造をテーマにする奇跡。形ある物を壊す事が破壊なら、創造は……形のないものを作りだすって事さぁ……」
この人……語り出すと止まらないタイプの人だっ……。
「ほい、完了。ふふふふ、うふふふふふ、というわけで……お願いがあってきたんだけども……」
「お、おねがい?」
「そう……こことは違う大陸では、花嫁が投げ捨てた花束を受け止めれば……次に結婚するのはその人という風習があるらしい。というわけで、私も結婚式に参加するから花束を私に向けて……」
「……いや、あの……結婚式は……やらないかも……です」
なんで? と首をかしげてくる美人。
ええと、名前……なんだっけ。たしかアルフェルドが……
「ヨランダさん……? あの、実は……」
※
私は自分の事情をかいつまんで……相談するように説明した。
勿論……アルフェルドとかの名前は出さずに。
「……で、別の男に恋したから、レイド君とは結婚できないって?」
「はい……」
ヨランダさんは膝の上にエルの頭を乗せて、撫でまくっている。ちょっとエルが悪夢を見ているかのように渋い顔を。
「んー……ごめん、何に悩んでいるのか……分からないんだけど」
「え? いや、だから……他の男に恋したのに……結婚なんて……」
「でも、その男にはフられたんでしょ?」
「……はい」
「で?」
いや、でって……
「イリーナちゃん……そもそも、レイド君の事、好きなの?」
「……いえ。恋愛感情は正直……。でも、レイドには……気持ちに応えなきゃって……。私の事を守る為に、あんなボロボロになって……。それに昔から私の事見てくれてて……私、全然気づかなくて……」
「いや、それもう恋してるわ」
ん?!
「イリーナちゃん……レイド君の行動は、私からすればキモいよ」
「な、なんて事言うんですか!」
「いやそうでしょ。ずっと見られてたんでしょ? 小さい頃から。それで今もイリーナちゃんの事、大好きなんでしょ? 普通キモいって」
「もっと言い方ないんですか!?」
「そんなレイド君の事を許してしまうばかりか、気持ちに応えなきゃって……もう君もレイド君の事が好きすぎてるから、そう思うんだよ」
そ、そうなのか? で、でも……
「私、でも……他の男に恋心を覚えて……」
「いや、それの何が悪いのよ。いいかい、イリーナちゃん……。女は生物学的に言えば完璧な存在だよ。肉体的にも精神的にも。それに対して男は不完全だ。肉体も精神も」
またなんか難しい話が……
「そんな男に恋を覚えるのは何故だと思う? 自分に無い物を持ってるからさ。完璧な存在である女は、不完全なくせに自分にない物を持ってる男に惹かれるのさ。恋なんて所詮、その程度の話さ」
「その程度って……」
「君は恋だの愛だのに大層な事を思いすぎなんだよ。重い女は嫌われるよ。男は愛を求めるくせに、許容量を越えた愛情には拒否反応を起こすんだ。それをやって許されるのは母親だけさ。他の女が母親の真似をすると、男はお前じゃないって怒り出すんだ。基本的にクソガキだからね」
言ってる事が……分かる気がする自分が不安になってくる……。
「まあ、君はすでにレイド君の事大好きみたいだし? 別に結婚しちゃえばいーじゃん」
なんか適当になってきたな、この人……。
「……レイドの事が好き……。なんか、実感が湧かないというか……」
「実感なんてただの願望さ。君の願望は何だい? 君の望みは?」
望み……私の……望みは……
「レイドを……幸せにしたい……」
「なら、幸せそうなレイド君を見れば、分かるんじゃない?」