表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/27

自意識過剰野郎

「なんかさ、不満とかない?」

 一条たちを全員部室に集めて、俺は尋ねた。

「特に何も」辻田は肩をすくめている。

「劇の話? 別に」藤野は作業をしながら言った。

「お前、人のこと心配してる場合?」一条は、いつもの仏頂面でちくちく刺してきた。

 あるんだな。俺は確信して、覚悟した。このまま発表するのはだめだということ。だめだから戻されるのだ。俺は、文化祭の発表終わりから先に行けない。

「一条あい、辻田大志、藤野璃々をその家族から奪い取る」

『ビューティフル!』

 化身に拍手されながら、俺はうなった。字面だけならおもろそうだ。だが、予想される労力に対しての評価が低い。上から二番目の評価、ラブリーフォックスくらいでなければ意味がなさそうだ。重要なのは、スモーキンセクシーベイベー。

 そのためには、一条たちをより深く知らなければならない。俺の目からすれば、あの劇は文句の付けようもなかった。俺自身を除けば、素晴らしいパフォーマンスを発揮したと考えていた。もしそれが、俺だけの感想だったとしたら? 劇終わりの様子を思い返す。辻田、藤野は興奮していた。本当にそうだったか? 達成感はあったかもしれない。だが満足していたか? 


 俺はまず、辻田に意識を向けることにした。

「もしかしてお前、面白いものを書こうとしてる?」

「そりゃあ、そうじゃん。書くからにはさ」

「理解できん」

 辻田はぱちぱちとキーボードを打ちながら首を傾げた。

「書きたいもの書けよ。面白くしてやろうとか、考えるな。お前がやってた、あー、テニスもそうだろ。いきなりスーパーサーブ打とうとしても、できないだろ」

「俺の好きなことか。うーん、むずい!」

「倉下はさ、難しく考えすぎなんだよ。長さもどうでもいい。身構えなくてもいい。物語になってなくてもいいから、書いてみるんだ」

「辻田も、最初そうしたの?」

「憶えてない。書き始めたの、四歳くらいからだから。お前さ、初めて二足歩行できた時どんな気持ちって言われても、答えられないだろ?」

「・・・・・・母さんが飛び上がって喜んでて、俺もすごく嬉しかった記憶がある」

「じゃそれ書けよ。お前が二足歩行し始めた時のこと、今のお前の言葉で書くんだ」

「そんなんでいいの?」

「それも小説になる。ちょっとでいい」

 ずっとずっと悩んでも小説が書けなかったのに、辻田に相談するとあっという間に解決した。今まで想像していたような、頭の中で芸術みたいな話を組み立てて、綺麗な言葉で表現するといったことはまるでなかった。

 正直、見せるのはものすごく恥ずかしかった。自分で読み返せないくらいだ。途中で大きく脱線したし、苦しくなった。暗記したことなどをただ用紙に書いていくこととはまるで違う。自分を容赦なく晒け出していくような感覚。辻田の貸してもらったパソコンで五百字くらい書いただけなのに、胸が一杯になった。

 どきどきしながら辻田に見せると、十分ほど何も返ってこなかった。俺よりも何倍も本を読んでいる彼ならあっという間に読める量なのに、何度も目線が左右を往復していた。

 辻田は楽しそうに笑っていた。

「校正もされてない他人の文章見るの、新鮮だな」

「どうだった?」

「良い小説だった。結構本読んでたから心配してたけど、お前の生の言葉のままだったし」

「心配って」

「はっと目の覚めるような美人、とかさ。読み慣れてるだけの奴って、そういう手垢のついた言葉を使いたがるんだ。僕も偉そうには言えないけど。だけどお前は、ちゃんと魂を込めて書いてた。ちゃんと伝わってきた」

