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ブサイクポイントは?

最終日、皆でケーキを食べた。本当は盛大にお祝いでもしてやりたかったけど、辻田だけではなくその両親も乗り気ではなかった。辻田が幼い頃から、あっさりとした誕生日だったらしい。ケーキを、家族みんなで食べるだけ。あとプレゼントの本。辻田は気になっていた官能小説を要求していたらしいが、成彦さんも佳乃さんもそれを無視して話題の本を買っていた。

「また、いつでも来ていいから」

「はい」

「この一週間、家事がすごく楽になってました。また泊まりに来てください。いつでも」

「はい、お世話になりました」

 成彦さんは泣いてたし、佳乃さんは優しく肩を叩いてきた。多分二人がしたかったのはこういうことだったんだと思った。一緒に作った料理やらの残りものを持たされて、俺は来た時よりも重くなった荷物を持って辻田家を出た。

 途中で通ったゴミ収集場で、料理全てを捨てた。団らんの全てを思い出しながら、佳乃さんと成彦さんの嫌いな部分を考えた。だがそれ以上に、自分の嫌いな部分が思考の中であふれた。こういうのは、コツがいる。嫌いだとか、そういうものだけじゃ足りない。憎しみとか、嫉妬とか、そこまで考えないと危ない。

 だから俺は、辻田のことを考えた。俺なら、あいつにもっといい環境をあげられるのに。あんな小説に興味ない人たちが、どうして辻田を産んで育ててしまったのだろう。虫唾が走る。そう思い込んで、防護を作った。

とはいえ俺の方も、小説を書き始めることすらできなかった。弟子失格だ。まあいい。俺は前向きに考えた。あと百回くらいやったら、何とかなるかもしれない。



 次の日、スーツケースやら大きめのバックやらを持って登校した。注目はされたけど、面倒な質問攻めには遭わなかった。ちゃんと話しかけづらくなるように振る舞ったから。今の担任の先生は若いし女性だから、少し怖がらせたり気まずくさせたりするだけで、問題があって相手にしない方がいい生徒、と思わせることができるようになった。多分安藤先生だったら、どこまでやっても無理だっただろうけど。

 放課後スーツケースや他の荷物について職員室でいろんな先生から指摘されたせいで、部室に行くのが遅れた。できれば藤野だけでも居てくれればいいと思いながら、中に入る。

 辻田と藤野が向かい合っていた。藤野の方は顔をトマトにしている。彼らの間には、手に持てるサイズの細長い機器があった。ボイスレコーダーだ。俺の声が聞こえてくる。『もっとちゃんと動いてよ、こんなことも満足にできないの? とか。顔赤くして笑いながら見下してきてほしい』そこでちょうど辻田はレコーダーをしまった。俺を見てくる。真っ赤になった藤野と、無表情の一条も見てくる。

女子も意外と力が強いことを数分間かけて思い知らされた後、俺は部室の真ん中で椅子や机と一緒に横になっていた。

「なんで?」

 辻田は自分の股間を押さえながら、机の上に寝っ転がっている。女子二人は出ていった。多分今日は戻ってこないだろう。

「一条がお前に使ってたのを見て、買った。結構音質いい」

「どうやってじゃなくて、なんでって訊いたんだけど」

「お前、今怒ってる?」

「いや、戸惑ってる」

「じゃあ、失敗だな。どんまい僕」

 辻田は立ち上がり、腰のストレッチを始めた。

「あの、まだわかんないんだけど」

「お前を怒らせたかった。そういうこと」

「説明になってません」

 辻田はため息をついた。どうして俺が悪いみたいな雰囲気になっているのだろう。彼は俺に重なっている椅子やら机やらをどかそうとして、途中でやめた。面倒そうに座ってから、俺を見下ろしてくる。

「お前さ、今まである? 自分のためだけに本気で怒ったこと。少なくとも僕は見たことがない。だから見てみたかった」

「気を遣われたってことで、いいのかな?」

「ちげーよ。お前気持ち悪いとこあるからな。優しさも度を超えるとホラーだよ。だから剥いてみたかった。僕は中身が見たいから」

「俺のこと、好きだったりする?」

「アホ。知ってる奴の知らない姿は面白いって、定番だろ。そういうのを生で見れると、いい刺激になると思って」

「ネタになるってこと? お前もボコられてたけど」

「この世にさ、タダのものがどれくらいあると思う? 僕は納得してる」

 妙な可笑しさがあった。彼は俺を怒らせたくて、男子内限定のはずだった猥談を録音し、女子たちに聞かせた。そもそも昨日の夜やけに辻田が乗り気だったのも、こういう事情があったからなのかもしれない。そこまで行くと、俺を自分の家に一週間泊めた理由も、全て小説のネタになることを狙っていたから、で片付けられる。

