知るかインポ
部室に登校した。朝のホームルームにも出なかった。窓際に座って外を眺めていると、教室の扉が開いた。辻田が入ってきた。俺を見てから、挨拶もせずに離れた席に座った。それから文庫本を取り出して、いつものように読み始める。
十五分ほどしてから、藤野が入ってきた。もう一時間目の授業が始まっているはずだが、彼女にとってはどうでもいいことのようだった。少し目が赤い。俺をしばらくの間じっと眺めてから、前の席に座ってきた。いつものように雑誌を開いて、無言で読み始める。
そのまま、三時間ほど経った。昼休み開始のチャイムが鳴っても、辻田と藤野は動かなかった。まるで今いる場所に執着しているみたいだ。それなのに、俺と話そうともしない。
一条が入ってきた。いつもは茉莉さんが作ってくれたサラダや果物を持参しているのに、今は学校の購買で人気のカロリーの高いメロンクリームパンを貪っていた。俺の隣で食べ終わってから、ティッシュで口を拭く。それからティッシュの箱を俺の体に投げつけてきた。
「いたい」
学校に来てから、初めて発した言葉だった。かすれて、ちゃんとした声が出なかった。舞台の上で発したら、一条に即罵倒されるようなものだ。今の一条は無言だった。俺は小さく礼を言って、ティッシュで目を拭った。
「幸せって、何だと思う?」
無視された。
辻田も藤野も一条も、俺を見てきている。聞こえていないわけがないのに、黙ったままだ。俺を伺っている。こういうのは初めてだった。美晴の死で追いつめられていた時は彼らと会いもしなかったし、全て諦めた後は、彼らはニュースのあった日もいつも通りに接してきていた。
俺が悲しみを彼らに向かってはっきりと示すのは、初めてだ。だからいつもと違う。皆俺が感情をどう表現するかによって、反応を変えていたようだ。俺が平気そうにしていたら、彼らも平気そうにする。俺が悲しんでいたら、彼らは。
「読むことと、書くこと」
辻田は仏頂面のまま、言ってきた。質問してから五分後のことだった。
「好きなことを、好きなだけやること」
藤野は俺を見続けていた。優しい眼差しをしていた。
「世界一の役者になること」
一条は横を向きながら、うなるように言ってきた。
俺は全員の顔を見てから、首を傾げた。
「じゃあ今は、幸せなのか?」
「微妙」
「あたしは、幸せ。でも完璧じゃない。これからもっと楽しくなるって、わかってるから」
「幸せでも不幸でもない。そういうのを決めるのは、死ぬ間際でいい」
「でもさ、最初は絶対、幸せだったはずだろ? 今もそうだけど。お前らは、ちゃんと産まれて、ちゃんと育てられてきた。実の親だろうがそうでなかろうが、愛されてきた。それだけで十分だとは、思わないのか?」
「思わない」
辻田が言ったと同時に、藤野が頷いた。一条は微動だにしていなかった。
「でもそれって、苦しいだろ。お前らが本当の意味で幸せになるためには、ただ愛されるだけじゃだめだってことになる。怖くないのか? どれだけがんばっても、自分の満足するものができる保証はない。それなら、常にそばにある家族の幸せの方がいいんじゃないのか?」
「生まれてきてしまったから」一条は澄んだ瞳をしていた。「私は、こういうふうに生まれてきた。パパとママは好き。でもそれじゃ足りない。私が私を好きになるためには、演技を死ぬ気でやるしかない。それがいいの。それが幸せ」
辻田と藤野も、その意見に異議はないようだった。
