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俺のものだ!

 一条の家の中に入った直後、辻田や藤野が止めるのにも構わず一条へと詰め寄った。

「どういうことだよ」

 彼女は俺に迫られても、睨んではこなかった。ただ億劫そうに目をそらしているだけ。今までにない反応だからこそ、これが冗談ではないということが伝わってきた。

 茉莉さんは、スーツ姿になっている。最初に会った時のことを思い出した。

「文化祭の日、あいはアメリカに行きます。こればかりは仕方ありません。どうしても外せないオーディションとかぶってしまいました。本番は、代役を立ててもらうしかありません」

「どういうことですか。そんな急に……」

 茉莉さんは両手を前に出して、下がった。近寄るな、ということらしい。

「先方の都合です。こういうものなんです」

「いやでも、どれだけの準備をしてきたか、わかってるんですか? 納得できませんよ」

「これが仕事です」

 冷たく言い切ったその声に、どこにも交渉の余地はないように感じられた。俺は即座に諦めて、一条の方へと向き直った。

「お前、本気か?」

「まあね」

「ふざけんなよ。散々俺をしごいてたの、何だったんだよ」

「近寄らないで、あとうるさい」

 一条のこれまでを想像した。多分、初めてじゃない。こいつは何度か選択してきた。どうすれば自分が次のステージに行けるのか、どちらがより目的にふさわしいか。そうじゃない方を、捨ててきた。

 俺は一気に近づいた。一条が目を見開いて腕を振るおうとするが、遅い。既に俺がその頭を抱きかかえて、右耳の方を胸に押し付けていた。もう、周りなんて見えなくなっていた。

「おい、聞こえるか?」

「なに……」

「言ってただろお前、音がうるさいだの、声が聞こえるだの。俺が一番うるさいって言ってたよな? うるさい方を選択するんだろ? 聞けよ! どっちだ? そのオーディションと、俺、どっちがうるさい?」

「わからない」

 俺は一条の両肩を持った。少し腰を曲げて、彼女と目線を合わせる。

「おかしいよな? 先方の都合だ? 都合が良すぎるんだよ」

「腐れインポ」

「アメリカね。わかりやすいな。こんな偶然あるか? 文化祭は二日間しかない。そこにちょうど、お前が迷うほどの規模のオーディションがかぶる。怪しいよな? 俺たちがかぶったんじゃない。相手がかぶせてきたんだ。だろ? お前の父親しかいない。こんなことすんのは」

 一条の反応だけで、真偽を判断するのには十分だった。さらに自分の中の熱が広がっていくように感じた。

「ならそいつに伝えろよ。どの分際で俺の希望を取ってくのかって。まだわかってもないのに。お前の父親の作品と、俺たちの劇どっちが面白いのかも、わかんないだろ!」

 一条の動きが止まった。間が開いてから、近くで気の抜けたような笑い声が聞こえてくる。

 見れば、茉莉さんが俯いていた。抑えた笑いを少し続けてから、大きく息を吐き出す。上がった顔は、何か吹っ切れたような清々しさがあった。

「もうたくさん」

 懐から、スマホを取り出す。通話中になっていた。

「もういい。あいも貴方も、私を使って倉下君に意地悪しないで。直接話しなさい。いい? 私は倉下君につくからね。もう決めた」

 貴方、という部分ははスマホに向けて言っていた。そして茉莉さんは通話を切ると、テレビの方へと早足で向かう。テレビとスマホの操作をてきぱきとこなしてから、大きな薄型の画面に男が映し出された。

 黒いスウェットにラフなジーンズを履いた、華奢な男が椅子に座っている。髪の側面が刈り上げられていて、もみあげからつながるようにして無造作な顎髭が生えていた。はっきりとした二重の目や薄い唇のせいで、正確な年齢を計ることが難しい。白いマグカップを置いた後、両手を組み合わせた。

『妻に気に入られるなんて、羨ましい限りだ』

 少し独特なアクセントの日本語が聞こえる。

 ロラン・ダタール。大学生の時に一人で作った映画が、新人映画賞の最高賞を獲得。二作品目からは多くの評論家に注目されるようになり、二十二歳でハリウッドに移住。以来、名だたる映画賞を獲得してきた。

 すっと通った鼻筋だとか、堀の深めな目鼻だとか、そして茉莉さんの綺麗な卵型の顔の輪郭だとか。そういう両親の顔の良いところが、見事に一条へ落とし込まれているのがわかった。

