84話 端緒
エイミーは長いこと、魔王として君臨し続けているらしかった。
最初、エイミーに力を与えた俺が死んで、ほぼ同時に、『優しい先輩』ことアリスと添い遂げた俺が死に、それでもまだエイミーは生きていた。
俺が老いて死んだあとには、また新しい俺がこの世界に来た。
時間はまだ戻ったり繰り返したりはしない。
時間という軸を円環にしてしまう前のこの世界で、エイミーはかれこれ百年ぐらい魔王をやっていたようだった。
次の俺は前の前の俺がそう仕組んだように、やっぱり記憶を失っていて、やっぱり『よくいる記憶不明、出自不明の身元不明者』として社会のシステムに組み込まれた。
やはり、英雄ではなかった。
ただ、この時の俺はちょっとばかし天運に恵まれたらしい。
荷物持ちとしてのちに『英雄』となる人たちに同行することが許されたのだ。
俺はアリスとともに英雄たちとパーティを組み、彼らを支えた。
彼らは本当に気持ちのいい人たちだった。世界を救うという使命感にあふれ、みながつらい過去を持っていたけれど、それを原動力にしつつも思い出と割り切る分別を持っていた。
エイミーを魔王にした『俺』が、転移者たちから記憶と能力を奪うようになったけれど、やっぱり記憶を奪われていない者はちらほらいたらしい(とはいえ、その記憶は断片的なもので、たいていが『夢』だと処理されていたようだが)。
そして同じような確率で能力を、というか『本来もっていたはずの能力をひっぺがされた残り』みたいなものをもっている者も、いた。
棚に貼ったシールを剥がしたあとに残るやつみたいな、もとの能力の全景がわずかにうかがえるかもしれない程度の残滓でしかなかった。
しかし、使命感と情熱を持った人たちにとっては、その程度の能力でも、充分だったのだ。
この旅の中でアリスは死んだ。
キリコとは出会う前に旅立った。たぶんこの時期にも転移してきていたとは思うのだが、くわしいことはわからない。
そうして仲間の数を半分に減らした俺たちはいよいよ魔王城にたどりつき、そこでエイミーと出会った。
それは、幼い少女の姿をしていた。
エイミーに力を与えた『俺』の最後の記憶よりも、ずっと幼い。
出会った時の彼女は、もはや人ではなかった。
魔王城を守るための機構。
もはや、同族さえもそこにはいなかった。
どうやらエイミーには敵味方の判別はついていないらしい。
近づいて来たものをチートスキルで自動迎撃するだけの人形がそこにはあった。
彼女はアイテムストレージと常につながっているようで、そこから、転移してきた連中の持つチートスキルが、どんどんと継ぎ足されているようだった。
戦いの中で仲間たちは死んだ。
生き残った俺は空中に空いた穴を目撃して、アイテムストレージという、自分の能力に気付いた。
能力に気付いてもとっさにうまく使えるわけじゃない。
だから俺が生き延びたのは、エイミーが俺を見て、俺が俺であることに気付いたからだ。
攻撃が止まって、エイミーが自意識のようなものの宿った目をこちらに向けてくる。
彼女は一歩一歩、踏み締めるように、尻もちをつく俺のもとへと近寄って来た。
一歩ごとに、彼女は歳をとった。
今までの反動でも受け止めるかのように、近づくごとに彼女は成長した。
ある程度まで成長すると、今度は老い始めた。
「やめろ」
とっさにそんな声が出たのをよく覚えている。
一歩ごとに老いて、俺まであと三歩のところでシワだらけの骨と皮にまでなった彼女を恐れての言葉ではなかった。
彼女が一歩進むごとに死に近寄っていくような気がして、だから、これ以上近づいたら本当に死んでしまうんじゃないかという不安からこぼれた言葉だった。
俺は、魔王を倒す旅をしてきたのに。
魔王という悪者を倒すために、英雄たちの一行に加われたのを、心から嬉しく思っていたのに。
彼らとの旅は、本当に、本当に、楽しかったのに。