俺は俯いて、両腕を机に寄りかからせた、そうでもしていないと、どこまでも落ちていきそうだった。もし自分がいなかったとしても、彼らは大丈夫だっただろう。辻田がたとえクラスで孤立していても、気にせず本を読んで書きまくって、そのうちデビューしていただろう。藤野が学校に来られなくて退学したとしても、自分の得意なこと、好きなことを続けて、誰かに見出されていただろう。一条がこの高校からいなくなって別の所に行ったとしても、自分の仕事を続けて、日本でも世界でも大きな成功を収めていただろう。
「あたしだけ?」
藤野は力が抜けたように笑っていた。「ちゃんと幸せなの、あたしだけ? 嘘つくな。辻田も一条も、ちゃんと言いなよ。二人、最初に会った時と全然違うよ。あたしと同じでしょ? あたしは、辻田も一条も、倉下もいるから幸せ。この場が幸せって感じ。友達ってこんなに良かったんだって、思ってる」
だがもし元のままだったら、こういう風に藤野が心から言えることはなかったかもしれない。辻田が咳払いをしてから目を泳がせたり、一条が舌打ちをして俺の足を蹴ってくることもなかった。
俺はティッシュをまた取った。鼻を噛むふりをして、目の下を拭いた。散々自分の中の感情と向き合ってきたつもりだったのに、今はただ流されていた。
「俺が幸せになるためには、どうしたらいいと思う?」
「他人に答えを求めるな」
一条はいつも容赦がなかった。だからありがたかった。
「自分を救えるのは、自分だけ。他人の言葉をどれだけ良く思ったとしても、それを自分で使わなければどうにもならない。だから、目をそらすな。本気で考えろ。不安になったら他人を利用すればいい。自分だけは利用するな。絶対に蔑ろにするな」
自分を好きになる。それもまた答えの一つだった。結局自分自身が嫌いなままだったら、いくら楽しいことをしていても幸せにはならない。嫌いなものが幸せになっていたら、不幸を感じるからだ。
「俺はお前らが好きだ。だから自分も好きになりたい」
キモ、と三人の声がかぶった。表情は様々だった。その違いこそが演劇部で、俺の愛してるもので、幸せの一つだった。だから俺は、自分の殻を剥がした。
「球技とか得意な男子に限って、水泳はそんなだったりする。中学の頃、結構あるあるだっただろ?」
間があってから、辻田が肩をすくめた。そっぽを向いたまま。
「知らねーよ」
「でも俺は違ったんだ。サッカーとか他の球技も楽しくやってて、夏にあるプール授業も大好きだった。五十メートル、簡単に泳げたんだ。でも、それは中学二年の終わりまでだった。初めて溺れかけるまでは」
辻田が、俺を見てきた。それで全員の顔がようやく見えるようになった。
「野岸市の南にある大きな池さ、前はあんなに囲いが立てられてなかった。大きな事故が起きたから、そうなったんだ。俺が乗ってた車が、あそこに落ちたんだ。ちゃんとガードレールもあった。でも父さんが運転してた車は乗り越えた。脇見運転をしてて、止まった前の車にぶつかりそうになって、それを避けようとしたから」
少し話すと、後はもう水が流れるよりも簡単だった。そんな簡単なことを、母さんにも美晴にもできなかった。
「父さんは、おもろかった。元気で、明るくて、センスもあって。真面目に働いてるのに、家族にとっては芸人みたいだった。いつも母さんと美晴と俺を笑わせてた。俺も、そうなりたいって思ったんだ。だから、面白いと思って、サッカーの練習の時の笑い話を、運転中の父さんに言った。父さんは笑ってくれた。いつもちゃんと前を見てるのに、その時だけ、俺の方を見て笑ってくれた」
あとは衝撃、浮遊感、暗闇、水、たくさんの泡。そういったもので塗りつぶされている。