 ロランの茶色の瞳だけは、一条とは違う。だがその光は似ていた。もっと重いものだった。映像越しでも、俺は押されそうになった。

『ぼくの映画と君の舞台どっちが面白いか、ね。その問いかけ自体がそもそも、面白い』

「あの、」

 ロランは朗らかに片手を振った。

『いやいや。謝らなくていい。そんなのはどうでもいいことだ』

 頬杖をついた。黙って見ている間に、ロランは手を頬からこめかみの方へと移動していく、人差し指だけを立ててから、こめかみの上でぐるぐる回した。

『おかしくなったと思った。ぼくの頭が』

 爪先を、頭に突き立てる。

『大事な仕事を次々と蹴ったと聞いて、どんな面白いことをしているのかと思ったら。それが……、ハイスクールのサークルに入って、演劇をやるという』

「何が悪いんですか?」

『悪くはない。娘が選んだことなら。だが君だけは、承服できない』

 相手の薄笑いが消えた。一歩下がりかけたが、我慢した。ロランは椅子の背もたれに寄りかかり、両手を頭の後ろにやっている。リラックスしている姿勢なのに、俺は気が抜けなかった。

『詩を、作ったことは?』

「え?」

『最初の一文に命を懸けたことは? 数秒しかない映像を死ぬ気で作り込んだことは? 描く対象に本気で入れ込んで、寝ることも食べることも忘れたことは? 自分の中にある衝動を形として表し、オーガズムに至ったことはあるかな?』

「……ないです」

『娘から話を聞いて、すぐにわかった。君はどこかおかしい。悪いが娘を君のそばに置いてはおけない。避難させたい』

「なんで、貴方が決めるんですか? そんなの」

『今は大事な時期なんだ。娘にとって、一番のね。君の元で歪めさせたくはない』

「俺からすれば、そっちの方がおかしいですけどね」

 わからない。自分がどうして、こんなに苛々しているのか。相手は怒鳴ることもせず、淡々と話してきているのに、癪に障った。

「娘娘って、名前も呼んでない。本当に父親ですか?」

『いいところをつく。最初、ぼくは娘に名前を付けたくなかった』

 俺は一歩下がった。相手が何を言っているのか、わからなかった。ロランは宙を見つめたまま、冷静に続ける。

『名前というのは便利だが、その響きによって対象の性質を固定してしまう恐れがある。娘には合わないと感じた。産まれた直後から、確信していたからだ。この子は良い役者になる。役を演じるのではなく、役そのものとして生きることができるような、そんな理想の役者に。君の側にいると、その夢は汚され、凡庸な現実へと貶められるだろう。親として、どうしてそれを黙って見ていられる? 創作者として、どうして何もできずにいられる?』

 突き刺してくることはなかった。ロランの視線は、どこにも向けられてはいない。俺を見ているのに、俺を通り抜けてもっと別の、大きな何かを包み込もうとしていた。

「だから、そんなの、それぞれの意思が重要で」

『もちろん。重要なことだ。ぼくは誘拐が趣味なわけじゃない。相手の意思も尊重するに決まっている。話は聞いてるよ。ツジとリリー、だったかな? すばらしい才能だ』

 今は、皆の反応を目にしたくなかった。

『すぐに良い環境を手配しよう。こちらには若い才能を支援する制度がある。お金の心配はしなくていい。娘と一緒にアメリカに来てくれ』

「そんなの」

『君には話していない。すまないが、口を挟まないでくれるか? 無理に画一的な教育を受けに行く必要もないし、面倒な人間関係に煩わされることもない。どうだ? もちろん、家族と離れたくないのなら、それでもいい。全て支援する。ちょうどいい物件を、何個か持っている』

 よくある話だ。高校を卒業したと思ったら、高校入学の日に戻る。そういう「やり直し」の物語は、たくさんある。よく作られるということは、面白くなりやすいということだ。でも俺には、何の備えもなかった。未来のことを予測して大儲けするとか、何か重大な事件を止めるとか、そんなのはできそうもなかった。

 面白い物語には、かならず対立や葛藤がある。本で読んだ。つまり、敵が必要なのだと。この男が、敵なのか? 俺はだんだんと冷静ではなくなってきている自分を感じていた。

「やめてください」

『当面はぼくの傘下という扱いになるが、安心していい。決まりなんてものはない。伸び伸びと何かを作り、発表してくれ。働きに応じて報酬も考えている。お金だけじゃない、機会の提供も含まれている。たとえば、君たちの尊敬する作家、アーティストとの対談とか』

「やめろ」

『なぜ止める? ぼくの今回のオーディションは、一度しかない。君の演劇の発表会は、年に一回。卒業するまで三回ある。どうして比べられる? 来年頑張ればいいだけだろう』

