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最も胡散くさい話  作者: つっちーfrom千葉
6/7

★第6話★



 受話器を置くと、再び気分が高揚して、興奮して、指先が細かく震えて、とても落ち着いていられず、時が経つごとに人には言えぬような妄想が沸き起こり、部屋の中を数時間にわたり、うろうろしていた。頭の中では、とめどなく、こんなことを考えていた。王族になったとしたら、どのような振る舞いをすればいいだろうか? 当然のことながら、これまで通りではいけない……。世界中に名を知られるような、王侯貴族を多数紹介されるだろうし、これからはそのような人たちと、袖すり合わせて一緒に生活をしていくのだ。数百人規模で行われるパーティーにおける、食事のマナーなどまったくわからないし、数百兆円もの資産を抱える、アラブの石油王と会談をしなければいけないかもしれない……。慣れない上流社会の生活に浸かっている間に、私の庶民臭いところが周囲の人間にばれてしまうのではないだろうか? 四六時中、機関銃を携えた警護兵がつきまとってくるような、生活に慣れることができるだろうか? 王になったら、すぐに健康診断を受けさせられるだろう……。お尻に痔があるのと、右足に二ヵ所水虫があるのがばれてしまうのではないだろうか? こちらは英語も満足に話せないが、それは大丈夫だろうか? まあ、しかし、どんなに頼りない人間でも、血統においては国王であることには間違いないし、その辺りはきちんと丁寧に教育してもらえるのだろう。私はそう思い直すことにした。


 電話の相手の人は今日も優しい態度で、こちらの話を聞いてくれたな……。あの人の話を聞いていると楽しくて、日々のストレスがどこかへ飛んでいき、気分がすっきりした。それだけでも600万円払った価値があった。会社の同僚にはあんなに優しい人はいない。みんな自分のことばかり考え、嫌なことはすべて他人に押し付けてくる連中だ。しんどい思いをするのはいつもこの自分だった。あの人とは違う……。あんなに丁寧で優しい人が詐欺師のわけはない……。きっと、アブダビ王の側近にはああいうできた人が多いのだろう。


 そうだ、明日は9時に都心まで行かねばならない。今日は早めに寝ておこう。私はそう思い至って布団に入ることにした。心臓が高鳴ってなかなか眠れない。一週間後に私がいる場所は豪華客船か……。こんな汚い布団にくるまって眠るのもあと数日だけだ……。王になってしまったら、欲しいものは何でも手に入る。これまでのように、借金にあえぐ必要もなくなる。むしろ、これからはこちらが金を貸す側だ。空腹を満たすためにカップラーメンで我慢するのも今のうちだけだ。しかし、人生というものは、幸福を得るために、多くの我慢が必要なのも事実だ。あと何日、庶民としての生活が続くのだろうか?


 いよいよ勝負の朝がきた。言い知れぬ期待に満ちた、希望溢れる喜びの朝だ。七時半に目を覚ますと、私は心を落ち着けて顔を洗い、ヒゲを剃った。アブダビ王の側近と会って話すのだから、綺麗な身だしなみをしていなくては。側近と表現したが、その辺のおんぼろ企業の下回りとはわけが違う。王族直営企業に勤務している以上、もしかすると、ドイツの小さな城ぐらいなら買えてしまうくらいの資産はあるのかもしれない。つまり、これから会う方々にも礼を欠いてはいけないということ。Yシャツの上から数年前に購入したグレイのブレザーを着た。昨夜の間に磨いておいた革靴を履いて私は家を出た。秋空から舞い降りるまばゆい朝日が爽やかだった。いよいよ、人生を金色に輝く優雅な道へと切り替える日の始まりだ。初めての運動会に向かう小学生のように、ほどよく緊張していて、小躍りしたい気分だった。なぜか、電車の中での出来事の詳細は、ほとんど覚えていない。王になったあとのことばかりを考えていたと思う。王になったら、絶対に配偶者が必要だ。各国の首脳と会談をするのに、自分一人というのは、何かと居心地が悪い。結婚相手は自分の側近が決めてくれるのだろうか、とか、貯金通帳はどの段階で返ってくるのだろうかと、そういうことを考えていたと思う。


 都心のY駅には八時四十五分についた。誰かに見られているような刺すような視線を感じて、私の動きは少し硬くなった。私はなるべく不自然にならないよう、視線を正面から動かさず、滑らかな動きで立ち食いそば屋の方に身体を向かわせた。その瞬間、動機が高鳴った。もうすでに、謎めいた雰囲気をまとった黒スーツの男性が、その店の前に立っていたのだ。彼はサングラスの下から、まるで身に迫る危機を警戒するかのように、きわめて短いタームであちこちに視線を移していた。私が近づいていっても、その動きに気がつかないようだった。それも当然だろう。駅前には通勤途中のサラリーマンが大変な数存在しているし、アブダビの次期後継者である私に、直に会うのは初めてなのだから。私は黒スーツの男に近づくと、軽く手を振って合図をした。


「こんにちは、アブダビ王国の件なんですが……」

私は何度もイメージしていた通りに、その男性に話しかけた。やっと、この瞬間がきたのだ。


「ああ、あなたが……」

 男性は絶句してしまった。かなり面食らった様子だった。これも予想通りだ。これから、自分の盟主となる人間に出会ったのだから、このように戸惑うのも無理はないのだ。私はリュックの中から二つの布袋を取り出した。


「これが通帳と現金です。あとはよろしくお願いします」

周囲の通行人に聴こえぬように声を潜めて、そう言って、男性の眼前にその二つの袋を突き出した。

「あっ、はい、わかりました。確かに受け取りましたので……」


 その男性は二つの布袋を受け取ってからも、キョロキョロと辺りの様子を伺っていた。まるで、誰かにこの受け渡し現場を見咎められることを恐れているかのように。彼はカバンの中に袋をしまうと軽く頭を下げた。