「どうして、ここまでできるの?」

「僕が辻田成彦と辻田佳乃の間に生まれてきたから」

 真面目な顔でそれを言える精神。羨ましかった。そして何よりも、今もその環境を維持できていることに対して、強烈な嫉妬が湧いてきた。

「すげえよ。辻田は」

「お前も大概だけどな。知ってる女子でよくあれだけ下ネタにできたもんだ」

「お前もじゃん」

「僕は事前に言ってたから、お前ほどひどくない。倉下のついでに殴られたってだけだし」

 俺は思わず顔だけを上げた。辻田は平然としている。

「お前まさか、一条で抜けない云々、本人にも相談してたのか?」

「結構前に。それが筋じゃないのか? でも相手にしてくれなかった。藤野にも相談したけど死ねって言われるだけだったし。結局お前が一番役に立った」

「なんで相談の順番、俺が最後なんだよ。普通逆だろ……」

 嫌な感情は、気の抜けた笑いと共にしぼんでいった。やっぱり、辻田はおもろい。小さく笑っていると、辻田は俺から目線を外した。荷物の方を見ている。

「てか、あの荷物なんだよ。僕んちに泊まりに来た時みたいな・・・・・・」

 最後まで言う前に、辻田は気がついたようだ。マジかよとでも言いたげな顔で見てくる。俺もマジかよ、だった。こんなことになるとは思っていなかったから。

 五回くらい電話をして、それから謝罪の言葉を三回くらいラインで送ったら、ようやく藤野と連絡をつけることができた。部室に戻ってきた彼女は、一条と一緒に変な笑顔を作っていた。えくぼが大きくできている。目がぎゅっと潰れて、笑っているのに怒っているように見えた。

「な、なんですそれ?」

「えくぼ、可愛いんでしょ? やってあげてんの」

 無理矢理笑いながら喋っているから、声が引きつっていた。

「今までで一番あんたに幻滅したかも」

「冗談なんです。もう言いません。本当にああしたいって思ってるわけじゃなくて。汚い性欲とかは、絶対皆さんには向けたり」

「はいはい。で、何? あたしに頼みって」

 俺は藤野に対して土下座をした。

「一週間ほど、藤野さんの家に泊めてくれませんか?」

 頭を踏みつけられて、それ以上喋ることができなくなった。

 全力で家事を手伝うこと、宿泊期間は藤野の言うことを何でも聞くこと、藤野の部屋から一番離れたところで寝泊まりすること、家の中では常に手錠を付けること、これら一つでも破ったらパイプカットすることなどを条件として盛り込んでいくと、藤野もようやく聞き耳を持ってくれるようになった。

「キモいから、そういうのやめてよ。とりあえずさ、ほんとの理由教えて」

「藤野に、メイクとかデザインとか、そういうの教えてもらいたいから」

 辻田の方はあまり見ることができなかった。

 藤野は腕を組んでから、正座している俺の額を指で突いてくる。

「本当は?」

 さらに声が低くなったので、俺は続けた。

「今住んでるとこに帰りたくないから。独りで眠ると、頭がおかしくなりそうだから」

 藤野は眉を下げた。俺の額から指を離して、所在なげに両手を宙で動かす。徐々にその動きを速くしていって、最後は空気を殴りつけるようにして拳を振り下ろした。

「そういうこと言われたらさ、何にも言えないじゃん」

 ちょっろ。少し涙目になっている相手を見て、そう思ってしまった。辻田や一条も同じようなことを思っている顔だったので、あまり後ろめたさは感じなかった。

「この流れだと、どうせ一条の家にも行くんでしょ?」

「まあ」

「しょおおおがないから、話してあげる。てるくんとななちゃんに。二人にだめって言われたらもうだめだからね」

「ありがとう」

「だめだったら、本当にだめだから」

 スマホで連絡すると、菜々美さんは二つ返事で了承した。忠輝さんにも確認してくれたようだが、「いいよいいよ」とのことだった。学校が終わるとすぐに俺は藤野と一緒に下校した。途中で藤野から聞いた二人の好物のクッキーを買ってから、アパートに着いた。