「違う」

『君ならできる。信じてるよ。もういいかな? 話を戻そう。今すぐに結論を出さなくてもいい。猶予はある。自分の未来のため、幸せのために、一番良い選択肢を選んでくれ』

「俺の、ものだ」

 勝手に口が動いていた。頭がきつく絞られて、熱が染み出してくる。全身へと広がり、声が震えた。テレビ画面へと一歩踏み出し、さらに声が大きくなった。

「一条あいも、辻田大志も、藤野璃々も、俺のものだ! どこにも行かない! 最後までここで、面白くならないといけないんだ!」

 ロランは背もたれから体を離した。

『ほう? 大きく出たな』

「こんなことにはならなかった。俺がいなきゃ、ここまでできなかった」

『なるほど』

「俺が全員集めて面白くしたんだ。そうしなかったら、だめになってた。全部台無しになってたんだ! これからも俺は、こいつらと一緒に面白くなるんだ。こいつらに、あんたなんかよりもずっと上手く、幸せな環境をあげられる。そうに決まってるんだ」

 吐き出していきながら、俺は自覚していた。美晴を守るため。最初はそれが大元のはずだった。だが時間が過ぎていくほどに、別の思いも大きくなっていた。それは泥のように、俺の両肩に纏わりついてくる。 

 荒く呼吸している俺を、ロランは平然と眺めていた。何度か頷いてからにやりとする。今度は本物の笑みだった。

『ようやくわかった。もう気持ち悪くない。君は面白くなりたいわけでも、面白いものを作りたいわけでもない。面白い何かを所有したいんだ。ただそれだけだ』

 自分でも気づかない内に、ソファに座っていた。テレビ画面しか見れない。できれば、耳を塞いでしまいたかった。

 ロランの声だけが聞こえてくる。

『そんなに大事なら、しっかり繋ぎとめなさい。ぼくは最初に嘘をついた。どうでもよくはない。ぼくの映画の方が面白いに決まっている。学生風情が語るな。では、今度の劇を楽しみにしている。以上』



「急にごめんなさいね。昼食は出前にしましょう」

「マックで」

「うーん、最近脂っこいもの多いような。別のにしようよ」

「私、野菜スティックでいい。ママ、いつものソース作って」

 皆俺を見てきたので、俯いた。辻田の声が聞こえてくる。

「お前はどうすんだよ。ファストフード系、だめなんだっけ?」

「俺さ、気持ち悪くない?」

藤野が肩をすくめてから、唇の先を尖らせる。

「どこが?」

「気持ち悪いだろ。あんなこと言って。やばいだろ俺。ごめん、ほんとに」

「今の方がキモい」

 ぼりぼりとごぼうスティックを食べながら、一条が答える。

「いや、でも」

「期末あるだろ期末」

 辻田が急に口を挟んできた。

「なに?」

「テスト。今度は九科目もある。お前、がんばれよ。こっちは授業なんて聞く気ないから。キモいこと言った罰、それな。ちゃんと赤点回避させてくれよ」

「そういうのじゃなくてさ」

 こんな調子で全員にはぐらかされた。全然俺の話を聞いてくれないのに、なぜか苛々はしない。諦めの境地になってから、茉莉さんが昼食の希望を訊いてきた。手伝うんで野菜たっぷりあんかけ焼きそばにしてください。部員たちを見ながら、そう答えた。


 

 九月末に期末テストが終わり、学校全体が文化祭へと動き始めた。

 演劇部だけではなく、クラスの出し物にも協力した。本番を前にして、しこりは全て取っておきたかった。亮吾や沙良とも、ちゃんと話した。彼らはどこまでも優しかった。俺は今まで、その優しさに甘えていたのかもしれない。たとえ得体の知れない何かの評価がどうであろうが、俺が彼らのことを友達として好きでいることには変わりなかった。

 お化け屋敷のセット作成を手伝いながら、合間合間で台本を読み込む。部活の時間になったら、一条と一緒に稽古を続けていく。そんな毎日を続けていると、時間の流れが異様に速く感じられた。

「文化祭の時、一緒に回らない? ちょっと大事な話もしたい」

 沙良がそう言ってきた時、俺は別の意味で驚いた。こういう展開になることは予想できる。でも、早すぎた。一年生の頃はまだ友達の範疇で、他の大多数と一緒によく遊ぶ仲くらいのだったはずだ。彼女はどこか、焦っているように思えた。

「わかった。二日目の日曜日の方でいい? 土曜は、演劇部の発表あるから」

「うん。私も絶対に見るよそれ。楽しみ」

 はにかむような笑顔を見ながら、俺は考えていた。なぜ前の俺は三年生の時、彼女の告白を受け入れたのか。好きではあるが、それは男女のものではない。沙良は人当たりがいい。一人っ子で、きょうだいが欲しいとも言っていた。だから俺は、彼女なら母さんと美晴ともうまくやって行けてちょうどいい、と考えたのだ。自分でもわかる。これは、良いことじゃない。

