28話 異世界監禁
王都に戻ったのでさっさと王宮にあいさつを済ませてエイミーを待たせると、神殿に向かった。
当然ながら目的はキリコに会うことだ。
用事はない。いや、ないわけではない。古文書確認の進捗とか、神殿の動きとか、俺がいないあいだに王女殿下からなにかなかったかとか、そういった質問事項はいくらでもある。
それでも、そういう重要そうな事務的連絡をどうしてもメインの目的に据えられなかったのは、俺自身がキリコと会うことそれ自体を楽しみにしているからなのだろう。
また、一人で王都にキリコを残すことを、思っていたよりも心配していた、ということもあるのだろう。
すっかり内緒話のための場所となった狭い真聖堂に、小さなテーブルを挟んで向かい合う。
キリコはいつもの、布をたっぷり使った薄桃色の聖女服を着ていた。
「重いのよね」と言いながら帽子を脱ぎ捨てる様子もすっかりおなじみで、それからたもとの大きな袖を派手にめくり上げる様子にも遠慮がなく、むしろ俺のほうが『シワになったらどうするんだ』と心配をしてしまう。
ひさびさに再会したキリコはひるむような美人に思えた。
和服でも着せればさぞかし似合うであろう彼女は、和服と中華服のあいのこみたいな聖女服もよく似合っている。
毎日見ているとだんだん慣れてくるのだが、少し時間をおいてしまうと感慨深いというか、なんというか……今さらながら、照れてしまう。
「……どうして私が三十代のあなたに慣れたころに、あなたは十代みたいな反応を取り戻すのかしら」
照れに気づかれたらしかった。
少し考えて、
「たぶん三十代も十代も、男の中身はそんなに変わらないと思う。ただ、取り繕うのがうまくなるのと、あと……」
「あと?」
「歳をとると反応がにぶくなる。『自分の身に起こったこと』が自分の身に起こったんだと受け取るまでに、けっこうな時間が必要になるんだ」
「ふぅん。今さら美人な恋人ができた実感にドキドキでもしているのかしら」
「うん」
「……」
「なんで黙る」
「本当に許せないわ。そういう直接的なところは、どうにも素の人格っぽいわね」
どことなくあきれたようにため息をついて、
「あなたが私の安否の次ぐらいに確認したかったであろう情報を教えましょう。『魔王』についてね」
「ああ、気になってたよ」
「とりあえず古文書を読破したの。こんなに文字を読むことに人生を費やしたのは生まれて初めてよ。小説さえ年に一冊読むか読まないかだったのに」
「お前にとって『本』は『アクセサリー』だったもんな……」
「読まれて捨てられるだけの運命だった本が、私を飾るために末長く活躍できるだなんて、幸運よね……」
「冗談と本気の境目があいまいなのは突っ込みにくいよな」
「割合は半々かしら。……それで、読破した結果、『魔王』にかんする具体的な記述はなかったわ」
「ああ、うん、まあ、そんな気はする」
「『そんな気』ってどんな気?」
「『魔王』についてはたぶん、お前が触れられないぐらいの秘匿文書か……それか、口伝で伝わってる可能性が高そうだなとは思った。この世界だとさ、けっこう『口伝』って一般的っていうか、重要なことがしれっと口伝でしか伝わってなかったりするんだよ」
村の大事な話とかもそうだ。
口伝というものを、どうにも神聖視しているところが、この世界の人にはある。
「ふぅん。口伝、ねえ。この世界の人は記憶力にずいぶん自信があるのね」
「誰もが文字を読み書きできるわけじゃないしな」
「ああ……でも、おかしくない? 古文書で勇者について残すような神殿勢力が文字の読み書きできないっていうことは、ないでしょう?」
「んーと……ちょっと理解してもらうのが難しいんだけど、このあたりには、重要なことほど口伝で伝える文化がある。そして、『口伝で伝えるほど重要なことを文字に記すなんてけしからん』っていう風潮があるんだよ」
「なにそれ」
「王宮にも内緒話用の部屋あるだろ? あれは、こういう文化から発したものなんだと思う」
「でも、記憶違いとか不安じゃないわけ?」
「記憶違いがないわけないんだけど、そういう文化だから、そうだとしか言えないな……まあたしかに、口伝って一般的には一子相伝っていうか、マジで一人相手にしか伝えないレベルの機密の時に用いる手段なんだよ。正確性はともかくとして、秘匿性はばっちりだ。っていうか、俺らが今いるこの部屋も、たぶん口伝用部屋」
こぢんまりとした真聖堂は、広間から長い廊下を隔てた場所にある。
扉も分厚く、建物の外観から判断するに、外壁とこの部屋との距離もかなりある。
にもかかわらず、この建物には、入口を入ってすぐの広間と、この部屋以外の部屋が存在している形跡がない。
間違いなく内緒話目的の部屋だと思ったし、だからこそ『神殿内部』という、ある意味で敵かもしれない連中の本丸で、俺はこうしてぶっちゃけ話をしていられるわけなのだが……
「だからたぶん、『魔王』にかんする真実は、大神殿長とかの、偉い人しか知らないと思う。感覚的には、秘匿文書よりも、口伝で伝わってる可能性が高そう」
「好都合ね」
「……すまない、頭の働きが追いつかない」
