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偽善者  作者: 灰庭論
第一部 小説
6/20

遠足

 その林は僕たちが来るのを待っていたかのように、葉を揺らせて出迎えてくれた。木陰を縫って吹く風は、額に滲んだ汗をさらい、代わりに草木の香りを運ぶ。天井を見上げれば、木漏れ日が万華鏡のように輝き、そこから降り注ぐ光の雨は、僕たちを自然の一部へと還した。

 踏みしめる土はやわらかく、歩いているだけなのに、踊っているかのように足が動く。右に左にと肩を揺らし、手が自然と遊び出し、足が勝手にステップを刻む。木々のざわめきと虫たちの羽音に合わせて、僕たちはどこまでも踊り続けた。

「楽しいね」

 その言葉を悠木君は何度も口にした。

 僕も楽しかった。風景に溶け込む悠木君を見ているだけで、心が洗われたかのような気持ちになれた。太い幹の白樺に抱きついたり、ひっつき虫で遊んだり、年齢を考えると幼稚だけれど、悠木君の場合は、それがとても様になっていた。

 学園や寮では比較的大人しくしているのが悠木君で、よく話すけれども活発という印象はなく、見た目も言葉遣いも幼く、明るくても、その明るさは春光のようで、決して真夏のギラギラした陽射しではない。

 それがどうだろう。いま目の前にいる悠木君はハツラツとしており、太陽の元で遊ぶ子供そのものなのだ。これが本来の悠木君の姿なのだろうか。悠木君は本来の自分と出会ったかのように、生命をたぎらせるのだった。人間というのは、どこに新しい自分がいるのか、本当に分からないものである。


「疲れたね。ちょっと休もうか」

 そう言って、悠木君は陽だまりの切り株に腰を下ろした。

「ちょうどいいから、ここでお昼にしよう」

 ということで、ご飯にすることにした。昼食は買ってきたおにぎりと唐揚げ。それだけじゃ足りなかったけど、あとはおやつを食べることにして、手荷物を軽くした。

 食後に悠木君が身体を伸ばす。

「一週間は七日あって、毎週必ず日曜日が訪れるのに、今までの日曜日と、今日の日曜日はまるで違う。ああ、不思議だな。ちょっと足を延ばしただけで、こんなに楽しい思い出ができるんだもん」

 切り株にちょこんと座る悠木君が一生懸命に考えている。

「今日は昨日と同じ二十四時間なんだよ。それなのに、何日分もの時間を過ごした気になっちゃう。新しい風景に出会うと、それが頭の中に仕舞われて、一気に頭が大きくなったみたいで、すごく気持ちいい」

 実際の悠木君は、頭も身体も小さいままだ。それでも僕の目には、昨日よりも大きく感じられた。おそらくそのオーラは、僕の中で存在感と比例しているのだろう。僕の心の中に占める割合と言い換えてもいい。

「そうだ、シュウ君、絵を描きたいって言ってなかった?」

「うん。描こうと思ったけど、何を描けばいいのか分かんなくて」

「ひょっとして、ぼく、邪魔かな?」

「そんなことないよ」

「よかった」

 どうしてそんなことを考えるのだろう。邪魔なわけがないのに。そもそも悠木君がいなければ、僕はここへ来ていない。来ようとも思わなかっただろう。僕にとって悠木君の存在は、すでに欠かせない生活の一部になっていた。

 僕が絵を描かないのは、一人で時間を過ごすより、悠木君と一緒に過ごしていた方が楽しいからだ。ただ二人でいたいだけである。でも恥ずかしくて、そんなことを口にするはずもなく、黙っているというわけだ。

「描きたいものが見つかったら、描き始めていいからね。ぼくのことは気にしなくていいから」

 そんな悠木君の気遣いが嬉しかった。僕は空気のような気の置けない仲よりも、遠慮や気遣いのある仲の方が心地よく感じるタイプの人間だ。それは悠木君と付き合いだしてから明確に感じることができた。または、学ぶことができたと言った方がいいかもしれない。

 それは自然との付き合い方に似ている。存在していることを当たり前と捉えたりせず、常にその存在に対し謙虚であること。また、調子に乗って尊厳を傷つけたりしないこと。さらに、畏敬の念を払うこと。自然との付き合い方で、その人の人間との付き合い方が分かるのだが、逆もまたしかりである。