 その時になったら正直に答える決心をしてから、俺はさらに文化祭の準備に集中していった。



 本番前日の夜、美晴が話をしたいと言ってきた。

「どうしたんだ?」

 正面に座る彼女は、何かを言いづらそうにしている。美晴は少し変わった。吹奏楽部を辞めて手芸部に入ってから、かなり明るくなった。小学生の時のような笑顔を見せることもある。そんな彼女が、今は悩むようにして口元を引き締めていた。

「ともさ、かなり先の話になるけど、高校卒業したら、どうするの?」

「どうするって、そりゃあ」

 大学に行く。流れるように答えかけて、止まった。今も全く日本に帰ってくることなく、毎月定額を振り込んできている親戚。頼めば、学費も出してくれるだろうか? アルバイトをある程度して、奨学金制度も利用すれば、自分だけでも何とかなりそうだった。

 だがそういう事情以前に、そもそも自分が何をしたいのかわからない。ずっとこの一年をどうにかするという思いでやってきた。まだその半分ほどしか経っていないのに、二年以上先のことなど考えられない。それでも美晴を安心させるために、俺は答えた。

「近くの大学とか? 国立にはしたいな」

 美晴は意外そうにまばたきをした。

「アメリカの大学じゃないの?」

「……なんて?」

「だって、あいさんが言ってたよ。高校卒業したら、連れてくって。てっきりそういう話になってるのかと」

「いや、初耳だけど。あいつ俺を誘拐する気かよ」

 つんとすました顔が目に浮かぶ。美晴は腕を組んで少しだけ笑った。

「とも、鈍いふりやめなよ。わかってるくせに」

「いやいや。漫画みたいな感じじゃないって。普段あいつがどんだけ俺にきついか、映像として見せてやりたいよ。マジで」

「そう? わたしに話してる時は、ぜんぜんきつい感じじゃなかったけどな」

「演技が上手いから」

 俺は自分で笑おうとして、あまり上手くできなかった。それを見て美晴も笑みを収める。一度横をみてから、しっかりと目を合わせてきた。

「やりたいことやったほうがいいよ。わたしは大丈夫。だってその時、わたし高校一年生だよ? 今のともと同じ。寂しくなったら、友達のとこに行ってお喋りもできるし」

 冗談めいている風だったが、その声に含まれる意思は固かった。

「アメリカまでついていくとか、言わないんだな」

「当たり前。わたしそこまでブラコンじゃないもん」

「俺は、つらいけどな」

「あと二年あるし。大学生になったら、さすがに妹離れしなよ。わたしも兄離れするしさ」

 周りの音が、聞こえなくなる。別の音が入り込んでくる。高校一年生の終わりくらいの時、母さんは珍しく遅くに帰ってきた。俺と美晴はがんばって起きて待っていたが、先に美晴が寝て、俺も諦めて寝室に向かい始めた時、インターホンが鳴った。

 玄関を開けると、母さんの同僚である女性職員が、母さんの肩を支えていた。普段飲みに誘っても来ない母さんが今日だけは来てくれたので、皆はりきって飲ませすぎてしまったのだという。俺は送ってくれた同僚に礼を言ってから、母さんをリビングまで運んだ。

 ごめんね。母さんは俺にスーツを脱がされている間、ずっと謝っていた。それからおぼつかない手つきでパジャマに着替えた後、隣に座る俺の肩に頭を乗せて、言ったのだ。

「もう一年生も終わりだねえ。あと二年で卒業だ」

「酒臭い」

「ごめんごめん。ともはすごい子だから、ちゃんとした大学に行くんだろうねえ。もっと都心の方で、がんばるのかも。ともが一人暮らしして、ここからいなくなったら、どうしよう。そしたらお母さん、死んじゃうかも」

 その後の母さんの変化は、劇的だった。俺が何か反応を返す暇もなくばっと離れ、酔っぱらっていたのが嘘だったかのように顔を蒼白にして、何度も謝ってきた。ごめんなさい、今の嘘、冗談。聞かなかったことにして。父さんの命日の時はいつも不安定だった。

 地元の大学に行く。二年生の初めそう言った時の、母さんの申し訳なさそうな、それでいて少し嬉しそうだった顔を思い浮かべながら、俺は美晴を見つめ返した。

「今ここでやっとくね」

 美晴はそう言って立ち上がり、俺の横にまで回ってきた。そこで深々と頭を下げてくる。

「な、なんだよ」

「毎日弁当作ってくれて、悩みを聞いてくれて、ありがとうございました。わたしを育ててくれて、ありがとうございました。一生忘れません。ともは、宇宙一のお兄ちゃんです」