 日だまりに撫でられたような気分になった。

「でも、文とかもぐちゃぐちゃだし」

「ぐちゃぐちゃそのものも、小説じゃねえの? お前しか書けないれっきとした作品だ。次も書けたら、気が向いた時にでも見せろ」


「辻田、嫌なこと訊いていい?」

「迷惑料請求してもいいなら」

「辻田ってさ、好きな物事になるとすげー話しやすくなるじゃん。だから、その。同じ趣味の友達とか、いたの? 中学の時とか。できそうだけど」

「中学か。いや、別に。友達なんていなかった」

「なんか、嫌じゃない? 寂しくなかった?」

「個人差があるだろ。僕は、平気だった。全然話合わないし。それにいじめられてたからな」

「ごめん」

「たいしたことなかった。いじめてくる奴ら全員にやり返せたし」

「えっと、何を?」 

「下駄箱に泥とか? 時間かかるから夜学校に忍び込んでやった。あと机に落書きとかも」

「よく大丈夫でいれたな」

「大丈夫なわけねえだろ。お前、僕がどこの中学にいたか知ってる? 四国だよ。親父の転勤で高校からはこっちだけど。絶対僕のやらかしのせいもあったね」

「後悔してる?」

「全然。僕が悪夢に出てきたら嬉しいよ」


「変なこと訊いていい?」

「質問料くれるなら」

「成彦さん、お前の父さんは俺なわけじゃん?」

「違うけど」

「あ、俺っていうのは俺じゃなくて。一人称それ使ってるよねって。でも辻田は僕じゃん。何か理由とかあんの?」 

 辻田はにやにやした。

「僕も昔は俺使いだった。でも、ある時考えたんだ。一人称の小説ってあるだろ? 翻訳物も含めて、俺よりも僕の方が多いんだよ。あとは、歌詞。歌詞に出てくる一人称も僕が多い。だから自分のものとして使ったら、より、こう、詩的な考えが得られるんじゃないかって」

「わからん。それ、中学二年の時とか? そういう時期あるよな」

「小二だけど」


 俺はかんばって書いた。絞り出すようにして書いた。最初は楽しかった。書いたものがすぐに評価されるから、テンポ良く達成感を得られた。しかも相手は辻田だ。その楽しさは少しの間だけ続いた。

 内容は単純だった。主に家族のこと。母さんや美晴のこと。たくさん書いた。おもろくしようなどという気にはならなかった。書きたいから書いた。何度も。飽きはしない。胸が一杯になって、熱いものがあふれて、眠れなくなってもやめたくはなかった。

「父親の方は?」

 でも辻田は、容赦なく指摘してきた。

 俺は最初、わからないふりをした。でも辻田は察してはくれなかった。

「お前の母親が産まれる前に別れたとか? ろくでもなかった?」

「違う。そんなことない」

 俺が声を荒げても、辻田は少しも怯まない。むしろ楽しそうになる。

「じゃあ書けよ。中途半端が一番だめだ」

「でも、なんていうか。気分が乗らない」

「自分にとって気持ちいい題材だけを書いても、面白くならない。むしろ難しい題材ほど面白くなったりするんだ。書き手としての成長にもつながりやすい」

 やってはみた。父さんのことをちゃんと考えるのは久しぶりだった。背が高くて、髪が若干茶色で、いつも頬にえくぼができてた。それで、それで。サッカーが好きだった。広告の会社に勤めていて、その同僚と一緒にチームを作ってやっていた。俺も子供ながら、混ざって遊んだことがある。

「つまんな。舐めてんの?」

 辻田は別に怒っているわけではなさそうだった。こういうことを言った後すぐ、動画や小説を読んで大笑いしていたこともある。

「お前、マザコン寄りだな。父親の、浩樹さん? 嫌いなの?」

「そんなことない」

「いや嫌いになれよ。思春期だろ」

「嫌いじゃない」

「ならもっと書けるだろ。小手先でごまかそうとしてる」

「辻田みたいに、いつも上手くいくわけじゃない」

「僕だっていつも上手くいってはねーよ。今までできてたことを、繰り返すだけだ」

「やらないとだめ?」

「お前がだめだと思ってるなら、だめなんじゃね?」

「適当だな」

「お前のことは、お前が決めろよ」

 こういう時、俺は酔っ払って本音を言ってきた辻田や、頭をケガしたときすぐにティッシュを持ってきた辻田を思い出すことにしている。

「辻田もさ、やってんの? 自分のこと書くとか。父親とか母親のことも」

「やってるわけねえだろ。気持ち悪いもん絶対。私小説の類は嫌いだから」

「お前がもんって言う方が気持ち悪い。じゃあ他人のこと言えないじゃん」

「お前が書きたいこと書いてるだけだろ。僕は助言してるだけ。嫌なら別のこと書いたっていい。同じくらい魂が込められることをさ。お前、ファンタジー系のものよく面白いって言ってたじゃん。じゃあそれ書けよ」

