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偽善者  作者: 灰庭論
第二部 手紙
18/20

 それでは最後になりましたが、事故について簡単に説明します。説明といっても、私も断片的な事実しか知りませんので、あくまで私が知る情報のみ記述したいと思います。

 台風が去った土曜日の夜、六時の点呼で悠木君が寮にいないことが分かりましたが、それは小説に書いてある通りで間違いありません。そのとき私は自宅にいましたが、そこで事務員から連絡を受け、急いで学校へと向かいました。学校に着いた時、すでに駐車場に警察の車両があったのは今でもはっきり覚えています。

 思えば、寮で問題が起こったというのは、この時が初めてで、それまで点呼の時間に生徒が間に合わなかったことは一度もなく、無断外出も一切ありませんでした。それだけに余計に驚きました。しかもそれが、人に心配させるような生徒ではなかったので、何があったのか不安になりました。

 職員室では落ち着く間もなく、弓形君から話を聞くことになりました。そこで弓形君が話したことも、小説の通りです。それから、すぐに悠木君の捜索が始まりました。

 弓形君の目撃情報で捜索範囲を絞ることができたので、学校に集まった私たち教師も警察の指揮下で捜索に出ました。森へ入り、川へ行ったということで、川辺に沿った捜索です。絶対に見つける、生きて見つける、その言葉を心の中で、何度もつぶやきました。

 森の中を捜している間、一度も死んでいるとは考えませんでした。捜している間に、寮に戻ってくるんじゃないかと、なんとなくそんな気がしたのです。

 しかし別の班から無線連絡が入り、そこで捜索は打ち切られました。発見した時、すでに息がなかったそうです。それを伝えた人も、伝えられた私たちの方も、不思議と落ち着いていました。余計なことを口にする人はなく、無言で森を出ました。それが、日付が変わった、夜半過ぎのことでした。

 それでも警察の方が云うには、弓形君が校庭で悠木君を見たという目撃情報がなければ、行方不明のまま、遺体を発見することができなかったかもしれないということなので、そういう意味では、弓形君の目撃情報は重要だったわけです。

 また遺体が川辺で見つかったことから、弓形君の目撃情報が正しかったことは認めますが、だからといって川に行ったのは悠木君の他にも、二人のクラスメイトが存在したというのは無理があります。今ならいくらでも情報を足したり引いたりできるので、新情報としては扱えませんね。

 確かに当時、なぜ悠木君は一人で森の中に入って行ったのかという疑問はありました。自殺の可能性を考慮したのはそのためです。それでも警察の方がきちんと調べて、河川増水による溺死と判断したのだから、他殺や自殺ではなかったということです。私も自分の教え子なので、気になることはすべて尋ねました。その上で遺体に不審な点が見られなかったというのだから、専門家による判断を信じることにしました。

 話によると、悠木君が土曜日に森へ行くのは習慣だったようです。土曜日の午後に森へ行く姿は、他の生徒によって何度も目撃されているとのことでした。事故に遭った日、森の中で何が起こったのか分かりませんが、台風に慣れていないということもあり、河川の増水や氾濫を甘く見たのかもしれませんね。近づくつもりで、そのまま鉄砲水に足を取られるということも考えられるので、やはり水難事故には気をつけねばなりません。

 悠木君のご両親とは病院で顔を合わせました。遺体が見つかり、病院へ搬送された直後で、ご両親は学校を出て、病院に先に着いて、すでに遺体と対面しており、すっかり気落ちしている様子でした。

 私は未熟でした。ご両親を前にして、掛ける言葉がなく、立ち尽くしてしまったのです。すると、今まで茫然としていた気持ちが、急に涙へと変わり、ご両親の前で、声を出して泣いてしまったのです。そんな私の姿を見て、ご両親は私の手を取り「捜してくれて、ありがとうございました」と云うのです。それに対して、私は「ごめんなさい」と返すのが精いっぱいでした。

 涙を流すべき、悠木君のご両親が涙を見せず、教師の私が泣きじゃくる。この時ほど、自分が情けないと思ったことはありません。自分は悲しみを知っても、人の涙を拭うほど、余裕のある人間ではないことを知りました。

 お葬式にも出ましたが、そこでもご両親は、来る人ひとりひとりに丁寧に挨拶をして、列席者を労わるのです。こんなことは書いてはいけませんが、それはまるで息子の門出を祝うかのように、少しも悲しく思わないのです。

 それは私の感覚がおかしいのか、悠木君のご両親が特別なのかは分かりませんが、それ以来、死を悪く思い込む、または不吉であると思えなくなったのは確かです。それとは別に、死が怖いという気持ちは変わりません。しかしその感覚とは別のものとして、死が邪悪ではなくなってしまったのです。これが何なのか、未だによく分かっていません。

 事故についての説明を続けますが、新聞には月曜日の朝刊に掲載されました。地元の夕刊紙が一番大きい記事になっています。それらの記事は今でも図書館で閲覧可能になっていると思います。テレビのニュースでも報道されたみたいですが、私は確認していません。ですから、それが全国放送なのか、ローカル放送なのかは分かりません。生徒の話によると、名前が出て、それから水難事故に対する警戒を呼び掛ける形で終わったようです。

 警察の方だけではなく、新聞社の方も丁寧な対応だったという印象があります。未成年者による不慮の事故ということで、かなり気を遣って取材されていました。不謹慎にならないように、また不快感を与えないように仕事をするというのは大変ですね。

 警察の方も丁寧な方ばかりで、安心してお話しすることができました。子供たちの心のケアも忘れず、それでいてきちんと仕事をするわけですから、私も生徒の前ではしっかりしなければいけないと思いました。

 また、客観的に見て、学校側の対応も適切だったと思います。寮制学校としての監督責任を問われることもなく、保護者への説明など迅速な対応により、信頼関係が損なわれることは一切ありませんでした。その後、学校側と父母会の話し合いにより、寮則が見直されましたが、そういった対応を含めて、学校側の対応は柔軟であり、適切だったと考えられます。

 事故の後、生徒達ひとりひとりと話をしましたが、子供たちが想像以上に気丈だったのは助かりました。一様にショックを受けていましたが、塞ぎこむということはなく、無事に卒業することができたのは良かったと思います。表面的には分かりませんが、みんなそれぞれ一人きりになって考えていたように見えました。それは他人には見えないところなので、笑顔を見ても、それで死んだ人のことを考えていないとは言い切れません。私は事故で、生徒達の笑顔まで奪われなくて良かったと思っています。

 事故に関する説明は以上です。事件性はないので、小説のように余計な描写がなければ、手紙で済む話なんです。新聞の記事は、さらに簡潔にして明瞭に書かれてありますね。本当は当時の新聞の記事をコピーしようかと思いましたが、それでは小説を書いた弓形君に失礼なので、自分の言葉で書きました。

 ここからは弓形君に向けて書きますが、第三者があなたの小説と、私の手紙を読み比べた時、読者がどちらを信じるかは明白だと思うのです。残念ながら、あなたが意図した、結末のないリドル・ストーリーにはならないと思います。検死が行われ、それで警察は事故と断定し、新聞にも水難事故の記事が掲載されましたからね。その過程と結果こそ、私たちの現実、つまり事実なんです。小説を書くことが悪いとは思いませんが、フィクションの限界は知っておくべきではないでしょうか。ポー、またはブラウニング、もしくはビアスの影響かは知りませんが、百年、二百年前ならいざ知らず、二十一世紀のこの世の中に、藪の中は存在しないのですよ。


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