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最も胡散くさい話  作者: つっちーfrom千葉
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★第1話★

 冒頭に堂々と書かせていただくが、私はこの世界にはびこるどんな人間よりも正直者である。これはおそらく、この世のどんな歴史的事実よりも、揺り動かせない真実であるし、どんな偉大なる人物の前に出ても、絶対の自信を持って言えることである。おおよそ他人の語り話を聞いて、その真偽を疑ったことはない。見栄や虚栄心から出てきた、きわめて聞き苦しい言葉であっても、私はそれをすべて真実として受け止める。


「俺だって、昔はアイドルみたいに可愛い彼女がいたんだよ」

「わしの遠い親戚には、テレビドラマに出てくるような、人気俳優が三人以上いるらしい」

「入院中の祖父が死んだら、他に受け取り手のいない遺産が、4000万ほど入ってくるんだ」


 顔中ニキビとそばかすだらけ、腹は見苦しく出っ張り、いつも白い襟元のたるんだTシャツと、あちこち破れたジーパンしか着ていないような、見栄えのしない友人たちが、頻繁にこのような言葉を発する。このようなおよそ真実は受け止め難い台詞であったとしても、私はその言葉をそのまま信じている。それは、他人が熱心に語った言葉を疑ってかかるということ自体が、そもそも失礼にあたるだろうという気持ちからきているのかもしれない。彼らは私の存在をその視界に捉えると、決まってこう言う。


「おい、ちょっと金を貸してくれないか。すぐだよ、すぐ返すから。5万でいいんだ」

 そうやって長年に渡って、数十万の金をあちこちの友人に貸し付けてきたが、それが体よく返ってきたことは一度もない。


 心から信じているはずの、知り合いや友人の言葉はもちろんだが、私は初めて会った他人の言葉であっても、何の躊躇なく信じ込んでしまう。華やかな言葉を振りまき、駅前で配られている、チラシやティッシュのたぐいは必ず受け取るようにしている。それだけでなく、そのチラシに書かれている、いかがわしい店の住所に、その日のうちに訪ねていくこともある。どんな目立たない政党の配布しているチラシであっても、必ずそれを手に取り、脳に刻み込むように、三回以上熟読する。家に訪ねてくる訪問販売員の言葉も簡単に信じてしまう。生活にまったく必要のない高級品を買わされても、騙されたという気持ちすら沸かない。


 『ああ、いい買い物をしたなあ』という清々しい感情だけがあとに残る。自宅のドアを叩いて、訪ねてくる営業マンの話は、ほとんどすべて鵜呑みにしてしまうため、どんな嘘くさい契約書にも、必ずハンコを押してしまう。部屋の中は一度も聴いたことのない英語の教材や、資格試験のマニュアル、ダイエットに最適といわれている、電動で震える腰のバンドなど未開封の品物ばかりである。平日は私にも会社での仕事があるから、それらを使っている暇がないのである。当然のことながら、すべて現金で購入していると給料だけでは足りない。セールスマンたちの要求を満たすために借金をすることにした。消費者金融からの借金は450万円を超えた。安い給料の勤め人には厳しい額だが、自分の生活費よりも優先して、少しずつ返却するようにしている。


 家は二階建てで、六世帯が住む木造のアパート。トイレも風呂も共同である。廊下やポストの掃除は一週間交代で住人が順番でやる。部屋が狭いため、洗濯機はドアの外に置かなければならない。冬は寒風の中、凍りそうな水を使って洗濯物を洗うため、手がかじかんで非常に辛い。隣の部屋との境にある壁は存在が疑われるほど薄いので、隣人の騒々しい話し声や携帯電話の呼び出し音、いかにも苦しそうな咳やいびきが、ほとんど完璧な形で聞こえてくる。当然、私の生活音も向こうに聞こえているのであろう。新聞は五種類とっている。勧誘員が来るたびに、『他の新聞をとっているので、もう結構です』と言いたくなるのだが、相手の懸命な説得を聞いていると、むげに断ることができなくなってしまうのである。五種類ともなると読むのも大変だが、まとめて縛ってゴミに出すのは余計に面倒だ。月末はいつも数十分かけてこの作業をやっている。


 私だって、他人を信じ込むことによって、築き上げてしまった、大きな借金さえなければ、もっといい暮らしができるだろう。例えば、厳重なセキュリティーのついた新築のマンション。全自動で乾燥機付きの洗濯機や大型のテレビ、ホットカーペットも買えるかもしれない。それに、もしかしたら、可愛くて、よく気のつく彼女がいたのかも……。しかし、私はこれまで自分を騙してきた人たちを、決して恨んだりはしていない。彼らは私を騙そうとする瞬間とき、常に気持ちのいい、つくり笑いを浮かべていた。彼らの気持ちの中に、98%くらいのまやかしがあったとしても、残りのほんの2%だけでも、私に対する温情の気持ちがあったのなら、私はそれでいいことにしている。彼らだっていい職に就いてなくて、生活が苦しいから、あのような詐欺まがいの商売につかなければならないのだ。契約が一つも取れなければ、おそらくは上司に怒鳴られたり殴られたりするのかもしれない。少しでも私の出費によって、彼らの役にたてたのなら、それでいいことにしようではないか。


 ここで説明するまでもなく、他人は私を小馬鹿にする。『あいつは詐欺者のカモだ』『どこまで単純でバカなやつなんだろう』そういう言葉が、闇の中から聞こえてくるのだ。だが、友人も少なく、両親もすでにこの世を去った私に対して、真剣な助言をしてくれる人はいない。子供の頃、両親からは『他人を信じて、愛して、生きていきなさい』と助言を受けた。それでも、世間一般の常識からすれば、結局は騙される人間が悪いと、その一言で片付けられてしまうのである。


 しかし、本当にそうだろうか? この世の人間関係のすべての事例において、他人を信じて騙される人間のほうが悪いと断言してしまっていいのだろうか? 私は決してそうは思わない。例えば、最近よく話題になる詐欺事件で、老夫婦の孫を装って、『会社の金を使い込んでしまった』などと、電話をかけて打ち明けて、大金を搾取する事件が注目されている。これなどは、『信じて払ってしまった老人の側が馬鹿』などと、マスコミや世論に結論づけられてしまっている。卑劣極まりない詐欺によって、弱い立場の人間から大金をくすねる卑怯者たちを取り締まることのできない、行政や警察が非難されることはない。だが、私は詐欺にあってしまった老人たちに心から同情したい。自分の孫が本当に可愛いからこそ、騙されてしまったのである。そこには、遠い街に住む、なかなか会えぬ孫に対する、確実な愛がある。折り悪く大金を渡してしまった老夫婦は、自分の肉親を本当に愛しているのである。ギャンブルで遊ぶ金目的で、自分の肉親から金を奪って殺害したり、死体を山林に遺棄したり、自分の妻や子供を殴り殺したりするDVと呼ばれるような、胸糞が悪くなるような事件と比べれば、その愛情の深さがはっきりと伝わってくるのである。


 しかし、あえなく大金を失ったあとで、そして、おそらくは、これからも次々と資産を失うであろう、報われぬ未来を抱えながら、そんな理屈をこねてみたところで、虚しくなるだけである。正直者は救われるというが、まだ一度も救われたことはない。そういう世の中なのかもしれないが、もしかしたら、我が人生の、これから先に、信じがたい一発逆転が待っているのかもしれない。そんなことを思いながら、アパートの部屋で寝っ転がっていた日曜の夜、その電話はかかってきた。

ここまで読んでくださってありがとうございます。10月1日の朝までに完成すると思います。よろしくお願いします。

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