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時間差勇者  作者: 稲荷竜
3章 異世界生活一回目
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77話 もうどこにもない世界

 馴染みのコンビニにはいつも買う菓子パンがある。


 好きかと言われれば違うと答える。

 値段が気に入っているとか、ボリュームがあるとか、そういうとってつけたような答えばかりが浮かぶ、実際のところ、なんで毎日のように食べているかわからないパン。


 飲み物は紙パックのものを好んでいた。

 高校生だったころを思い出す。パンは朝にコンビニで買っていたけれど、飲み物は昼に購買で買っていた。紙パックの五百ミリリットルの飲料。やけに甘いそれを毎日のように飲んでいた。


 高校から家へと戻る道を歩いていく。


 おかしな服装をしているからだろう、かなり、注目されてしまっていた。

 でもしょうがない。あれからだいぶ歳をとってしまったのだ。異世界に初めて転生した時に着ていた制服は、もう手元にないし、持っていたって、今の歳で着る気にはなれない。


 長く緩やかな坂を下って、歩道橋へとたどり着く。

 それを渡った先にあるバス停からバスに乗って家へ帰るのが、下校の道だった。

 今はお金がない。仕方がないから、バスの路線を歩いて向かうことにする。


 舗装された歩道。四車線の道路。夕暮れ時、影が前に長く伸びている。

 服装のせいだろう、歩道に伸びたシルエットはいびつだった。


 しばらく歩いていくと住宅街のような場所に出る。忘れもしない。懐かしい我が家が近づいている。

 歩くたびに思い出す、小学生時代、中学生時代。くだらない話をする相手というのが俺にもいたことがあった。

 高校に入ってからは理由もなく疎遠になった。たしか、クラスが分かれたから話すタイミングがなくなってそのままというような事情はあった気がする。


 高校時代に関しては思い出すべきことが何もなかった。

 思い出したくない、ではなく、記憶するほどのことが何もなかった。

 席替えの時にはなぜか決まって一番後ろの列に配置され、なんとなく人と話さなくても平気で、かと言って排除されているわけでもなく、一種独特な立ち位置を築いていたように記憶している。


 誰ともしゃべらなかったわけではなく、誰とも遊ばなかったわけでもない。

 ただ、俺が誰かとしゃべる時、それは誰かの代役だった。

 いつも一緒に話すあいつがいないから、ちょっとお前話そうぜ、みたいな――まあ、そんなにハッキリ口にされたわけではない。俺の勘違いかもしれない。

 でも、誰かが俺と話す時、『待ち合わせしてる相手がちょっと遅れる』だとか、『普段組んでる相手が今日は休み』だとか、そういった事情が必ずあったと記憶している。


 まったく気にしなかったわけじゃない。でもそれで構わないと思っていた。

 友達付き合いみたいなものに積極的じゃなかった。でも、何か他に、夢中になっていたことがあったわけでもない。


 なんとなく、生きていた。


 無気力だった。


 この世界はそれでもなんとなく生きていけたんだ。

 特段何もしなくても、与えられた授業を聞き流して、テスト前にちょっと勉強して平均より少し上の点数を取れば、落ちこぼれ扱いはされない。


 今だから思うのは、環境にも恵まれていたということだろう。

 うちのクラスは怖いやつとか、陰湿なやつがいなかった。あるいは、俺にはそういった面を向けなかった。


 だから俺は独特で単独的な立ち位置のまま、何を頑張るでもなく無気力に生きて行けた。


 うちの家もそのあたり口うるさくはなかった。

 大学に行け、ぐらいは言われていた気もするのだが、あからさまに悪い成績を取らないでいる限りは自由だった。

 両親は当たり前のように高校へ行くための学費と小遣いをくれたし、それが当然なのだと俺が思ってしまうぐらいには何も言わなかった。


 無気力な俺の時間潰しはもっぱらスマホゲームで、虚無のまま周回を続けるのは得意だった。

 目標とか、ノルマとか、締め切りとか、そういうのを課されるのが苦手でイベントにはあまり熱心ではなかった気がする。

 とにかく、ぼんやりしているだけで時間を潰せるのが心地良かったんだ。


 ここは、そんな世界。


 そんな、俺の故郷。


 家へ戻る足は早まる。横をバスが通り過ぎていく。


 どう言って帰ろうか考えていた。

 事情を正直に話そうと決定した。

 だって俺の体にはあからさまに年月が流れている。たぶん、この世界での俺は失踪扱いになっているだろう。下手な嘘よりも、正直に話そうと思った。ありえない話になるけれど、それがきっと、一番いいだろう。


 両親は俺のことがわかるだろうか。

 わかるはずだ。だって、俺たちは家族なんだから。


 いよいよ見えてきた俺の家。七階建てマンションの四階。

 おり悪くエレベーターを直前に使った誰かがいたようだ。待っていられなくて、階段を駆け上がる。


 倒れそうなぐらい急いで、そうして四階にたどり着き、ついに自分の家だった場所のドアを見つけて、俺は――


「ただいまー」


 ――俺は。

 俺より一足先に家に戻る、学生時代の自分を見つけた。


「………………あ、え……?」


 気持ちが、悪い。


 ひどい吐き気とめまいがあった。思わず膝をついた。薄いクリーム色の床材を眺めながら、どうして、何が、なんで、これ、は? どういう……


 ああ、そうか。

 時間。


 時間が、おかしい。


 俺は戻ってきた。懐かしい、最初にいた世界に戻ってきた!

 でも、それは、俺が異世界転移するよりも、昔だった。


 だから、俺がいる。

 この時間の俺が、そこにいる。


「…………」


 じゃあ、今、ここで、四つん這いになって、えづく俺は、どこに、帰ればいい?

 そんな場所、この俺が帰れる場所なんか、ないじゃないか。


 愕然とする俺の視界の端には、例の穴が空いている。


 アイテムストレージ。


 一度入れば二度とこの世界には出られないであろう、その穴。


 この時代の自分と対面するのは絶対にイヤだった。走って逃げようにも身体中の力が失われていて、だからとっさに、俺はアイテムストレージに入ってしまった。


 ……この、不可思議なアイテムストレージという力は、何により動いているのだろう?


 それは結局、最期までわかることのない謎なのだろう。


 けれど、おそらく――俺の精神がなんらかの影響を及ぼしているのは、わかった。このアイテムストレージという機能の拡張は、俺がその機能が実際にあると強く確信した時に起こるのだから。


 自分に自信がない俺にはまったく向かないこの力は、俺の未練と執着を受けて、新たな機能を目覚めさせた。


 それは、穴を空ける力。


 ……ただしそれは、異世界とこの世界をつなぐトンネルを作っただなんて、そんないいものじゃなかった。


『もう一度アイテムストレージに入ってしまえば、この世界には二度と帰ってこれない』という、俺の確信を忠実に反映した――


 一方通行の、穴。


 近くを通った人を、異世界に吸い込む穴を、この世界に残してしまったのだった。

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