「ねぇ、シュウ君」

「うん?」

「シュウ君は『トム・ソーヤの冒険』って知ってる?」

「うん。知ってるよ」

 悠木君が言っているのは、マーク・トウェインの小説ではなく、その原作を元にしたアニメのことである。僕たちが生まれる前の作品だけど、小学生の時に再放送されたので、それで知っているというわけだ。

「じゃあ、ハックの説明はいらないね」

「うん」

 ハックというのは、いたずら好きのトムの親友で、町はずれに一人で住んでいる少年、ハックルベリー・フィンのことである。

「ハックがどうかしたの?」

「うん。ここにいたら思い出しちゃったんだ。町はずれの森の中、今ここにハックがいたら、ちょうどここら辺に住んでたんじゃないかなって思って」

「ああ、そうだね。町までちょっと歩くし、この辺なのかな。そういえば子供のころ憧れたな、木の上に家を建ててさ」

「ぼくの友だちも同じこと言ってた」

「悠木君は憧れなかった?」

「うん。ぼくは怖かった。だって森の中に一人で住んでいるんだよ、子供なのに。すごく怖いよ」

 考えてもみなかった。そう言われて初めて気がついた。トムと一緒に遊び、冒険するハックが羨ましくて、自由気ままに生きるハックに憧れていた。でも悠木君の言う通り、真っ暗な森の中に一人で住んでいるのだ。僕はテレビの中に住んでいるハックしか見ていなかったことを知った。

 つまり僕は主人公であるトムの目線でハックを見ていたということになる。何もしなくても食卓にご飯が用意されて、性格の異なる兄弟がおり、学校にはハック以外の友だちもいるし、好きな子だっている。わくわくするような冒険があって、伯母さんに叱られては自由を満喫しているハックを羨ましがる。結局、僕は主人公のトムしか見ていなかったのだ。

 それに引き替え悠木君はハックの暮らしまで想像している。僕と悠木君は同じアニメを観ていたはずなのに、ハックに対して正反対の印象を持った。アニメだろうが小説だろうが、それに触れる人間によって価値が変わるということだ。僕は一体これまで何を見て、何を見過ごしてきたのだろうか。

 それから僕たちはジブリ作品について話をして、そこからリスやフクロウの話に変わり、登別クマ牧場の話をした。


 すっかり重くなった腰を持ち上げて、歩き始めたのはお昼すぎ。やがてだだっ広い原っぱへと辿り着いた。ちょうど団体のハイカーが昼食を摂るにはもってこいといった場所である。もう少し暖かくなればハイキングに訪れた家族連れの姿があったかもしれないが、今日は僕と悠木君の二人で独占している状態だ。

「気持ちいいね」

 悠木君が感想を口にした。

「うん」

 それに僕が答える形だ。

「ちょっと寒いけど」

「うん」

「でも、歩くとちょうどいいよね」

「うん」


 悠木君が草の上に寝転がる。

 僕もその隣で寝転がる。

 悠木君と同じ空を見ている。

 青よりも白い。

 白よりも青い。

 どちらとも中途半端な空色。

 悠木君が空を見つめている。

 僕もその隣で空を見つめる。

 見ているのは空だろうか。

 それとも黒い宇宙だろうか。

 はたまた宇宙の先だろうか。

 その先はぼんやり白い気がした。

 悠木君が目を閉じる。

 僕もその隣で目を閉じる。

 まぶたの裏が赤い。

 次第に視界が真っ白になる。

 やがて眠りにつく。

 しかしそれは目覚めだった。


「シュウ君?」

「うん?」

「寝てた?」

「いや」

 悠木君が上体を起こしたので、僕も同じように上体を起こした。

「ぼくね、考えてみたんだ」

 なぜだか、悠木君の声が沈んでいるのだった。

「何を?」

 僕はその変化に対し、慎重に尋ねた。

「今まで生きてきて、今日が一番幸せかもしれないって」

 言葉の意味とは対照的に、声は沈んでいた。

「一番?」

「うん」

 そこだけ言葉に力が入った。今日はなんでもない一日だ。少し足を延ばしてハイキングコースを回っているだけ。そんなどこにでも転がっているような休日を、悠木君は一番幸せだと言った。

