第5話 "夢で再び/きっとこの世界でも"
『ナオさん……。ナオさん。お久しぶりですね』
「この声は、女神様?」
闇色の空間に天からの桜色の光が一筋、差し込む。白い兎が足元を跳ねまわる。
一転、あたりはうっすらと桜色に色づいた空気が満ちる、甘やかな空気の部屋に変貌していた。
目の前にはあの時の女神様がドレスの裾をひるがえし、立っていた。
『はい、私です。女神ですよ。眠っているナオさんの脳内に語りかけています』
ほにゃりと、柔らかな笑みを浮かべる女神様。
「お久しぶりです。紗雪と生きられるこの世界に連れてきてくださり、ありがとうございます」
まだこの世界の事を知れたともいえない状況だが、女神様と話せたらまず改めてお礼をしなければと思っていた。
無益な人生と諦めかけていた前世から、肉体の若返りまで付けて連れてきてくれたのだ。しかも紗雪が動いて話せる!
どれだけ心からの感謝をささげても足りないほどだ。思うだけで再びワクワクしてきた。
『あらあら。これは嬉しいですね。こちらこそ、まずはティアナレアの確保、ありがとうございました』
「”愛と堕落の女神様の加護を得た天翼種”という事でしたが、女神様の事……なのでしょうか?」
『そうですね~。堕落と言われるのはちょっと悲しいですが、まあ、事実です。一応自己弁護させてもらいますと、過度の労働、自分の無い生活はダメですよ~っていうのが私の教えの1つです。週休3日制を主張したのも私です……定着しませんでしたけど。余裕がなければ恋も愛も育ちません。前世でも少子化が! とか、晩婚化が! なんて言われていたでしょう?』
「まあ、それは過労や休暇の少なさだけが原因かは別として、そうですね。余裕のある生活が、充実の第一歩かもしれません」
『あとはほら~、愛を育むとそういう関係にも至って~、そうするとヒトは堕落に至る場合もあると言いますか~』
それはまあなんとも、自業自得というかなんだろう。前世でも愛の女神というのはいろいろな神話にいたと思うが。
まあ、深くは突っ込むまい。
「としますと、女神様のことはどのようにお呼びすれば良いでしょうか。よろしければお名前を」
すると、驚愕したように目を見開く女神様。
『ま、まあ、なんて大胆な。ナオさん、思っていたよりアグレッシブですね!? まさかいきなり女神な私を口説いちゃうなんて』
とんでもない事を嬉しそうに言われ、慌ててしまう。
『まずはお買い物やお食事デート、ゆっくり関係を深めてから告白。ああ、でもでも、初めてのデートで湖のほとりのコテージ、夕日に赤く染まるなか触れ合う唇なんて言うのも……!』
「ちょ、ちょっとお待ちください。お名前をうかがっただけで、口説いてなど」
『む、むぅ? 無意識というか、知らないが故ですか。ちぇ~』
可愛らしく拗ねて見せる女神様。
『この世界ではですね、神名を告げることは、その者と特別な縁を結ぶ。結婚より重い意味を持つのですよ。なので、残念ですが今はまだ、世間一般と同じに”愛と堕落の女神”と呼んでください。私とだけの時は”愛の女神”でもいいですけれど、外で”堕落”を外して呼んでいるのを聞きとがめられると、相手によってはまずいことになりますから』
「ん~。分かりました」
『さてさて、こうしてナオさんに語り掛けたのはですね。神託です! というかまあ、先日の”救って欲しい”というお願いの次の段階なのですが。ティアナレアちゃんを仲間に迎え入れてあげて欲しい。今後一緒に行動し、彼女を幸せにしてあげて欲しい。とまあ、そういう内容です。そうですね、せっかくの異世界ですし、冒険者なんてどうです? グェリア王国はダンジョンもあれば、少し西に進むとモンスターたちとの最前線もある。まさに前世で語られる冒険冥利に尽きる場所ですよ♪ 数多の困難を乗り越え、そして芽生える男女の恋! いいですよね~』
「彼女がそれを望むでしょうか。奴隷からはもちろん解放したいと思っていましたが」
うんうん、と桜色のロングウェーブヘアを揺らし、頷いてみせる女神様。
『天翼種、ナオさんの認識では天使のイメージで大きな間違いはないのですが、というのは他者依存がすごく強い種族なのです。依存対象が身近にいないと、精神に異常をきたしかねないほどに。しかも彼女はこれまでの境遇の関係でさらに特殊というか……。そのあたりは、私が答えを教えてあげてしまうわけにはいかないのです。ナオさんが自らの手で解決し、その過程で彼女との絆をですね……。彼女には私からの神託を下しておきますので、ナオさんといる事に問題はありません。彼女自身それを望むようになるでしょう。それと、彼女には戦う能力もありますので、冒険者をするならうってつけですよ』
「承知しました。そういう事であれば。ちなみに俺が異世界から来たという事は?」
『ティアナレアには伝えて構いません。ナオさんは私の使徒だとも神託で伝えますので、秘密は無しで大丈夫です。紗雪さんもいるのに一緒にいる子には秘密があるとなると、面倒でしょう?』
「そうですね。正直助かります」
『ではそういう事で。神託は以上です。この世界を楽しんでくださいね、私の使徒。貴方をいつも見守っていますからね』
