5年ごしの書き込み
夕日が差し込む部室で今日も僕は一人で読書にふけっていた。
「今日も」というところが重要だ。
わが文芸部は総勢5名の部員がいるはずである。だというのに、僕以外の部員ときたら滅多に部室には顔を出さない。
とはいっても、別に彼らを責めようというわけではない。
そもそも、文芸部というのは小説だの短歌だの俳句だの各々が好きな文芸作品を創作することが活動となる。そのため、わざわざ部室に足を運ぶ義務なんて部員には課せられていない。強いて言えば、文化祭の前になって文芸部として制作する文集の打ち合わせぐらいは集まってやらないとまずいのだろうが、普段から部室に顔を出す必要性など皆無だし、この現状は当然の結果ともとれるのだ。
要するに、暇人の僕だけがこうして、一人取り残されてしまったという図になる。それだけ聞くと悲しい話だが、夕暮れの部室で一人、本を読みふけっていると、まるで自分が物語の主人公にでもなったかのような感傷的な気分に浸ることができ、案外楽しい。「これはこれで時間の使い方としてありなのでは?」と自己完結しつつあるのが、今日この頃である。
そんな自己陶酔タイムを終え、さてそろそろ家に帰ろうかと言う時間。僕はいつも通り、自身が読み終えた本を蔵書の棚に足そうかと席を立った。
うちの文芸部は部員数も少なく、僕くらいしかまともな活動者がいないのにも関わらず、蔵書の本は驚くほど沢山ある。昨年卒業していった前部長が言うには、歴代部員が置いていった本がどんどんたまっていって、今の状況になっているのだとか。そんなわけで、僕も将来の後輩のためにと、古本屋で100円の文庫本を買い付けてきては、読み終えたそれを蔵書として寄贈しているのであった。
しかし、困った。今日の本を足すと蔵書用の本棚が丁度埋まってしまっていた。前々からだましだまし何とかねじ込んできたものの、いよいよ限界といったところか。新しく蔵書をしまう場所をどこか見つけておく必要がある。そう思い、僕は普段あまり使わない部室奥のロッカーを開けてみた。
ロッカーの中には昔の文芸部の文集やら何やらが年度ごとに整理されていた。そういえば入部したての頃、前部長に説明を受けていたことを思い出す。学生の作った文集なんて黒歴史の欲張りセットみたいなものだと感じていたし、著者の気持ちを考えて、あまり手をつけたことは無かったが……。
しかし、ここならまだスペースも沢山あるし、蔵書用の棚として使えそうである。そう考えつつ、ロッカーをまじまじと眺めていると、文集に紛れて一冊のノートが挟まっていることに気づいた。
ノートの表紙には「文芸部ノートvol.6」と書かれていた。パラパラとめくってみると、どうやら当時の部員が使っていた連絡帳のようなものらしい。部室に来た部員が今日あったこととかを書き込んで、それに対して誰かが返事をしたりしているようだった。
ページを進めていくと次第に書き込みする人が減っていくことが分かる。どうやら、文芸部の衰退はこの頃から始まっていたようだ。少し切ない気持ちになりつつも読み進めていくと、ついに最後の書き込みまでたどり着いてしまった。
20××年9月6日:鷹野唯
今日も一人で寂しく読書。誰か部室来ないかなー。このままじゃ将来、うちの部つぶれちゃうんじゃないか……?ちょっと心配(笑)
年は5年前。今日が9月7日だから丁度、昨日ってことになる。5年前にも、自分と同じように一人寂しく部室で読書をしていた部員がいたことにちょっとした感動、そしてもの悲しさを覚える。
ここで見つけたのも何かのご縁、5年越しの書き込みでも残してみようか。そう思い、僕は誰にも届かないメッセージを「文芸部ノート」に綴った。
20×△年9月7日:泉浩介
新入部員の泉です。安心してください。文芸部はまだ続いていますよ。