「何そのサングラス。あんま似合ってないよ」

 他にも色々と訊くことはあるはずなのに、菜々美さんは開口一番そう言ってきた。

「おしゃれです」

「ふーん。だれだってそういう時期はあるもんね」

 俺の寝る部屋は、藤野の部屋になった。「ありえない」「馬鹿じゃないの?」「ななちゃんの馬鹿」という風に藤野はヒートアップしたが、菜々美さんは笑って流すだけだった。

「でも一つだけ条件がある。りりちゃんの部屋、片付けて。私とてるくんが整理しようとすると怒るから」

「俺も同じでは?」

「けっこー違うよ。わかるでしょ」

 藤野は俺の背中を叩いたり叫んだりしてきていたが、黙々と片付け作業を続けていくとベッドに寝転がってスマホを見るようになった。制服を着たままで。しかも学校に持ってきていた荷物は床に放り捨てられている。

 面倒そうに足を曲げて、彼女は黒のハイソックスを脱いだ。くしゃくしゃに丸めてから、俺に投げてくる。

「それ、置いといて」

「どこに?」

「片付けたんだから、場所あるでしょ」

 足を大きく動かしたせいで、スカートが少しめくれていた。ソックスをきちんとたたみ直してから、入り口近くの棚上に置いておく。再び藤野に向き直ると、素足でもう片方の足首を掻いていた。

「学校での態度、なんだったんだよ」

「黙って。見てるから」

 ベッドの方に寄り、藤野の持っているスマホを覗き込む。ここまでしても、彼女は何の反応も示さなかった。画面の中には少し荒い画質で複数の男性が移っている。黒いスーツに黒いバックを持ちながら、踊って歌っていた。

「アイドルとか、見てるんだ」

「うん。小道具がいいの。ばちっと決めてる。歌と顔はクソだけど」

「なんで当たり前のようにくつろいでんの? 学校の時と全然違う」

 藤野はスマホを目から離し、鼻から大きく息を出した。

「思い出させないでよ。キモいから忘れようとしてんのに」

「俺が藤野だったら、そんないつも通りに過ごせない」

「よく考えたら、安全だってわかったから。別にあんたと部屋で二人っきりになっても」

「どこが? なんで?」

 会話の途中でも、藤野の目は忙しなく動いていた。その視線を追ってみると、綺麗に並べられた資料本やら、絵の具の容器やらを見ていると分かった。どれも、俺が整頓のために元の位置から大きく動かしたものだ。

 藤野は両足をベッドの表面に交互に打ち付けながら、続けた。

「だってあんたにちゃんと性欲があったら、一条とヤリまくってるでしょ。でも一条処女だし」

 俺は咳き込んだ。

「毎日のように一条の家行ってるじゃん。ヤれるじゃん。ヤらないわけないよね」

「そんな大げさな」

「普段一条がさ、そこらの男にどういう態度取ってるか、わかる? 一緒に買い物とかいくとさ、めちゃくちゃ見られるし、声もそこそこかけられるの。そういう時のあいつの顔、やばいから。すっと、肌の色が変わる。血が行かなくなって氷みたいになる。あたしですら怖い」

「いつもそういう感じじゃん」

「わかってないな。全然違うって。あんたがいると、一条の色はすごく安定する。声も視線も、赤とマゼンタの混合」

「赤とま・・・・・・何?」

「逆になんでヤらないの? あたしが男だったらもう二ヶ月前くらいにはヤってるけど」

「俺たちがヤってないって、どうして断言できんの?」

「一条に直接あんた処女? って訊いたし。嘘ついてても、わかるよ。もしあんたとヤってたら、その後のメイクで分かる」

「め、メイク?」

 藤野の目は宙を捉えて離さなかった。

「うん。まず色が違う。ほんの少し赤いの。多分血流が活発になってる時間が多かったから。あと、ベースメイクの乗り方が違ってくるかな。触るだけでもわかる」

「なんで、そんなこと知ってるんだよ」

「たまにななちゃんにメイクしてあげるんだけど、そういう感じだから。てるくんとイチャイチャしてる空気感の時にかぎって、そうだから」

「あんまり聞きたくはなかったかな」

 藤野を観察する。彼女はこういう方面の話題は苦手にしているイメージだった。実際そうと取れる場面はいくつもあった。だが今は違う。メイクなどの話題に絡めると、羞恥心がなくなっていくようだった。

「エッチすると、メイクのノリが違う。わかりました、師匠」

「そうそう。憶えといて」

 しばらくの沈黙の後、藤野は半身を起こした。

「やっぱり忘れて。忘れろよ」

 顔が真っ赤になっている。今更自分が結構なことを口に出していたことに気がついたらしい。でも俺が聞きたいのは、そういうことだった。取り繕われていない、生の考えをたくさん記録したかった。

