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(三)幽霊

 ちょうど師範席の本棚に弓道教本(きゅうどうきょうほん)が置いてあった。正射必中(せいしゃひっちゅう)、か。私は手に取りページをめくった。ふと、裏表紙の一部が厚くなっていることに気づいた。中に何かが挟まれている。セロテープで止めてあるらしいそれをそっと剥がすと、古い写真が現れた。端正な顔立ちの青年が、袴姿で的に狙いを定めている。この人、どこかで見たことがあるような気がする。既視感が軽い眩暈になって私を襲った。

「どうしたんだ」

 潮見と永野が隣に来て覗き込んだ。写真を剥がすと、裏側に青いボールペンで『昭和四十二年八月 H・S』とだけ書かれていた。

「綺麗な射形だ。きっとOBの誰かだろうな」

 潮見が唸った。その時、永野が時計を見上げて焦ったような表情を見せた。

「やばい、もう十二時だ。片付けなくちゃ」

「ねえ、前から不思議だったんだけど、どうして十二時までに帰らなきゃいけないの?」

「そういえばお前知らなかったっけ。日付が変わると出るんだってさ。事故で矢が刺さって死んだ学生の幽霊が」

「潮見、やめようよ。そんな話」

 永野が眉をしかめた。どうもこの手の話が苦手らしい。

「先輩たちの話では、運悪くその霊を見てしまうと的に中らなくなるらしい。俺らの何代か前のエースだった人が二年の夏にうっかり見てしまって、卒業までずっとレギュラー落ちだったって。まあ、そんなもんただの噂だろうけどな」

「でも、弓道部員にとっては最悪の恐怖だよね」と私は教本を本棚に戻した。卒業までずっとレギュラー落ちというのはよくある話で、そのフレーズは妙にリアリティを誘った。でも、毎日一番遅くまで残って練習している身としては、幽霊をたった一回見ただけで的に中らなくなるなんて冗談じゃない。私は何も考えまいと頭を左右に振った。


 永野が射場のシャッターを閉めている間、私は潮見と二人で的に刺さった矢を抜き、ボロ雑巾で矢尻についた泥を拭いた。潮見が破れた的を手際よく集め、ホースの蛇口をひねる。水を撒いた後の土から、心地よい冷気が上がった。早く片付けなければと焦りつつ、竹箒で土についた矢の跡を埋めていく。潮見の動作も、いつもよりせわしなく見えた。

「もしかして潮見くんも、幽霊信じてるの?」

「俺はそんなもん信じない。あんまり遅くまで練習していると明日のコンディションに響くから帰るだけだ。あ、そこもう少し掃きあげてくれ」

「ねえ、本当は怖いんじゃないの?」

「やかましい。置いてくぞ」

 私がからかうと、ホースを片付けた潮見が矢を持ってさっさと歩き出した。拗ねたような後ろ姿がなんとなく可愛く見えた。私は慌てて竹箒を片づけ、潮見を追いかけた。

 弓道場を出ると、上空一面に星が燦然と輝くのが見えた。白い車に乗り込んだ永野が「お先に」と無邪気な笑顔を見せた。

 潮見が着替えの入ったスポーツバッグを自転車のかごに放り込み、サドルにまたがった。私は空を流れる天の川と、夏の大三角形に見とれていたが、潮見が待っていてくれていることに気づいて慌てて自転車に鍵を差し込んだ。ペダルを踏んだとき、ふと誰かの視線を感じたような気がして振り向いた。しかし、シャッターが閉められ明かりの消えた道場に、人の姿は見えなかった。

 帰宅してすぐにシャワーを浴び、汗を流した。実家から送ってもらったそうめんを茹でて、冷蔵庫に冷やしてあった薬味とつゆを添えて食べ始める。一人暮らしを一番強く実感するのは、食事をしている時だ。しんと静まった部屋にいるのが耐えられなくなり、テレビをつけた。深夜の音楽番組から流れてくるJポップの爽やかなボーカルが響いてくる。私はボリュームを上げ、背後から襲ってくる寂しさを振り払った。

 ふと、さっき見た写真のことが気になって弓道部のOB名簿のページをめくった。しかし不思議なことに、いくら探してもH・Sというイニシャルの部員は見当たらなかった。


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