魔王のせいで失われていった仲間の命を惜しんで、失ったものの大きさに涙し、拳を握りしめ、自分の無力さを嘆いてきたはずなのに。
目の前の魔王に、死んでほしくなかった。
まだ、俺は俺の記憶を取り戻していない。
魔王は皮の垂れ下がった棒みたいになった腕を俺へ伸ばした。
そして、あと一歩で俺に触れるというところで、塵になって、風に吹かれて、消えた。
わけがわからなかった。
それからの行動はほとんど反射的なものだった。魔王を倒したのだから報告せねばならないし、報告可能な人員は俺しか残っていなかった。
義務感を原動力に王都へ帰った。
あるがままを報告したけれど、アイテムストレージのことは黙っていた。というよりも、俺自身忘れていて、報告から漏れてしまった。
あとから思い返しても、冒険の最終盤でいきなり目覚めた『けっきょく使わなかった能力』のことなんか、どうでもいいと思った。
俺は英雄になった。
英雄の中の英雄、勇気をもって人類の未来を切り拓いた者、勇者、そんなふうに呼ばれた。
なんにもしてないのに。
称えられるほど虚しさが募っていった。
そりゃあ、褒められたい、認められたいという願望はあった。けれど、それは、こんなんじゃない。なんにもしていない俺が、称賛されていいはずがない。
俺は隠遁を選んだ。
仲間を失った旅路よりも、空虚な称賛が心労になって、人里から離れたかったのだ。
そうしてヒマをもてあました俺はようやくアイテムストレージのことを思い出し、ちょっといじってみるか、と思いついて――
自分の記憶がそこにあるのを、発見した。
すべてを、思い出した。
膨大な情報量と、それぞれ異なる生き方をした『俺』たちがバラバラにいろんな感情を流し込んでくるせいで、数日、頭痛にのたうちまわった。
そうして自分の中で自分を統合し終えたあとに残ったのは、猛烈な後悔と悲しみだった。
エイミーを死なせた。
エイミーを死なせた。
俺はなんにもしていない。いや、この時の俺は、なんにもしていない。ただ彼女の前に顔を出しただけだ。でも、それがとどめになった。
どうしてだろう。わからない。彼女は俺を見て攻撃をやめた。機構としての自分を捨てて、崩れて消えた。
あんなに感情をあらわにする子じゃなかった。あんなに、あんなに嬉しそうに笑う子じゃなかった。言葉がしゃべれなくて、大人しくて、遠慮がちで、なんでも抱え込もうとしてしまう、俺の大事な娘。
俺は最後まで彼女の考えがわからなかった。彼女がなにを思って魔王城の防衛を引き受けたのか、なにを目的にしてあそこで防衛をやめたのか。俺に近寄って、腕を伸ばして、あそこで死んだのか。
わからないままではいられなかった。
けれど、知る方法がどこにもなかった。
余命を尽くして『どうにかする』方法を探した。なにも得られない。技術では無理だ。伝承などこの世界にはない。それらはすべて、俺が発端となったものだ。
唸り続け、祈り続けた。
奇跡が起こったのはもう心身を病んで死を待つだけとなった時期のことだ。
強い情念が世界に穴を空ける。
元の世界に対する未練で世界と世界のあいだに穴を空けた俺は、アイテムストレージ内にいつのまにか空いていた不思議な穴の存在を感知し、それに飛び込むことにいささかの迷いもなかった。
捨て鉢だったということもあるだろう。
この瞬間、あらゆることよりも『穴に飛び込む』ことが優先されたのだ。
そうして、不思議な穴から落ちていく。
たどり着いた先には見覚えのありすぎる建物があって、そこを一人きりで守る少女の姿があった。
俺は同じ世界内での時間跳躍を可能にしたらしい。
そうして再びエイミーに出会うことができた。
彼女は俺に気付いて駆けてくる。
俺はそれを抱きしめる。
腕の中に感じるぬくもりは幻ではありえなかった。
こうして俺はハッピーエンドにたどり着いた。
そう、確信するに足る一瞬だった。
ここで世界が凍りつけば、ずっと幸せなままだったろうに。