「忘れるよ。大丈夫」

「こういうの、セクハラだから。知ってる? 捕まるんだよ」

「うんうん」

 夜の六時近くになると、菜々美さんが外食に行こうと誘ってきた。忠輝さんは今日だけ仕事で遅くなるらしく、そうするしかないとのことだった。

「結構、外食多いんですか?」

「てるくんがいない時は、だいたいね。私、料理できないからさ。そうだ! 最近美味しそうなクレープ屋さんできたの。夜ご飯それにしよ」

 飛び跳ねている藤野を見て、俺は腕を組んだ。

 そのクレープ屋さんにたどり着く前に、二度彼女たちは買い食いをした。たこ焼きと、コンビニのチキン。確か藤野は一条にダイエットの方法をよく訊いていた時期があったが、あまり自分自身を引き締められずにいるようだった。

俺は二人の先導をし、クレープ屋さんではなくスーパーへと連れて行った。

 俺の買い出しに時折口を挟みながら、菜々美さんは藤野と一緒にぶらぶらしていた。放っておけばすぐに試食コーナーを回ろうとするので、定期的に注意しなければいけなかった。どっちが保護者なのか、わからなくなった。

 アパートに帰り、ガスコンロで料理をした。意外と綺麗だった。おそらく、忠輝さんがこまめに掃除しているのだろう。他人の台所だったが、調味料の配置などもわかりやすく、スムーズに夕食を作ることができた。

 キノコやらキャベツやらニンジンやら、野菜が多めの焼きそば。最初菜々美さんはニンジンが嫌い、藤野はキノコが嫌いといってあまり箸が進んでいなかったが、濃いめの味付けにしたおかげでそのうち食べてくれるようになった。

 菜々美さんが、洗い物をしている俺の横に来る。

「美味しかった。料理できるんだね」

「結構練習しました」

「でも、量多くない? その余った奴、どうするの?」

 既にラップがかかっている皿を指差した。

「忠輝さん用ですよ」

「でも、今日いつ帰ってくるか分かんないよ。そういう時、てるくん外で済ませてくるし」

「そうじゃない時もあるかもしれないじゃないですか。それにあれだったら朝ご飯にもできるし。これくらいはやらせてください。無茶な頼み受け入れてもらったんで」

 菜々美さんはいきなり俺の両肩を叩いてきた。興奮しているようだ。大きく息を吸い込んでから、言ってくる。

「りりちゃんもらって!」

「ちょっと!」

 歯磨きをしていた藤野が、トマトになりながら洗面所から出てきた。

「私メインヒロインいつも応援するんだけどさ。漫画とかでは。でもなあ、やっぱりこればっかりは勝ってほしいな」

「やめてよ。そういうのじゃないから!」

「冷静に考えて。りりちゃん、この先いる? 女装してまで一緒に登校してくれたり、部活に誘ってくれたり。しかも高身長で料理上手! いないでしょ!」

「それは・・・・・・確かに」

「脈アリの可能性も高い。じゃなきゃ泊めてくれって言わないって」

「でも一条のとこにも、こいつ泊まるつもりだし」

「そうなの? ならなおさらがんばらなきゃ! 男はね、遠くの花よりも身近なおっぱいに惹かれるもんなの。押せばいける」

「ば、ばか!」 

 藤野は洗面所へと退散した。満足そうに見送ってから、菜々美さんは俺の肩を叩いてきた。「ね、可愛いでしょ?」

「そうですね」

「まあこういう感じだからさ。めんどくさいこと考えなくていいよ。一週間と言わず、どれだけいてくれてもいいから。四人暮らしも楽しいだろうし」

 スマホが鳴って、菜々美さんは離れていった。彼女がリビングで電話に出る様子を眺めながら、俺は警戒を強めた。どれだけいてもいい。その言葉は、それまでのからかうような調子とは全く違う、とても優しい雰囲気が含まれていた。危険だ。母さんや父さんと同じ煙草も吸うし、今のところ最大の脅威だ。 

 結局、忠輝さんは俺が寝るまで帰ってはこなかった。色々と菜々美さんに言われたらしい藤野は反発するかのように部屋の中で壁を作った。段ボールづくりの簡素なものとはいえ、それなりの大きさのものをあっという間に立てていた。超えたら殺すとのことだったので、俺はそれに従った。隠し持っていた睡眠薬を使って、すぐに眠りに落ちた。

