★第5話★
入口に立っていた、黒いスーツ姿にサングラスをかけた強面の男性は、『いかにも』という雰囲気を醸し出していた。私の外観に大金を所持しそうにはない、庶民臭さを確認すると、にやっと笑ってから、ろくに挨拶もせずに、示談に使われるのであろう、奥の部屋に案内してくれた。そこはふかふかの絨毯が敷かれた豪華な居間になっていた。部屋の中央には五人掛けのソファーが置かれ、壁には高価な絵画、部屋の隅には漢の時代のものと思われる青磁の壺が置かれていた。天井には巨大な金のシャンデリアが吊るされていた。
「お客さん、いくら欲しいんですか?」
白いスーツを着た雰囲気のある男は、背中をのけぞらせ、ソファーに身を委ねながら、テーブルの上に乱暴に足を投げ出していた。私が何か口を開く前に、少しけだるそうにそう尋ねてきた。
「理由は聞かないんですか? お金を貸す理由を……。かなりの大金なんですよ……」
私がおどおどしている姿を見て、その暴力団員はさも可笑しそうに口を歪めた。
「理由なんて、いりませんよ。お客さんはお金が必要なんでしょ? それならいくらでも融資しますよ。それとも、絶対に話をしておきたい理由でもあるんですか?」
「とある事情で、一週間後に大金を得ることになっているんです……。その準備金として、先に600万円支払わないといけないんです……。先に言っておきますが、これは詐欺とか精神病とか、そういうたぐいの話ではないんです。私はかたくなに信じています。一週間後、自分は絶対に成功して大金持ちになっていると。ですが、どこの金融機関に行っても、私の話をはなから信じてくれないんです。おまえは詐欺に引っかかっていると、はねつけられるばかりなんです……。ですから、一週間の期日で600万円貸して頂けませんか?」
私は話の途中で何度も何度も頭をさげて、そう頼んでみた。男は少し笑ってから何度も相槌を打った。
「もちろん、融資いたしますよ。成功したいとか、借金の穴埋めにしたいとか、借入の理由は問いません。うちは大手銀行のような堅物とは違いますから。免許証と保険証のコピーを置いていっていただければ、現金はすぐにでも用意できますよ」
白いスーツの偉ぶった男は、ウサギの皮の下に牙を隠した凶獣のように、わざと丁寧な口調でそう言うと、ソファーから腰を上げて、窓際に置いてある黒い大きな金庫の方に向かった。男は金庫の右わきを、まるで、まじないでもかけるように、一度さすってから、長い暗証番号を入力し、その荘厳な扉を開いた。私は金庫の中を見てぞっとした。なんと、一億円以上の札束がそこに唸っていた。スーツの男はそこから600万円をつかみ取ると、私の眼前のテーブルの上に何の感情もなくどさっと置いた。
「さあ、どうぞ。それを持っていきなさい。あなたが数日後に金持ちになるという話を信じますよ。どうか、その金を使って成功をつかみ取って来てください……」
私の話を本当に信じたのかどうかは疑わしいが、男はまったくこの職業の人間とは思えない落ち着いた表情でそう言った。私は先ほど入り口で会った、警備の男が、撮ってきた免許証と保険証のコピーをテーブルの上に置くと、激しく震える手で札束に触った。そして、持ちあげた。こういうときは大金を融通してくれた相手に対して何と言えばいいんだろう? 暴力団の礼儀など知らないからわからない……。足が震えてなかなか上手く立ち上がれなかった。私はそれでも何度か細かく頭を上下に動かしながら、「なんというか……、本当にどうも……」と聞き取れないほど小さな声で言ってから、男に背を向けた。そのまま放心状態で出口に歩いて行った。だが、数メートルも歩かないうちに、白いスーツの男は後ろから話しかけてきた。
「お客さん、一つだけいいですか?」
彼は静かな声で、しかも市井の人間には、絶対にありえない迫力を込めて、その言葉をゆっくりと言った。
「あなたもご存知のように、うちは暴力団です。法律上のことを言えば金利も違法です。ですけどね、私はこの商売を真剣にやっています。お客さんにはきちんと礼儀を払います。きちんと金を返してくれて、何度も足を運んでくれるお方とは、長くお付き合いをしたいと思っています。ですけどね……」