「ぼくは思うんだ。何年も経って大人になった時、きっとつらいことがたくさん待っていて、それでも生きていかなくちゃならなくて、泣きたくても、誰も助けてくれない。ぼくが立ち止まると、周りの人はかけ足で追い抜いていって、人も時間も流れる景色みたいに見えなくなり、気がつけば、ぼくだけぽつんと取り残されている。それでね、ぼくは暗くて狭い部屋の中で、ああ子供の頃はよかったなって、一人で思い出すの」

 それを悠木君は、今にも涙をこぼしそうな震える声で話すのだった。

 どうしてだろう? さっきまで無邪気に笑って話していた悠木君が、心から楽しいはずの時間の中で、寂しくなるようなことを言い出す。

 それを聞いて僕まで気持ちが暗くなった。もうすでに楽しいだけの気持ちはどこかへ行ってしまった。もしもそれが悠木君でなければ、今頃どうしようもなく嫌な気分になっていたかもしれない。

 青天の霹靂。

 それは未来に怯える子供の姿そのものだった。明日への希望に胸を膨らませた瞬間、同時に不安が芽生える。昨日まで平気だったことが途端に怖くなるのだ。当たり前にできていたことすら、やり方に疑問を持つ。そうして一つ疑問を持つと、他のことまで疑問が生じ、やがてバランスを失って、再び立ち上がるのも困難になる。

 先回りして悩み、取り越し苦労を買い漁る。その苦労は何年、いや何十年先に経験することだというのに、何十年分の苦労をいっぺんに背負いこもうとする。

 そのきれいなだけの細い腕、その柔らかいままのふくらはぎ、その透けるような薄い胸板、その伸びきっていない背骨では、到底支えられるわけがなく、太陽の光すら眩しくて、逃げるように日陰を求めてしまうようになる。

 僕は考えている、失敗は許されない、と。そして同時に思っている、みんな失敗しろ、と。

 そんな思いを知る由もなく、俯いていた悠木君が顔を上げて、そしていつものように、ニコっと微笑むのだった。

「でも、ぼくは大丈夫」

 まるで通り雨の後のように、悠木君に笑顔が戻った。コンマ一秒で切り替える、それも悠木君の特技だ。

「ぼくはきっと思い出すんだ。苦しい時、つらい時、悩んでいる時、傷ついた時に、あの頃はよかったって振り返るのは、それはたぶん今日の、この日だと思う」

 それは僕も同じだ。

「だからぼくは大丈夫。子供の頃に戻って、何度でもやり直せる場所があるんだから。ぼくは大丈夫。きっと大丈夫」

 悠木君の言葉通り、ぼくは帰って来た。悠木君のいない未来から、ここへ。


 それから僕たちは、さらに歩き、小さな川を見つけた。ハイキングロードから外れたところに、その小川は流れていた。陽光に照らされた水面の上が、光の欠片で覆われている。光の結晶だろうか。手を伸ばせばすくえそうで、そう思った瞬間、僕は駈け出していた。あるはずのないものを追いかける。思えば、僕も子供だった。

 気がつくと、悠木君が川辺で水をすくい上げていた。両手いっぱいの水をじっと見つめ、いつものように微笑みかけるのだった。ひょっとしたら悠木君の目には、光の結晶が見えていたのかもしれない。それは悠木君にしか確かめられないことだ。

 僕は川のほとりで腰を下ろし、何をするでもなく、川の水とじゃれ合っている悠木君を眺めていた。しばらくそうしていると、いつの間にか悠木君が風景の中に溶け込んでいることに気がついた。その姿に見とれ、僕は急いでスケッチブックを開いた。歩き回って、やっと自分が描きたいと思うものが見つかったからである。