 朝、、焼きそばを食べている忠輝さんに改めて挨拶をした。IT企業に務めているという彼は、白い顔やたまに細かくまばたきする癖のせいで、神経質そうに見えた。

「倉下君は、実際の所男と女どっちなの?」

「どっちもらしいよ」

「そうなのか。へえ。面白いな」

 菜々美さんの冗談をすぐ信じる傾向にあるせいか、彼単体で感じた少しのとっつきづらさが緩和されていくようだった。その様子を見て、またズキズキと胸が痛んだ。反対だ。こっちは母さんが真面目で、父さんが母さんをいつも笑わせているような感じだった。

 一条の家に向かう途中、俺は藤野からクイズを出された。

「あたしのネクタイ。ここの色は?」

「赤?」

「CMYで答えて」

 色の三原色。シアン、マゼンタ、イエロー。既に教えてもらっていた。これは、印刷物などに使われることが多いものらしい。

「えっと、C0、M90、Y70」

「ぶぶー。正解はシグナルレッド。C0M90Y65」

 色は、デザインにおいて重要な役割を果たすという。色の違和感に気づけることが、メイクにも影響してくるらしい。藤野には見ただけで色の三原色であるCMYと光の三原色であるR(赤)G(緑)B(青)の割合がわかるらしい。俺にもその基準を求めてきた。できないうちは、次の段階に進めないそうだ。 

「色そのものだけじゃない。周りの環境も気にして。わかりやすいのは日光。当たってるか当たってないか。当たってても、どの方向から当たってるか。それによって見える色は変わる。感じればいいだけ」

 一条家に着くと、既に玄関の前で一条が待っていた。彼女は真っ直ぐ歩いてくると、藤野と派手にハイタッチをする。俺も片手を上げたが、無視された。

「女友達限定なんだって、これ」

「初めて聞いた」

「アメリカ式らしいよ」

 一条の方は仏頂面のままだが、藤野の方は嬉しげだった。

 そのまま外で、一条のメイクが行われた。鏡が必要とばかり思っていたが、藤野に取っては違うらしい。バックから化粧品が詰まった入れ物を取り出して、てきぱきとやっていた。

 藤野のメイクは、立体感を出すようなものだった。一条のやや現実離れした美しさに、少しの生々しさを加えるみたいな。藤野の手によって、一条は生き返っていくみたいだった。死んでいたわけでもないのに。

 学校で毎日見ていたが、やはり変化の瞬間を目にすると圧倒された。少し睫毛が立っただけ。鼻の筋や頬に少し輝きが加えられただけ。唇にとても淡いリップが塗られただけ。過程と結果が、あまりにも釣り合わない。藤野なりのバランスが保たれていると、飛躍は容易に起こるようだった。

 藤野はこちらを見もせずに、言ってきた。

「ブサイクポイントは? 今の一条の顔で、嫌な部分挙げてみて」

 藤野の表情を観察したが、冗談を言っている風ではなかった。そして、一条をけなそうとしているわけでもない。ただただ、真剣だった。

「わからない。マジで」

「お世辞はいいから。わかりやすくしたんだけど、あんた用に」

「だから、わかんないって」

「手のかかる弟子だね」

 藤野は一条の頬をつまんだ。かなり遠慮のないつまみ方だったので、俺は藤野を守るかどうか迷った。だが、一条はされるがままになっている。

「ここ。ふくらみを少しでも持たせると、肌色が気持ち悪くなる。ベースメイクの時のムラのせい。わかる?」

「・・・・・・全然」

「頬は固まってるわけじゃない。口を動かせば一緒に動く。光の当たり方も変わる。色ムラがあると、すぐにわかる」

「あの、わかりません」

「あっそ。色憶える以外は、ついてくるだけでいいよ。あたし教え方とかわかんないし。見て憶えて。あたしの感覚に寄り添って」

 登校中、藤野と一条は全く話さなかった。俺が話題を振ってみても、舌打ちか曖昧な返事が返ってくるだけ。彼女たちは遠い目をしながら歩いていた。一条が電柱に当たりそうになると、藤野が前を向いたままその肩を引っ張る。藤野が水たまりを踏みそうになると、一条がその頭を押して歩く位置をずらす。端から見ると喧嘩でもしているみたいだった。だが彼女たちは、自分の思考と相手のことで夢中になっている。だから沈黙が流れ続けていても、気詰まりにならない。

 学校が何事もなく終わり、今度は藤野に駅前のデパートまで連れて行かれた。そこの化粧品コーナーで、藤野は店員らしき女性と三十分ほど話していた。あれが美容部員、BAさんらしい。藤野がリラックスして喋っているのを見ると、付き合いはかなり長そうだった。