「一部の人しか知らなくって、文章とかの物証も残ってないなら、言ったもの勝ちじゃないの。魔王捏造には好都合だわ」
「あまりのポジティブさにめまいがしてきた。いやあの、あくまでも『口伝の可能性が高そう。感覚的に』って話でしかないからさ」
「もしも神殿長レベルのえらい人しか場所を知らない物証があったとして、それが私の生み出す『魔王』にとって都合の悪い情報だったとして……その物証の破棄はそう難しくはないと思うのよ」
「歴史的文化的遺産だと思うんだけど」
「いつまでも過去にすがりついてないで、私たちの未来を見ましょう」
「感動しそうになって『やっぱりおかしいだろ』と思って、お前の口があんまりにも回るのに一周して感動してる」
「だいたい、この世界の文化なんざ知ったこっちゃないのよ。考えてもみて? この世界に私たちがされたことは『拉致』よ。絶海の孤島に幽閉とかそんなレベルじゃなくって、異世界監禁なのよ」
「まあ否定はできないけど」
「あなたは今、ストックホルムシンドロームにおちいっていると思うの」
「いや、うーん……」
たしか誘拐された側が誘拐した側を好きになる、みたいな話だったか。
しかし俺を誘拐したのは世界そのものなので、犯人のスケールがでかすぎて、そういう心理状態かどうか、判断ができかねる。
「そもそも、私たちは元いた世界で幸せになれたの」
「今となっては確信をもってうなずけないんだよな……就職とか、給料とか、あと老後とか……不安しかあおられてこなかったから……」
「私とあなたが、二人でいるのよ?」
「いやもうほんとお前……うん。そうだね。俺が悪かったよ。続けて」
「まず、私たちは不当に異世界へ連れ去られた。これは、共通認識としましょう」
「抵抗感はあるんだけどな……そういうことにしないと話が進まないしな」
「そして、あなたにとってはともかく……私にとっては、『神殿』の連中は、具体的に顔を思い浮かべることのできる『誘拐犯』なのよ。しかも連中の拉致目的が宗教的理由よ。これはカルト犯罪なの」
「お前の切り口は想像さえ及ばないものだった」
「通常なら、警察が私たちを連れ戻してくれることを期待するけれど、さすがの警察だって、異世界は管轄外でしょう?」
「うん、まあ」
「じゃあ、自衛するしかないじゃない」
「今の話はどういうルートでどこにつながるんだ? 俺はだんだん混乱してきたよ」
「こちらの世界が私たちの都合をおかまいなしに『勇者と魔王』とかいう宗教的伝統を押し付けるのは勝手だけれど、私たちがそれをおもんばかる義理はないという話よ」
「お前、実はけっこう神殿にひどいことされてたりする?」
「塩分不足にされた恨みは深いわ」
「お前が無事なのに安心したし、食べ物の恨みに戦慄した」
「っていうかね、その後、どれだけプリンセス的扱いをされようが、根底が『拉致監禁』なのは忘れてはならないと思うのよ。大前提として、私には元いた世界での人生設計があったの。それを台無しにされたのだから、怒りはあってしかるべきではなくて?」
「お前、高校生で人生設計とかしてたの? 俺はせいぜい大学ぐらいまでしか考えてなかったわ」
「いやだから、あなたから私に告白するよう仕向けるプランがあったのよ」
「ああ…………いや、『人生設計』!? そこまで遠大な話だったの!? お互い高校生だった当時に!?」
「私の重さを見誤ったわね」
「そうだな、お前と付き合うには、三十代相当の覚悟が必要だったって初めて知ったよ。十代の俺には重かったかもしれない」
「異世界と私たちの世界で時間のズレがあったおかげで、ようやく精神が私に追いついたようね」
「うん」
「私は愛も深いし、恨みも深いし、憎悪も深いの。だから、不当に扱われたことを許す日は未来永劫ないわ。私は私の人生を無理やりに変えた者を許さない」
「さりげなく俺に釘を刺してない?」
「さりげなかった?」
「いや、あからさまだったわ」
「だから神殿は見せしめのためにめちゃくちゃにしましょう」
「お前と別れるとか言い出さないように、俺へ見せしめるつもりなんだろうな……」
「心配はしてないけど、私、慎重に慎重を重ねるのが趣味なの。いざとなったらブチ切れて全部ぶっちゃける自分の悪癖を自覚してるから、なるべくキレる前に対策をね」
「……まあ、方針はわかったよ。ゴール地点も共有できたと思う。異存はあるけど俺にお前の情の深さは計り知れないし、任せたほうがよさそうだ」
「ええ、そうして」
「で、具体的なプランは?」
「神殿のプランをめちゃくちゃにして、仮に偉い人が私たちの作り上げた『魔王』を否定するのに充分な証拠を持ち出したとしましょう。それに対抗するにはどうしたらいいと思う?」
「より確実な物証をでっち上げる?」
「いいえ。物証の確度で競うような状況になったら負けるもの。そんな裁判みたいな状況にならないように対策を打つの」
「つまり、どういう?」
と、聞いたところでキリコがとてもいい笑顔を浮かべた。
ろくでもない答えが返ってくるのをコンマ一秒で予想する。
案の定、キリコは言う。
「民衆を味方につけましょう。あなたが『民から選ばれた勇者』になれば、神殿の出してくる物証なんかどうでもよくなるわ」