 僕は思わずつぶやいた。

「見つけた」


 川の流線はたおやかで、水の流れはゆったりとしている。

 川幅は狭く、それは子供の細い身体を思わせた。

 そこへ、ちょうど同じ年ごろの子供がやってくる。

 二人は、すぐに手を繋いで遊びはじめた。

 濡れたって、気にしないようだ。

 たとえ泣かせ、泣かされようとも。

 話せなくたって、気にならないようだ。

 たとえ相手が、誰の子供であろうとも。

 今どき珍しいと、僕は笑った。

 無色透明な川の方が、僕にはおかしかった。

 無垢で無邪気な子供の方が、僕には笑えた。

 どちらも、笑わせようとしていないというのに。

 いびつなのは、どちらだろう。

 悪意の塊は、どちらだろう。

 邪悪に満ちているのは、どちらだろう。

 偽善者は、どちらだろう。

 僕は、すでに知っている。

 偽善が批判されるということを、僕は知っている。

 偽悪の方が効果的だということも、僕は知っている。

 またそれを多くの人が知っているということも、僕は知っている。


「できた」

 絵を描き上げ、僕は静かにスケッチブックを閉じた。風景を描いても自画像しか描けないのはいつものことだった。それと下手くそな詩。悠木君は僕の詩を褒めてくれたけど、悠木君の書く詩の方が素直で、僕は好きだった。僕も自分以外のことが書けるようになりたいと憧れたものだ。

 絵を描き終えるのを待っていたかのように、悠木君が近づいてきて、僕の腕を引っ張った。

「ねぇ、川に入ろう」

「まだ川の水は冷たいから、風邪ひくよ」

「大丈夫」

 悠木君は心配する父親に抵抗するように、語気を強めて否定した。そして靴と靴下、さらにはズボンまで脱いでしまった。

「ほら、シュウ君も一緒に遊ぼう」

 僕は表面上仕方なくといった感じで、その実、はやる気持ちを抑えてズボンを脱いだ。

「うわ、しゃっけえ」

 川に入った瞬間、思わず声が出た。

「しゃっこいね」

 悠木君も普段は使わない方言で返した。

「ぬるっとしてるから、転ばないようにね」

「もう、分かってるから」

 心配されるのがよほど嫌なのか、悠木君が口を尖らせた。それでいて心配されたのが嬉しいのか、目は笑っているのである。

 僕は転んで服が濡れるのも、足の裏を傷つけるのも怖くて、慎重に川底を歩いた。そんなへっぴり腰の僕を悠木君は見逃さず、僕の曲がった腰を押して、転ばそうとするのだった。

 それに対して、僕も負けじと悠木君の肩を突いて反撃する。広げた両手を押したり、引いたり。手を掴んだり、離したり。押し相撲の要領で、僕たちは触れ合った。

 楽しかった。

 自分でもひどく幼稚に思えたが、そんなことは気にならなかった。人目を気にせず遊び呆けるというのが久しぶりだったので、とても新鮮な気持ちになれた。


 公園で水遊びをしていたのは、いつの頃だろうか。

 あれは確か幼稚園で友達になったいっちゃんやようちゃんと遊んでいた頃だ。公園の飲み水を出しっ放しにして、汚れるのも気にせず泥んこ遊びをしていた。今は何がおもしろかったのか分からないが、遊びなのに結構真剣だったのを憶えている。新しいゲームを考えては、途中でルールを足したり無くしたり、みんなが楽しめるにはどうしたらいいのか、子供は子供なりに考えていた。ゲームに飽きれば共同作業を始める。といっても、ダムやトンネルを作る程度のものだ。

 あれは何だったのだろう。遊びそのものよりも、泥に手を突っ込んだ感触、腕に塗りたくる快感だけが妙に残っているのだ。僕はその快感を求めて、今も生きているのかもしれない。

 思えば、僕はあの頃から大して成長していないように感じられる。先生や親の顔色を窺うのも、園内での人間関係を気に掛けていたのも、気になる女の子が他の男の子と仲良くしていることに嫉妬していたのも、頼まれていやと言えないのも、すべて今の自分と変わらない。

 むしろ思ったことを口にできなくなった分、後退していると考えてもいいくらいだ。僕は幼稚じゃない、それよりも劣化して、後退した人間である。悠木君がパンツを水に濡らすのを見て、僕はそんなことを考えていた。


