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(九)波紋

 潮見が射場のシャッターを開けた。明るい光が差し込み、目の前に等間隔に並んだ八つの的と青々とした芝生が広がった。

「さ、練習だ。梅原、見ててやるから射ってみろよ。呪いなんて無いことを証明してやる」

 私は驚いて潮見を見た。潮見が南国の空のようなからりとした笑顔を見せた。

 私は袴に着替えると弓を取った。後ろで潮見と永野が見ていてくれている。

「ストップ。そのまま、大きく引き分けて。横に伸びる感じで二の腕の裏の筋肉を伸ばせ」と潮見が私の腕を後ろから軽く支えた。さらに、永野が「もう少し右を狙って」とアドバイスをくれる。「今だ」と永野が言い、私は矢を放った。矢はゆるい放物線を描いて飛び、小気味良い音を立てて的を射抜いた。嘘みたいだ。「やったね」と永野が言った。

「今の感じで意識して引ければ大丈夫だな」

 潮見も満足そうにうなずいた。

「あれだけ上手くいかなかったのに。どうして」

「梅原はいつも自分ひとりで悩んで、自分だけで解決策を見出そうとしているだろ。間違った方向に行かないためには、人に見てもらうことも大事なんだよ」

 私ははっとした。折れ曲がっていた心が素直になっていく気がした。

「……そうだね。有難う。二人とも、これからもアドバイスよろしくお願いね」

 私は礼を言った。すると、突然潮見が「それはできない。俺、今週で部活辞めるから」と言った。私は思わず彼を凝視してしまった。永野も聞いていなかったらしく、「何でだよ」と驚いた様子で潮見に向き直った。

「俺は、試合で勝つことじゃなく正射を目的に弓を引きたいから」

 確かに昨日の花火の時の潮見は随分落ち込んだ様子だった。だからと言って急に部を辞めるだなんて。潮見が見つめる先には、試合に勝利して喜び合う仲間たちの姿は無く、射の完成しかないのか。やっと最近仲良くなりはじめたと言うのに、もういなくなってしまうだなんてひどすぎる。


 夕方の競射が始まる頃になって急に空が曇ってきた。蒸した空気が射場に充満し始め、遠雷が響いた。夕立が来そうだ。潮見の射を後ろから見ていた主将が厳しい口調で言った。

「潮見。どうして試合直前になって射形を変えた? そんな事をしていたら勝てないぞ」

「俺、別に勝ちたいと思って弓を引いているわけじゃありませんから」

「どういう意味だ」

「俺は正射を目指したいと思って弓道部に入りました。正射よりも試合での勝利を優先する主将の考えには納得できません。的に中てるためだけの弓道なんて俺はやりたくない」

 ただならぬ雰囲気に部員たちが一斉に動きを止めた。

「優勝を目指すのは、俺個人の考えじゃなくて部全体の方針だ。お前は、弓道を単なる個人スポーツと考えているところがあるみたいだが、団体戦は的中を通して選手一人一人の心を繋ぐことが重要なんだ。今俺たちがやってるのは、勝利が前提の学生弓道だ。お前には部員としての自覚が足りん」

 私は何か言わなければ、と焦った。しかし頭の中が真っ白になってしまい、肝心の言葉が出てこない。止めに入ろうとすると、隣にいた永野が無言で私を制止した。

「おい主将。やめるんだ」

 相沢さんが睨み合っている二人の間に入った。しかし、主将が冷たく言い放った。

「そんなに正射にこだわりたいのなら、ここを出て市営弓道場にでも行くことだな」

 潮見が目を見開いたかと思うと、壁に掛けてあった道具袋から退部届を取り出して主将に突きつけた。

「そうします。お世話になりました」

 顔を紅潮させた主将が、その場に立ち尽くすのが見えた。まさか退部届が用意されていたとは思ってもいなかったらしい。潮見が退部届を静かに師範席の上に置き、無言で弓を片付けはじめた。

 突然、激しい雨が降り始めた。雨が白い霧を生み、沿道に植えられた木の枝が横風を受けて生き物のようにうねった。

「主将、言いすぎだぞ。潮見、戻れ」

 相沢さんが潮見の前に回りこんだ。無言のまま相沢さんの横をすり抜けた潮見が、傘もささずに道場を出てゆくのが見えた。斜めから降る雨が潮見のTシャツの背中を濡らしていた。その去ってゆく後ろ姿は弓道部のエースらしくなく、無謀な家出を決意した子供みたいに頼りなく感じられた。あたりは静まり返ったままだった。全身の力が抜けていくのを感じながら、私は潮見が去った後の光景をただぼんやりと見ていた。やがて永野が「的付け」と声をかけると、部員たちが何事もなかったかのように競射の準備を始めた。

 更衣室に入り、携帯を開いた。待受画面には、永野にメールしてもらった昨日の花火大会の画像が設定されていた。桜色の浴衣姿でピースサインをしている私、真ん中で平和そうに微笑んでいる永野、リラックスした表情ではにかむ潮見。あの時はこんな最悪の結末を迎えるなんて思ってもいなかった。出来ることなら三人で、卒業まで弓を引きたかった。


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