悠木真 (ゆうき まこと)
黒鳥学園の寮は校舎に隣接しており、四人部屋と二人部屋と個室が用意されていて、進級するごとに人数が減っていくシステムが採られているが、僕が入学した開校初年度は、地元からの自宅通学者が多く、入寮希望者が定員に満たなかったということもあり、一年生から二人部屋を使用することができた。現在の状況は知らないが、当時としては、卒業後の進学、就職実績のない新設校で生徒が集まらなかったというのは、無理のない話だったと思う。
寮生活については、入学前に二度の面接が行われ、そこで具体的な説明を受けていたので、自宅に帰ってから何度もイメージすることができた。希望者には下宿という選択肢もあり、同室の者と肌が合わなければ退寮すればいいなどと、無責任に考えていたものだ。
また寮則についても、一般校の校則と変わりはなく、禁止された物を持ち込まず、時間通りに生活すれば問題はないというもので、特に厳しいという印象はなかった。ただし次年度から門限や点呼、夜間自習が強化されたので、開校初年度だけが例外だったともいえる。
悠木君との出会いは、今も忘れられない。
入寮式の朝、僕の両親と悠木君の両親が部屋で挨拶を交わしたのが最初だった。初めて見た悠木君は、女の子のように白い肌をしており、血管が透き通って、青白く見えるほどだった。ちょうど空に透かした雲のイメージだろうか。男の子にしては長い髪で、女の子のショートカットと変わらない。ぱっちりとした二重で、宇宙のような黒い瞳が爛爛と輝いていたのが印象的だった。
身体は小さく、ランドセルを背負えば小学生と見間違えるのではないかと思うほど幼く見えたのも事実である。話し声は高くてきれいな声をしていたので、汚い声で大声を出すような奴が嫌いな僕にとっては、理想的な同室相手であった。それに何より会った瞬間、ニコっとして僕を安心させてくれたのが嬉しかった。
入寮式が終わって寮部屋に戻った時、なかなか戻ってこない悠木君のことが気になり、悠木君が部屋に戻らない理由について考えた。幼少の頃からそうだが、僕は人と違う行動をしていると、すぐに不安になってしまうのだ。自分は間違ったことをしているのではないか、自分だけはみ出してしまったのではないか、自分だけ取り残されてしまったのではないか、そんな強迫観念のようなものである。
しばらくして悠木君が部屋に戻って来て、両親を校門まで見送りに行っていたと聞かされた。そういうことかと納得したが、同時に僕は、両親を校門まで見送りに行かなかった自分に恥ずかしさを覚えた。僕は自分のことを相当外面のいい人間だと思っていたけど、それが中身の伴わない善人面だということを、入寮一日目で思い出してしまったのだ。善人の仮面どころか、善人に見せ掛けることすらできていない。
中身がない人間というのは、すぐにボロが出る。家族への接し方一つで、その人間の程度が知れてしまうのだ。僕がいい例である。外面はいいくせに、身内には気が回らない。横柄で、家の中では子供の王様のように振る舞う。新生活をスタートさせたばかりなのに、まったく新しい自分になっていなかった。
だがしかし、それは同時に喜ばしい敗北でもあったりしたのだ。なぜならそれは、自分よりも優しく親切な人間がいることを知った喜びであり、小さい自分を見つめ直すことで、より大きな世界を空間として認識できる機会に恵まれたということだからである。
自分から変わることはできないが、もしかしたら悠木君との出会いによって、変われそうな予感がしたのである。僕はその一日のために、もっと言えば、悠木君と出会うこの日のために、今まで人生を積み上げてきたんだと考えることができた。
この時点で、入学前の不安は希望へと変わっていた。悠木君こそが僕の希望であり、救い主だと思った。それが悠木君に対する最初の印象である。
それから部屋に戻ってきた悠木君と夕食の時間まで話をした。話をしたといっても、ほとんど悠木君が一人で喋った。僕の方は、人見知りと言いつつ、シャイな自分を気取るようにしていたというわけだ。
「ぼく、歯ぎしりがひどいかもしれない」
申し訳なさそうに、悠木君が打ち明ける。
「いいよ。気にしないから」
「ほんとに? ああ、よかった」
僕の答えに、悠木君は嬉しそうな顔をした。