 やがて帰る時間を迎えた。

「また来ようね」

 悠木君の見上げた顔に、僕は頷く。

「やった。ぼく、いろんな季節が見てみたいな」

「そうだね。また来よう」

「うん。本当は毎週来てもいいんだけど、飽きると嫌だから、季節が変わるまで待つんだ。ぼく、むかしピーナッツバターが大好きだったんだけど、飽きるほど食べたら、本当に飽きちゃったことがあって、それから思い出すのも嫌になっちゃった。だから、もう飽きるのは嫌なんだ」

 悠木君が大真面目に話すほど、僕は可笑しくなる。これはいつもの悪い癖で、真面目な人や真剣な人ほど笑い飛ばしたくなってしまうのである。

 そうかと思えば、大勢が熱中しているのを冷めた目で見て、それで本人はひねくれた性格だと一人悦に入るのだ。要は自分を冷徹な皮肉屋さんだと思い込みたいのである。風刺や毒舌を好むことを必要以上にアピールし、はすに構えて、鼻で笑う姿を鏡で練習するのだ。

 しかし最近は、深刻に悩むことが多い。シリアスな芝居を見て笑うくらいならまだいいが、一度だけ困っている人を目の前にして笑ってしまったことがあったからだ。

 それは雪道で車が立ち往生しただけで、事故でもなんでもないというのに、そんな困っている人まで笑うのだから、なんて自分は残酷なんだと思い、自己嫌悪に陥った。

 それ以来、ブラックとかシニカルとか得意がることができなくなってしまった。僕は天国を嘲笑っていたが、内心では憧れていた訳だ。僕の存在こそ、お笑い草だ。

 そういうこともあり、僕は笑いそうになったけど、それを表情に出さずに、悠木君の会話に応じた。

「だったら、季節が変わるまで、別のところに行こうか」

「うん、そうしよう、そうしよう」

 僕の心中を知る由もない悠木君が、ハツラツとした声を上げるのだった。

「どこがいいかな?」

 悠木君が宙を見つめて思案する。

「あっ、じゃあね、今度は金太郎池に行きたいな」

 金太郎池というのは、これも学園の近くにある市の名所で、名所とは名ばかりの何の変哲もない池のことだ。そこも地元の小学生が遠足に出掛けるにはもってこいといった感じの場所である。


 金太郎池と悠木君。

 ふと、それで思い出したのが、小学生の頃に聞かされたイソップ寓話の『金の斧』の話だった。きこりが鉄の斧を川に落として、そこへ神さまが現れる。そこで例の「落としたのは、この金の斧か」と尋ねる、あれである。

 結局、正直者のきこりは金銀鉄の三本の斧を与えられる話だが、『桜の木』同様、僕はこの話を事前に知っている。ということは、川から神さまが現われて、金の斧をちらつかせようものなら、僕は違うと答えるに決まっているではないか。問題は、それが正直な行いと言えるかということだ。

 三本の斧を手にしたきこりは、僕とは違い前例を知らずに無心でいられた。でも僕は前例を知っているため、打算的に処理した上で試される。同じ試練や葛藤でも条件が違うのだ。これでは正直者のきこりと公平であるとはいえないのではないだろうか。

 そこで僕がこの話の教訓として考えたのは、鉄の斧を川に落とすようなヘマはしないでおこうと、思ったのはそれだけである。僕もこの話を知らなければ無心でいられたかもしれないというのに、まったく余計な話を聞かされたものだ。

 これが悠木君ならば、確実に三本の斧をもらえるだろう。それどころか、斧を持たぬ者に余分に手に入れた斧を分け与えてしまうかもしれない。本物の正直者には金の斧すら価値がないということだ。

 この話、考えれば考えるほど自分が正直者から遠ざかってしまうが、実際は、金の斧が欲しければ打算的であれ、という教えなのかもしれない。そのように解釈すると、自分が救われた気になれる。

 もっと曲解すると、貧乏人をそのまま貧乏人にしておくための開示のようにも思える。正直に金の斧が欲しいと言っても、正直者だと思ってくれないのでは、へそを曲げるしかないからだ。それでも僕は正直に思う、金の斧が欲しいと。