 それから、服屋さんにも言った。大衆向けの大手ファッション店や、あきらかに女子学生が多そうなブランドの専門店。どこに行っても、藤野のやることは変わらなかった。全部の服を見て回って、考える。ひたすら考える。そしてスマホのメモ帳で何かを入力する。暗くなってくるまで、それは続いた。

 夜、今度は忠輝さんが寄せ鍋を作ってくれた。四人で鍋を囲み、ぐつぐつと具材の煮える音や立ち上る湯気を見る。遠い昔のことが、甦ってきたような心地だった。

「サングラス、曇っちゃうよ。倉下君、それ外したら?」

「大丈夫です」

「健康にいいのかい? いつも付けてるけど」

「おしゃれです」

「でもめちゃくちゃ曇ってるけど。外したら?」

 今度は忠輝さんと菜々美さんの二人かがりで攻めてきた。辻田家とは大違いだ。二人とも、気になったらとことんの性格らしい。俺はよく考えてから、苦笑して答えた。

「実は、サングラス外したらやばいんですよね。苦しくなっちゃうっていうか。呼吸ができなくなったりとか。だから、あんまり外せないんですよ。特にこういう、人がいる空間だと」

「ふーん。じゃあしょうがないね」

「眼鏡拭き持ってこようか。ななちゃんの余りがあるはず」

 多少はきまずくなってくれるかもと期待して言ってみたが、空振りに終わった。異様にスムーズな対応だった。白米を口にかき込んでいる藤野を見る。多分、彼女がいるからだ。経験を積んだ相手を崩すことは簡単じゃない。だから遠慮なく比べた。

 父さんは忠輝さんよりもよく喋っていたし、面白いことを言ってくれた。母さんは菜々美さんよりもこう、上品だったし、気遣いが行き届いていた。だから俺の家族の方がいい。なのにどうして、今俺と鍋を食べているのがこの人たちなのだろう。嫌だった。こんなはずじゃなかった。だからこの人たちが悪い。無理矢理思い込んだせいで、鍋の味が何も分からなくなった。

 夕食も終わり、落ち着いてきた時間になって、俺はこっそり忠輝さんと菜々美さんに呼び出された。これ、と菜々美さんから小さな箱を渡される。どれだけ薄いかをミリ単位で表示している

「私たちさ、九時以降は何も聞いてないことにするから」

 忠輝さんが両方の親指を立てていた。菜々美さんと同じように、にやにやしている。俺はコンドームの箱を握りしめてから、口を開けた。まずいとわかっているのに、沸々としたものを抑えられなかった。

「おかしくないですか?」

 菜々美さんは、笑みを収めた。

「何が?」

「こういうの、おかしいですよ。今、そっちは親代わりなわけですよね。藤野の。なのに、こんなことしてる」

「文句あんの? りりちゃんの可愛さに」

「まあまあ、二人とも」

 忠輝さんが止めても、菜々美さんは俺に近づいてきた。下から見てくる。

「そういうわけじゃなくて、ただおかしいって」

「おかしいこと言ってるのは、倉下くんだよ」

 菜々美さんは鼻を鳴らした。

「りりちゃんの親代わりなんて、誰もなれない。そんなの存在しない」

「そんな言い方」

「優しくないって? どうかな。あの子にとっての父親は、兄貴だけ。母親は、義姉さんだけ。当たり前のことじゃない?」

 菜々美さんは俺から視線を外した。藤野の部屋の方を見ている。

「私も最初の方はバカだったから、母親みたくふるまおうとした。でも無理だった。だってそういう経験なかったし。それにね、そんなことしてたら、私が子供産んだ時どうすんの?」

 どうにかして俺と菜々美さんの間に入ろうとしていた忠輝さんは、そこで一歩下がった。ただじっと、菜々美さんの横顔を見つめるだけになる。

「私さ、仏様でも聖母様でもないから。てるくんとの子供とりりちゃん、同じように扱える気がしないんだよね」

「でも」

「でもあくまでそれは、りりちゃんを娘として扱った時の話。私はりりちゃんのこと、親友だって思ってる。だから私の子供が生まれても、変わらない。親友と子供は違うでしょ? だからどっちも、それぞれの物差しで好きでいられる」

 今ここで、突発的に考えたものではないようだった。菜々美さんは確固たるものとして話しているし、忠輝さんは慣れたように聞いている。二人の間で、たくさん話し合ったことなのだろう。俺は胸が締め付けられて、顔を伏せた。目の上が重たくなった。

 金は入れとく。後は適当にやっといて。自分の親戚の素っ気ない言葉を思い出す。もし俺に叔父や叔母がちゃんといたとして、同じことを思ってくれるだろうか? 