「むずいって。それにパクリしか思いつかない」

「神話が考えられた大昔に、既に物語のパターンは出尽くしたって言われてる。じゃあなんでまだ物語が作り続けられてる? どんなに既視感のある物語でも、吐き出す奴によって味わいが変わるからだよ」

「わかった」

 これは難しかった。演劇部の活動の合間にがんばって書いた。結局三週分ほどかかってしまったが、魔法を教える学校で留年してしまった男の話を書いた。

「つまんな。いろんなやつのパクりじゃんこれ。魂がこもってない。あと文章もゴミ」

「文章は、いいじゃん。俺プロでもないし」

「どうだっていい。僕は読み手として作品を評価する時に、そんなのは気にしない。アマチュアにしては上手いだの、プロにしては下手だの、そんな評をする奴は全員死ね。関係ないんだよ。面白いか、面白くないか。それだけだ。書いた奴の立場なんてクソくらえ」

 俺は、辻田に何度も助けを求めた。もっと具体的なアドバイスが欲しい。あるいはもっと実用的なコツが欲しい。

「人によって必要な地図は違うんだよ。お前に僕の地図渡しても迷い続けるだけ。自分の地図は自分で書け」

「なあ言っていい? 言うわ。辻田ってさ、先生には向いてないよな」

「僕学校の教師と医者だけにはなりたくないって思ってるから。ありがとう」

「褒めたんじゃねえよ」 

 三回ほど撃沈してから、結局俺はまた家族の話を書くことにした。辻田は今までの周回は打って変わり、無難な感じで褒めてくるようになった。

 辻田の作品も読ませてもらった。四歳の時に書いた初めての作品。それは有り体に言ってしまえば、パクりだった。かぐや姫の話をベースにした、タイムパラドックスがテーマのファンタージSF。全部ひらがなで、しかも手書きだったので、かなり読みづらかった。それでも、最後まで読まされた。かぐや姫が主人公の犠牲に涙するシーンは、少しぐっときた。俺は四歳の辻田に、ぐっとさせられたのだ。

 他に作品はないのかと聞いて、辻田は何もないも答えた。中一のの時にノートパソコンを与えられてからは、そっちで書いていたらしい。だが、書き終わるとすぐに全消去して、ファイルの名前も変えて、そこから新しい作品を書き続けているのだという。

「なんでそんなもったいないこと」

 辻田は少し恥ずかしそうだった。

「だって、嫌だろ。かっこ悪い」

「賞に出したりとかは?」

「僕が納得してないのに? アホか。今回の演劇部の脚本からだよ。人様に見せていいくらいになったのは」

 俺には、とてもそうとは思えなかった。だから調べた。四歳から中一まで、辻田はずっと手書きで書いていたのだという。そっちを見れば、彼の理解に役立つのではないかと思い、両親にも協力してもらった。

「そこのクローゼット。幼い頃大志は書き終わったら、いつもそこにしまってたんです」

 辻田の部屋で、佳乃さんがクローゼットを開けてくれたが、作品らしきものはない。辻田の制服などが掛けられているだけだった。

「学習帳のノート。あれってよくかさばるんです」

「捨てたんですか?」

 佳乃さんは、何も悪いとは思っていないようだった。

「はい、かさばるので。しかもどんどん追加されていきますから。ひどい時にはノートで満杯になりすぎて、開かなくなった時もあったんですよ」

 クローゼット全体を見る。これは、本棚ではない。タンス一つ分でもない。着替えを掛けるためのスペース、棚をいくつか並べるためのスペース。ノートだけで埋めるには、どれほどの。