「ドライブレコーダーも全部だめになった。だから、何も知られなかった。俺は、黙ってたんだ。放心状態だったとか、そんなのは言い訳にならない。父さんは自分の不注意で死んだことになってた。俺はそれを訂正もしなかったんだ。死んだ父さんのことよりも、母さんと美晴に責められないことの方が大事だったから。どうしようもない。教えてくれ。こんな自分をどう好きになったらいいと思う? どうすれば、幸せになれる?」
「知るかインポ。お前の長ったらしい思い出話なんてどうでもいいんだよ」
俺の言ったことを、一条は受け止めた直後に窓の外へと放り投げた。
「なあもう少し」あまりに容赦ないので、逆に笑ってしまった。「もう少し、俺のことをさ」
「他人に訊くなって言っただろ猿」
さらに苦笑する。まさこの告白をした直後に、こういうリアクションを自分がするとは思ってもいなかった。予想外だ。だからこそ、永遠にも思われるほど繰り返しても、あまりうんざりせずにいられる。
「困ってるから、訊いてるんだけど」
辻田と藤野は神妙そうにしていたのに、一条の態度のせいで落ち着いてきてしまった。少しだけ、寂しかった。
「お前の父親の代わりに、お前を責めればいいの? 馬鹿みたい。悪いのはお前の父親」
「そんなことはない」
「私のママは、私がいくら話してもよそ見なんてしない。それに言ってた。誰かを乗せて運転してる時は、その人の命を抱えてると思ってやってるって。どんなことが後部座席で起こっても、運転中は簡単に振り返ったりはしないって」
「そっか」
俺は窓の外を見た。流れていく雲を見てから、再び彼女の向き直る。
「じゃあ、俺が望んでいること話すから。それに対するアドバイスをくれ」
「内容次第」
辻田と藤野は謎の微笑みを浮かべて一条を見ていた。
「俺は、自分の家族に会いたいんだ。どうすればいい?」
「死ねば?」
「もう試したんだ。できなかった。だから、あっちから会いに来てもらわないといけない」
「幽霊とか言い出したら、ここから追い出すぞ。気持ち悪い」
「そういうのでもなくて、現実的に生き返らせる方法が欲しい」
「現実的に言えば、お前に記憶を消す薬でもぶち込む方がまし」
「逃げたくはないんだ。真面目にやりたい」
家族の死を受け入れられていないこと自体が、逃げていることになる。だから忘れてさっさと前に進め。それくらいのことは言われると思っていた。だが一条は黙っている。代わりに辻田が、静かに話し始めた。
「蘇生の方法は、かなりの人間が探していると思う。でもまだ、誰も見つけられてない。公表されている範囲では。つまりお前が見つけるには、一生かかっても無理な可能性の方が高いってこと。倉下、お前は自分の人生全部を、それに捧げたいのか?」
「捧げたい」
「そんなお前を、僕は見たくない。お前は家族の幸せにために不幸になり続けるのか? じゃあお前は何のために産まれてきたんだよ。おかしいだろ。こういうことは、お前一人の問題じゃない。お前は人を巻き込むのが得意な奴だ。絶対にお前は誰かに迷惑をかける。自分の家族のために、自分と他人を不幸にするのか?」
「そんなことはしたくない」
「なら答えは決まってるだろ」
俺よりも俺のことに怒っている辻田を見ると、気持ちは揺れることなく安定していった。藤
野がおずおずと口を開いた。
「あたしも、最初は色んなことを恨んだ。何か原因があるんじゃないかって。それをなくせば、お父さんとお母さんが戻ってくるんじゃないかって思ってた。でも、苦しいことにしかなんない。こういうのって、結局は神さまを恨むしかないから。苦しくなるだけ」
「神とか、お前信じてんの?」
「くだらない」
辻田と一条に言われて、藤野はむっと口を上に寄せる。
「宗教とかじゃない。神さまって、便利だよ。どうにもならないことでも、神さまのせいにできるから。結構気持ちが楽になる。いいじゃん、それくらいは」