「じゃあ、今度は金太郎池に行こうか」

「うん。行く」

「じゃあ、まだ先だけど、次の試験が終わってからだね」

「うん。約束だよ」

「うん。約束する」

 その約束は、守られることがなかった。金太郎池を見ることなく、夏の遠足にも行かず、悠木君は死んだからだ。

 僕はこの時から二度と人と約束しないと決めた。また今度とか、また来週とか、また来年とか、そんなものはこの世に存在しないからである。これは身近で若者の死を経験してしまったから実感できるのであって、想像だけでは難しいことかもしれない。大抵の人は、自分だろうが他人だろうが、明日も生きていると思ってしまうものだからだ。生と死が隣り合わせであることなんて、考えもしないのだ。

 帰り道は寮の門限があるため、多少急ぎ足になった。でもそれは門限の時間ではなく、迫り来る夕闇が怖かっただけである。後ろを振り返らず、脇目も振らず、先へ急いだ。寮部屋へ戻ってドアを閉めた時、僕たちはほっとため息をついたのだった。


 その夜、なぜか僕は父親について考えていた。

 どうしてそんなことを考えてしまったのか。きっと川遊びをする悠木君を心配する自分に父性を見出したからだろうが、実際のところは何も分からない。

 僕の父親は、酔って母親に手を上げるような弱い男だった。弱くて、弱くて、弱い男だった。お酒が好きで、その大好きなお酒にも負けてしまうような男だ。普段は無口で大人しく、生真面目で小心で、強い者には弱く、弱い者には強い、どこまでも外面がいい、いわゆるどこにでもいる父親だった。つまり僕と一緒である。いや、僕が父親と一緒なのだ。

 立派な父親を持てば、最近のガキはなどと言えるが、そうではない男を父親に持つと、自分より下の世代を責める気持ちになれないのである。何を見ても、親の世代よりかは、よくやっていると感じてしまう。

 成功者として威厳を振りかざすような父親を持つのも大変だと思うが、弱い男を父親に持つのも、それはそれで大変である。男として自分に自信が持てず、強くあろうとしても、虚勢しか張れない。父親の背中を見ると、明日の自分がみじめになるのだ。

 僕が描いた絵をせせら笑う父親の姿は、僕にそっくりである。自分を棚に上げて、他人の作品をバカにするのだ。自分の中途半端な性格に目をつむり、他人の中途半端な性格を大笑いする。昔は大変だったと苦労話をしたかと思えば、同じ口で昔は良かったなどと言う。気が大きくなるのは酒が入った時だけで、酒が抜けたら、見る見るうちにしぼんでしまうのだ。

 面識のない親戚の出世話を自慢するだけの父親。同級生がどこそこの社長だとか、それで自分が息子にみじめに思われていることを知らない、哀れな父親。それに対し、よその家の父親を羨ましがる自分。間違いや失敗を、すべて父親の責任になすりつける自分。僕は父親に一度も褒められたことはないが、僕の方も父親について褒めたり、自慢出来たりする部分が一つも見つからない。そこら辺も含めて似たもの親子といえるかもしれない。

 それでも世間でよく言われるように、ダメな父親から反面教師として学んだ部分は少なくない。ただし、それも酒で失敗して、大事な仕事まで手放してはいけないという、ごくごく一般的な教訓なので、それは父親を見なくても知ることはできた。

 僕の弱さというのは、とどのつまりすべてを父親の責任にしていることに起因しているのだが、それを知るのはずっと先のことである。十五の僕には、それを知る術がなかった。

 そこに超えるべき壁はなく、シャドーボクシングをすることしかできず、拳の痛みを知らないそんな子供に何ができよう。自活して、生きのびるだけでも噛みしめた歯がぼろぼろになり、そこではじめて父親に涙するのだ。

 それでも母親に手を上げた記憶は消えることなく、そこだけくっきりと忘れられずにいるのである。それが日常的な暴力だろうと、一回きりの暴力だろうと関係ない。たとえ一回きりの暴力でも、そこにたった一度の過ちの重さを感じる。

 母親の腕にできた青痣はもうとっくに消えているが、僕の頭の中には未だに鮮明に刻まれている。そして、その青痣は僕が死ぬまで消えることはないのだ。街中で青紫色に出くわすたびに、僕は父親の暴力を思い出す。


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