 俺はまだ、わかっていなかった。

「まとめて捨てるのは、面倒じゃないですか?」

「最初はそうでしたね。でも、ええと。三回目くらいから慣れました」

 恐怖も忘れて佳乃さんと目を合わせた。サングラス越しに。

「三回? 一回じゃない?」

「はい、そうですよ。後半は恒例行事みたいな感覚でした」

 母親にとっては、さほどそうでもないことなのだろうか。いや、この人も少し抜けているだけだ。そうに決まっている。

「全部で、何回満杯になったんですか?」

 佳乃さんは指で数え始めた。両手を使っても足りないようだった。

「ええと、ごめんなさい。うろ覚えで。二十は超えてたと思います」

 辻田本人にも、話を聞いた。

「子供の頃、一日にどれくらい小説書いてた?」

 辻田は勢いづいている俺を不思議そうに見てきていた。

「子供って、今も子供だろ」

「小学生とか、中学生とか」

「ああ。どれくらいって言われても。全部だよ。一日全部。今とあんま変わんねえよ」

 平然と笑っている。

「いやでも、限度があるじゃん?」

「確か、幼稚園卒業くらいの年だったかな? あったろ? みんなで遊ぶ時間みたいなやつ。僕あれ嫌いでさ。無視して脱走して、市の図書館でノートに書いてた。五時間くらいやってたら善意のバカに通報されて、やってきた保育士とか園長先生と喧嘩した」

「お前の方がバカだよ」

「ずっと書いてるわけじゃないぞ。小説のこと考えてる時間も含まれてる。一回三十時間くらい起きてたらさ、ぶっ倒れて。そっからは親父かお袋が定期的に見に来るようになった」

 成彦さんと佳乃さんのどちらも、眼鏡を掛けてはいない。コンタクトもしてない。辻田だけが近視だった。後天的にそうなったのだとよくわかるエピソードだ。

 だから、俺もバカになることにした。辻田くらいバカになったら、わかる気がしたから。

 俺は、小説を書き続けた。完成しない小説を。


「おもろいって、なんだと思う?」

「主観的なことに関して、他人の意見を求めてどうするんだ?」

「意地悪すんなよ」

「まずは、お前の意見を示せよ」

 俺は自嘲気味に笑った。

「当たり前じゃないことかも。誰もがやってるようなことじゃないっていうか。勉強とか部活とか。そういうのじゃない。あんなのがんばっても、つまらないままだし」

「そうか?」

 辻田は斜め上を見ている。

「やりようによるだろ。勉強なら、例えば一年生で東大受験を成功させるとか。犯罪すれすれのことやれば、可能だと思うし。部活なら、一年生で全国優勝とかな。個人競技ならできるだろ。勉強や部活を題材にしたおもろい作品が、この世にどれだけあると思ってる?」

 俺はその勢いに身を任せていた。こういう考えができるからこそ、辻田は俺と決定的に違うのだ。何も言えないでいると、彼は続けた。

「お前、小説の名作と駄作の共通点ってわかる?」

 辻田が自分の好きなことを話す時はいつだって、俺の目を見てこない。

「どっちも小説じゃないってこと。名作は自分が何かを読んでることすら感じさせない。その世界を主人公と一緒に進んでる気分になる。駄作は薪にしかならない」

「つまり?」

「真のおもろさっていうのは、媒体を超えるんじゃないか? だってそうじゃなきゃ、文字がたくさん並んでる本とか、ただの絵とか、カメラで撮影しただけのものが、誰かの心を動かして、考え方まで変えるわけがないだろ」

 声も遠くなっている。こういう時、辻田はいつも未来へと向かっている様子になる。

「媒体を、超える」

「書く方は意識しなきゃいけない。自分の想像したものが、現実以上のものだと考えて書かないといけない」

「そんなの、できんの?」

「信じられる奴が、名作を書く。僕は、僕自身の幸せよりも、僕が書くキャラクターの幸せを願ってる」

 似たような事を、何度も聞いているはずだった。それなのに、毎回震わせられる。言葉そのものというよりは、言い切れてしまう辻田自身の雰囲気に圧倒される。

 そしてまた、繰り返された質問をするのだった。

「才能ってなんだと思う?」

 答えを考える時間はまちまち。十秒くらいで答えてきた時もあったし、一日待たされたあと、ラインでさらっと答えてきた時もあった。今回は、三分だった。

「二作目を作れるかどうか、かな」

「その心は?」

「これ、読んだ本の受け売りなんだけど。どんな人間でもさ、できるんだよ。漫画だろうが映画だろうが、絵だろうが小説だろうが。最初の作品は何とか作れるんだ。多数が思うほど、普通の人間なんてそういない。皆物語を持ってる。それを吐き出しさえすれば、一作目はできる」