 俺は普通の声を出せるよう、最大限の努力をした。

「でも、だからって、これはやりすぎですよ」

 笑いを含んだ声。それからコンドームの箱を左右に振ってみせる。菜々美さんは舌を少し出してから、親指を立てた。

「でき婚はだめだからね。そこは考えて」

 忠輝さんも肩に触れてくる。今度は真面目な笑い方をしていた。

「今日使わないにしても、持っておくといい。倉下君はモテるだろうし、女性を泣かす人間にだけはなっちゃいけないよ」

「鳴かすのはいいけどね」

「くだらないなあ」

 彼らの楽しそうな雰囲気を見てから、俺は箱を寝間着のポケットにしまった。

 藤野は部屋の電気を消した後少ししてから、話しかけてきた。

「まだ起きてる?」

 正直、寝たふりを続けようかとも思った。多少なりとも意識はしていたから。それでも、藤野璃々との二人きりの会話という、安らぎを得られる機会への誘惑には逆らえなかった。

 目を開けると、段ボールの壁の一部が開き、藤野の顔が出てきていた。知らないうちに、扉を作っていたらしい。

「そっち行っていい?」

「藤野がいいなら」

 彼女は何度か頷いてから、段ボール壁を通過していく。黄色が中心の水玉模様のパジャマ。暗くても、よくわかった。俺の枕元に腰を下ろし、上半身を壁によりかからせる。足を寄せて、体育座りの形になった。そこから右膝を横に倒し、天井の方を見る。

 十秒ほど待ってから、俺は口を開いた。

「何か、相談したいことでもあるのか?」 

「うん、まあ」

 藤野の手が、枕に触れている。

「倉下さ、無理してない?」

 目を上にずらして、逆さまの藤野の顔を見上げた。表情はわかりづらい。

「普通だよ。別に」

「嘘つかないでよ」

 最初の部分は声が大きくなり、途中で慌てるようにして抑えられていった。

「普通なわけない。絶対。だってあたしも、普通にはできないもん」

 途中から声が震え始めた。俺は起き上がろうか迷ったが、そのままにした。藤野の方すらみなかった。何度か鼻をすする音や息を吸い込む音、そして身じろぎの音をしばらく聞いていた。

 相手の呼吸が落ち着いてきてから、小さく言った。

「こういうのって多分、いいことなんだ」

「どこが」

「妹のために泣いてくれる人がいるってこと。貴重なんだよ」

 再び身じろぎの音。頭を振っているみたいだった。それから藤野は腰を上げ、前に出てくる。寝ている俺の視界に入ってきた。目が潤んでいる。睨んできながら、口を開いた。

「あんたは、青」

「うん?」

「誠実とか、落ち着きがあるとか、そういうの。でもシアンもある。青よりも淡い青。儚くて、どこか、消えていきそう」

「パーソナルカラーってやつか」

「そんなんじゃない。あたしだけの感覚。だから、無理しないでよ。あんたは多分、無理するようにできてない。死なないで」

 俺は自分の腰の皮をつまんだ。痛くなるくらいつねった。

「励ましてくれてる?」

「あんたはなんで泣かないの?」

「泣いたよ、ちゃんと。藤野の見てないとこで」

「今、泣きなよ。あたしが泣いてんのに」

「泣いてる自分も嫌になったからさ、もう無理だよ」

「あたしは、好きだよ。泣いてるあんた」

「菜々美さんの言葉気にしてない? 俺のこと意識しちゃってる」

「だって好きだし」

 藤野は、俺の手をつついてきた。

「ななちゃんが言ってたこと、結構正しいって思ってる。あんたの代わりって、そうそう見つからない」

「おおげさな」

「でも、違うの。付き合うとか、結婚とか。そういうのじゃなくて。多分あたし、あんたのことお母さんみたく思ってる」

 さすがに、藤野の方を見ずにはいられなくなった。彼女は俺の手をいじりながら、俯いている。赤くなってもいない。ただただ真面目に考えている様子だ。

「料理美味しいし、なんか色々世話焼いてくるし。背もでかい。遠慮なく寄りかかれる」

「あの二人に悪いな」

「てるくんとななちゃんは、友達だから。大好きな友達。親としてなんて、見れない。でもそれでいいの。だってそういうふうに見ちゃったら、比べちゃうでしょ? お父さんとお母さんはこうしてくれた。二人はどうだろうって。そんなの、嫌だし」

