(一)七夕の月
矢をつがえた私は、七夕の月に照らされた白い的を睨むように見据えていた。
汗ばんだ肌には弓道着がべったりと密着し、大学弓道場の照明に誘われた無数の羽蟻が群がってくる。全身がむず痒くなるような梅雨の湿気が不快だ。
このところ、不調が続いていた。だが今はその事実を冷静に受け止めるしかない状況だ。
呼吸を整え、耳元で弦が軋む音を聞きながらゆっくりと弓を引きしぼっていく。頬についた矢の冷たさを感じながら、慎重に矢の先を的に定める。的までの距離は二十八メートル。額から鼻筋へ汗が伝っていくのを感じる。
的に中るかも知れない僅かな期待が胸にひらめいた。
刹那、静寂が鼓膜を刺した。
次の瞬間、たるんだゴムのような弦の音が響いた。私の放った矢はすぐに失速し、鈍い音を立てて的の下の土に刺さった。またダメだ。的にすら届かない。世界に音が戻り、再び虫の声がしんしんと聞こえ始めた。甘い期待ははかなく崩れ去り、絶望感が再び私を襲った。
私は道場の隅に置いてある鏡の前に立った。鏡には化粧気のない、冴えない袴姿の女子が映っている。大人にも子どもにもなりきれていない、中途半端な二十歳の私だ。後ろで一つに束ねた長い髪が右肩にかかってくるのを振り払い、鏡を見ながら射形を確認する。不調の原因は今ひとつ分からなかった。
鏡に映る私の背後で、的に向かって立つ男子二人の姿が、憂鬱さに拍車をかけた。
まず、「的中マシーン」の異名を持つ永野が矢を放った。強力な磁石に吸い寄せられるように矢が的の中心に吸い込まれていく。コンピューターが内臓されているんじゃないかと思うぐらいに正確な射形だ。射終えた永野が眼鏡についた汗をぬぐうと、柔らかそうな天然パーマが夜風にそよいだ。
続いて潮見が黒豹を思わせるしなやかな動作で弓を引き分けた。日に焼けた浅黒い肌、切れ長の鋭い瞳。風のようにひゅうっと弦がうなった瞬間、矢が的の中心を貫いていた。
「潮見、調子いいじゃん」
「お前の方こそな」
すれ違いざま、潮見が永野に笑い返した。
高校時代からエースとして活躍してきた潮見と永野に比して、大学初心者で不調のどん底にいる惨めな私。彼らと同じ華やかな舞台に立てる日が来るとは到底思えない。私は思わずため息をついた。