 椅子が回る。辻田は回りながら天井を見上げている。

「でも二作目は難しい、らしい。僕にはわかんないけど。だから二作目もできたら、その分野の才能があるってこと」

 俺は書き続けた。そして途中で何度もやめた。作品が出来上がる前に、挫折した。それが延々と続いていた。

「嫌にならないの? 小説書くの」

「そりゃあある。何度も」

「苦しかった?」

「苦しかった。でも飽きはしなかった。萎えることはあったけど、やめる気にはなれなかった」

「死ぬまでやりたいの?」

「死んでからもやりたい。あんまり考えさすなよ。唯一の悩みなんだ。なんで寿命があるんだろ。本って読むだけでも百年余裕で超えるのに。読んで書くには、最低二百年ほしいよ。だから僕、生まれ変わりとか信じてる。できれば記憶維持できるやつ。理想は不老不死」

「死ねないって、嫌じゃない? 永遠の命ってあんまりいい結末にならないことが多いし」

 辻田は不敵な顔をした。

「そいつの実力不足ってだけだろ。可哀想っていつも思ってる。永遠に夢中になれそうなこと見つけたら、永遠だって物足りなくなるのに」

 俺には、まだわかっていなかった。辻田がどれだけやっているかを。どんな思いで書いているのかを、わかっているつもりになっていた。

 何度も死を考え実行してからは、どんな苦痛も耐えられるようになったと思っていた。だがそれは、ただの思い上がりだった。俺は時々、自分から死にたくなった。小説を書いていると、思い知らされる。辻田のそばで書き続けることは、最悪の拷問だ。

 別に、辻田よりもおもろいものを書いてやろうとか、そんなことは思っていない。それでも、苦しかった。どれだけ続けても、辻田と同じ思考には至らない。散々書いて悩んで、彼のぞくっとさせられるようなすばらしい意見を聞き続けても、だめだった。

 辻田の話を聞いた。小説作法の本を読んだ。文豪の生涯を過剰にドラマチックに描いた作品も見た、聞いた、読んだ。それでも、俺の奥底には冷笑の含まれた考えがこびりついていた。文字をひたすら並べ立てて、何してるんだろう。そんなものよりも大事で、楽しくて、嬉しくなるようなことはたくさんある。囚われてしまっている辻田は、可哀想だ。

 なのに、最高だ。辻田の作品に俺は打ちのめされる。

「あー、ネズミの話? あんなのでよく泣いてたよな、お前。僕はあんまり好きじゃない」

「どこが?」

「最後に主人公が死ぬとかさ、くさすぎる。あの作品は逃げの作品だ。もっとおもろくなるかもしれなかったのに、僕はあれを習作だとごまかして、安易で自己満足的なバッドエンドに逃げた。見ろよ。思い出したら鳥肌立ってきた」

 作者本人がけなしているのに、おもろい作品が出てくる。想像が追いつかなかった。どれだけ辻田のそばで書いても、彼のアドバイス、意見、主張を聞いても、わからなかった。納得ができなかった。

 どうにもならなくなって、俺は尋ねた。

「なんで小説を書かないでいられる?」

 演劇部の活動の真っ最中だった。俺と一条が演技して、辻田がその解釈について意見を言う。藤野は傍らでずっと制作をしている。そんないつもの空間で、俺は異物を吐き出した。