「では、これで失礼します……」


 私はこの一大イベントが、あまりにもスムーズに進みすぎて、少し不安になり、彼を後ろから呼び止めた。


「あの、あとは自宅で待機していればいいんですよね? 通帳はいつくらいに返ってくるんですか?」

「ああ、そ、それは、ちょっと、私はこれを受け取りに来ただけなので……」


 彼は何に脅えているのか、震える声でそれだけ言うと、カバンをしっかりと抱きしめながら、逃げるように小道に入り、姿を消してしまった。私は彼の姿が見えなくなったことを確認すると、一つため息をついた。なぜか安心感があった。これで自分にできることはすべてやったのだ。あとは見返りを待つだけだ……。


 私はその足で会社に向かうと、自分の席の机の上と引き出しの中の後片付けをして、上司に辞表を提出した。今日になって突然言い出したことなので、皆一様に驚いていた。


「KT君、どうしたんだ? 誰かに相談はしたのか? 両親には話したのか?」

「KTさん、辞めるんですか? 嘘でしょ?」


 中には一言も発せず、口が塞がらないまま、立ち尽くしている者もいた。しかし、これは仕方の無いことなのだ。一国の王となる者が、いつまでもこんな安月給の小さな会社にしがみついているわけにはいかない。思えば、この会社にそれほどの愛着があったわけでもない。何か良い経験を積ませてもらったわけでもない。これまでも機が熟したら、いつか辞表を叩きつけて辞めてやると頭の片隅で念じながら働いてきたわけだ。私が立ち去ろうとすると、上司はすがりつこうと身を寄せてきた。今になって引きとめようと思っているらしい。私はそんな彼の手を振り払った。


「控えなさい! 君たちはアブダビの次期国王と話をしている! 私は身分の低い者との、無駄に長い会話を好まない。私の意図を知りたければ、外務省を通しなさい!」


 これだけ言ってしまえば、あとは彼らのために残す言葉などない。私は足早に会社をあとにした。もう二度と、このビルのドアをくぐることはないだろう。この国に滞在していられるのも、あとわずかな期間だけだ。王になったら、宮殿で政務をしなければ。国際社会を相手にして、政治経済や外交などの難解な問題に対して、自分の意思を述べなければならないのだ。この日本という国の元首と肩を並べて、国連の席に座る日も近いうちにくるかもしれない。私はそのくらいまで妄想を膨らませてながら家路についた。


 その日からの一週間は、不安感や恐怖感を感じる暇もなく、あっという間に過ぎ去った。もやもやと無限に膨らむ泡のような期待を抱いていたのは覚えている。私は会社に行くこともなくなったので、昼間は時間を持て余し、国王になってからの催事や政務のことを想像しながら、時々ニヤニヤと笑いながら部屋の中を行ったり来たりしていた。お金を渡してから七日目までは何も心配の種がなかった。あの例の男から、電話がかかってくるのを待つだけだった。『今日の朝、遺憾ながら国王が亡くなり、あなたが今から正式にアブダビ国の国主になりました。これから通帳にすべての遺産を振込みます』と、そういう内容の電話になると思われる。私は常に甘い妄想を膨らませていたが、時折、その想像の力が途切れると、机の上にある電話を見つめて、別の妄想を取り出し、一日一日を過ごした。今鳴るか、今鳴るかと思いながら電話を見つめた。受話器が外れていないかと不安になり、時々受話器を外してみては、また元に戻すという行為をしてみた。疲れているわけでもないので睡眠を必要とはせず、このような他人から見れば、無為とも思える行為を、何度も、何度も、何十回も、何百回も続けた。幸福な人間にとって、楽しいのは結果よりも、経過である。つまるところ、大いなる遺産を手に入れる直前の今が、一番輝く時期なのである。


 約束の一週間が過ぎようとしていた。もう、今、向こうでは電話をかける準備をしていることだろう。莫大な遺産の額を数えるのに時間がかかっているのかもしれない。それはそうだ、数兆円にも及ぶ遺産を正確に計算しなければならないのだ。一日や二日で終わるような作業ではない。そのことに時間を取られているのかもしれない。私がこの狭いアパートから外界へと連れ出されるのは、そのあとだ。今頃、王国の高級官吏たちが、派手なセレモニーで私を喜ばせようと懸命になっているのだ。私はテレビや新聞を見ることもせずに電話を見つめ続けた。しかし、七日目の深夜になっても電話は鳴ろうとはしなかった。


 そのまま何も起きずに時間だけは過ぎていき、八日目の夜を迎えた。通帳も王族の側近に預けてしまったため、食事を買いに行く金がなくなっていた。財布の中には280円しか入っていなかった。この貨幣でどれほどの時間を食いつなげるのだろう。こちらに王国から迎えが来るのには、まだ時間がかかるのだろうか? 闇金の返済期限が過ぎてしまったが、大丈夫だろうか? この先の数日間、食べるものも満足に用意できないが、どう対処すればいいだろうか? その辺りのことを電話をかけてきた男性に相談してみたかったが、向こうの番号がわからないため、こちらからかけ直すことはできなかった。私の心に初めて言い知れぬ不安感が生まれようとしていた。そうだ、こういうときは早く寝るに限る。睡眠はすべてを忘れさせる。明朝死んでしまう予定の重病患者でも、その前の夜は眠れるのだ。怖いときは、とにかく寝て起きればいい。明日になれば、不安は過ぎ去っているだろう。そう、明日こそ、王族の側近やSPたちが私を迎えに来るに決まっている。



 ここまで読んでくださってありがとうございます。朝までには完結させる予定です。よろしくお願いします。

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