「小学校の修学旅行の時に、同じ班の友だちから怒られたんだ。その時は申し訳ないなと思ったし、すぐに謝ったけど、でも眠っている間の出来事だからさ、直そうにも、起きている間のぼくにはどうすることもできないんだ。できることといったら、眠っている間のぼくに代わって、起きている間のぼくが謝るしかないからさ、ほんとにズルいよね」
悠木君が恨めしそうに口を尖らせる。嬉しい時は嬉しそうな顔をして、恨めしい時には恨めしい顔をする。それが悠木君だった。
「だってそう思わない? 起きている間のぼくは勉強したり運動したりするのに、眠っている間のぼくはずっと眠っているんだよ。あったかい布団で朝までぐっすり。ズルいのに、それを羨ましいなんて思ったら本当はいけないけど、やっぱり羨ましいな」
僕が微笑みながら耳を傾けるだけで、悠木君は音楽のように語り出し、心地よいメロディを紡ぐのだった。十五でこれほどの美声を持つ少年を、僕は他に知らない。
「それに眠っている間のぼくは夢だって見る。楽しい夢からおかしな夢まで、ときどき怖い夢も見るけど、なんでも揃っているんだ。まるで眠りながら映画を観ているみたい。それを布団の中で眠りながら観られるんだよ。やっぱり羨ましい。起きている間のぼくは、すぐに忘れちゃうんだもん。夢の一部は覚えているけど、それは映画の予告編だけで、全部観られないの。そんな朝はすごくイライラしてしまう。ああ、でもそれは、すぐに忘れてしまうぼくがいけないのかな……」
悠木君はしょぼんとしてしまった。
嬉しそうな顔をしていたかと思えば、すぐに恨めしそうな顔をする。その後に羨ましそうな顔をして、やがてはしょんぼりとした顔になる。感情がころころと変わり、その感情がダイレクトに顔に出るのだ。僕はその小さな顔から目が離せなかった。ラファエロの天使画を見ているような感覚だろうか、見ていると吸い込まれてしまうのである。
悠木君が自分のことを話し終え、次に興味を持ったのは僕の持ち物についてだった。
「本がたくさんあるね」
「うん」
僕は寮部屋に唯一持ち込み可能な本を家から持参してきていた。それは僕が読書家だからという訳ではなく、ルームメイトと気詰まりを感じた時に、本を読むふりをして、その場をやり過ごすため、念のためにと持ってきたのである。しかしルームメイトが悠木君ならば、そんな心配はいらないと思った。
「どんな小説を読んでいるの?」
「ここにあるのは小説じゃなくて、どれも詩集なんだ。ランボーとか、ボードレールとか、ホイットマンとか、有名な人のばかりなんだけどね」
「ぼくには知らない人ばかりだ」
「僕もまだ全部読んでないから、今は名前しか知らない」
それは詩集を読んだ後も、自分が本当に読んだかどうか実感することは難しかった。字面を追うだけで、実際に自分の脳に蓄積されたかは、どうにも心もとないのである。
「もし読み終わったら、ぼくにも読ませてくれる?」
悠木君が遠慮がちに尋ねた。僕はその慎み深い頼み方に、自然と顔がほころんだ。
「うん。本棚にある本は好きに手に取っていいよ。僕が読み終わるのを待っていたら、一年が終わっているかもしれないから」
悠木君も破顔する。
僕はその顔を見て大きく頷いてみせた。それはまるで僕が心優しい兄にでもなったように感じられ、人から慕われることへの喜びへとつながった。
それから夕食の時間まで、僕と悠木君は話し続けた。
テレビもラジオもない寮部屋生活だけど、悠木君との会話があれば、そんなものは必要ないと思えた。出会ったばかりだというのに、ほんの少し話をしただけで、すっかり打ち解けることができたのである。
いや、悠木君が僕に対して打ち解けたのかは分からない。この時は、僕が一方的に打ち解けたと感じただけだ。僕には、その程度の思い込みだけで胸いっぱいの喜びを実感することができた。無防備でいられるが、無神経ではあってはならない。相手を尊重し、敬愛できる間柄。例えばそういう関係である。
また一方で別の感情もある。
音楽を奏でるものがないこの部屋が、ポスターの一枚も貼られていない真っ白いこの部屋が、机とベッドと本棚しかないこの部屋が、たちまち僕たち二人の秘密部屋へと変わった。それに対して、自分でも子供っぽいとは思うけど、悠木君と話していると、幼稚園の頃や上がりたての小学校時代の記憶が呼び覚まされるのだ。
その時代の僕には、毎日欠かさず遊ぶ友だちがいて、その友だちと日が沈むまで飽きることなく一緒にいたという記憶がある。一緒にいるのが楽しくて、別れるのがさみしく感じる。そんな単純明快な気持ち。悠木君と過ごす時間は、ちょうどその頃の友だちと遊ぶ感覚に、とてもよく似ていた。