 辻田の反応は遅かった。自分の方に話したのだと、遅れて気がついたらしい。

「急になんだよ」

 俺は持っていた脚本を床に落とした。辻田の眉が上がる。背筋が強張る感触がやってきた。

「よく考えたら、おかしい。これはなんだ? なんでこんなもん、お前が書いてるんだ?」

 何度も脚本を踏みつけた。一条は何も手を出してこない。藤野が手を止めて、俺の顔を直接見てきている。辻田は、わからない。彼の方を見れない。

 数秒空いた後、小さな声が聞こえてきた。

「面白くないのか?」

「おもろいよ。でもおもろくない。媒体を超えてこないから」

 辻田にだけしか、伝わっていないらしかった。それで十分だった。

「書けよ、小説を」

 辻田は少し下を向いていた。

「どうして指図されなきゃいけない?」

「お前の思いついた話を、小説で書かないでどうする。こんな、短い文と台詞ばっかのもんで消費していいわけねえだろ」

「脚本を馬鹿にしてる?」

 一条が腕組みをしながら口を挟んできた。

「小説と脚本は違う。演劇に合っているのは脚本。視覚と聴覚の情報が全て。わかる? 小説の映像化にも、脚本家は必要。ギャップを乗り越えないといけない」

「こんなシンプルなのは、日本式だろ? 演出を監督や役者に委ねるって感じ。でもアメリカとかでは違う。脚本家も細かく書ける」

 一条は面倒そうに目を合わせてきた。

「最近はそうでもないけど。いい? 脚本っていうのはね、作品じゃないの。システムの一部。多くの人がそれを読んで制作に参加する。だから必要最低限の情報を、わかりやすく。そして話の筋を素早く追えるのが理想なの」

「細かく書いたっていいだろ」

「描写が過ぎると、演じる時の想像の余地がなくなる」

 俺は内心びくびくしながら、鼻を鳴らした。彼女たちの分野で強く意見を言ったことがなかったから、虚勢をはった。

「なにぬるいこといってんだ? 小説を台本代わりにしたっていいだろ。想像の余地だ? お前はそんなもんなのか? 想像想像って、俺に散々言ってきただろ。こんなもんかよ。違うよな? 余地がなくなっても、作り出せるのがお前だろ? そうじゃないのか?」

「インポから、女にされたいの?」

「ごまかすなよ。本気で言ってるんだ。俺は困るよそりゃあ。脚本形式のままの方が楽だ。でも死ぬ気でやるから。お前の方もがんばれよ」

 言い切った後、静寂がやってきた。俺は誰かに殴られる覚悟をしていたが、何もやってはこない。やがて一条が一歩下がり、辻田の方を見やった。彼は妙な顔をしている。俺を、不思議がっているようだった。

「急に盛り上がってるとこ悪いけど。僕は別に脚本形式が嫌なわけじゃない。これも勉強の一つだろ? 楽しいよ。小説だけが全てじゃない」

「楽しいだけか?」

「それでいいだろ」

「脚本のために、園長先生と喧嘩できるか? 三十時間もぶっ続けで夢中になれるか?」

「お前それ・・・・・・、お袋か。これからだろ。小説並みに入れ込むようになるのは、まだ先だ。でもこれでいい。いろんな表現方法を知った方が、面白いだろ」

 その意見は正しい。辻田は小説だけを読んでいるわけではなかった。必要ならば女性用の雑誌も読むし、漫画、アニメや音楽のミュージックビデオを解説している動画も見ていたことがある。それくらい、彼は貪欲なのだ。

「でもお前は一番最初に、小説を選んだ。ここまでずっと続けてきた。俺はそれを求めてる。今度の文化祭の劇はなんだ? お前らにとっては通過点か? 俺は違う。妥協はいらない。辻田、お前の一番得意なこと、好きなことで挑んでくれ。そうじゃないとだめなんだ。最高の劇にならない。話はこのままでいいから、小説として書いてきてくれ。一週間以内に」

「でも、」

 俺も不思議に思った。やけに辻田は歯切れが悪い。意味ありげに俺を見てきている。一条も同じようにして視線を向けてきていた。なんだ? 何かがおかしい。

 頭の中が、裏返った。牛乳の中にチョコレートを落とした時みたいに、光景が滲んで広がっていった。あの感動。辻田の作品を初めて読んで、思った。彼の話の中で一条が動いていく、すばらしい。その思いつきのままに、行動した。

 この人は辻田。すごくいい話を書くから。だから彼が脚本書いて、一条がそれを演じる。一緒に演劇部作ろう。

 全身の力が抜けていた。普通、あり得ないはずだ。今まで何度も見てきた。話として聞いてきた。辻田は、小説を書くためなら幼稚園を脱走することさえ厭わない。なのに最近、彼は書いていない。脚本の方に時間を割いている。

