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偽善者  作者: 灰庭論
第一部 小説
2/20

弓形修 (ゆみなり しゅう)

 北海道の春の風景画を描くのに、薄桃色の絵具は必要ない。そこにあるのは、路肩の解けきらない黒い雪の塊や、春の陽射しとは名ばかりの寒空の下、背中を丸めて歩く人たちがいるだけだからだ。太陽は遠く、姿は見せても、決して温かく微笑んでくれることはなく、僕は太陽を冷たいものだと思っていた。

 家族で旅行に出掛けたことがなかったので、北海道に生まれていながら、その雄大な景色などは見たことがなく、家のテレビで北海道の美しい景色が映るのを見ては「ああ、僕も一度でいいから北海道に行ってみたいな」などと、皮肉たっぷりに思ったものだ。

 北海道はテレビで眺めるくらいがちょうどいい。旅行へ行くにしても三、四日で充分ではないだろうか。確かに新雪の絨毯に言葉を失くすことはあるが、僕はそれがすぐに犬の糞尿にまみれて黄ばんでしまうことを知っている。雪が白いままでいるのは、ほんのわずかな時間だけなのである。

 高校への入学を控えた僕の胸に、希望や期待など、未来を明るく照らしてくれる約束手形はもちろんのこと、そう思い込ませてくれるだけの空手形すら持ち合わせていなかった。横っ面にビンタのような春風は、甘い夢さえも錯覚させてはくれない。せいぜい見る夢は、好きな女の子と街中で偶然出会うという想像くらいなもので、それを閉じこもった部屋の中で、一日中考えていた。

 僕が黒鳥学園高校を志望した理由は、そこが新設校だからとか、寮が完備されてあるからとか、そんな当たり前の理由ではなく、単に公立高校の受験に失敗したからである。そこで浪人して受験し直すということをせず、特に何も考えずにスベリ止めの私立高校に入学したのだ。自分のことだというのに、まるで他人事のようにしか考えていなかったように思う。高校への進学など、当たり前のように、義務教育の延長くらいにしか思っていなかったのだ。

 私立高校というものは、出来のいい高校と出来の悪い高校で両極端なものだが、僕が行った高校は言わずもがなである。出来の悪い子ほど金が掛かると言うけれど、僕の経験と照らし合わせると、それが間違いのないことだと断言できるというわけだ。

 別に謙遜したり、卑下したりしているわけではなく、生産性のない自分の顔を鏡で毎日見ていれば、それが嫌というほど思い知らされるというものだ。覇気のない表情に、自信が宿ることはなく、締りのない半開きの口からは、いつも言い訳ばかりで、濁った黒目は、常に責任をなすりつけられそうな人物を探している。

 とにかく何でも人のせいにして、自分が悪いと思うことは一度もなかった。そんなことだから、他人に感謝することもないのである。高いお金を出してもらった両親に感謝するのは大人になって初めて思うことであり、当時は入学金や授業料が家計を圧迫させていることを知らず、不満しか持たなかった。高校に行かせてもらいながら、平然と親に悪態をついていたのを、大人になってから思い出し、今は人知れず恥ずかしい思いをしていたりする。

 僕はいつだって物事の裏側を後からしか知ることができず、さらに何をするにせよ、まず失敗して、実際に痛い思いなどの経験をしなければ学習できないという、おそろしいほど想像力に欠けた人間であった。つまり自分がバカで愚かな人間であることに気がついたのも、大人になってからということである。それまでは、ひたすら他人をバカにしていたというわけだ。バカな人間ほど他人をバカにし、見下すというのも、すでに実証済みである。

 親に対して悪態をついていたなんて書くと、昔は不良だったと誤解を与えるかもしれないが、実際にはそんな事実はなく、わがままな自分を格好よく表現したにすぎない。大して気骨があるように見えない大人が、昔はワルかったと粋がるようなもので、単なるわがままを反抗と呼び、甘えん坊の自分に我慢を覚えさせたことを抑圧だと思い込む。そのように僕は、なんでも自分に対していいように解釈する人間だった。

 それでは、僕は一体どんな子供だったのだろうか?

 不良ではないが、優等生でもなかった。強いていえば、優等生のふりをしていた子供だったと思い返すが、それとて懸命に努力すれば、ふりがいつしか本物になったかもしれない。だが僕はその努力すら怠った。バカにされても勉強せず、運動で負けても練習しない。何事においてもひたすら中途半端であった。いま思うに、半端者という言葉が自分を表すのに最適であると納得できるのである。

 しかしそれは僕が半端者を目指していた、もしくは目立つことをおそれていたからだったとも考えられる。友だち同士の噂話で主役にならないような、学校の先生の印象に残らないような、母親に心配を掛けないような、そのように目立つことがないよう心掛けていた気がする。それが僕の弱さの言い訳であり、勇気のないことへの言い逃れでもあり、なけなしの優しさ、もとい名ばかりの優しさだった。

 それでも僕は怠惰な半端者だが、なるべく目立たないようには努めていたと思う。質問されれば質問者の望むような解答を口にし、意見が合わなくても異を唱えない。誰に対しても話を合わせることができるキャラクターになって、学校の教室に溶け込んでいた。それで本心を隠し通すことができたのだ。本音が顔に出そうになっても、口ごもってしまえば、相手が勝手に話してくれる。結局、僕が一生懸命になっていたのは、そんなマイナス方向への努力だったのかもしれない。