背伸びをしたかと思えば、すぐにその場でうずくまる。大人びたかと思ったら、次の瞬間には幼児性を発揮する。とても不安定で足元が覚束ない。大人だか、子供だか分からないような年ごろである。思えば思春期という言葉に敏感に反応していたのが、中学の始めから、この時期が最期だったように思う。
夕食を終え、寮部屋に戻ってきた時、窓の外は真っ暗だった。日が沈む前には存在していた森も、今は闇に飲まれて、気配すら感じない。森の木々も闇を恐れて死んだふりをしているようだ。
寮舎は市街地の北端にあり、校舎の裏にはどこまでも森が広がるばかりで、日が沈んでしまえば、窓の外は人間以外のテリトリーとなる。だからこの部屋は、人間が暮らす世界と自然界の、ちょうど境目となっているのだ。日が沈んでから現れる闇は、まるでそれ自体が生きているかのように恐ろしく感じられた。風に交じった啼き声に、僕は切り刻まれるほどの恐怖を感じた。
怖がりな僕は、窓を開けることすらできなかった。もし開けてしまえば、そのまま手首を掴まれ引っ張られそうな予感があった。なるべく闇夜と目を合わせないように、気づかれないように、悟られないように、音を立てずにカーテンを引いた。
夜になると、悠木君は無口になった。
車の往来もなく、寮部屋で騒ぐ生徒もいないので、部屋で二人きりになると、互いの息づかいが聞こえてくるばかりである。
先ほどまで元気だった悠木君が急に大人しくなるから、僕は何か気に障ることでもしたかな、などと考えたが、悠木君がとても眠たそうにあくびを噛み殺すのを見て、すぐさま疑問が氷解した。
長いまつげが重そうである。消灯まで時間があるため、頑張って起きているという感じだ。十五で夜更かしが常だった僕にとっては、それがとても健全に思えた。
「もう電気消そうか?」
「んん、いい」
僕の気遣いを、悠木君は目をこすりながら断った。
「でも眠そうだよ」
「……うん」
悠木君が申し訳なさそうに認めるのだった。僕はその素直さが嬉しかった。なぜならそれは、僕にはできない態度だからである。
「じゃあ、消すね」
「本はいいの?」
このとき僕は机に向かって本を読んでいた。それで悠木君も僕に対し、相応の気遣いを見せたのだ。
本当は本を読んでおらず、字面を追いつつ、悠木君の様子ばかり気にしていたのだが、そんな素振りは見せないようにしていた。
「代わりにスタンドの電気を点けるから大丈夫だよ」
僕がそう言うと、悠木君はニコっと笑った。
それから「ありがとう」と言った。
それを聞いて、僕ははっとして我に返った。この程度のことで感謝の言葉を口にする悠木君に、僕は戸惑いを感じたのだ。それは自分と悠木君との感謝する度合い、その尺度の大きすぎる違いについてである。僕がもし悠木君の尺度を持ち合わせていたら、これまでの人生で起こった出来事に、どれだけ感謝せねばならないことがあっただろうか。僕はそれを自覚せず、全部すっとばして、当たり前のように鼻歌を歌い、上機嫌にやりすごしていたのである。
最後に「ありがとう」を口にしたのはいつのことだろうか。思い返しても、自分が言葉にした場面を思い出せない。思い出すにはどのくらい過去へ遡らなければならないだろうか。それくらい記憶にないのである。世の中にはやって当然の気遣いと、感謝して当然の気遣いの、その二つが混在しているんだと、その夜、僕は改めて頭の中でイメージしたのだった。
周囲へ溶け込むことに気をつけていながらも、僕は「ありがとう」とか「ごめんなさい」や「すみません」といった、ごくごく当たり前の言葉を身につけていない、そんな礼儀に欠けた人間だった。それでいて他人の礼儀作法には、ことさら神経質になる。自分の行動には無自覚で、他人の非礼には厳しい目を向ける。僕は一体、今まで周りからどのような人間に思われてきたのだろうか。そんなことを考えただけで、一人で顔が熱くなってしまうのである。
さらにこの後、僕は恥ずかしい思いをしてしまう。
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
悠木君の挨拶に、僕は遅れて言葉を返してしまった。
それはつまり普段、家で「おやすみ」や「おはよう」などと口にしたことはなく、入寮初日のその夜、たった一回で僕が家で挨拶をしない人間だとバレてしまったというわけである。