神々しい後光に照らされ、さらに姿を薄れさせながら、満面の笑みを浮かべる女神様に一瞬見惚れる。
『ティアナレアの事、好きになって大丈夫ですからね! いっぱい一緒に愛を育んでであげてくださいね~』
手を振りながら消え去り際の発言に思わず脱力してしまう。さすが愛の女神様だという事なのだろうか……。
「いえ。ですから、紗雪がいますので。そのような事は」
まだ聞こえているのかはわからないがきちんと否定しておく。
やがて眠りへと戻っていった。
目覚めると、枕元でぺたんこ座りをし、灰銀色の緩くウェーブのかかったロングヘアをベッドに広げ、カールツーテールを軽く左右に揺らしながら、ご機嫌にこちらを見つめている紗雪と目が合った。
「おはよう、オーナー」
「ん、おはよう、紗雪」
ああ、前世では妄想の中でしていた会話が、こうして実際にできるなんて。
声優さんにあまり詳しくなくて、紗雪の声のイメージを固めきれていなかったが、こうして声を聴くと、ああ、この声しかない! と、耳から入る甘美な響きに脳髄がしびれるような快感と共に確信する。
うん、幸せだ。
ティアナレアとの関係を結ぶよう後押しする不穏な言葉も残されたが、改めて女神様に心の中で感謝を捧げ、ベッドから出る。
「昨夜、女神様が夢に現れてね」
夢とは思えないほど一語一句しっかり覚えている内容を、紗雪と共有する。
非常に迷ったが、最後のティアナレアに関する女神様の発言も包み隠さず伝えた。
自分には紗雪だけだという確たる思いと共に。
「ん、嬉しいわ、オーナー。でも、でもね? この世界に来てからずっと思っていたのだけれど、私の身体はこんなでしょう? いくらあなたがそれで許してくれても、貴方を満足させてあげることが究極的にはできないのだと思うの。だから、同じサイズの女の子とその……と、とにかく、そうなる事を、止めるつもりはないから、ね?」
「気遣いは嬉しいけれど、そんなつもりはないよ。前世も今世も、俺には紗雪だけだ」
軽く自分の人差し指の背を唇であまがみし、肩をすぼめて顔を俯け、照れる紗雪。
可愛いその姿に、たまらずそっと頭を撫でる、至福の朝。
ついつい、いちゃいちゃまったりと過ごしてしまい、ぎりぎり朝食がまだいただける時間に食堂へと降りる。
シチューとパンという朝食をいただき、宿の女将に聞いて冒険者ギルドの場所へと向かう事にする。
紗雪にも食べさせてあげたかったが、いまだ人形の扱いがわかっていないので今はまだ自重した。
いづれは自室で食べるか、何かしら対策を考えたいところだ。
この時間は宿泊客が中心だからか、昨夜のような賑わいはみられない。
紗雪を抱いているのが異様に感じられるのか、じーっと、探るような視線を集めていたのが気になった。
あるいはファンタジーなこの世界なら、人形が動いてしゃべってもおかしくないかもしれない? と期待したが、こうして街の中を歩いていてもそのような姿はみあたらない。獣耳、長い耳、子供のような小さなでも明らかな大人。種族こそ多種多様なようだが、大人の姿で身長60cmという人形スタイルの存在とはすれ違わない。
かくて安全を取って、今も紗雪は左腕に腰かける形でお人形さん然として、抱きしめられてもらっている。
歩みに合わせて揺れる髪が、左腕をくすぐるのが心地よい。
ふとこうしていると前世でのことを思い出す。
紗雪をこうして左腕に抱きしめて、ドールイベントの会場を一緒に見て回ったものだ。
イベント会場直後は熾烈な争奪戦。当然危ないので紗雪はドールバッグの中で待っていてもらう。
そうして血で血を洗う戦場が過ぎれば、ゆったりとみて回る時間だ。
ディーラー様が展示している衣装にアクセサリー、どれが似合うかなと、自分の中には無かったコーディーネイトと出会って、紗雪の新たな一面を発見する。この色とあの色、どっちがいいかな、なんて小声で語り掛けるのも醍醐味だ。同好の士からも引かれていても気にしてはいけない。
それからしばらく戦利品で着飾った紗雪と過ごす時間に思いをはせながら、持ちきれない程の荷物を一杯に抱えて帰るのが至福なのだ。
あるいは、メーカーの招待イベントに参加して、楽しんだことも幾度もあった。
巨大なビルの最上階でのパーティー、ケータリングのバイキング。ドールの生みの地、メーカー本社、ドールアーティスト達が集う社食体験。ホテル宿泊付きのイベント前夜祭。日本庭園に古くから続く古風な家屋、併設された美術館と工房を兼ねたビル、特別な施設でのひととき。
そんなイベントで毎回催される抽選会は残念ながら一度も、当たったことがなかった……。
ふと懐かしく思い出す。
夢の中でもいいから、またあの雰囲気を感じたいな。
俺の独りよがりで選ぶのではなく、紗雪が実際に一緒に選んで、好みを伝えてくれて。
そんな風にできたら、さらに楽しいだろうな。
ああ、そういうお店や場所が、この世界にもあるかもしれない。
この異世界でやりたいこと、探したいことがまた一つ、増えたな。
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