 それでは僕に目立ちたいという願望はなかったのかと言ったら、それはまた別の問題だと言わざるを得ない。周囲をあっと言わせたいとか、認めてほしいとか、有名になりたいとか、そんなことは幼稚園時代を思い出しても、きちんと認識していた覚えがある。それでも相反するように目立たないように心掛けていたのは、のけ者にされるのを避けることと、プレッシャーから逃れるためであった。

 とにかく怖かった。

 何が怖かったかというと、みじめな自分を他人に知られるのが怖かったのである。国語の時間に教科書の朗読をすれば声が震え、涙が出そうな声になる。集団の中、一人で椅子から立ち上がるだけで緊張してしまうのだ。人から見られれば、すぐに俯いてしまう。おそらく、あの姿が本当の自分の姿ではないだろうか。人前に出されると、あのみじめったらしい自分が顔を出す。それが怖くて足がすくみ、目立つことから逃げたのだ。

 今こうして振り返ると、きっとみんなとっくに気づいていたのかもしれない。僕が上手に隠していたつもりの、本当の僕に。隠していたと思っているのは自分だけで、薄っぺらい僕の中身なんて、透けて見えていたのだ。それを僕は、目立たないようにしていたなんて、自分を正当化するように格好つけているというわけだ。

 過去の思い出は、恥ずかしい思い出しかない。もう二度とあの頃に戻りたくないと思う人生だ。だがしかし、もう一度人生をやり直すことになっても、今度こそはと、やはり目立たないように、なるべく恥ずかしくないように、以前の記憶を繰り返すように生きると思う。どんなに後ろ向きの人生でも、たとえ同じ結果にしかならなくても、僕にはそれしかできないからである。

 このように、僕のいけないところは、そこまで自覚しているにもかかわらず、ひたすら凡庸であり続ける自分や、多重人格ではないかと悩む自分、内と外で違う人間を演じている自分など、それらも含めて平凡な子供だったと認識し、改善を試みない点である。進歩のない人間の特徴とでもいえばいいのか、ポジティブという言葉で誤魔化して、怠惰な自分に甘んじてしまうのである。

 また、僕のような人間は珍しくないということを知っており、他にもいるからと安心しきっているというのも問題だ。どこまでも周りと同化していることを疑わない。疑うどころか、その上にどかっとあぐらをかいている。そんな僕に成長の跡が見られないのは当然のことである。

 自分を甘やかすことしか考えず、ありのままの自分を賛美し、謳歌する。それでいて苦労した成功者に対し、当然の権利のように平等を要求する。怠けるだけ怠けて、他人と同じものを要求するのだ。手に入らない物に対しては、指をくわえて、よだれをたらしながら妬むのだから、まったくもって救いようがない。

 こうして振り返ると、僕はそれまでの人生をリセットするつもりで新設校を志望したのかもしれないと考えられる。きれいさっぱり再スタートするためだ。嫌になったらリセットすればいい。それはもう、幼い頃からの僕の癖のようなものである。こっちがダメならあっち、あっちがダメならこっちと、自分を変えようとせず、場所だけ変えて誤魔化すのだ。

 実際は逃げ惑うだけで再スタートになっていないのだが、その時はその時で僕も必死だったのだろう。受験に失敗した自分が悔しい思いをしなかったのは、必死になって頑張らなかったというのもあるが、中身のない、上辺だけの、本当の自分を知る同級生から姿を隠せたという安堵感の方が勝っていたためではなかろうか。

 何もしていないというのに、疲れやすい子供だった。それは覚えたてのストレスという言葉ではなく、恥ずかしい思いをしないようにと被った善人面を続けていくことへの疲れである。大した努力をしていないのに、格好だけはつけたがるから性質が悪い。特に異性の前では、いい人間であることを見せたがるのだ。誰も見ていないというのに、子供の頃から自意識過剰の塊だった。それで一人で疲れてしまうのだから世話が焼けるという話だ。

 小さな頃から自分をよく見せ、一度見せた立派な自分を維持し続け、さらにいい面を上乗せしていく。それは走り高跳びと一緒で、目の前に善人という名のバーがあり、その設置したラインを当然のように跳び越えねばならず、出会う人や月日の数だけバーは上がり、十五で限界を感じていたのかもしれない。それで僕は高いバーを跳び越えるのを諦め、競技を投げ出してしまったのだ。

 ただ、それにしたって努力すれば乗り越えられるものを、単に怠けていたのだから、すべては辻褄合わせの言い訳にすぎないのである。このように僕は、気を抜くとすぐに自分を正当化したがるのだ。人のせいにできる時は、人のせい。人のせいにできない時は、社会のせい。社会のせいにできない時は、時代のせい。自分以外のせいにできれば何だって構わない。家族だろうが、友だちだろうが、他人のせいにできれば、利用する相手は誰だっていいのだ。

 そんな僕のことだから、新生活をスタートさせたところで、ついて回る不安からは逃れられない。リセットしたはずなのに、また始めからなぞるように追体験しなくてはならないのではないかと、怖くて震えだすのである。入学する前の僕がちょうどそんな心境だった。

 特に寮生活において、同室になるルームメイトが誰になるかで、この一年間が決まってしまうだろうなと、当時の僕は漠然と考えていた。そしてその考えは間違っておらず、僕は悠木真と同室になることで、一年どころか、その後の人生すら決まってしまったのである。


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