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時間差勇者  作者: 稲荷竜
3章 異世界生活一回目
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83話 ダウン、ダウン、ダウン、ダウン

「アリスだよ。穴に落ちてここに来たからね」


 そいつは出会い頭からまったくわけがわからないことばかり言う女だった。


 記憶を失い、生きるために冒険者にならなければいけなかった俺は、そのわけのわからない発言に愛想笑いで対応するしかなかった。


 この世界にはあらゆることにマニュアルがなかった。

 だから、生き方は先輩を見て覚えるしかない。


 マニュアル自体はあってもよさそうだとは思った。晩年、作ろうと思ったこともある。

 しかしけっきょく、やらなかった。

 生きていくのが大変な世界で、無償で、後進のために紙やインクや少なくない時間を費やしてマニュアルを作成するというのは、ちょっと狂気的なモチベーションが必要だったのだ。


 おまけにマニュアルをちょっとだけでも書こう、と思うと、大量に出てくる『例外』やら『ジェネレーションギャップ』やらが後進のためにマニュアルを残そうという気概をすっかり奪ってしまう。

 けっきょく、俺がマニュアルらしきものを書き上げることは永遠になかった。


 ……俺以外にも、マニュアルを完成させ、それを広く冒険者に配った者はいなかったようだ。

 だから俺は、このよくわからない発言ばかりする『優しい先輩』に師事するしかなかった。


 その先輩にはさらに師匠がいるようだった。

 それは隠れ潜んでいる稀少種族らしい。


『亜人』といっしょくたに呼ばれる『人間以外』の人たちは、たいていが人間への従属か敵対かを迫られる。

 亜人どもが魔王軍に協力し、人間を襲っているから――という、いろんなものが意図的にあべこべにされた理由から、亜人というだけでかなり警戒される世情ができあがっている。


 なので、亜人の中には人間に発見されないように隠れ住んでいる者も多いようで、アリスと名乗った『優しい先輩』の師匠もまた、そういった隠れ住む亜人らしかった。


 そういった亜人たちの住まう余白は、皮肉にも、というのか、対魔王に血道を上げることによって、人間の世界開拓の速度が下がり、維持されているようだった。


『魔王さえ倒せば、世界は一気に明るくなる』


 人間の偉い人たちはそんな標語を唱えて活動しているようだった。

 その『魔王さえ』をだいぶ長いこと達成できていないようなのだが、なぜかその方針は変わらず、人間のテンションは『今にも魔王は倒れる』というところで維持されている。


 これは思い返せば、そして俯瞰してみれば、不思議な熱狂と言えた。


 熱狂の中にいるうちにはぜんぜんわからなかったが、この世界は意図的に無計画な魔王への突撃を繰り返し、そうして人口を減らしている様子があった。

 軍隊はあって、たまに派遣されるがたいてい全滅して帰ってくるし、冒険者はてんでバラバラなフリーランスで、気楽な日雇い稼業の代わりに、小難しい戦術だのなんだのを嫌い、個人の能力を頼みにして、能力不足で殺される。


 世界の進歩はこうして停滞し、永遠の中世風世界が出来上がっていた。


「そりゃあねぇ、穴に転げ落ちた先に広がってるのは、不思議な動物たちのいる、ちょっと不気味な世界じゃないといけないでしょ。サイバーパンクが広がってたら『イメージと違う!』ってお客さん、激おこですよ」


 わけがわからない。


 俺は彼女の人格を苦手としていたが、彼女がよくしてくれるので、彼女自身を嫌ってはいなかった。

 記憶を失い冒険者をはじめて、最初に世話をしてくれた女性だ。

 恩もあったし感謝もしていたし、それら気持ちは抱きつつ、新しい指導者を探すモチベーションがなかったのも、彼女との関係が続いていた理由だった。


 なぜ自分によくしてくれるのか、直接的にではないけれど、問いかけたことがあった。


「あたしにとって最初の世界で」このわけのわからない表現は、このあとも、この前も、何度も使われることになる。「君によくしてもらったからね」


 ようするにこの時点の俺にはわからない理由だということがわかるだけだった。


「あたしはね、君にとっての結末にあたる世界から来たんだよ」


 まあ、そんなものだろう、と、この人の意味不明発言に慣れていた俺は、気にも留めなかった。


「君はなにも知らないけれど、この少し先の君は過去を知っている。あたしは結末を知っているけれど、最初になにが起こったのかを知らない。少し前まではその結末さえ知らなかったけど、今回は記憶があるほうのあたしみたい」


 この言葉の意味を知る日など来ないと思っていた。

 この時の俺には、たしかにこの言葉の意味を知る日は来なかった。

 彼女の言っていることがわかるのは、おそらく、『結末の世界』にいる俺だけだ。


 わけのわからない彼女との人生は長く続いた。

 この時の俺は彼女と添い遂げ、エイミーとかかわることもなく、そしてキリコを死なせた。


 次の俺は、彼女を死なせて、エイミーを死なせて、キリコを生かした。


 ようするに俺が無意識に、そして、ある時期からは意識的に、何度も何度も同じ世界に転移し、あるいは時間軸さえゆるがせにし、世界をめちゃくちゃにしながらもぐるぐる回り続けたのは、そういうのが理由らしい。


 俺はどうやら、彼女も、エイミーも、キリコも、三人とも生き残る結末を望んで行動していたようだった。


 そして――


 その結末には、未だ、到達できていない。

次回更新は15日(月曜日)です

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