18:女幹部は変人受けが良い
樹へメッセージを送った。家族以外の異性へメッセージを送るなど、蛍にとって、人生初の出来事だ。
彼とは以前、電話で話したこともあるが、あの時は深く考えずの突発的行動だった。
だが文章を考え、打ち間違いがないか確認する間に、人はどんどん冷静になる。
送信ボタンを押す段階に至って、蛍の緊張感は否応なしに高まっていた。それに呼応して、余計な心配事が渦巻く。
迷惑ではないだろうか、嫌がられないだろうか──といった懸念が、胸に去来する。
それらを封じ込め、半ばやけくそ気味になって送信ボタンを連打。
携帯の画面を睨んだまま、大学図書館前のカフェテリアで時間を潰す。
仕事で忙しいかもしれないが、少しだけ待ちたかった。どうせこの精神状態では、勉強にも身が入らないだろう。
十五分ほど経っただろうか。
メッセージに既読マークが付くと同時に、樹から着信があった。
こうなるとは考えていなかったので、振動する携帯片手に無表情で焦る。
無意味に周囲を見渡した。視線のかち合った何人かの学生は、怪訝そうに蛍を見つめ返す。
カフェテリアは通話禁止でなかったことを、次いで思い出した。
それでも背を丸めて口元を手で覆いつつ、蛍は通話ボタンを押す。
「も、しもし」
さっきまでアイスカフェオレを飲んでいたはずなのに、喉がカラカラだった。
〈もしもし蛍ちゃん。相談ってどないしたん?〉
いつもの快活なそれと違い、樹の声には心配の色が伺えた。
「はい、大したことではないのですが……それより、返信していただければ、私からお電話しましたが」
〈駄目です。学生さんに通話料、負担させられません〉
豪快そうな外見と異なり、樹は案外律儀で細かい。
「ありがとう、ございます。あの、詐欺グループの件はご存知でしょうか?」
〈うん。ニュースで見た見た。大金星やね〉
我が事のように嬉しそうだ。正義のヒーローとして、それで良いのだろうか。
「いえ……そのことで少し、心にもやもやしたものがありまして」
緊張感からつい、タイトスカートの布地を握りしめる。
〈それが相談内容?〉
「はい。気軽に話せる方が、あまりいなくて」
〈やろうな〉
電話の向こう側で、樹が笑う。
〈せやったら、会って話そうや〉
「でも」
〈僕ら友達やろ? 気軽に頼ってや。それに僕も、夕方から手ぇ空いてるし〉
不思議なことに、樹と会うことが少しずつ楽しみになっている自分がいた。彼の提案に、知らず胸が弾む。
己の内なる変化を持て余しつつも、蛍は会うことを承諾する。
「ありがとうございます。今、大学にいるんですが」
〈僕もあと二時間ぐらいで上がりや。そのまま、大学で待ってられる?〉
「はい。ちょうど勉強しようと思っていたので」
〈相変わらず蛍ちゃん、真面目やなぁ〉
少しからかうような口調に、蛍は背筋を伸ばし、澄まして応える。
「こちらが本業ですから」
〈言うて副業も熱心やん。ほどほどにね。車で迎えに行くから、十七時半ぐらいに、駐車場来てもろてええ?〉
「はい。あ、駐車場の場所は分かります?」
〈うん。ウチの司令官がそこで、何回も講演やってるんよ。嫌でも覚えたわ〉
そういえば、そんな案内ポスターを見かけた記憶がある。悪の組織の矜持として、蛍は講演に参加したことはなかったが。
送迎は樹がしていたのか、と感心半分呆れ半分で驚く。実働部隊をこき使い過ぎではないだろうか。
「お仕事、お疲れ様です」
〈いえいえ、どうも。じゃあまた後でね〉
「はい、失礼します」
電話を切った蛍は視線を上げ、わずかに身じろぐ。
二人掛けのテーブルに、一人で掛けていたはずなのに。目の前に女友達が座っていた。
「いつの間に」
「気付かないぐらい、電話に夢中だったんだ。彼氏?」
にんまり、と友人が問う。慌てて首を振ろうとしたが。
──俺、前から君のファンやってん。
いつかの言葉が脳裏をかすめ、否定することを躊躇させた。
ファンというのは、どういう意味なのだろう。
アイドルを応援するような感覚だったのだろうか。
蛍はしばし考えて、もごもごと答える。
「……分かりません」
「分からないって、なんで?」
曖昧な回答に、友人は興ざめとばかりに唇を尖らせた。
「告白された記憶はありませんし、勿論恋人関係に同意した記憶もありません」
「あー、なんかなし崩しで関係続いちゃってる感じなんだ。あるある」
身に覚えがあるらしく、訳知り顔で友人はうなずく。
よくある事例なのだと知り、蛍は幾分ホッとした。
「よくあることなんですね。相手の方からファンだと言われて、意図が分からず困っていたのです」
「いや、それはあんまないわ。ごめん」
額に手を当て、友人はうめく。
「蛍に惚れるようなヤツだから、やっぱ変人なのかぁ」
蛍は少々ムッとするも、自分が変わっているという自覚は薄々あるので押し黙る。
また、樹も結構変わっていると見ていたので、その点については大いに共感だ。
自分に惚れているかどうかはともかく、として。