私はそこまで聞いて、背筋が冷たくなって後ろを振り返った。男は金縁のメガネを取り外して、尖った目でこちらを睨みつけながら、次の言葉を一語ずつゆっくりと言った。
「ですけどね、期日までに金を返さない不誠実な客に対しては、うちは容赦しませんよ。先程も言ったとおり、あなたがその札束をどう使おうが、例えば、重病の母親のために使おうが、きちんとした投資に使おうが、一発逆転のギャンブルの賭けに使おうが、便所のトイレットペーパーの代わりに使おうが、詐欺に遭うために支払おうが、あなたの自由です。ですが、それはその金をきちんと一週間後に支払うという条件の下にあります。もし、期日までにきちんと返していただけなかったときは、うちにだって面子があります。それなりの厳しい対処をさせて頂きますよ。うちの若い衆は血の気が多いので、あなたがドアに厳重に鍵をかけて家に閉じこもっていたって無事には済みませんよ。外から火をつけるか、あるいは、ドアや窓ガラスに銃弾を打ち込むくらいのことはするかもしれません。行方をくらましたとしても、必ず追いかけて捕まえます。保険金をかけて海に飛び込んでもらうか、あるいは腎臓を売ってもらうかもしれません。それだけは覚えておいてください……」
「は、はい、必ず……」
数分間、呼吸が止まったように感じられた。私は震える声で、やっとこさ、そう返事をすると、札束を持参した布袋の中に押し込むと、足早に闇金のビルから飛び出した。もう後には戻れない状況になってしまったが、何とか条件をクリアーすることができた。私は未だに、追い込まれた恐怖よりも、未知の希望へとわくわくしている自分の心理状態に驚いていた。あんなに恐ろしい目に遭ったのに、なぜだろう、気分は高揚していた。この時、私は賭けに勝ったと思っていた。あとは、この金を電話の主にスムーズに引き渡せれば万事OKである。ここから先は勤め先の会社だろうが、暴力団の闇金だろうが、恐れる必要はない。自分は特別な人間なのだ。暴力団がどんな利息をつけたとしても、王族の遺産から、いくらでも引き出せる。そう思いながら、家にたどり着くと、私はすぐに布団に潜り込み、疲れを取るために深い眠りに落ち込んでいった。
先日とほぼ同じ時間に、正確に言えば午後7時30分にアブダビ国の王の側近を名乗る男から、二度目の電話がかかってきた。男はまるで私が大金を得ることに成功したことをすでに知っているかのように余裕を持って電話をかけてきた。私はまるでサンマに飛びつく猫のように受話器に飛びついた。
「もしもし、どうですか。先日のお約束通りのお金を準備をしていただけましたか?」
「はいはい、お待ちしてました。お金はなんとか準備できました」
「素晴らしい! やはり、あなたは王の血を引いたお方でした! その大胆不敵な行動力には、感服しました。実は電話だけの話ですからね、用意するのが大金だけに信じてもらえないんじゃないかと、少し心配していたんですが、あなたはきちんとお金を準備してくださった。本当に素晴らしい! 今度はこっちがお返しをする番ですね。その前にきちんと受け渡しをしてしまいましょうか……」
「そうですね、どこで誰に受け渡せばいいのでしょうか?」
「実はそこなんです。そこがこのプロジェクトの肝です! 絶対に失敗は許されないところです! 実際のところ、この段階で、この話の根っこ、そのものを疑ってかかっちゃう人もいると思うんですよ。わからないでもないですよね。一般常識では、電話一本で、自分が聞きなれない国の王族であることを告げられるなんていうことは滅多にありませんものね。だから、王族になる権利を目の前にしながら、残念なことに、それを逃しちゃう人もいると思うんですよ。大金を渡す段になって、本来であれば不要な、道徳とか常識とかが脳の中心に舞い降りてきてしまうんですよね。
『どうせ、あなた詐欺でしょ!』
『もう、電話かけてこないで!』