「神様が原因の一つではある。そいつを何度か殴ったり蹴ったり噛みついたりしたこともある」
全員が、俺の方を向いてきた。
「頭がおかしくなったわけじゃないから、安心して。俺はそいつと会えるし、会話も、まあ一応できなくはない」
一条は何の驚きも示さずに、素早く返してきた。
「拷問でもして、命令すれば?」
「いや、無理だ。そんなことができる相手じゃない。化物だから」
「なら、話せばいい。お前がまだこうして生きてるなら、化物とか神様だったとしても、狂暴じゃなさそう」
「頼んだよ。生き返らせてくれって。何度も頼んだ。でも同じような返事を返してくるだけ。相手にしてくれない」
「何ふざけたこと言ってんの? 頼んだくらいでやりきった感出してるんじゃねえよ無能が」
俺は一条の目を見た。
「どういうこと?」
「この世に、頼んだだけでできるようなものがどれだけある? 全部の生き物が、お前の召使いだと思ってる? まずはその、甘ったれた精神をどうにかしろよ」
「もっと優しく、わかりやすく言ってくれない?」
一条は大げさにため息をついた。
「お前は、私のことを召使いだと思ってる?」
「思ってないけど」
「ならどうして、私はここにいるの? 仕事もほとんどやんないで、高校の部活やってるの? 自分が頼んだから、一条あいはここまでやってくれるんだ。ついでにヤレそう、みたいなこと考えてるの?」
「考えてないよ」
「じゃあ思い出せよ。お前が私を部活に誘った時のこと」
それで答えは十分だと言わんばかりに、一条は黙った。俺は考えた。思い出せるように、集中した。何度か俺は、一条を誘った。でも彼女は断った。でもただ断っただけじゃなかった。条件を出していた。それから辻田と藤野が認められた後も、俺だけが除外されそうになって。
自分の目が、いつもより大きく開いているのがわかる。
「俺の強みを、示さなきゃいけなかった。一条はそういう条件を出してた」
「それで?」
「ただ頼んだだけじゃなかった。もっと別の、そう、取引みたいなものだった」
「よし」
一条はつまらなそうな顔で頷いた。出来の悪い教え子を相手にしているかのようだった。
「取引をすればいい。その神とやらと」
「できるのか、そんなこと」
「お前の方が知ってるだろ。相手の求めてることを理解して、それを利用しろ。憎い相手ほど、理性的に立ち回れ。そうでもしないと、お前はいつまでたっても子供ままもがくことになる」
俺は化身のことを考えた。嫌な奴だと思っている。壊してやりたいとも。憎いと言われれば、とても憎い。なのに今まで、俺は奴と取引や交渉をする考えを持ったこともなかった。まるで、絶対に逆らえない存在であるかのように考えていた。憎いのに、その相手の立場を頂点にまで押し上げていた。
「出てこいよ」
リュックを開けて呼びかけた。すぐに化身が飛び出してくる。
「見えるか?」
辻田と藤野は、少し遅れてから首を振った。明らかに戸惑っている。
「見えない」
一条はやや早口で否定の言葉を出した。俺は彼らの反応を確かめてから、化身に顔を近づける。これの求めていること。それははっきりしている。「面白い」だ。
「お前と俺が、取引をする」
『プリティ!』
控え目だが、評価をされたことには変わりない。
「俺とお前のせいで死んだ、大切な人々を生き返らせてほしい。代わりに、条件を示してくれ」
化身は無反応だった。つまり何かが起きたということ。遅れて気がついた。今まで化身とは、まともな会話をしたことがなかった。その語彙は五つだけ。評価の言葉のみ。だから答えないのではなく、答えられないのだとしたら?