 前の会話を、聞いていたわけではなさそうだった。俺が今更指摘するまでもなく、彼女と二人は話し合っていたのだろう。ただ菜々美さんが思っていることで終わらせることなく、藤野自身と共有する。俺は弱気になった。どうしたら、嫌いになれるだろう。どうしたらあの二人を死なせないように・・・・・・。

「あたしも辛かった。小学生の時だったから」

 藤野はその場に寝っ転がった。足と右の肩だけが、俺の布団に入ってきている。

「中学生じゃ?」

「ううん。お父さんとお母さんが死んだのは小五。そっからメンタルおかしくして。頑張って学校行ってたけど、中一の終わりでもうだめになった。でも家にずっといてもね、死んでやろうとは思わなかった」

「どうして?」

「あたしには、夢があったから。好きなことだけしてたいっていう夢」

「でも、辛いだろ」

「すごく。でも、多分あたしは幼い頃から薄情みたいなとこあった。自分の好きなことと、自分の家族。天秤にかけたらどうなるか。わからないって思うくらいには」

 家族に決まっている。

「そんなに、好きなのか?」

「うん、好き。特にね、今は最高に好き。一条はあたしにとって理想の素材だったみたい。男だったら結婚してたかも。一条に話したら、アメリカに来れば同姓でも籍入れられるよって。すました顔で」

「冗談言う時、あいつだいたいそういう顔だよな」

「辻田も似たようなこと言ってた。一条が文字だったらプロポーズしてるって」

「そっちは、本気っぽいな」

 藤野の笑顔を眺めていると、だんだんと真面目な顔つきに戻っていった。咳払いをしてから、続ける。

「あんたも、夢があればいいね」

「どうだろうな」

「今は難しいけど、あんたもそういう人間だから。夢、作りなよ。応援する」

「どうしてそんなことがわかる?」

 声が冷たくなってしまった。抑えることができなかった。あまりにも無責任な言葉に思えたから。すぐに思い直した。藤野がどうして、俺に責任を持つ必要がある? 傲慢だ。

「わかるから」

 藤野は気にもしていないようだった。何かを思い出すようにして、目を細める。

「あたし、嫌いなものたくさんある。休み時間教室で大声で話してる運動部の男子とか、集団でトイレ行く女子とか。だから最初は、あんたなんて嫌だった。あんたが初めて家に来た日、ほんとなら話さないつもりだった。でもななちゃんからあんたの顔と名前を知らされて、びっくりしたの。再会したって」

「え?」

 藤野はくすくす笑った。俺の一番好きな笑い方だった。母さんと美晴も、これと同じ笑顔が一番好きだった。

「まあそっちは知らなくて当然だけど。中学一年の時、サッカーの県大会の決勝応援に行かされたの。学校全体で。その時あんた、出てたでしょ? すごかった。遠くから見ても、輝いてた。あたしサッカー興味ないのに、楽しかった。あんたの楽しいが、伝染してきたから」

 髪の側面を、触ってくる。

「今の髪型、その時と同じ。だから最初見たとき、サッカーに戻るんだって思った」

 あまり、藤野の声が聞こえていなかった。不意に過去の自分との共通点を指摘されて、容赦なく光景が降ってきた。

 おれのしょうらいの夢は、家族がしあわせになることです。

 小学一年の頃、授業参観の日、自分の夢を発表するという授業があった。俺は何のためらいもなく、そういうことを書いた。その時は父さんも母さんも仕事を休んで、まだ一人歩きもおぼつかない美晴を抱きかかえながら見てくれていた記憶がある。

 皆が幸せの顔になる瞬間。一番強烈なのは、俺が初めてゴールを決めた時だった。母さんと父さんは泣きながらお互いを抱きしめていた。だから俺も泣いた。そのせいで、試合の流れが途絶えたくらいだ。

 だから、がんばれた。特に父さんの方がサッカー好きだったから、死にものぐるいでやった。部活はそこそこに、少し離れた都心のクラブにも入って、もう少しで先輩たちを押しのけてスタメンにもなれる所だった。

 なのに。俺は自分を泥で汚していった。

「あんたは、何かに夢中になれる人間だと思う」

「そうかな」

「見つけなよ。あたしも協力する。だから無理しないで」

 俺には夢がある。理想が待っている。そのためには、藤野の協力も必要だ。何も間違っていない。俺はちゃんと認識できている。藤野は満足げに、その場で眠った。彼女の方に布団をずらしてから、床の上で横になった。目をつぶったが、結局眠ることはできなかった。



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