「俺のせいか?」

 辻田が一歩下がった。 

「俺が最初に脚本書くって。お前の了承も得ずに言った。だから、それを気にして?」

「おい」

「俺が馬鹿なこと言わなきゃ、お前は書いてくれたのか? ちゃんと一条にも反抗して、小説を書き続けてくれたのか?」

 辻田の可能性を一番みくびっていたのは、狭めてしまっていたのは俺だった。両親でも一条でもない。この俺が最初に、辻田に酷いことをした。俺は彼の小説で感動したのに、脚本を書かせていた。そういう役割を、押しつけたのだ。

 「最悪の周」の時、俺は辻田の脚本を否定し続けた。あの時彼は激昂し、暴力を振るってくると思っていたのに、そうじゃなかった。ただ俺を避けるようになっただけだった。もしかすれば、俺に本気で怒ることを、反抗することを辻田はためらっていたのかもしれない。彼にとっての同姓の友達は俺だけだ。だから。

「おい、のっぽのサングラス野郎」

 顔を上げると、額に辻田の指が近づいてきていた。思いっきり弾かれる。

 辻田の声は怒っていたが、顔は可笑しそうだった。上がっていた眉が元の位置まで下がっている。

「二十四時間後に。じゃあな自意識過剰野郎」

 辻田は素早く踵を返し、教室を出て行った。今まで見た中で一番早足だった。

 次の日、辻田は学校を休んだ。かと思えば、夕方五時くらいに登校してきた。授業は全てサボり、部活だけしに来た形だ。部室に入ってくるなり、俺に用紙の束を投げつけてきた。慌てて受け止めたが、ちゃんとホチキスでまとめてあるので、ほっとした。

「それ、お前の」

「マジで?」

「ジェスタ視点な。ほら一条もとれよ。三役分」

 辻田は、ただ劇の話を小説として書いてきただけではなかった。主人公や他のキャラクターのそれぞれの視点からの話を、分けて書いてきていた。同じ時間を過ごしていても、キャラクターによって感じ方は違う。それをちゃんと把握して、小説として作り込んできていた。

「女視点あんま書くことなかったから、一条と藤野は後で指摘くれよ。すぐに書き直す」

 ものすごく、早口だった。辻田は寝癖を隠そうともしていない。制服の着方もいつも以上に雑だ。最もわかりやすいのは顔だった。目の下に濃い隈ができている。ただ目そのものは元気だった。爛々と輝いていた。

 辻田は目をごしごしとこすってから、にやりとした。

「やっぱ僕、小説と一緒に生きて死にたい」

 辻田はその後、最終下校時間になるまで机の上で眠っていた。いくらゆすっても起きないので、結局俺が抱えて家まで送る羽目になった。


 当然、きつくはなった。辻田の小説は読んでいるだけなら楽しいが、それを使って演技をしなければいけないともなれば話は違ってくる。

 一条は、前ほど俺に構えなくなった。彼女はヒロイン的立ち位置のメイユー、主人公の母のイリン、そして既に亡くなっている主人公のかつての恋人、フウセラの三役を演じている。与えられた小説の量も俺の三倍だ。まず読み込んで、自分のものにするのも時間がかかる。

 俺は何回も主人公のジェスタを演じているから、問題はないと考えていた。だが、甘かった。辻田は平然と物語の筋を変えてきていた。どうやら小説として書くと、より多くの案が思い浮かぶらしい。だから今までの経験が全く通じない場面も出てきた。

 より意見がぶつかり合うことになって、時間的余裕はさらになくなった。だが一方で、洗練されてきている。よりよいものへと変わってきているのがわかった。

 そして本番は、微妙な形で終わることになる。ちゃんと最後までできはした。俺と一条の演技も練習通りだった。だが、照明と音声の担当が一人、素人だった。発表当日に熱を出して倒れたという藤野の代わりに、顧問の若い数学の女教師が担ったからだ。

 本番前日の藤野は、ひどかった。二十四時間ぶっ続けで書いた後の辻田よりも、疲弊していた。あれだけメイクが好きなのに、自分の顔へのそれがお粗末になっていた。


 総合得点:二十七点

 たいして面白くならなかったので、貴方の一番大切な人が死にます


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