「俺の方から、条件を示せってことだな?」
『プリティ!』
「じゃあ俺の命をやるから、皆を戻せ」
「おい」
「ちょっと」
『ディックヘッド!』
辻田や藤野の声と、評価が重なった。一条が俺の足を蹴った。わかっている。これは化身の求めていることじゃない。自己犠牲で終わる物語は気に入らない。どうやら化身は、辻田と同じ意見のようだった。
「もっとおもろいことをしてやる。だから、戻せ」
『ディックヘッド!』
「お前の想像もつかないようなことをやってやる」
『ディックヘッド!』
俺は助けが欲しくて、一条を見た。彼女には化身の声が聞こえていないが、どういう話の流れになっているのかはわかっているらしい。
「取引は、天秤みたいなもの。重さが釣り合ってないと基本的には成立しない」
「要求が重すぎるってことか?」
「あるいはお前の対価が軽すぎるか。具体性がないと、空っぽも同然」
父さん、母さん、美晴、安藤先生。その四人の命と引き換えになるもの。そんなのは存在しない。別の四人の人間の命を対価にしても、釣り合っているとは思えない。少なくとも俺にとっては、人の命の価値は平等ではないから。その人の命には、唯一無二の価値がある。
そもそも生き返らせることそのものが、間違っているのかもしれない。別の表現を使う必要がある。四人を生き返らせることなく、生き返らせなければいけない。つまり彼らが死んでいる時点でだめなのだ。死ななかったことにしなければいけない。
俺は美晴を救えなかった。どんなことをしても、美晴は死んでいた。死ななかったことにするということは、化身や化身を動かしている何かの行動を否定することにつながる。かなり重い要求になるだろう。
彼らにとっては軽い要求で、四人が生きるようにしなければいけない。出題文ばかりがひねられて、答えが用意できていないような欠陥問題のようだった。俺はそれを解決できないはずだった。
四人の死に、密接に関わっている人間がいる。そいつは甘ったれたどうしようもない野郎で、野岸南高校二階の端にある演劇部の部室の中でみっともなく悩んでいる。そいつは、回転が得意だった。ぐるぐる回り続けても耐えられる。繰り返してもまともでいられる。だからそいつは母親から産まれることができた。逆子だったのに、一八〇度回転して産まれることができた。
「要求は一つ、いや、二つだ」
俺は化身に話した。辻田と藤野は何かを言いたげにしていた。一条は何も口を挟んでは来なかった。ただ俺の本気を計るかのように、目を覗き込んできていた。
化身は何の反応もしなかった。つまり、続けろということだ。
「対価は、おもろさだ。お前が示した目標点数の二倍、取ってやる。だから要求を呑め」
化身は無言のままだ。最低評価を下さないということは、間違いを選んでいるわけではない。だがまだ正解でもなかった。まだ足りていないのだ。要求は二つ。ならば対価も二つ必要だ。
俺は自分の中にあるためらいを新たに見つけ出す作業をした。ずっと前から捨てたつもりでいたそれを、ほじくり出す。
六十三点に達してから伸びなかったのは、俺が幸せじゃなかったから。だからいくら他を良くしても意味はなかった。では、そこから徐々に下がり始めたのはなぜだろう。ただの化身の悪戯だとは、もう思えない。そこには明確な意味がある。
一気に〇点になったのではなく、徐々にそこまで下がった。およそ五百周ほどかかった。それが良くないのではないか? 俺はあまりにも時間をかけ過ぎた。
「才能とは、過程を楽しめることであり、速さでもある」
一条が目を見開いた。
俺は繰り返しの中で、その過程を本当に楽しんでいたか? そんなはずがない。死んで家族の皆に会うことを結果としている過程なんて、つまらないに決まってる。
俺は速さを意識していたか? そんなわけがない。ある周で問題を発見しても、その周のうちに解決する気なんてさらさらなかった。締め切りなんて設定していなかった。だから、つまらない。永遠にできたら、勝てるのは当たり前だからだ。当たり前は、おもろさにはつながらない。新しくて、必死になって。そうした極限の緊張の中に見えてくるものこそを言う。
答えは簡単だった。それを口に出すのが怖い。今まで安心と安定の中でやっていたのだと自覚した。点数が下がっていくのは当たり前だった。俺は演劇部の全員の顔を一人ずつ見た。「今」の彼らの前で、俺は初めてさらけ出した。失敗してまた戻ったら、同じことをするのか? 懸命な告白でさえ風化させていくのか?