バレたといっても、悠木君はそんなことを気にした様子はないのだが、それでも部屋が明るかったら、きっと赤面して恥ずかしがる僕を見て、気を引いていたことだろう。悠木君には、僕が赤面している姿を見せたくなかった。
これまで何度も、友だちやクラスメイトの女子から、顔が赤いと指摘されてきた。指摘されて、さらに顔が熱くなってしまうのだ。赤面した顔は、僕にとって屈辱の象徴であり、みじめったらしい自分の真の姿であった。赤面した顔を自分で見ることができないというのが、僕に真実だと思い込ませるのである。
友だちに赤面した顔を初めて見られたのは、あれは僕が小学校に上がる前の頃だった。友だちの家に初めてお泊りに行って、そこでナイフとフォークの使い方が分からず、料理を前にして固まってしまったことがあった。自分では見ていないが、きっと僕の顔は真っ赤っかな顔をしていたに違いない。友だちの両親が含み笑いをしながら、使い方を丁寧に教えてくれるのだが、それがみじめでみじめで仕方なかった。
悠木君にだけは、そんな恥ずかしい顔を見られたくない。ただし、そう考えるのは僕の気持ちが好転した現われでもあった。なぜならそれは、立派な自分であろうとする心の有り様だからである。悠木君を通して、僕はみじめったらしい自分と決別しようと考えたのだ。
壁の方を向いて寝ていた悠木君が寝返りをうつ。眠った顔は、幼い子供と変わらない。ふと、僕は就職で家を出た兄貴のことを思い出した。
兄貴と僕は、小学校を卒業するまで一緒の子供部屋で過ごした。僕は小さい頃から、兄貴の背中を追いかけるしか能のない子供で、一人では遊ぶこともできないような子供だった。わがままを言っては困らせ、困らせるためにわがままを言い、ああしてこうしてとは言っても、兄貴のために自分から何かをしてあげるということは一度もなかった。
とても心優しい兄貴で、僕はそんな兄貴に甘えるだけ甘えてわがままに育った。兄貴に対する言葉遣いも悪く、いま思い出しても、なぜ兄貴が僕に一度たりとも怒りを見せなかったのか、反対に理解できないほどである。
年齢が違うというのに、その上、弟の子守までしている兄貴に、僕は平等を求めた。両親も両親で、わがまま放題の僕を大人しくさせるため、兄貴の方に我慢させていたように思う。いつも犠牲になるのは兄貴の方で、僕が家では王様だった。
アンデルセンの『裸の王様』の話を聞いて、僕は裸の王様のことを、どうしようもない見栄っ張りだと嘲笑っていたが、思えば、あの裸の王様とは僕のことだったのだ。母親に料理を作らせ、父親におもちゃをねだる。兄貴にはお世話を命じて、本人は鼻高々でいた。何の能もない子供が威張り散らしていたのである。
それなのに僕は、裸の王様の話を聞いて、他人事のように笑っていたというわけだ。なんという皮肉だろうか。他人をバカにして笑っていた自分が、実は笑われる側だった。これほどの笑い話は他にないかもしれない。
ひょっとしたら僕は、兄貴と過ごした子供部屋を追いかけて、この寮部屋に辿り着いたのかもしれない。悠木君の寝顔を見て、無性にそう思えたのだ。狭い部屋で仲良く笑い合う、その残像が幸せな思い出として忘れられないでいるだけのような。それがいかにも、こじつけの好きな僕にピッタリの思いつきだと考えられた。
スタンドの明りで悠木君が目を覚ますといけないので、僕は音を立てないように、そっとスタンドの明りを消した。
真っ暗な部屋の中で考えていたのは、ある日の記憶だった。
補助輪つきの自転車で兄貴の背中を追いかける、幼い日の僕だ。
兄貴はゆったり自転車を漕いでいるのに、僕は全力で漕いでいる。
大好きな兄貴の背中が遠ざかるのを必死で追いかける。
周りの景色は見ていない。
見ているのは兄貴の背中だけだ。
やがて僕は諦めてしまった。
目の前から兄貴がいなくなってしまったからだ。
僕は見慣れない景色に、首をひねったまま固まっている。
どっちへ向かって自転車を漕げばいいのかもよく分かっていない。
悲しくも怖くもなく、ただ寂しさが身体を締めつける。
涙のない泣きたい気持ち。
そこから先の記憶はない。
あの日の僕は、ちゃんと家に帰ることができたのだろうか。
思い出そうとしても、アルバムの中に続きの写真が存在しない。
目を閉じると、あの日の僕が、今も十字路で首をひねっている。
時間が止まったままだ。
ひょっとしたら、今もあそこで迷っているのかもしれない。
兄貴の背中は見つかったかい?
問い掛けても、やっぱり首をひねったまま固まっているのだった。