★第3話★
「よくぞ、言ってくれました。ようやく気づいてくれたようですね、ご自身の輝かしい血統と才覚に! あなたはそんな狭い部屋で、くすぶっている人ではないんですよ。銀色に輝く、大きな翼をはばたかせ、新しい世界に飛び立っていかねばならない人なんです。いやね、実は私も電話をかける前は少し不安だったのです。本当にこんな小さな島国に王家の血を引く者がいるのかなってね。でも、あなたの才気に満ちた話し方を聞いていると、確信が持てるようになりましたね。『ああ、この人だ! この人が王の後継ぎに違いない!』とね」
相手はここぞとばかりに、話を盛り上げようとしてきた。今まで、何度も似たような商法に騙されてきた私は、お世辞のたっぷりこもった相手の話を聞いて多少不安にもなった。『また、このパターンか?』とも思えたのだ。しかし、社会に出てからというもの、赤の他人から、こんなに自分の行動力や性格を褒められたことは記憶になく、とても気分が良かった。もうここは大船に乗った気持ちで、ずんずんと前に進もうと決めていた。
「それで、これまで聞きそびれていたんですが、あなたはどのような御身分の方ですか?」
「私のことはそれほど気にしないでください。決して怪しい者ではありません。常にアブダビの王の側近として職務にあたっております。つまりは、あなたの味方とだけ、ここで言っておきます」
その電話の男は一息ついてから話を続けた。
「これからが本題なんです。少し複雑な話になります。メモの準備はいいですか?」
「大丈夫です。今手元にチラシと鉛筆があります」
私は緊張と期待の汗でぬかるんだ手で、鉛筆をしっかりと握りしめながら、そう答えた。いよいよ、遺産を受け取る方法が明かされるのだ。自分の人生が大きく変わる瞬間がやってくるのだ。
「まず、あなたには王になるための準備金を用意してもらわなければなりません」
「なんですって? 王族と血が繋がっているのは明らかなのに、遺産を受け取る前に、こちらから、いくらか支払いをしなければならないんですか?」
「まあ、疑問をもたれるのはよくわかりますが、ここはひとます落ち着いてください。何事も慌ててはいけません。竿にかかった大物を釣り逃すことになります。すぐです、誰にでも、すぐに理解できる話ですし、遺産も問題なく受け取れます。しかし、そうですね……、一週間ほどの手続きが必要なんです」
「はあ……、数兆円にものぼる遺産ともなると、そういうものなんですね……」
私はその話がすぐには飲み込めず、力なくそう返事をした。しかし、電話の相手方に対する信頼はいささかも揺るがなかった。
「いよいよ、これから本題に入るのですが、まずはアブダビ王の病状の報告からさせて頂きます。王はまことに遺憾ながら、三日前に脳死状態に入られました。もう、いつ終わりが来ても不思議ではない状態です。しかし、我が国の法律においては、王家の財産を相続する場合、完全な死を迎えたときにしかできないのです。脳死状態になった段階では、政府の機関によって財産がすべて凍結されたままなのです」
「ということは、つまり……」
「そう、あなたが遺産を受け取れるのは王が完全に死亡したあとになります」
「大変、不謹慎な話ですが、それはいつ頃になりそうですか?」
「まあ、私の見る限り、あと一週間とは、もたないでしょうね」
「では、一週間後に私は正式にアブダビの後継者になれるのですね?」
「その通りです。ただ、正当な王となるためには、一通りの手続きが必要なんです。そのご説明をしますね。まず、王が死なれたあと、こちらから、一応の準備金として、いくらかの現金を振り込みますので、銀行の預金通帳と印鑑を用意していただけますか」
「それは大丈夫です。すぐにでも用意できます」
「よろしい、あとはパスポートが必要ですね。アブダビへは船旅を用意してます。もちろん、豪華客船です。あなたに王になった喜びを、まずは贅沢な船旅から感じていただきたいんです」
「うう、これまで社会において、何も人様の役に立ったことのない自分が、そんな贅沢をしていいんでしょうか……」
私は相手の話す言葉から妄想を大きく膨らませ、自分の輝かしい未来に浸り、思わずにやけてしまっていた。しかし、ここで気を緩めてはいけない。何しろ受け取る額は数兆円以上だ。相手の話をしっかりと理解して確実に行動に移さなければならない。
「パスポートと預金通帳が準備できましたら、それを小さな袋にでも入れて、大切に保管しておいてください。その袋については、布製でもビニールでも構いません」
「わかりました。明日にでも必ずやります」
「ここからが大切なんですが……。いいですか? 聞き逃さないようにしてくださいね」
相手は慎重な言葉遣いになり、問いかけてきた。私はペンを強く握りしめた。
「先ほど、王が脳死状態に入ったことにより、その遺産は一時的に凍結されているという話をしましたが、その延長線上の話になります。遺産のすべて、言いかえればアブダビ国の資産のすべてが凍結されているということは、私たちも……、つまり、これからあなたが幸せな生活を送るためにサポートしていく、優秀なスタッフたちも、現在のところ、活動費用がなくて自由に行動ができないということなんです。例えば、日本への旅費、食事代、あなたの現在の住居の後始末などにかかる予算がないということなんです」
