第二話
朝になると村の連中は号令をかけたかのように一斉に活動を開始する。俺はその前には起きていて、素振りだの何だの隠れてやりつつ、明るくなる前には水浴びも終わっている状態。
「ふぅ……」
「ぁ、アルフェ……っ!?」
「お、エル、おはよう」
村の井戸で水を浴び終えた俺は、上半身裸の状態。そのまま住んでいる小屋に戻る途中、村長の孫の少年、エルに出会ってしまった。何故か顔を両手で隠しながら、指の隙間からチラチラとこちらを見ている。堂々と見ればいいだろうに。男同士だろう。
「は、はやく服着てください!」
「何を恥ずかしがる、エル。お前もいつかこうなるんだぞ」
「僕はそんなムッキムキになりません! アルフェルドさんのスケベ!」
なん……だと。
スケベと言われた。無駄のない良い筋肉だ、という模範解答を期待していたわけではないが、まさか変態扱いされるとは。
「はやく、服着てきてください! イリーナさんに言いつけますよ!」
「分かった分かった」
そのまま小屋に戻り、タンスから村のご婦人より頂いた服に袖を通す。この村の家畜の毛を結って作ったものらしい。袖が短いので動きやすいし、通気性も中々いい。色も黒で俺好みだ。
「アルフェルドさん、お似合いですよ」
「お、エル。なんだ、今日は暇なのか? 俺に付きまとってもいいことないぞ」
「……実は、アルフェルドさんに……相談したい事が」
「なんだ?」
「……実は街に行って、イリーナさんへのプレゼントを買いたいんです」
街か。この村から北に上がれば街に辿り着く。しかしまずは、この村がある山を降り、その先にある湖を渡る必要がある。当然、子供だけで行ける距離ではない。大人でも躊躇する程だ。
「村長に許可は取ったのか?」
「……いえ、おじいちゃんは絶対ダメって言うし……」
「なら俺も無理だ。エルを勝手に連れ出して村長に叱られたくない」
いいつつ井戸で汲んで来た水に口をつける。朝の水は冷たくてとても美味し……
「アルフェルドさん、イリーナさんを手籠めにしたんですか?」
ブフーッ! と思いっきり鼻と口から水を吹き出す俺。
エルは汚いっ! と一歩引く。
「おま、おまえ……手籠めって……意味わかって使ってるのか?」
「昨日、イリーナさんが泣きながら酒場の方から走って帰るのを見て……。そしたらアルフェルドさんとレイド兄が口論してたので……これは、と思ったんです。察するに、アルフェルドさんがイリーナさんを……」
「まてまてまて、違う違う違う、断じて違う。エル、その事を他の人に絶対言うなよ。俺の信頼度が地に堕ちる」
「……ふーん。街にいきたいなー……」
このクソガキ……俺を脅す気か。いいだろう、しっかり教育する必要があるようだ。
「分かった、俺の負けだ。昼前に出発する、用意しとけ」
「はい!」
元気よく返事をして小屋を出ていくエル。さて……流石に誰にも言わずに……とはいかないだろう。街に出ている間、この村を空ける事にもなるし。レイドに言っておくか。
※
「と、いうわけで……エルと街に行ってくる。その間、頼むぞレイド」
「あぁ、分かった……」
レイドは二日酔いなのか、頭を抱えていた。しかしそんなに飲んでいたか? まあ、足元がフラついてはいたが。
「レイド、大丈夫か?」
「大丈夫だ……。あぁ、街に行くんだったな。なら……櫛を頼めないか」
「櫛?」
懐から財布をそのまま渡してくるレイド。中々にズッシリと来る。
「お前、この金……」
「イリーナに渡そうと思っていた……支度金だ。まあ、式を取りやめたいと言われて渡し損ねた金だ、好きに使ってくれ」
「そんなわけにいくか。というか、本当に取りやめる気じゃないだろうな」
「……もう一度話してはみる。だが昨日も言った通り……あいつはお前の事が……」
またそこに戻るのか。
「レイド……エルが昨日、酒場の方から泣きながら走ってくるイリーナを見たそうだ」
「……えっ」
「聞かれたぞ、昨日の会話。お前の気持ちも、イリーナはもう知ってる。だから今度は本人に向けて言ってやれ。この支度金は一時借りるが必ず返す。いいな」
レイドは更に頭を抱えながら頷く。大丈夫か、本当に。
まあ、二人で話し合う時間は必要なのは確かだ。俺とエルが軽い冒険から帰ってきた時には……仲良くなってる事を祈ろう。
※
山羊のような双角が生えた黒い馬を駆り、山を一気に下る。俺の前に乗るエルは、興奮し叫びながら一時のスリルを楽しんでいた。
「ぎゃああぁぁあ! しぬ、しぬぅ! あぶない、しぬぅ!」
「ははは、あまり喋ると舌を噛むぞ、よし、飛ぶぞ! 股と腋を締めろ!」
「ひぃぃぃぃぃ!」
大きな岩を飛び越え、そのまま急斜面を一気に駆け下りる。このペースでいけばすぐに湖が見えてくるだろう。それを越えれば街だ。
急斜面を越え、ようやく少し平坦な道まで来ると、エルは息を切らしながらガクガク震えていた。ふふ、いい教育になったようだ。
「あ、アルフェルドさん……こんなの聞いてないです! もっとゆっくり降りてください!」
「何を言う。男ならこのくらい耐えれなくてどうする。ほら、また飛ばすぞ!」
「ちょ、なんで……! 僕は……っ、ぎゃあぁぁぁ!」
※
湖が見えてくる頃、俺は異変を感じ取っていた。何やら人が湖の前に集っている。そして……なんだ、この冷気は。もう夏も近いというのに、むしろ寒い。
「……? アルフェルドさん、なんか……」
「あぁ、様子が変だな」
近くまで馬を駆り、俺だけ降りて人が集っている所へと。何やら神妙な面持ちの人間ばかり。そしてこの……まるで冬のような冷気はなんだ。一体何が起きている。
「失礼、如何致しましたか?」
俺は目の前にいた煙草を吹かしている老人へと声をかけた。老人は煙を溜息のように吐きながら、俺の腰にある剣を見ると
「あんた、王都の騎士か。山の上の村から来たのか? 随分辺鄙な所から……」
「ええ、まあちょっと飛ばされまして……」
「ちょうどいい、あんたなら……抜けるかもしれん」
老人が指さす先、そこには……なんと凍り付いた湖が。馬鹿な、こんな季節に?