 鼻の底から、痺れのようなものがやってきた。俺は一度眉間を指で押さえてから、何度か首を振る。

「やめろよ、そういうの」

 顔を上げて、美晴は微笑んでくる。

「ほら、やっぱり泣きそうになってる」

「お前もじゃん」

「こういうのはさ、早めにやっとくと湿っぽくなりすぎないから。卒業式の日とかにしてごらん? 絶対とんでもないことになってたからね」

 すらすらと話してはいるが、声は少しだけ震えていた。でも一緒に風呂に入ったり、思いっきりゲームを楽しんだりしている内に、いつもの雰囲気が戻ってきていた。

「明日楽しみー。あいさんの演技」

「俺は?」

「まあまあ楽しみ、かな? 上手い引き立て役、期待してる」

「言ってろ」

 美晴との掛け替えのない時間を過ごしながら、俺は明日の本番のことを考えていた。



 二日間の文化祭のうち、演劇部の発表は一日目の昼前に設定されていた。

体育館のステージを使うのは三年生だけだが、そこに割り込ませてもらった。時間調整にかなり苦しんだらしい。もう卒業してしまう三年生の最後の発表と、演劇部の発表どちらを優先するか。かなり荒れそうだったが、なぜか俺に対する当たりは激しくなかった。

 一条がどうしてやることリストに勉強や部活のことを入れたのか、ようやくちゃんとわかった気がした。演劇部の部員は、学校の成績という点においては悲惨だ。だが部長の俺は違う。だから部全体の印象も最悪にはならない。教師陣にとっても。

 その中に、多分担任の安藤先生は含まれていない。何度か謝りに行ったものの、やはり先生はちゃんと受け取ってはくれなかった。まるで俺のしたことがなかったみたいになっている。そのせいで、俺の方がぎくしゃくしてしまっていた。

 本番が近づくにつれて舞い上がっていく沙良の様子を見るのも、複雑だった。彼女はかつての三年間よりも、ずっと積極的になっている。できるかぎり誠実に応えなければいけない。

 少しの悩みを抱えつつも、本番がやってきた。

 色々としてきたつもりだったが、それでも緊張はした。だがいい緊張だった。一条から、緊張は消すものじゃなく乗りこなすものだと教わっていたから、その通りにした。

 ひたすら彼女に置いていかれないようにしがみつく。そんな必死な状態でも台詞が飛ばない程度には、練習してきている。俺は一条と同じ舞台に立ち、対等なキャラクターとして演技をした。ここは辻田が一番こだわったセリフだとか、一条の顔にある精霊の文様は藤野が一晩かけてデザインしたものだとか、色々な思いが背中を押してくれた。

 今まで聞いたことのない規模の拍手を身に浴びた時、俺は動けなくなった。一条に肩を掴まれて、退場した。

「やったな」

「すごかった。二人とも」

 辻田は珍しく頬を紅潮させ、俺の肩を叩いてきた。藤野はもっと赤くなり、俺と一条の周りで何度も飛び跳ねていた。

 一条がいきなり、辻田を抱きしめた。ステージ裏の空気がしんとなる。次に彼女は逃げようとする藤野へとハグをし、最後に俺の背中に腕を回してきた。

「良かった。でも、次はもっと良くなる」

 今まで見たことない優しい目で、そう言ってきた。次。俺は自分の気持ちが切り替わるのを感じた。そう、次だ。まだ期間は残っている。四月から始まって、まだ一年の半分ほどしか過ぎていない。もっと面白くなろう。

ロランの顔が浮かんでくる。座席の方にカメラが何台かあったから、その中に茉莉さんもいたはずだ。彼女が撮った映像を、あの男は見ているのだろうか。どういう評価を下すのだろう。

 もっとはっきりロランの顔が浮かんできた。さすがにもういい。今は別のことを考えていたい。そう思っていたのに、消えてはくれなかった。よりくっきりと浮かんでくる。テレビ画面に映った、椅子の上にゆったりと座っている彼の姿が。

『ぼくは最初に嘘をついた。どうでもよくはない。ぼくの映画の方が面白いに決まっている』

 周りを見る。急に明るくなっている。体育館のステージ裏じゃない。馴染みのある室内だった。一条家のリビングだった。


 なんか面白いことしろ

     期間:五十秒

     目的:十五点以上の獲得

     あと八回で死にます


 文字が、ロランの顔を潰している。


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