そんなこと、させはしない。そんなのはつまらない。
「対価は、おもろさだ。お前の示した目標の二倍、点数を取る。そしてチャンスは一度だけ。この演劇部で達成する。次はない」
『スモーキンセクシーベイベー!』
三人は、静かだった。その周りを化身が飛び回っていても、平然としていた。それでよかった。彼らはいつも通りの力を出せればそれでいい。これは俺にとっての試練だ。俺だけの。
面白くならなきゃ死ね
場所:日本
期間:一年生の修了式まで
目的:総合一三〇点以上の獲得
手段:一条あい、辻田大志、藤野璃々
要注意事項:一五四六二週目が失敗すると、ペナルティが課せられます
ペナルティ:貴方が一番苦しむこと
失敗しても俺が死ぬことはないのだろう。感じたことのない痺れを背中に感じながら、文字の並びから目を離した。もう二度と、見るつもりはなかった。
「ほんとに、そこにあんのか?」
「もうどっかいったよ」
辻田は、俺が見ていた辺りの机を触っていた。何の恐れも不安もなかった。好奇心だけがあった。それから彼は、俺の方に振り返ってくる。
「おかしくなったとは思わない。でもまだ信じるに値しない」
「好きにしていいよ」
「逃げんなよ。信じないのは、まだ何も知らないも同然だからだ。全部話せ。僕や一条、藤野に全部。聞く権利があるはずだ。何があったのか、全部聞きたい」
話さないという選択肢は、ありえなかった。ここで沈黙を選べば、溝ができる。そんな状態で最高のものができるわけがない。今までは失敗しても次に気持ちを切り替えられたが、それもできない。それに俺は、話したかった。自分がどれだけのものに巻き込まれたのか。どれだけのことをしてきたのか。皆に知ってもらうことも、幸せにつながると考えていた。
だが、今ではない。頭の中で熱を帯びた思考が生じた。それは全身を落ち着かなくさせて、狭いところから勢いよく出て行きたくなるようにさせる。やりたいことを、初めて見つけた。
「話すよ。でも今じゃない」
「機が熟すまで、確証が得られるまで。僕が一番イライラする、思わせぶりなキャラが使う言葉だな」
「お前らにとって一番わかりやすい形で、全部伝えるよ。少し時間をかけたい。でも、必ず話すから。だからその時が来たら、ちゃんと見てくれ。全部信じてくれ」
「やだね。全部は無理だ。納得できるとこだけ」
他の二人は何も言ってこなかった。藤野はじっと見てきた。一条はやや落ち着かなげに顔をそらした。意外な気持ちだった。彼女達はそれぞれ普段と逆の反応をしている。
「とりあえず、何も気にしなくていい。皆、いつも通りにやればいいから」
「あんまりそう思ってなさそうな顔だけど?」
藤野が不敵な笑みをした。辻田と一条のものに、かなり似ていた。
「いつも通りに引き上げるまでが、難しいこともあるからな」
「辻田みたいな話し方しないでよ」
「衣装を破って捨てる。複製を多めに作っておく。この案をこの劇に取り入れる」
藤野は笑みを収めた。
「そんなことしたら」
「後で話そう。解決策がある。それと辻田。普通の脚本とは別に、キャラクターそれぞれの視点を描いた小説も書いてほしい。なぜならお前はその方が楽しそうだからだ。あと途中で追加したい場面があったら遠慮なく言って。学校との交渉には慣れてる」
相手の反応は確認せず、最後に一条へと向き直った。
「それと、覚悟しておけよ。俺は全力でやる。一皮むけたってやつだ。舞台の上で食われないよう、気を付けろ」
「やってみろよ。皮かぶりの童貞野郎」
一条は上目遣いをした。少しも可愛さは増していない。狂暴な目つきだった。