しかし湖の中央付近を見ると、なんとなく事情が呑み込めてしまった。そこには一本の剣。屈強な男達が、その剣を抜こうと必死になっていた。剣の根元の氷を砕こうとしている者も居る。
「あの剣は……」
「王都の騎士の仕業さ。おかげで魚も取れねえし、冬みたいな寒さだ。冬越えの準備もしてねえのに……このままじゃ、家畜も凍え死んじまう」
王都の騎士……それにこの氷……まさか……
「その騎士……女性でしたか? こう、白いマントを羽織った長い金髪の……」
「あぁ、そんな感じの奴だった。傍にいけすかねえ貴族が居てな。なんかよく分からねえ文句つけられて……この有様よ」
貴族……。それにその騎士……。
不味い、知り合いかもしれない。正直関わりたくない。しかしこのままでは街で買い物どころじゃないだろう。
俺は一旦エルの所まで戻り、抱っこしながら馬から降ろす。着ていた上着をエルに着せつつ
「寒いか?」
「まあ、ちょっと……」
「待っていろ、すぐに暖かくなる」
人が集っている所で焚火をしている。俺はそこにエルを潜り込ませつつ、凍った湖の先へ。少し油断したら滑って転んでしまいそう……と思ったが、不思議と滑らない。
「この氷……魔法か」
氷が滑るのは摩擦で溶けて水でツルっといくからだ。しかし歩いても滑らないという事は、溶けない氷。そんな物、魔法でしか生み出せない。確実にあいつの仕業だ。
そのまま剣を引き抜こうと四苦八苦している屈強な男達の元へ。ハンマーと杭で氷を割ろうとしている者もいる。だがヒビすら入らない。
「ちょっとよろしいか。俺に任せてくれ」
「……あ? なんだ貴様……って、その剣……」
「王都直属の騎士だ。一応な。俺が抜く」
そのまま剣の柄へと手を掛けると、嫌な予感がした。上から何か……降ってくる……!
「……! 逃げろ!」
「へ?」
白いマント、長い金髪、そして……美人。
「あは、あははは、あはははははははは! 来たなアルフェルドぉぉぉぉぉ!」
「ヨランダ……! やっぱりお前か!」
空から降ってくる女。そのまま手を翳すと、空中に巨大なシャンデリアが出現する。
「赤い野菜は好きかぁぁぁぁぁ!?」
「っく……! カナヅチは居るか! 居たら叫べ!」
一瞬待って、叫ぶ者は居ない。良し!
そのまま剣を勢いよく抜いた。すると湖の氷は一瞬で砕け散り、氷の上に居た屈強な男達は湖の中へと落ちて行く。勿論俺も。そのまま氷の剣を握ったまま、水中へと潜りながらシャンデリアを避けた。
水中を泳ぎつつ、とりあえず湖から上がろうとすると溺れている男が居た。カナヅチは叫べと言ったのに。
すると再び湖の表面が凍り付いていく。不味い、閉じ込める気か!
ヨランダの剣を逆手に持つ。剣を投擲して奴を仕留めるか……? いや……避けられたらそのまま氷の下に閉じ込められるだけだ。この氷を砕けるのは……この剣だけ。それなら……
「あは、あはは! どうしたアルフェルドぉ! このままだと溺れ死ぬぞぉ! 間抜けなお前の溺れ顔を上から笑って見てやるよ、アハハハハハ!」
愉快そうな声が水の中にも届いてくる。
確かアイツ……カナヅチだったな。
「どこだどこだぁ? アルフェルドぉ、ほらほら、惨めに溺れる様を見せておくれぇ? って、ホントに何処に……」
氷を分厚くしすぎなんだよ。
そして俺の手にお前の剣が握られてる事を完全に忘れてるだろ。そういう所だぞ、お前は……!
奴の愉快そうな叫び声を頼りに、足元の氷を奴の剣で砕く。
「んぉ?!」
すると奴の片足が水の中に突っ込まれた。俺はその足を掴み……そのまま湖の中へと引きずり込む。
「ちょ、ま、まって、まって!」
「泳げないくせに、何故ここを戦場に選んだ、間抜けめ」
「凍らせれば……問題ないかと……あっぷ!」
水面から顔を出し、溺れている男の方へと氷を寄せた。この男はこれで大丈夫だろう、あとは……
「だじげで! ある、あるふぇるど……私、およ、およげ……」
「魔法で氷を出せばいいだろ」
「集中できな……あぶぶぶぶぶ」
「全く……」
大きく息を吸い、沈んでいくヨランダの元へ。そのまましがみ付いてくるヨランダ。だが俺はすぐには上がらず、そのまま……唇を奪った。
「んぅぅぅぅ!」
口の中に息を含んでやってもすぐに吐き出すだけ。
まあ、この方法で息が出来るかどうかは知らんが、一度やってみたかっただけだ。
さて……どうお仕置きしてやろうか。