10:正義の味方はミスをした
蛍とのホラー映画鑑賞を達成し、ついでにちゃっかり手を握ることも達成し(正確には指切りしただけだが)、樹は浮かれていた。
浮かれる余り、次の約束を取り付け忘れていた。
思い出したのは帰り道の途上、電車の中だった。思わず奇声を上げ、周囲から白い目で見られたものである。
焦りつつ帰宅した樹は、いっそ電話で次の約束を取り付けようか、とも考えた。幸い、番号は交換済みだ。
しかし、初回も二回目も、強引にデートへ舵取りした負い目もある。わざわざそのために電話をしては、更に疎まれやしないか、と気を揉んでしまい。
そのまま気後れを仕事にまで引きずった結果、彼は負傷した。
武器商人グループとの戦闘においてジュエルホワイトを庇った際、敵からの殴打を受け流し損ねての左腕打撲。全治二週間だ。
ジュエルナイツ本部の医務室から出て来た彼を、後輩の炎司と深雪が出迎える。
「樹先輩、ネットニュースにもなってたっすよ」
自身の携帯の画面を見せ、炎司が何故か得意げに笑う。
樹は気恥ずかしさから、右腕で頭をかいた。左腕は御大層にも、三角巾で吊るされていた。
「ああ、そういや今日は、マスコミも来てはったもんなぁ」
「『ベテラングリーン、名誉の負傷』だって。ヒュー、有名人!」
「ベテランはなんか嫌やわぁ」
なおもヒューヒューうるさい炎司の頬を、深雪が容赦なくビンタした。
「マジでいてぇ!」
叫び、炎司が大仰に倒れる。
それを無視して、深雪は珍しくしおらしい顔を浮かべる。そのまま、樹へ深々とお辞儀。
「先輩、すみませんでした。元はと言えば、わたしのせいで怪我させてしまって」
「ええよ、ええよ。深雪ちゃんは遠距離担当なんやし」
深雪のファセットブレスは、弓に変形する。矢が無尽蔵に沸いて出て来る、謎原理の羨ましい武器だが、反面接近戦では弱い。
「でも今度から、敵との距離はちゃんと気ぃつけや?」
「はい、ありがとうございます」
普段は辛辣な発言が多くとも、任務において真面目な後輩は、彼のやんわりした注意も真摯に受け止める。
樹は次いで、頬を抑えたままうずくまる炎司の隣にしゃがみこんだ。
「炎司も、次の戦闘は頼んだで?」
「はへ?」
そう訊き返した炎司は清々しいまでに、アホ面であった。
笑いを噛み殺し、樹は出来る限りおっかない表情を作る。
「はへ、やあらへん。僕、二週間は出動禁止や。ちゃんと深雪ちゃんのカバーもしたりや」
「むっ……無理っす! オレ、自分のことで、いっぱいいっぱいなのに!」
名前に反し、炎司は真っ青になって震えた。
それも仕方がない。
彼はその大きな態度の割に最年少で、ジュエルナイツ歴も最も短い。
「いつかは通る道やから、頑張りや」
カタカタと小刻みに震える彼の肩を、おざなりに叩く。
深雪も丸まったその背中を、景気良く打った。
「援護頼んだよ。いつもみたいに、一人でバーッて走り出さないように」
「えええぇ……」
「走り出したら、尻を矢で射るから」
「オーノー!」
ショックの余り外国人と化した炎司に笑っていると、樹の上着に振動が走った。
振動の発信源は、マナーモードになっている携帯だ。
上着から取り出し、ディスプレイを見ると「蛍ちゃん」の名前が表示されていた。
無言のまま、樹は心臓が止まりそうなほど驚愕した。
「ごめん、ちょ、電話」
そして言葉少なに炎司たちへ断り、大慌てで廊下を進む。
「どうぞごゆっくりー」
彼の態度から、電話の発信者を察したらしい。二人はにやにやと、廊下から中庭へ出た樹を見送った。
抽象的な形状の石像や、動物の形状に刈られた庭木が目立つ中庭だが、幸いにして人の気配は皆無。
「もしもし、蛍ちゃん?」
庭の隅にある、黒いベンチに座って通話ボタンを押すと、
〈突然すみません。お仕事中でしたか?〉
耳元で清涼さを多分にはらんだ、大好きな声がした。
くすぐったさに、つい顔がにやける。
「ううん。今、自由時間やし。どうしたん?」
〈いえ……大した用事ではないのですが〉
珍しいことに、蛍は言い淀む。
樹はじっと、彼女の続きを待った。
〈……お怪我をされた、とネットニュースで見たもので。少し、気になりまして〉
マスコミさんありがとう、大好き!
樹は最大級の感謝を込めて、胸中で叫ぶ。
「実は、ただの打撲なんよ。日頃の行いがええのと、強化スーツのお陰で、軽傷で済んで良かったわ」
しかし口をついたのは、正反対の軽口で。本当は今も鈍痛が残っているものの、空笑いで吹き飛ばす。
〈そうでしたか。変な電話をして、すみませんでした〉
やや落ち込んだ声に、樹は見えるはずもないのに首を振る。
「そんなことないよ。嬉しかった」
〈え〉
「心配して、電話してくれたんよな? 嬉しかったよ、ありがとう」
〈いえ、そんな……〉
自分の言葉に照れつつも、幾分柔らかくなった蛍の声に、微笑む彼女を垣間見た気がした。想像の彼女につられ、樹も勇気づけられる。
そして、その勇気を振り絞った。
「そんなわけで、しばらく戦力外やから、暇なんよ。近々、どっか行かへん?」
数秒の間、沈黙が続いた。
これはさすがに強引過ぎただろうか、と樹は苦い表情になった。
しかし。
〈いつ、出かけますか?〉
いつも通りの凛とした声が、そう尋ねてくれた。
空いている手で、樹は思わずガッツポーズをする。
それが痛めた左腕だと思い出したのは、激痛に襲われてからのことだった。