なんて言ってしまうんですよね。そう言う人は、社会生活の中で、チャンスを何度もつかみ損なって、結局のところ、一生成功をつかめない人なんでしょうね。でも、それは仕方の無いところなんです。これまで不幸だった人たちは、どうしたって、目の前に幸運が舞い降りてきても、それを実際のことと判別できないものなんです。自分以外の人間はすべて敵だと思い込んでいるんですね。赤の他人の言うことを信じるなと親から教え込まれているのかもしれない。だから、それも仕方ない! でも実にもったいないですよね。その点、あなたの判断力は立派だ。私の少し疑わしいとも思える話を、すんなりと受け入れてくれましたからね。それでいいんです! それが正解! 人生の一番大きな曲がり角を無理なくスムーズに曲がり終えたわけです」
私は勢いのある話し方で発する、彼の文句を聞いているうちに、また心中に自身が湧いてきた。自分は本当に王族になれるのだという確信が湧いてきた。そして、気分が高揚してきた。早く幸せをつかみたいと心底思えるようになった。
「それでは、受け渡し方法をご説明しますね」
「あっ、はいはい、お願いします」
私はメモ用紙を準備して彼の話に聞き入った。
「まず、あなたには明日の朝9時に都心のY駅に向かってもらいます。持っていく布袋は2つ。現金が入っているものと、通帳と印鑑が入っているものですよね。パスポートはご自分で保管しておいてください。Y駅の東口のすぐ目の前に立ち食いそば屋がありまして、その入口のすぐ横に券売機があります。そこに我々のスタッフを立たせておきますから、その男に渡してください。そのスタッフの格好は黒いスーツ、そしてサングラスに赤いネクタイにします。合言葉は、『アブダビ王国の件ですが』にしましょう。スタッフに2つの袋を渡すことができたら、もう家に戻って頂いて結構です。あとは自宅で待機していてください」
「わかりました。9時にY駅ですね。必ず行きます!」
私は強い決意を込めてそう言った。
「しかし……、KTさんは私の話を本当にすべて信用しているんですか?」
電話の向こうの男性は突然そんなことを言い出した。どういう意図があるのかはわからない。できれば、私の充実感や我々の信頼関係をぐらつかせるようなことは言わないで欲しい。
「もちろん、隅から隅まで信用しています。私はこの日が来ることを待ち望んでいたんです。自分が他人より高い目線で生きられる日が来ることを!」
「それならいいですが……、本当に? 少しも怪しいと思いませんか? 普通に生きてきた人が、ある日突然王になるなんてことが……、数兆円の遺産を相続するなんてことが、現実に起こると思ってらっしゃいますか? いや、別に私が嘘を言っているというわけではありませんよ。あなたが変わった人だと思っているわけでもありません。ただ、あなたの決心が本物かどうか確かめてみたくて……」
「もちろん! 私の決心は一ミリも揺らぎませんよ。確かにここへ来る間、いろんな人に咎められました。それは詐欺だ、お前はバカ正直だから騙されているんだ、とね。でも私はあなたの言葉を100%信じました。だって、こんな愚かで孤独な私のところまで、わざわざ電話をかけてきてくれたんですものね。さあ、私を王室まで案内してください。アブダビの王になることを承諾しますよ」
電話の向こうでは少しくくっと笑った後、感心をしたように、少し畏敬の念を込めて言葉をつないだ。
「そうです。それでいいんです。誰が何と言おうと、あなたの方が正しいんです。昨今、都会の人間は心が冷たくなってるとか言いますが、あなたの話を聞いているとその通りのようですね。田舎の方ではねえ、今でもドアに鍵をかけないで出かけたりとか、留守中によその家に勝手に入って醤油を借りたりとかしているみたいですが、東京ではありえませんものね。都会人は心が醜い、とこう結論づけてもいいかもしれませんね。ですが、そんなクソ常識を備えた、誰に非難されようとも、あなたは何も気に病む必要はないんですよね。だって、あなたの人生なんだから! 例え……、例え、私の話が嘘八百で騙されているとしても、それでいいじゃないですか。あなたがすべて決めることなんだから!」
電話の向こうの男性は少し息継ぎをしてから、最期の言葉をゆっくりと丁寧に述べた。
「それでは明日の九時にお待ちしています……。大金を持ち歩くわけですから、お互い、気をつけて、最期のミッションをこなしましょう」
ここまで読んでくださってありがとうございます。朝までには完結する予定です。よろしくお願いします。