81話 学生生活
転移する前の俺は、どの学校のどのクラスにも一人はいそうな不可思議な立ち位置の高校生だった。
特別親しい相手はいないが、どこのグループに入れられてもまあまあ受け入れられて、面白いことはなにも言わないが、人を不快にさせるようなこともしない。
卒業後一年もしないうちに忘れられそうな存在感しかなくって、悪目立ちしない程度の能力はある。
クラスというのが三十人超の集団である以上、必ず生まれる『真ん中』が俺だった。
俺自身はといえば、この立ち位置がわりとコンプレックスで、どうにかして『個性』みたいなものを見出せないかと日々悩んではいた。
けれどバイク雑誌を見てみたり、ファッション紙を見てみたりぐらいはしたが、バンドを始めたり、自己研鑽により能力を上げてみたり、そういうことはできなかった。
モチベーションがなかったのだ。
なにより、自分のキャラクターに自分でテコ入れできるほど、やりたいこともなかった。
そういった日々の中でちょっと憧れている相手がいて、それが毒島霧子という、漫画やアニメの高校になら一人はいそうな立ち位置の女だった。
目立たないのに存在感があって、卒業後一年もすればパーソナリティは忘れられそうなのに、『教室の一番前の窓側の席にやたら美人なやつがいたな』と都市伝説かミーム汚染みたいに人の記憶に残りそうなところが、最高に完璧だった。
俺と同系統で俺の進化系だと勝手に定めたそいつのことを目で追う回数が増えていて、自分でも知らないあいだに、そいつのパーソナルデータが脳内にたまっていった。
ある日のことだ。いつものように観察していると、そいつが宇宙だかなんだかという小難しそうなカバーに隠して、漫画を読んでいるのを発見してしまう。
当然ながら電子書籍もこの世にはあって、そういったものをアプリを落として無料で読むのが『読書』という名前の行為の正体である都合上、リアル書籍を持ってくる人間自体が少ないご時世だ。
その中でキリコは電子化されていないような、学者とかしか読まないような、そういう本ばかりを読んでいる――イメージだった。
ところが漫画を読んでいる。
俺はうれしくなった。すべてにおいて俺の進化系だと思っていた高嶺の花に、共通点が芽生えたからだ。
その漫画は俺も読んでいるものであったし、キリコを観察していたことで、あいつが本を閉じたタイミングでだけは比較的人と会話するのを知っていたので、偶然そばを通りがかったふうを装って、漫画について話した。
「あなたはなにを言っているの?」
キリコは漫画なんか読んでないみたいなことを言い出した。
気付けばクラスの注目があつまりかけている気配があった。俺はこういう気配に敏感で、視線が集まりそうになると、集まりきる前にさっと注目を避けるのが身に染みていた。
だからキリコがとぼけたのをそれ以上追求せずに、『急にクラスでもあんまり人と口をきかない美人に話しかけた男子』というレッテルを貼られる前に、キリコのそばから離脱できた。
はず、だった。
ところがその日以来、キリコとすれ違うことが増えた。
いつだって自分の席で花みたいにじっとしているあいつが、やけにポジティブに、俺の行く先々に現れる。
自作らしい弁当を持っているあいつが、購買部まできて、イメージと全然合わない菓子パンなんかを買ったりする。
そうしてすれ違うたびに俺をながめて、そのくせ興味なさげに歩き去っていく。
これはもはや恐怖だった。
なにかまずいことをしたのはわかった。あいつは俺を監視しているのもわかった。
まずいことに該当するのが、漫画を読んでいると指摘したことなのもわかった。
あいつはとぼけた。だから、きっと、明かされたくない秘密だったんだろうと判断した。
この不気味な監視生活を終えるために、俺はキリコを屋上前の踊り場に呼び出した。
キリコは応じた。
放課後、部活動の喧騒を遠くに聞きながら、踊り場で『このあいだのこと気にしてるならごめん。誰にもばらさないから監視するのをやめてほしい』と言うために準備をしていた。
あとから来たキリコは、ずんずんと俺に近づいてきて、俺を壁ぎわに追い詰めて、俺の顔の横に手をついた。
壁ドンだった。
「漫画は好き?」
回答を間違えたら殺されそうなぐらいの迫力があった。
あいつの真っ黒な目は、ほとんど拳銃の銃口みたいな威圧感で俺の目に狙いを定めている。
凄む美人は、マジで怖い。
泣きそうになりながらうなずいた。「殺さないで」と口から漏れかけた。
キリコは笑った。
死を覚悟した。
「じゃあ、ちょっと、付き合って」
手際よくスマホを奪われ、連絡先を交換される。「へえ、このへんに住んでるのね」だなんて何気ない感想が『住所はつかんだからな』と脳内変換された。
それからは、定期的に、漫画やらゲームやらの話をしたり、実際に遊んだりする付き合いが始まった。
なんの因果か。
この世界では、もう、キリコとの縁は、こうやって結ばれていたのだった。