「ははあ、なるほど、その行動費を私に立て替えてもらいたいとそういうわけですか?」
「さすが、王の後継者たるお方。理解が早くて助かります」
「それで、あなた方が必要なのはいくらくらいなのですか? 私もそれほど手持ちがあるわけではないのですが……」
「そうですね、あなたを向かいに行き、後片付けをして、今の苦境から救い出すにはスタッフが八名ほど必要なんです。行動費として合計600万円ほど準備していただけませんか?」
「なんと、600万ですって! とてもそんな大金出てきません!」
私が驚愕のあまり、そう反論しても、電話の向こうの男性はまったく慌てることなく、まるでこちらの否定的な対応を事前に予測していたかのように滑らかな営業口調で話を続けた。
「わかります、わかっていますよ。あなたの今の苦しい状況は、よおくわかっております。今現在、あなたを取り巻く苦しみのすべては、本来ならば王の血族であったあなたを、これまでほとんど援助してあげられなかった、我々スタッフ一同の責任でもあります。確かにあなたは今現在お金を持っていない。しかしですね、ほんの一週間ですよ。600万円を我々に預けて、一週間だけ待っていただければ、我々王の側近が必ずやあなたを迎えに行きます。もちろん、そのときに通帳なども返還されますし、あなたは王の死後、直ちに後継者となられるわけですから、その瞬間から莫大な遺産を手にするわけです。例え、一時的な出費ではあるにせよ、おそらく一週間後には、あなたにとって600万円なんて小銭になっているはずです。もっと大きな希望と夢をもって人生を謳歌しましょうよ」
「そうか……、そうですよね、たった一週間耐えれば私は王族になれるんですよね。そうだ……、私は金持ちだ……、もう庶民じゃない……。会社に頼めば、600万円くらいなんとかなるかな……?」
私はこのときはもう相手の話術にすっかりはまってしまっていて、いくらその理屈が胡散臭くても、反論する余地など、まったくないように思っていた。金色の王冠を被った未来の自分が、まるで本当に現実的に手の届く位置にまできているのだと錯覚していたのだ。つまり、自分を今まで人生の路上において関わってきた、他の凡庸なる国民とはまったく異なる、特別な人間だと思い込んでいた。私はペンをこれまで以上に力強く握りしめ、白い用紙に『絶対に600万円を用意する』と書き込んだ。
「承諾していただけたようでなによりです。では、いよいよ、現金の引き渡し方法についてご説明しますね」
「はい、お願いします」
「まずですね、通帳と印鑑とパスポートの準備ができましたら、それをひとまとめにして小さな布袋にでも入れてください。そして、現金の600万円が準備できましたら、これも別の小袋にまとめて入れてください。我々のスタッフをあなたの行動範囲内の駅まで派遣しますから、そこで手渡していただきたいんです」
「現金はいつ頃までに準備すればよろしいですか?」
「そうですね……、我々は救出準備金を早くもらえないと、あなたを救う行動に移れません。二日後までに用意して頂けますか?」
「たった48時間しか頂けないんですか……。わかりました! なんとか揃えてみせます」
しかし、私はそこで少し嫌な考えが頭をよぎった。もし、この電話の向こうの男性の話が、初めから終わりまで、すべてでまかせであったら、私は財産と個人情報をすべて失うことになる。これまでは何回騙されても、そのたびに他人の力で助けられ、立ち上がることができたが、今度はもう無理だろう。私は社会から見捨てられることになる。万が一、これが詐欺だったら、私は首をくくることになると直感でわかった。ここで私が会話を止めたことによってできた、少しの間に向こうも気づいたらしかった。彼はすかさずフォローの言葉を入れてきた。
「いいですか、あなたが今絶対にしてはいけないことは、私の言葉を疑うことです。疑念は真実への扉を閉ざします。ここ数日の間は、疑念が沸いても、それをいっさい受け入れず、目と耳を塞いで行動へと突っ走れば、あなたには必ずや輝かしい未来が待っているんです。信じなければいけません。これは決して怪しい話ではないんです」
「わかっています。疑ってなんかいません。明日の朝から、必ず、行動に移して見せます。お金は間違いなく準備します……」
私は静かな声で、それでも出来る限りの決意を込めてそう言った。現金を奪われて、騙されることよりも、私を今のみすぼらしい生活から救ってくれるという、王のスタッフを名乗る人間に逃げられてしまうことを何よりも恐れていたのだ。
「それでいいんです……。あなたは信じなければいけない……。あなたは特別な人間です……。ほら、目の前に高く積まれた財宝が見えますよ。あれはすべてあなたのものだ……。あと一週間で、すべてあなたのものだ……。信じなさい……。疑ってはいけない……。何も怪しくはない……。あなたは私の言葉を信じて、すべて行動に移さなければいけない……」
その言葉を私の耳にしっかりと残して、電話はようやく切られた。私はしばらく茫然と立ち尽くしたが、彼の言葉の余韻から覚めると、まるでコンピューターによってプログラムされた、ロボットのふるまいのように静かに受話器を置いた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。朝までには完結させようと思ってます。よろしくお願いします。